プリン革命

海野ぴゅう

プリン革命

 今日もまたプリンを作ってしまった。


 最近太り気味だから生クリームを入れたリッチなとろけるプリンを作るのは諦め、シンプルな卵と牛乳と砂糖にバニラエッセンスの焼きプリンだ。

 オーブンレンジの天板に水を入れて焼くこと35分、部屋に甘い匂いが漂い、オーブンの扉を開ける。お菓子は分量が間違っていなければたいてい成功する。科学の実験だ。


 プリンとは、分子式 C₅H₄N₄、分子量 120.1 の複素環式芳香族化合物の一種だ。

 中性の水には溶けにくく、酸性あるいはアルカリ性にすると良く溶ける。アルコール等の極性溶媒によく溶けるが無極性溶媒には溶けにくい。4つのアミノ酸と二酸化炭素によって生合成される。

 要するに美味しい食べ物らしい。


 らしい、というのは、俺は甘いものは苦手で食べないからだ。インスタにあげるから、ティラミスやシフォンケーキもたまに作る。

 じゃあ誰が食べるのかというと、受験生の姉だったりする。最近運動しないので太ってきたのを気にしてるから砂糖も少なめに作った。

 百均で買ってきた真っ白の耐熱容器に入ったプリンの上にイチゴを乗せてスプーンを添えてトレーに置く。本当は生クリームをかけたいが我慢だ。インスタに上げるのは習慣のようになっていて、スイーツ男子のインスタとして百人ほどの人が反応してくれるのが嬉しい。見て欲しい人がいて始めたのだが、かれこれ3年くらいになる。


「ねーちゃん、プリン作りたてだけど…」

「食べるっ!」


 ドアを叩いて聞くと、食い気味に返事が返ってくる。俺はドアを開けて姉の部屋に入る。高校生のくせに特に化粧や香水もつけない姉でも、なんだか女子っぽい匂い。


「ありがとー、ケンジは本当にいい弟だね…」


 そう言いながらさっそくスプーンで温かいプリンをすくい、口に運んだ。姉の小さな口に吸い込まれていった物体は卵と牛乳などが変形したもので、俺の気持ちもこっそり入っている。


「美味しい?」と俺が聞く前に、「美味しい!ケンジの作るものは何でも美味しいね。よっ、スイーツ男子!」と姉が嬉しそうに言う。

「おだててもなんも出ねーぞ」

「ふふ、もう出てるじゃん」

「…そっか」


 俺は姉がプリンを食べ終わる前に部屋を出る。だって食べ終わったら何かを話さなくてはならなくなる。本当は聞きたいことがいっぱいあるのに、姉の前に出ると聞くことが出来ない。口が上手く動かないのだ。


「じゃ…」

「ケンジ、いつもありがと。迷惑をかけないよう頑張って国立に受かるから…」

「迷惑だなんて思ってない!」


 俺は言い捨てて姉の部屋を出た。


(結局最後まで何もできないのが俺なんだろう。この前家まで送ってくれた男は彼氏なのか聞きたいけど…)


 父の再婚相手の娘として姉と初めて会ったのは俺が小学校1年生の時だった。一人っ子だったので姉が出来て嬉しかった。父が忙しい時にご飯を作ってくれる叔母が口うるさくてあまり好きじゃなかったので、穏やかな義母が来てくれて本当に助かったのだ。

 義母も姉も初めは物静かで遠慮がちな人たちだった。元夫がDVだったせいで内向的になっていたようだが、その時は知らなかったので口下手でぶっきらぼうな俺はどうにかして二人に元気を出して欲しいと思っていた。

 義母はフルタイムで働いていたので、俺は二人の為にお菓子を作るようになった。手の込んだものではなく、スコーンやプリン、クッキーなど小学生でも作れるものをせっせと作った。俺は甘いものは得意ではなかったが、二人はとても喜んでくれた。


 二人がこの家に慣れてやっと家族らしくなった頃、義母がガンで亡くなった。あっという間だった。

 それから2年が過ぎ、姉は大学進学を機に家を出ようとしている。父は学費を出すしゆっくり家でお金を貯めればいいと申し出たのだが、姉は首を縦に振らず、お金は奨学金でなんとかすると言うばかりだ。その上、最近は受験勉強で家事が満足に出来ないことを気に病んでいる。姉は毎日唐揚げだの魚を焼いてくれ、汁物を作る。それで俺たちは十分以上なのに。

 姉は居心地の悪い思いを他人である俺たちにさせたくないのだろう。でも俺はどうしても姉と一緒にいたい。その気持ちを夜食のプリンに乗せているのだが、どうもわかってもらえていないようだ。




「ケンジってばまたプリンをインスタにあげてる!女子受け狙いかよ」と同じサッカー部で仲良くしてるタケシがスマホを他のヤツに見せながらからかった。タケシは小学校から同じサッカースクールに通っている親友だ。


「わー!イチゴが乗ってるプリン、美味しそー」「ケンジ君、私にも作ってぇ」と女子が寄ってきてその写真を見て騒ぐが、肝心の姉の反応が最近ないのが気になって仕方ない。


(あまり美味しくなかったのかな…)


 ぼんやりしてると、タケシが少し皆から離れたところに連れて行き「なんだよ、また早紀さんのことで悩んでるのか…」と少し心配そうに俺の首に腕を巻き付けて囁いた。タケシだけには俺の家の話をしてある。


「不安定なのはわかるがいい加減に姉離れしろ。もう高校生なんだぞ?俺からみたら早紀さんは他人の家にいるんだから出たいのは当たり前だと思うがな…」


 タケシの言葉を聞いて俺は机を思い切り叩き、叫んでしまった。


「他人じゃない!俺の姉さんなんだよっ!」


 いつもは穏やかな俺がタケシに怒鳴ったせいで教室が変な空気に包まれる。


「ごめん、保健室行ってくる…」


 俺はタケシが正しいとわかっていた。父も姉の居心地が悪いことをわかっているから出て行くことを強く止めようとしない。本当の父親ではないから遠慮してるのだ。

 でも、俺は遠慮できない。このまま姉が離れて行くのを見ていられず、でも何もできずにただプリンを作るしかないのだ。


(はあ…何やってんだ、俺)


 俺は保健室に寄らず、そのまま家に向かった。荷物は学校に置きっぱなしだったが、どうでも良かった。



 裏口の植木鉢の下に隠してある鍵を使って家に入る。玄関に姉の小さなローファーがきちんと揃えられてこっそり隅に置かれていた。


「ねーちゃん…いるんだ」


 俺はなんとなく足音を潜めて1階を見て回ったがいない。2階で勉強してるのだろう。隣の姉の部屋に行こうとして自分の部屋の前を通ると、少しドアが開いていた。


「あれ?空いてる…」


 不思議に思って中にすいっと入ると、姉が俺のベッドで昼寝している。俺は驚きのあまり床に尻もちをついてしまった。

 俺が中学に入ってから姉は俺の部屋に入らなくなった。多分義母から思春期だからと言われて入らない様にしたのだろう。俺は一線を引かれたようでとても寂しかった。だって姉はいつも俺の部屋に普通に入ってきて勉強を教えてくれたりボードゲームをしていたのだ。

 ドスンという音で姉が飛び起きた。


「ケンジ?ご、ごめん…ちょっと眠くなって…」と言いながらあたふたとベッドから出ようとして床に転げ落ちそうになる。俺と違って頭がいいけど鈍くさいのだ。


「あ、あぶないっ!」


 俺がはしっと姉を抱きとめると、思ったより軽くてふわりといい匂いがして頭の芯がくらくらする。この部屋に姉がいるというだけでめまいがするのに。


(でも何で俺の部屋で…?)


 起き抜けの姉はホカホカと温かくて、生まれたてのひよこのように柔らかかった。そういえば姉に触ったのは3年ぶりくらいだ。


「勝手にごめん、すぐに布団なおすね…」


 遠回しに俺の回した腕をほどくように言う姉に従う気にはならない。俺はわかっちゃったんだ。


「ねえちゃ…いや、早紀ちゃん!俺、早紀ちゃんにこの家を出て行って欲しくない!俺を捨てないで…母さんも義母さんもいなくなって、早紀ちゃんまで俺を捨てたら…誰も信用できないよ」

「…何言ってるの、ケンジの本当の母さんも私のお母さんもこんなに可愛いケンジを捨てたくなんてなかったに決まってるじゃない!」

「じゃあ、なんで早紀ちゃんは出て行くの?俺も父さんもここにいて欲しいって思ってる。父さんは遠慮して言わないけど、俺は絶対に、絶対に早紀ちゃんと一緒にいたい。早紀ちゃんはご飯を作ったり掃除なんてしなくていい、俺が全部するからここにいて!出て行かないで…お願い…」

「…私だってここにいたいよ…でもこれ以上迷惑をかけられない。義父とうさんだって私がいたんじゃ恋愛もできないでしょ?ケンジも高校生だし可愛い女子と付き合ったり…」

「俺は…早紀ちゃんがいい。早紀ちゃんしかいらないんだ。初めてうちに来てくれた時から早紀ちゃんとずっと一緒にいるって決めたくらい、好きだったんだ。そうだ、俺早紀ちゃんが好きなんだ!!」


 俺は勢いでぎゅっと姉を抱きしめていたけど「いてて…」という控え目な声が聞こえてきて慌てて腕を解いた。


「ごめん…痛かった?」

「ふふふ、相変わらずの馬鹿力ね。私ね、ケンジがそう言う日が来るのが怖かったし、他の女子と付き合う日が来るのも怖かった。だからその前に逃げ出そうと思ったの。卑怯でしょ?」

「え…なんで俺が好きだって言ったらなんで怖いの?出て行かないといけなくなるから?」

「違う。本当の気持ちをポロリと言っちゃいそうで…でもそんなことになったら義父さんに顔向けできない。恩を仇で返すようなこと、出来ないもの」

「…じゃあ、一緒に言おうよ。俺も一緒にお父さんにお願いするから…だから…」

「困った子ね…最初に会った時からずっと可愛いくて、でも今は男らしくなって大好きだけど弟だし、どうしたらいいのかわかんなくて…。だからケンジがいないときにここで昼寝してたんだ」


(マジか…)


「匂いって…俺の部屋、男臭くない?」

「大好きなケンジとプリンの匂いがする…落ち着くよ」


 早紀ちゃんが昔の様にニヤリと笑うと、俺の頬もやっと緩んだ。


「じゃあ、共同責任だね。で、早紀ちゃんはもう出て行かないよね?」


 姉が子供の様にこくんと頷くのを見てホッとした俺は、彼女に抱き着いた。そして今夜もプリンを作ろうと思った。

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