ソロ冠 〜独りぼっちの王様〜

棚霧書生

独りぼっちの王様

 トラックに跳ねられ異世界に転生する。それは現実に嫌気が差している者ならば、自分の身に起こらないかと一度は夢想するような事柄ではないだろうか。転生先の世界では、ステータスだとかレベルだとかゲームの世界のような概念があるとなおいい。しかし、勇者とか世界中を動き回らないといけないような役回りは嫌だ。とりあえず、楽そうなのがいい。王様なんてどうだろうか。もちろん現実の王様みたいに公務などの仕事がたくさんあるのは勘弁だが、ゲームに出てくる王は家臣たちに簡単な指示だけを出して、あとは玉座にふんぞり返っている。いい、とても楽そうだ。

 そんなことを常日頃から考えていたからなのか、交通事故に遭って死んだらしい俺はどういうわけか玉座で目を覚ました。

 目覚める前の最後の記憶はスローモーションでしかし確実に迫りくるトラックの車体とアスファルトで擦れたタイヤのゴムの臭いで埋め尽くされている。

 これがかの有名なトラック跳ねられ転生ってやつなのか。小説投稿サイトでは星の数ほど目にしてきた設定が、俺の人生に入り込んできたようで少し興奮する。知らない場所で目覚めるという不可解な状況であるにも関わらず、俺は今までになくワクワクしていた。

 玉座から立ち上がり、自分の着ている服を確認する。白い絹を使ったすっきりとしたデザインではあるが、付けられている装飾品は金や宝石を加工したもので植物や鳥がモチーフになっている。温暖な気候なのか、胸や腹の部分が大きく開いているのが少し気になるが生地をケチったような貧乏臭さは全くない。むしろ、生地の縫合などには芸術的な美しさがあり、職人が手がけたのであろうことは想像に難くなかった。

 服をよく見るために頭を少し下げていたところ、頭に被っていたものがズルリとわずかに髪を引っ張りながら滑り落ちる。見れば、それは王冠であった。博物館に期間限定で特別展示されていそうなそれは、とても高価そうに見えた。俺は慌てて王冠を拾い上げて、傷がついていないか、よく確かめる。と同時にこのことを誰かに見られているかもしれないと小心が働き、キョロキョロと辺りを見回しもした。

「えっ、真希ちゃん?」

 玉座の間には俺以外の人間がいた。その人は王座のすぐ隣、たぶんお妃様が座るための椅子にちょこんと腰掛けていた。他の人は今のところ見当たらない。

「真希ちゃんだよね? なんでここにいるの?」

 真希ちゃん、家が隣同士で小さい頃から家族ぐるみの付き合いがある俺の幼馴染。まつ毛が長くて、目の下に泣きぼくろが二つある。俺と似たような豪奢な格好をしているが長い付き合いの彼女を見間違えるはずがない。

 俺はドキドキしていた。てっきり俺は、死んでここに来たのだと思っていたのだが、真希ちゃんがいるとなると話が変わってくる。いや、あまり考えたくはないが真希ちゃんが俺を追って……、なんてことも……。

「ねえ、真希ちゃん、聞こえてる?」

 俺は真希ちゃんの目の前まで行って、顔をまじまじと見る。やっぱりどこからどう見ても真希ちゃんだ。

 真希ちゃんは目を開けているのに、まるで俺のことは視界に映っていないようだった。反応はさっぱり返ってこない。まるで真希ちゃんそっくりの人形を見ているようで、気味が悪くなってきた。そのとき、からくりのような真希ちゃんの口が突然動いた。

「おはよ、時彦。今日も一日ゲームばかりするんじゃないよ」

「え、なんだって?」

 真希ちゃんの言葉を聞き取れなかったわけじゃないけれど、急に喋り出して、また黙りに戻ってしまった彼女に動揺を隠せなかった。俺が話しかけても、ネジが切れたように真希ちゃんは微動だにしない。さっきの声は真希ちゃんのようだったし、喋り方や内容も真希ちゃんっぽかった。だけど、これは本物の真希ちゃんではないのかもしれない。本物の真希ちゃんなら、こんなふうに黙ったりしないし俺を無視し続けたりすることもしないだろう。

 真希ちゃんのことだけでも不可解なのに、さらに意味のわからない出来事は続く。玉座の間にどこからともなく人が現れたのだ。しかも、それなりの人数が。

 玉座の間は階段を数段登った上につくられているのだが、その階段を守るようにして、左右に兵士のような若い男が二人。さらに玉座の横には、控えるようにして大臣風の初老の男が立っている。真希ちゃんの方にも侍女のような格好をした人が近くについていた。

「いつの間に……」

 高度なマジックを見せられた気分だ。実は、俺は大掛かりなドッキリを仕掛けられているだけなのではないかと思えてきた。試しに大臣風の男に、騙そうたって無駄ですよ、と言ってみた。男から返事は返ってきたがそれは、おはようございます陛下、という無味乾燥なものだった。もう一度、話しかけても同じ返答をされ、仕方がなく別の兵士風の人や侍女風の人にも声をかけてみたが、応答はどれも似たようなものばかりだった。


 俺はこの世界がなんなのか少しずつ理解してきた。きっとここは穏やかな地獄なのだと思う。というのも俺はしばらくの間、探索を続けてきてわかったことなのだが、ここには俺以外に人間がいない。すべてがからくりだ。いや、実際のところからくりなのかさえ俺にはわからないのだが、真希ちゃんやその他の人物が人間でないことだけは確かだった。

 まず皆、ロボットのように同じ言動を繰り返す。人によって話す内容は微妙に違うが、ゲームのキャラクターが何度話しかけても同じテキストを表示するように、そこに変化はない。昨日、犬を怖がっていた少年は、今日も犬を怖がっているし、明日も犬を怖がっている。ワンワン怖いよぉ、と同じセリフを飽きもせず吐き出し続ける。まるでそうプログラ厶されているかのように。

 それに加えて、皆ほとんど動かない。もしくは同じ動作を繰り返し行っている。これもまたゲームキャラクターがプログラ厶に従っているようで、気持ちが悪い。

 この世界では、食事は取れないし眠ることもできない。それなのに俺は体調不良を感じることもなくもう何ヶ月もここで過ごしている。奇妙、極まりない。

 何度目の夜だろうか。初めは昼と夜の区別もついていなかったのだが、玉座の間に真希ちゃんしかいなくなる時間帯が夜なのだと気がついてからは、夜の間はずっと玉座の間にいることにしている。

 夜は怖い。人を不安にさせる魔力みたいなものがある。生きていた頃はゲームのために徹夜をしていても夜に恐怖を覚えることはなかった。あれは没頭するものがあったから夜に意識がいかなかっただけなのかもしれない。ここにはなにもない。気を紛らわせるものも、話し相手も、誰も。

 どうせ誰も見ていないからと、椅子に座っている真希ちゃんの足元にしゃがんで、彼女の膝に頭を乗せる。今日も真希ちゃんはなにも言ってくれない。だが、ここではそれが普通、いつも通りだ。あまりの変化の無さに、いよいよ、頭もおかしくなってくる。

「真希ちゃん、聞いてよ。王様ってめちゃくちゃつまんないんだ。誰も相手にしてくれないし、冠なんて重いだけだから玉座に置きっぱなしにしてるよ」

 早く朝になってほしい。そうすれば、真希ちゃんが俺の名前を呼んでくれる。おはよ、時彦って……、この世界で俺の名前をちゃんと言ってくれるのは真希ちゃんだけなのだ。他の奴らは俺のことを王様とか陛下とか、そういうふうにしか言わない。

「お願い、真希ちゃん。俺、自分の名前も忘れちゃいそうだよ……」

 同じセリフでもいい。ただ真希ちゃんの声で自分の名前を聞きたい。早く朝になれ。朝、来い。早く、朝、朝、朝……。

 知らず知らずのうちに涙がこぼれる。胸が痛い。喉の辺りががカッと熱くなって、引き攣れた声がうっうぅ……と漏れる。俺がなにをしたって言うのだろう。気がつかないうちに、こんな仕打ちを受けるほどの悪行を働いてしまっていたのだろうか。

 ポタポタと涙が絶え間なく落ちていく。それが自分のものだけではないことに俺はしばらくの間、気がつかなかった。ハッとして顔を上げると真希ちゃんの目から涙がこぼれていた。それはここに来てから初めて見る変化で俺はなぜだかとても嬉しくなったし、どこかホッとする感覚があった。

 もう俺には訪れないと思っていた眠気を久方ぶりに感じる。しかもこれまで眠らなかった分を取り立てるように強烈な強さでそれは俺を飲み込んだ。

 目が覚めると俺は病室のベッドにいた。真希ちゃんが俺の手を握って、泣いている。パチッと彼女と目が合う。俺も真希ちゃんもすぐには声が出なかった。

「バカ時彦ッ……!」

 やっと出てきた真希ちゃんの第一声は罵声だった。だけど、悪い気は全然しない。真希ちゃんはクドクドと俺がいかにバカ野郎なのかを一生懸命にがなり立てている。どうやら俺はトラックに跳ねられはしたが治療の結果、一命を取り留めたらしい。俺が今まで異世界だと思っていたあの地獄はただの長い悪夢だったのだ。

「聞いてるの時彦!? せめて、いつものボットみたいな返事くらいはしなさいよッ!」

 真希ちゃんが眉間にシワを寄せ、顔を真っ赤にして言った。ああ、そうか。そういうことだったのか。俺はなぜあのような地獄に滞在する羽目になったのか、その言葉でわかった気がした。

「真希ちゃん、好きだよ。心配かけてごめんね」

「きゅ、急にどうしちゃったのよッ……」

 真希ちゃんが驚いて言葉を詰まらせる。驚かせてしまって申し訳ないが、俺はちゃんと自分の気持ちを伝えないといけないのだ。

 時彦のバカバカバカバカ! と真希ちゃんの感情がたっぷりこもったバカがたくさん返ってきて、俺はちょっぴり泣いた。

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