うちの子しか勝たん

 終業しゅうぎょうのベルが鳴る。


 経理部けいりぶ VS 営業部えいぎょうぶ の『うちの子しかたん卓球選手権たっきゅうせんしゅけん』は、ほんとうに開催かいさいされるらしい。


 経理部からの出場者は、杉山部長すぎやまぶちょう大久保主任おおくぼしゅにん、そして滝本岳先輩たきもとがくせんぱい――通称がっくんと、私の4人だ。


 聞いたところによると、経理部の皆さんは、杉山部長の勝負しょうぶには、愛想をかしたらしい。

 そのため、さいきんは営業部えいぎょうぶの不戦勝つづきだとか。


 前もって知っていれば、私も不参加ふさんかつらぬきとおせたのに。

 とっさにワインにつられるとか、頭わるすぎだろ、私。

 ワインバーは楽しみだが、今日じゃないほうがよかった。


 今夜9時からの、最新キャンプギア特集は、あきらめるしかない。

 今日1日、たのしみにしていたから、残念なきもちが強い。

 見逃し配信、やってくれればいいけど。


 『杉山部長による被害者ひがいしゃの会』が発足ほっそくしたあかつきには、会長に立候補りっこうほしよう、と想像しながら溜飲りゅういんげた。




 上機嫌じょうきげんな杉山部長につれられ、やってきたのは、大会議室だいかいぎしつだった。

 部長会議ぶちょうかいぎの会場にも選ばれる、社内で一番ひろい会議室だ。


 なぜこの場所に? と思っていたら、大会議室の物置に、年季ねんきの入った卓球台があった。

 杉山部長の瞳が、懐かしそうに細まる。


「わしが若いころは、昼休みに社員で卓球をして、親睦しんぼくを深めていた」

「そうなんですか」


 杉山部長の指示どおりに、卓球台を設置したり、ラケットを発掘はっくつしたりする。

 どれもこれも古びてはいるが、まだ使えそうだ。


「おつかれさまです」


 営業部えいぎょうぶの、被害者ひがいしゃの方々が、到着したようだ。


「あら、がく。めずらしいわね」

知沙ちささん。おつかれさまです」


 今日もキレイに髪を巻いた知沙さんが、秋津あきつさんと一緒に現れた。


 知沙さんの視線を感じたので、かるく会釈えしゃくをする。

 彼女は、きれいな所作しょさで、会釈をかえした。


 知沙さんが、秋津さんになにかをささやく。

 秋津さんが、きれいな顔を、ほころばせた。


 うん、かわいい。

 私の負けでいいわ。


「杉山部長。今回もうちの不戦勝ふせんしょうかと思いましたよ」


 すき の無い笑顔の男性が、杉山部長に手をさしだす。


「唐沢部長。たまにはおれいをさせてもらうよ」

「これはおそろしい。お手やわらかに」


 ふたりの部長が、握手あくしゅをしながら、太く笑いあう。


「おや。そちらは女性社員が2名か」


 杉山部長の問いに、唐沢部長がかるく肩をすくめる。


「もう1人、男性社員が来るが、遅れている。なにせ、営業だから忙しくてな」

「忙しいなら、無理して来なくてもよかったのでは?」

「はっはっは。杉山部長は、ほんとうにおもしろい方だ」


 帰りたいな、と思っていると、遠くのほうからだれかが走ってくる音が聞こえた。

 バーン、と派手な音をたてて、大会議室の扉がひらかれる。


「唐沢部長! 新規案件しんきあんけん、とってきましたー!」


 あらわれたのは、元気が有りあまっていそうな男性社員だった。

 人懐っこい笑顔で、唐沢部長に書類をさしだす。

 

 唐沢部長が書類に目を走らせ、破顔した。 


「たいしたもんだ、瀬戸せとくん」

「いやぁそれほどでも? ところで、なんで大会議室に卓球台があるんですか?」

「いまから君がやるんだよ」

「俺っすか? まあいいですけど。あれ、知沙ちさがくじゃん。なにやってんだ?」


 気やすい名前呼びに、以前がっくんが、同期どうきは名前呼びだと言っていたことを思い出す。

 年も近そうだし、たぶん、そうなのだろう。

 

「あいかわらずね、玲於れお

 

 知沙さんが、あきれたように、瀬戸さんを見る。

 名前を呼ばれた瀬戸さんが、満面の笑みで知沙さんに駆け寄る。

 彼から、おおきく振られた犬のしっぽが見えそうだ。


「知沙に会うのは1週間ぶりぐらいか?」

「そうね」

「あとで出張土産やるよ」

「ありがと」

「知沙が前に食べたがってたやつ、買ってきたぞ。ショコラ……吉祥?」

「え? ほんとうに?」


 知沙さんが、おどろいたように瀬戸さんを見やる。

 彼女が動じるイメージがなかったから、意外だ。


「ああ。すげー絵が描いてあるチョコ」


 ニカッと笑う瀬戸さんは、太陽のようだった。


「……ありがとう」

「おう! で、俺いまいち把握はあくできてないんだけど、社内で卓球部を発足ほっそくして、俺もメンバーに入ってるってこと?」


 全員が目をらし、瀬戸さんの疑問に答える人はいなかった。

 首をかしげる瀬戸さんを見て、あなたが入るのは被害者の会ですよ、と会長候補かいちょうこうほの私は、こっそり脳内のうない 勧誘かんゆうをかけた。



 



「どちらがかわいいかって……なんだそりゃ」


 知沙さんから説明を聞いた瀬戸さんは、もっともな感想をもらした。


「えーと、宮崎さんだっけ?」

「はい」

「女性を比べるのは失礼だろ。うちの部長がごめんね?」


 いきなり瀬戸さんに謝られ、恐縮してしまう。 


「いえ。瀬戸さんが謝られることでは」

「でもなー。うちの部長、言い出したらきかないから。しょうがないから適当に卓球やって、さっさと帰るか!」


 声がでかい。


「瀬戸くん。聞こえておるよ」

「唐沢部長! 卓球、たのしみっすね!」


 悪びれなく唐沢部長のところに駆けていく瀬戸さんに、唐沢部長が苦笑する。

 そのようすから、彼がかわいがられていることがわかる。

 ちょっと正直すぎるが、人懐っこいし、営業むきの性格なのだろう。


「最初は俺、瀬戸玲於せとれおがやりまーす! 経理部の皆さん! 今日は、瀬戸玲於の名前だけでも、おぼえて帰ってくださいねー!」


 両手をあげて、瀬戸さんが大声を張りあげる。

 目が合うと手を振られる。

 アイドルのファンサのようだ。

 

「俺の対戦相手は誰ですか?」


 瀬戸さんの問いに、大久保主任が手を挙げる。


「俺からいこう。もえちゃん、おうえんよろしくね」

「あ、はーい。いってらっしゃーい」


 つい棒読みになってしまった。

 

 そんなこんなで、『うちの子しかたん卓球選手権』の、幕が上がった。






「じゃ、俺からいきますねー」


 じゃんけんの結果、瀬戸さんからのサーブに決定した。

 以後のサーブ権は、交互に移動するという社内ルールだ。


「いつでもどうぞ」


 迎え撃つのは、大久保主任だ。

 ラケットを持つフォームが決まっているので、経験者なのかもしれない。


 瀬戸さんが、深呼吸しんこきゅうをする。

 ラケットを構えて、ボールをバウンドさせる。


ただきの指定が細かい!!」


 え、なに!?


 瀬戸さんが急にさけび、大久保主任の動きが止まる。

 気が付いたときには、ボールは通りすぎていた。


「秋津さん、点数~」

「あ、はい」


 瀬戸さんに言われ、点数係の秋津さんが、営業部に1点追加する。


「これ楽しいっすね!」


 瀬戸さんが、首をほぐすように左右にたおす。

 ぐるぐると腕をおおきくまわし、ニカッと笑った。

 

 そんな瀬戸さんに、大久保主任が、冷やかな瞳を向ける。

 ちいさくうなずくと、ラケットをくるりと回した。

 

 次は大久保主任のサーブだ。

 深呼吸をして、ラケットをおおきく振りかぶる。


「領収書の提出期限を守れ!」

「駐車場代の単価にうるさい!」

「おまえの数字は読みにくい!」

「経理部まるのはやい!」

「だまれ社畜しゃちく!」

「社畜じゃない! あっ」


 経理部に、1点はいった。


 開始数分で、おたがいの息があがっている。

 

「これ、何点先取?」

「11点」

「部長~! 1セット3点とかにしましょうよ~!」


 瀬戸さんが、唐沢部長にねだる。

 愛嬌あいきょうがある言い方に、つい笑ってしまう。

 

「瀬戸くん。叫ばなければいいだけの話では?」

「でも部長。経理部には、言いたいことが、たくさんあるじゃないですか~」

 

 ね、と笑う瀬戸さんは、本気と冗談が入り混じった目をしていた。


 第一印象は、明るい犬系男子だった。

 でも、いまの表情を見て、一癖ひとくせありそうだな、と思った。


「はっはっは。では、このさい、全てぶちまけたらどうかね?」

「やっぱそうなるか~」


 おおげさなため息をついて、瀬戸さんが大久保主任に向き合う。

 ラケットを構えて、不敵な笑みをうかべた。


「と、いうわけで大久保さん。まだまだ付き合ってもらいますよ」

「ふん、のぞむところだ」


 男同士の、熱い戦いがはじまった。


 すごい。

 まったく興味がひかれない。


 それよりも、うしろのがっくんと知沙さんが、気になってしょうがない。

 ちかくない?

 同期どうきってだけで、いい年した男女が、そんな距離で話す?


 しかも、なんか和やかな雰囲気だし。

 がっくん、笑ってるし。

 はたから見ると、お似合いですね!

 

 そんなことを思いながら試合に目をむけると、大久保主任が勝利するところだった。

 大久保主任が、笑顔でふりかえる。

 

「萌ちゃん、みてた!?」


 みてなかったです、という言葉を飲みこんだ。


「はい! 安定感のあるフォームで、快勝でしたね!」


 なかばやけくそ気味に、めたたえる。


「え、わかる? じつは、むかしちょっと卓球やっていて」

「そうかなって思いましたー」


 大久保主任と、ハイタッチを決める。


 いい人なんだけどな。

 萌ちゃん呼びさえ、やめてくれれば。


 ああ、ビールをジョッキで飲みたい。


「負けた! くやしい!」


 瀬戸さんが、オーバーリアクションで悔しがる。


「部長、すみませんでした!」


 こちらもやけくそのように大声を張り上げ、部長に対して最敬礼のお辞儀をする。

 体育会系のノリに、唐沢部長が苦笑した。


「まだ1セットだ。瀬戸くんは、ほんとうに負けず嫌いだな」

「そうなんですよねー。顔見知りには、ぜったいに・・・・・、勝ちたいじゃないですか」

「営業は競ってなんぼだ。君の営業成績は社内でも上位だ。これからも期待しているよ」

「まかせてください!」


 すぐにパッと笑顔を見せて、瀬戸さんがくるりとこちらを向く。


「大久保さん! ぜったいにリベンジしますから!」

「受けて立とう」

「でも大久保さんって、手ごわそうだな~。正攻法せいこうほうかなわなかったら、卑怯ひきょうな手を使ってもいいですか?」


 無邪気むじゃき な笑顔で、あけすけな質問をする。

 そのようすに、大久保さんは、ちいさくふきだしながら、うなずいた。


「はは。常識の範囲内でな」

「やったー! リベンジ、楽しみにしててください!」


 そのやりとりを、微笑ましくながめる。

 営業だから、人のふところに入るのが上手い。


「じゃ、つぎは俺が点数係やりまーす」


 そういって、瀬戸さんが背を向ける。

 その一瞬。

 私のほうから、見えてしまった。


 笑顔の下から、嫌悪感にゆがんだ顔が、あらわれるのを。 


 まばたきをする間に、それは消えた。

 

 瀬戸さんの元気な声で、われにかえる。

 彼は、人懐っこい笑顔で、部長たちと談笑していた。


 一瞬だし、私が見間違えただけか。

 そう結論づけて、知らず詰めていた息を、はきだした。






「2ゲーム目は、やはり当人同士とうにんどうしじゃないかね」

「そのあんには賛成さんせいだ」


 部長同士の独断どくだん偏見へんけんにより、2ゲーム目は私と秋津さんが勝負することになった。

 緊張きんちょうから、ラケットを握る手に、汗がうかぶ。


 サーブは、負けた営業部から。

 つまり、秋津さんからだ。


 ドキドキと高鳴る心臓は、勝負のプレッシャーだけではない。

 そう。

 じつは、まだ皆に、言ってないことがある。


 秋津さんが、深呼吸をする。

 まさか。

 まさか、彼女も叫ぶのか!?


もえ方向音痴ほうこうおんち!」

「ふわっ!?」


 バシッとサーブが決まる。

 それよりも。

 周囲の目が、私たちに集まってしまった。


 こうなったら、やるしかない。


 私も覚悟を決めて、ラケットをかまえ、深呼吸をした。


「みくの競馬けいば好き!」

「ざんねーん! 競艇きょうていでーす!」


 バシッ!

 

 サーブを返され、また営業部に点数が追加された。

  

「みく、強い!」

「はっはっはー! 萌には負けん!」


 ラケットでビシッとさされ、唇をとがらせて抗議こうぎする。


「秋津、さん?」


 知沙さんが、とまどうようにみくの名前を呼ぶ。


「あ、言ってませんでしたけど」


 みくが、にっこりと大会議室の面々を見渡す。


「私と萌、親友ですから」

「そうなんです」


 へらり、とお互いに笑いあう。


「どちらがかわいいか、でしたっけ?」


 みくの問いに、部長たちがたじろぐ。


「私は萌をします!」

「なんで!? みくの方がかわいいよ!」


 みくがフッと笑って、ラケットを構えた。

 手のひらの、卓球のボールが光る。


「卓球で決めるんでしょ? いくよ――萌のほっぺがぷにぷにでかわいい!」

「みくの目は大きくてキレイ!」


 返球したボールが、ネットにあたって、みく側に落ちた。


「やるわね、萌」

「いまのは偶然だけど」


 深呼吸をして、みくをまっすぐに射抜く。

 とどけ、みくへの愛!


「みくのマドレーヌ大好き!」

「萌の八宝菜はっぽうさいはお店の味!」


 取りつ取られつしながら、9-10にもつれこんだ。

 つぎはみくのサーブ。

 これを決められたら負けてしまう。


 負け――つまり、みくより私の方がかわいいなんて、解釈違かいしゃくちがいもはなはだしい。


 なんとしてでも取る、とラケットを握りしめた。


 みくが、にやりと笑う。

 ものすごく、嫌な予感がした。


「萌はいだらすごい!!」

「わーっ! ちょっとー!」

 

 動揺どうようした私のラケットは、おおきく空振りする。

 バシッと快音が響き、ボールが足元にころがった。


「勝利ー!!」


 みくが満面の笑みでVサインを決める。


「みくのばかー!」

「私のこと、嫌いになった?」

「うう、すきぃ~」

「はっはっはー! あとで胸ませろー!」


 そう、秋津みくという人間は。

 黙っていれば美人なのに、口を開けばおっさんなのだ。


「勝ちましたよ、知沙さーん!」


 そういって、みくは知沙さんに抱きついた。


「知沙さんいいにおい~美人だし最高~」

「もう、秋津さんったら」

 

 対する知沙さんは、しょうがない子を見るような目で、苦笑している。

 なんだかんだ言って、営業部は仲良しなんだなと思った。


「萌ちゃん、おつかれさま」

「大久保主任。負けてすみません」


 社交辞令で、あやまっておく。

 みくの発言のせいで、男性社員の顔を見る勇気はない。


「萌ちゃんって、いま1人暮らしだっけ?」


 脈絡みゃくらくのない会話に、大会議室の天井を見ながら肯定こうていする。


「俺も1人暮らしが長いから、人の手料理にえていて。萌ちゃん、八宝菜が得意なんだね。食べてみたいな」

「みくには言ってないんですけど、あれ八宝菜のもとを使っているだけなんです。素を使えば、だれでも簡単にお店の味ですよ」


 かべはしらを数えながら、大久保主任に解説する。

 料理をしない男性は、料理のもとが売っていることすら知らないのだろう。


「そうか……いや、さいきん、結婚したいなーって思うことが増えてきて」

「え!?」


 大久保主任を見上げる。

 私の反応に、彼は気をよくしたようにしゃべりだした。


「次に付きあう人は、結婚を前提にって思っているから」

「わかります!」

「やっぱり、女の子にとって、結婚はあこがれが――」

「私も、くしてくれるよめがほしいです!」

「ん?」

「ん?」


 こぶしをにぎりながら同意すると、なぜか大久保主任の頬がひきつった。


「なに萌~! 私がお嫁さんになってあげようか~?」

「ほんとう!? みくの笑顔に癒されるなら、無限に働けそうだよ!」

「だめだよ萌。ちゃんと休まなきゃ」

「なんてできた嫁……ッ!」


 ヒシッと抱きあう。


「どちらもかわいい。娘が言っておったが、箱推はこおしというらしい。それで、いいのではないかね」

「その案には賛成だ」


 部長たちが、そんな相談をしていたなんて、じゃれあっていた私たちには、よしもなかった。





「部長ー! 俺、腹減りましたー!」


 瀬戸さんが大声を上げた。


経理部けいりぶとの親睦しんぼくは深まったので、飯食いにいきません?」

「しかし、まだやっていない社員が」

「知沙も岳も、卓球より飯のほうがいいよなー? 部長、俺が出張明けってこと、忘れてないですよね? 新規案件とれたお祝いに、おごってください!」


 瀬戸さんが、犬のように唐沢部長にまとわりつく。


「まったく瀬戸くんは。飯はおごってやるが、今日は無理だ」

「あ、そうなんすか?」

「じつは、結婚記念日けっこんきねんびでな」


『えっ!?』


 全員の声がかぶる。

 そんな大切な日に、なにやってるんだ唐沢部長。


「おい、唐沢。さてはおまえ、うかれてわしに勝負を挑んだな!?」

「ふん、なんとでも言え」


 プイッと横を向く唐沢部長の頬が赤い。

 マジですか……尊いんですけど……。


 そして部長同士も、じつは仲が良いな、これ。


 わかってしまうと、経理部の皆さんが、杉山部長の勝負に愛想を尽かせたのに納得がいった。

 

「唐沢部長、俺らのことは気にしないで、帰ってください。いますぐに」


 瀬戸さんが、唐沢部長の背中をぐいぐい押して、扉へ誘導する。


「しかし、妻は仕事で遅くなると」

「はいはい。ケーキでも買って帰れば、きっと喜びますよ。おつかれーっす!」


 唐沢部長を廊下に追い出し、くるりとこちらを向く。

 人懐っこい笑顔をうかべて、杉山部長のもとに駆けてくる。  


「唐沢部長にも困ったものです。ね、杉山部長」 

「君はけっこう強引だな」

「そうですか? 杉山部長も、かたづけは俺らにまかせて、たまには早く帰って、体を休めてくださいよ」

「いや、しかしワインバーが」

「ワインバー?」


 杉山部長が、こちらにちらりと視線を向ける。

 その視線を追った瀬戸さんと、ばっちりと目が合う。

 にこり、と微笑まれ、状況を説明せざるを得なくなった。


「おわったら、杉山部長とワインバーにいくお約束をしていて」


 そのとき、杉山部長の携帯が鳴った。


「おっと、すまんね。――もしもし?」


 通話を続ける杉山部長の、表情がきびしいものになっていく。 

 もしかして、なにかよくない知らせでも、舞い込んできたのだろうか。


「そうか。わかった」


 杉山部長は、通話を終えて、重いため息を吐いた。


「どうかなされたのですか?」

「宮崎くん。家内から、愛犬の調子が良くないと連絡が入った。わるいが、ワインバーはまた今度でもいいかな」

「もちろんです。早く帰ってあげてください」

「すまんな」


 足早に扉にむかう杉山部長のために、瀬戸さんが走って、扉を開けに行った。

 すごい。

 営業の人って、気が利くんだ。


 杉山部長と言葉を交わし、瀬戸さんがこちらに戻ってくる。


かぎを預かったので、俺が施錠せじょうします。じゃ、皆で協力して、おかたづけ開始ー!」


 こぶしを天井につきあげて、瀬戸さんが笑う。

 施錠せじょうのことにまで気が回るとは、さすがだ。

 

 瀬戸さんが、うまく大久保主任を立てながら、リーダーシップをとっている。

 おかげで、かたづけはすぐに完了した。


 現れたときも、新規案件をとってきたと言っていたので、彼はとても仕事ができる人なのかもしれない。 

 

 時刻を確認すると、19時だった。

 その事実に、心が浮足立うきあしだつ。


 今夜9時からの、最新キャンプギア特集が見られる!

 

「すみませーん!」


 みくが、声を張り上げながら、手を挙げた。

 

「彼氏と会う予定があるので、おさきに失礼します! 萌、またごはん行こうね」

「うん。気をつけて」


 みくに手を振る。

 片付けも終わったし、私も帰りのあいさつをしようと、先輩たちのほうに向く。


「今日はおつかれさまでした」

「宮崎さん!」


 瀬戸さんに呼ばれ、顔を上げる。


「俺ら今からめし行くけど、一緒にどう? 大久保さんもぜひ!」


 瀬戸さんは、がっくんと知沙さんと、無理やり腕を組んでいた。

 ふたりは、そろってあきらめの表情をしている。

 瀬戸さん、強引だな。

 

「萌ちゃんが行くなら、行こうかな?」


 大久保主任がそんなことをいうから、決定権が私に移った。

 責任重大せきにんじゅうだいじゃん。


 本音は、とっても帰りたい。

 せっかく誘ってもらったのに、と思わなくもないが、社交辞令の可能性もある。

 

 瀬戸さんだって、同期3人でごはんに行ったほうが、気を使わなくていいし、楽しいだろう。

 よし、断ろう。


「せっかくですが――」

「杉山部長から、ワインバーの店名、聞いておいたよ」

「えっ……」


 瀬戸さんが、ほほえみながら、こちらに手を差しだす。


知沙ちさもワイン好きだし、そこに行くんだけど」

「いきます」


 気がつくと、瀬戸さんとがっしりと握手をしていた。


「じゃ、いこっか~♪」


 くるりと手を返され、なぜか瀬戸さんに手をつながれた。


「ちょ、瀬戸さん!?」


 とまどっている間に、強引に手をひっぱられる。

 歩く準備をしていなかったために、バランスをくずして、よろめく。

 ころぶ、と思ったしゅんかん、横から伸びた腕に、抱きとめられた。

 

「だいじょうぶですか?」


 耳元で、聞き慣れた声がする。

 細いくせに安定感がある腕の中で、彼の顔を見上げる。


「……滝本先輩。ありがとうございます」

「いいえ。それより玲於れお、手をつなぐのはセクハラ」


 がっくんの目線の先には、瀬戸さんとつないだままの手があった。

 瀬戸さんは、あっけにとられた表情で、動きがとまっている。

 がっくんは焦れたように瀬戸さんの手首をつかむと、そのまま私から引きがした。


「いってぇ!! がく、痛いって!」


 瀬戸さんが大声をあげて、地面に尻もちをつく。

 それをひややかに見ながら、彼はパッと手を離した。


「玲於。宮崎さんにあやまれ」


 あれ、がっくん。

 もしかして、おこってる?


 なぜか、こわごわと見上げてしまう。


「はあー。なんで岳って、俺に冷たいの? ごめんね、宮崎さん」

「い、いいえ」


 叱られた大型犬のような表情で、あやまられる。

 私の返事を聞いた瀬戸さんが、急にニヤリと表情を変えた。


「ていうかさ。岳のそれはセクハラに当たらないわけ? 宮崎さん、ちょーびびってんじゃん」

「あ、すみません!」

「いえ!」

 

 バッと体を離され、あわててこちらもあやまる。

 ひっついていることに、違和感を感じなかった。 


 さいきん、がっくんとの距離感がバグっているかもしれない。

 会社では気をつけよう、とあらためて気を引きしめる。


「それじゃ、ワインバーに行きますか!」


 パンと手をたたき、瀬戸さんが立ち上がる。

 扉に向かう彼に着いていこうとした時、かるく肩をたたかれた。

 がっくんだ。


「俺がいるからって、飲みすぎないでくださいね」


 ひかえめな笑顔だが、目の奥には、からかうような色がふくまれている。

 私が知っている、いつもの彼だ。


「滝本先輩にご迷惑をおかけしないよう、気をつけます」

「俺が好きでやっているので、迷惑ではないです」


 様式美ようしきびのような会話に、目線だけで笑いあう。


「最新キャンプギア特集、いつでも見に来てくださいね」


 おだやかに告げられた言葉に、ふわりと心が軽くなる。

 いろいろとしてくれる彼には、感謝しかない。


 私の独断 どくだん偏見へんけんで決めるならば、がっくんしか勝たん、と強く思いながら、彼と一緒に大会議室をあとにした。

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