第11話 ありがとう、さようなら。

「お帰りなさいませ、御主人サマ」


 玄関を開けたら、秒で帰宅の対面挨拶。

 それがわが家の生活習慣になっていた。

 それはきょうも例外ではなくって、彼女の形だけの挨拶が終わると、あたしはパンプスをそのまま脱いで部屋へと上がる。

 そして、外着のままミニテーブルの前にすわり、夕飯の支度を進めていた彼女にもすわるよう命じた。


「どうかなさいましたか、御主人サマ?」

「うん……あのね」


 おもむろにバッグから封筒を取り出す。そしてそれをミニテーブルの上に置いた。


「封筒のなかに、百五十万円入ってる。これであなたも自由の身よ」


 沈黙。

 音の無い世界がひたすらつづく。

 彼女の性格上、喜んで素直には受け取らないことは予想できていたけれど、なんの反応も示さないとは思わなかった。

 やがて彼女は目を閉じると、ため息をひとつ吐いた。


「わたしが邪魔だから、金を寄越すのか?」

「ううん、違うの。これはね……ボーナスかな」

「ボーナス?」

「そう。いろいろと頑張って働いてくれたし、揉みタイムもさせてもらったから……その謝礼金かな」


 彼女はなにも答えずに、ふたたび沈黙を貫いた。

 あたしは後押しのつもりで、「どうか受け取ってください」と言葉も添えて、封筒を彼女の前へと押した。


「……わかった。だがその前に、ひとつ教えてくれ。この金はどうした? 御主人サマもこの街へ引っ越してきたばかりで、余裕はなかろう?」

「あー……うん。このお金はね、両親に援助してもらったんだ。だから大丈夫だよ」


 半分だけ本当だった。

 親を頼りたくなくて完全自立の道を選んだのに、それなりに、適当に、もっともらしい理由をつけて、このお金を工面してもらった。

 それは、あたしのプライドなんかよりも、彼女の自由を優先させた結果だから我慢が出来た。いまのところはだけど。

 今後これからは、なにかとこのことを理由に親からいろいろと意見されるだろうけど、それは仕方がないことだし、それを考えた上での決断だった。


「……すまない、ありがとう」


 そんなあたしの心情を知ってか、めずらしく彼女は感謝の言葉をくれた。


 そしてその日を最後に、翌日から彼女はわが家のメイドを辞めた。

 さよならはいわない。

 彼女の部族の風習で、別れの言葉もなく、ごく普通に自然な流れで、買い物へ出かけるみたく彼女は去っていった。





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