第10話 チェンジング・マイ・ライフ

 彼女と友好的な関係を築きたいと常日頃から強く願うあたしは、帰宅途中に駅の近くにある大型量販店〈モンキ・コウテイ〉でパーティーコスプレ用のメイド服を衝動的な思いつきで購入した。

 そして、いまのあたしは、彼女に匹敵するほどのドスケベメイド衣装に身を包んでいる。これって、しゃがんだり前屈みになったら、絶対にパンツが見えるヤツでしょ!?


「……御主人サマ? 溜まってらっしゃるのなら、小一時間ほどお風呂掃除をいたしますが……」


 真顔の彼女が問いかける。


「いや、うん、あたしは全然大丈夫だし溜まってないから。そんなことより、どうかな? 似合ってる?」


 照れ笑いと脂汗が止まらない。やっばり着るんじゃなかったと激しく後悔。


「似合ってはいますが……」

「が?」

「胸のサイズが、かなり足りていないかと」

「くっ! そ、そうだよね、だってフリーサイズだもん!」


 照れ笑いから一瞬で涙目に変わったあたしに、彼女はなぜか突然の拍手をくれた。


「……えっ、なんの拍手なの? あたしなにかしたっけ?」

「ブラボー」

「棒読みのブラボーもよくわからないんだけど? 怖いよ? 突然の拍手とブラボーは結構怖いよ?」

「いえ、一応は誉め称えてみました」

「う、うん。お気遣いありがとう……やっぱりよくわからないけど」


 とりあえず人生初のメイド服を着た記念に、彼女とふたりで自撮りしてみる。


 ──カシャ。


 メイド服を着たキモい笑顔の日本人と無表情なダークエルフのツーショット写真。なんかシュールな一枚が撮れた。

 おっと、いけない。コスプレ目的でメイド服を着たんじゃなかった。彼女との心の距離を縮めるために、五千円も支払って購入したんだった。


「ねえ、せっかくだし、あたしにもメイドの仕事をさせてよ。いまだけちょっと立場を入れ替えてみない? お掃除とか身のまわりの世話をさせてよ」

「……御主人サマがお望みであれば」


 そういって彼女は、台所から今夜の夕飯のシャバカレーを一人前だけ持ってきた。いったいなんのつもりだろう?


「そこで寝転べ、この雌豚メスブタ!」

「ちょっと待ってください。その熱々のシャバカレーをあたしにかけるんだよね? 絶対に大火傷するパターンだよね?」

「いいから主人あるじのいうことをきけ!」

「こわっ……“いうことをきけ”の時の顔、こわっ……」


 致し方なく床の上に仰向けで寝転がる。そのときに彼女の口角がちょっとだけ上がったのが見えて、めっちゃ怖くなってきた。


「いまから夕飯の時間だ。とくと味わうがいい!」

「やっぱりやめよう、怖いよ! 数秒後の未来がめっちゃ怖くてチビりそうだよ! それに、主従関係の解釈が大幅に間違ってるし!」

「……御主人サマがお望みであれば」

「はぁはぁ……あ、ありがとうございます」


 脂汗が止まらないまま四つん這いの姿勢になったあたしのお尻を、突然彼女がいやらしい手つきで撫でまわす。


「えっ、今度はなによ?」

「メイド仕事といえば、セクハラはつきもの。我慢して耐えてくださりやがれ」

「いや、それ偏見! なにかの偏りまくった偏見まみれの知識じゃない! あたしした!? あなたにセクハラを……って、してたねガッツリと」


 過去の自分が犯した罪が、きょうになって跳ね返ってくるとは。冷静になってよくよく考えてみると、とんでもないことをあたしは彼女にしてきていた。

 変態だ。

 ひとり暮らしを始めてからのあたしは、すっかりと変態になってしまっていた。

 こんな変態女主人のいうことなんて、誰もききたくはないだろう。そのことを気づけただけでも、五千円を支払ってメイド服を買った甲斐があった。


「いままでごめんなさい、いっぱいスケベして」

「……謝らないでくださりやがれ。許容範囲内のことです」

「そんな、どうして……どうしてそこまで頑張れるの? いったいなにがあってこんな仕事を?」


 そういってから、しまったって気づいたけど遅かった。

 余計なことをまたきいてしまった。これで彼女との心の距離が、さらに遠くなったに違いない。部屋のなかの空気が、一気に重苦しいものに感じられた。


「……借金が」

「えっ? 借金? 借金があるの?」


 きき取れるかきき取れないかの小さな声で、彼女は答えた。

 なんの借金なのか、金額がいくらなのかが気になる。

 もしかして、数億円とか?

 彼女は本当は名家の生まれで、没落したから借金に苦しめられて異世界まで出稼ぎに?


「あの……さ、いい難いだろうけど、ちなみに幾らくらいの金額なの?」

「……この国の通貨に換算すれば、百五十万円ほどだ」


 微妙な金額だった。

 頑張ってアルバイト掛け持ちすれば返せそうな、そんな金額だった。


「でもさ、わざわざ異世界から働きにくるほどの大金ではなさそうなんだけど……あっ、ごめん。あなた達の世界の物価とか全然知らないのに」

「いや、物価はさほど変わらない。この仕事をしているのは借金の返済だけではないからな」

「それって……」


 彼女の深いため息が、あたしの言葉のつづきを遮る。さすがにこれ以上は教えてくれなさそうだ。


「賭けだ。賭けに負けたのだ。ただ百五十万を支払うだけでなく、異世界で人間相手にメイド仕事をして返済をする──そんなバカげてくだらない賭けに、わたしは負けた。ただ、それだけのことだ」

「そうだったんだ……」


 それからお互いになにを喋るわけでもなく、夕飯の温くなってしまったシャバカレーを食べてからお風呂に入り、きょうという日が終わりを告げた。


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