第2話 知ってあげてほしい

 食事の時間は、勤務先で食べるランチとおやつ以外気持ちが憂鬱ゆううつになる。実際にいまも夕食を目の前にして、あたしのテンションは下降の一途をたどりまくっていた。

 うちは洋室六帖のワンルームで、食事になると、そのほぼ中央にミニテーブル──ファンシーなインテリア雑貨店で購入した、可愛らしいカエルの顔が大きくプリントされたお気に入り──を置く。

 そして、そこに置かれていた今夜のディナーは、白磁のカレー皿に盛られている謎のドス黒い液体。

 あたしは正座を崩した姿勢で、そいつをただ、じっと無言で見下ろしていた。


(これって……イカスミ……だといいんだけど……)


 結論からいわせてもらうと、わが家のメイドさまは、料理が大の苦手だ。本人はかたくなに認めないけど、絶対そうに違いない。

 彼女がはじめて作ってくれたのは、素材の鮮度がダイレクトに伝わってくる生煮えのシャバシャバなカレー風味のお湯だった。

 でも、いまになって思えばそれが一番まともな料理で、今朝食べさせられたのは、豚足とマグロの目玉が奇跡のコラボレーションをしたカレー風味の生臭いお湯だった。カレー頼みの味付けは百歩譲って仕方がないとしても、どうせ力を借りるなら、粉じゃなくてルーのほうにしてほしいと切に願う。


「……ながめてばかりでは、せっかくの料理が冷めてしまいやがるので、どうぞ遠慮なくお食べになってくださりやがれ」


 向かい合わせで姿勢よく正座してすわる彼女が、相変わらずの無愛想な表情と支離滅裂な丁寧語でファーストインパクトをうながしてくる。

 ちなみに、彼女はあたしよりも身長も座高も高いため、必然的に目の位置が上になり、主人であるはずのあたしは見下ろされる格好となる。


(ものすごい圧……怖いよ、リアルに……)


 早く食べろと、手が届く至近距離からダークエルフが目力と殺気のみで威圧してくる。

 一応、この家のメイドである彼女は、主人のあたしが先に食べない限りなにも口にできない。

 本来ならば、別々の時間と場所で食事をしなきゃいけないそうなんだけど、ワンルームのわが家でそんなことをしても色々と無駄でしかないし、あたしとしても差別的なものを感じてしまうので嫌だ。

 で、けっきょく一緒に食事をする代わり、さっき説明したような、あたしが先に食べはじめるルールとなっていた。


「あうう……やっぱり……食べなきゃ……」

「ダメです」

「ですよねぇ、はい………………いただきます」


 ついに観念して、恐る恐る震える指先で掴んだスプーンを謎のドス黒い液体に浸す。

 今回もシャバシャバだ。

 そして、知りたくもないお味のほうは、鼻を突き抜けて眩暈めまいと吐き気をもよおす程度で済んだ生臭いカレー風味のお湯だった。本当にお願いだから、カレールーの存在を知ってあげてほしい。


「味はどうです? 今夜は、イカスミと鶏レバーのパテを使ったシーフードチキンカレーにしてみたのですが」

「う……うん。はじめて食べるから……ちょっと驚いたけど、すごく……その……衝撃的なテイストが印象的かなぁー……あははは……ハァァ……」


 涙と強烈な嘔吐感をこらえながら、味の感想をなるべく誤魔化して伝える。

 彼女は住み込みなので、基本的に在宅中はずっと一緒だ。正直にその都度いろんな不満を言えば、それなりに改善してくれるかもしれない。けれども、反発された場合を考えるといえなかった。

 だって、それが尾を引き、ただでさえ不安定でおかしな関係がよけいに悪化でもすれば……賃貸契約を結んでいる二年間、不機嫌なダークエルフと暮らさなければいけないなんて絶対に耐えられない。いや、初日からもうすでに、ずっと彼女は不機嫌なんですけどね。


「フム……そうですか」

「?」

「いただきます」


 気のせいか、彼女の表情がほんの一瞬だけ悲しそうに見えたような気がした。

 スプーンを手にした彼女が、美しくもあやしい紫色の双眸を閉じてドス黒シャバカレーをつややかな唇に運ぶ。

 信じられないけど、まったくのノーリアクション。

 やっぱり、人間とは味覚が違いすぎるようで、そのまま彼女は黙々と食べすすめて綺麗きれいに完食した。




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