第6話 恐怖の壁ドン

「随分遅かったな。気分でも悪いのか?」


正樹は心配そうに言い玲の額に手を当てた。


「あ、大丈夫です。あの、僕ここの先生が校内を案内してくれるっていうので、少し付き合ってきます。なんか断れない雰囲気だし」


「はあ?どんな先生だった?」


汗だくの隼人は、スポーツドリンクを飲み干し、口を拭いながら玲を向いた。


「身長は165センチほどの50代後半。メタボで髪型はキューピーヘア、タラコ唇の福耳」


「大熊先生だ。それは」


タオルで顔を拭いていた翔は目を細めてつぶやいた。

   

「玲。お前、大丈夫かー?お兄も行くか?」


顔を上気させて床に座り込んでいる優介は心配そうに玲を見ながら顔の汗をタイルで拭き頭に巻いていた。


……お兄、あんな顔して……すごく楽しいんだろうな。



「いいよ。お兄は練習してなよ。一時間くらいで終わらせるから……」


不出来な兄の幸せを願った妹はセリフを男前に決めて視聴覚室を後にした。


玲は三年B組に密かにやってきたが教師は不在。そこには大量のプリントが置いてあるだけだった。


……よし……やるか!


彼女は英語の単語から手を付けた。そしてあっと言う間にこれを書き終えた


……お次は国語。


優介は国語と英語が極端に出来ない理系男子。なので彼女の予想通り課題は英語と国語と世界史だった。


……国語は漢詩か。訳すればいいので簡単だ。最後に世界史。うわ。意地悪な問題ばかり……今年登録された世界遺産なんて、お兄に分かるはずないよ?



こうして一通り終えた時に、あのキューピー先生が現れた。



「ん。優介君はどうした」


「終わったので、部活に戻りました。僕はそれを先生に伝えるように言われまして」


「そうか。本当に終わった……?みたいだな」


教師は不思議そうな顔をして頭をかきながら綺麗な文字で綴られた答案用紙を手に取った。



「先生。いつも兄が迷惑かけているようですみません。弟の僕の不徳の致すところです」



そう言ってすっと頭を下げた玲に教師は慌てて手を振った。



「いや、いや?中学生の君に頭を下げてもらっても困るよ」


「今後はこのような事の無いように兄を見張りますので。今日はこれで、失礼します……」



そして玲が教室を出てほっとした途端、ロッカーの陰から人が出てきた。



「うわ?!」


「静かに」



彼女は何者かに口を塞がれた。


「むぐむぐ?」


「そのままだ。良い子だ……」



そのまま引きずられて、彼女は誰もいない教室に連れ込まれた。


やがて彼はすっと眼鏡を直した。




「強引な真似をしてすまなかった」


「そ、そうですね」


強気で返した玲だったが胸はバクバクで超ビビっていた。



「おかしいと思っていたんだ.……。文系に関してはいつも授業中、爆睡している優介が、テストや課題は、及第点を取っているからな」


「あの、翔さん。バンドの練習は良いんですか?」


「構わない。お前が録音した音をスピーカーで流して練習している。それより……」


「うわぁ?」


また、担がれる??恐怖で目をつぶった玲は壁に押し倒された。


 

「お前は何者だ?」


……うわ!これは壁ドンか。っていうか今は黒板ドン!?



「あ、あなたの友人の優介の弟の」


「俺が聞きたいのはそんな事じゃない」


余りの本気度にぐすと眼に涙が溢れてきそうになった玲は思わず目を伏せた。


……男の人が本気で怒った迫力……怖いよ?


「いや。この質問じゃダメか。お前の通っている中学校はどこだ!」


性別がばれるから言いたくないが、弟の振りをするのはこの夏休み期間だけである。何よりも玲は彼の本気度に嘘を言う勇気が持てなかった。



「こ、高明こうめいです」


「そうか。道理で……」


そういって彼は指で玲の涙をぬぐった。


彼女の通う私立高明学院は、異常なほどの狭き門で有名な小中高一貫の進学校だ。



「あの。翔さん。言い訳してもいいですか」


「……ダメだが、一応聞くか」


玲は翔がくれたティッシュで鼻をかんだ。


「今日の兄の課題の件ですが、翔さんが怒るのも当然で、僕も同様です。だからこういうのは必ず家で本人にやらせています。兄だけがしないで済むのは、不公平ですから。これは僕が責任持ちますので、無力な兄に免じて今日は許して下さい……」


「それはいいが。お前は出された問題を全て覚えているのか?」


「はい」


「……この前の優介の小論文。あれはお前か?」


「う?まあ、その……」


腕を組み自分を睨む翔にこの言い訳は出来そうもないと観念した玲はすっと顔を上げた。



「兄はちゃんと本を読み、感想を書き出しました。それをまとめるのは……手伝いました」


「まとめるのが難しいはずなのに……フフフ」


……え。急に笑い出した?怒ったんじゃないの?


「俺はずっと文系に関して、優介に負けたくないと思って勉強してきたから。でも今の話を聞いて、アイツをライバル視するのは無意味だと気づいてね。なんか今までの勉強がバカらしくなってきた……フフッハハハ」


そういって柔らかい笑顔で翔は彼女の頭をポンと叩いた。玲はやっとホッとした。



「そんな事ないです!僕は、翔さんの書に感銘を受けていました!」


「書?ああ、あの展示会のか?」


翔は高校内の書道の展示会で金賞を取っていた。


玲は兄の代わりに利き腕と逆の手で字を書いて提出したので、優秀賞の人の作品が気になっていたので印象に残っていた。


「あの『無』という文字。殺伐とした雰囲気と虚無感が良ーく出ていて、無常という世界観が素晴らしかったです」


「ん?……そ、そうか、まあ。いい」


そう言って翔は彼女の背に手をやった。



「さあ。みんなの所に戻るぞ」


「はい。あの……翔さん。僕の事、怒ってないですか?」


「怒っているぞ?ものすごく……」


でも玲が腕の中から見上げた翔の顔はゆるんでいた。





……よかった機嫌が治って。


そんな二人が並んで廊下を歩いていた時、彼はふとつぶやいた。



「もし……」


「何ですか?」


「もし良ければ。連絡先を交換しないか。勉強についてアドバイスが欲しいんだ」


「僕ですか?い、いいですよ」


普段は面倒が増えるので連絡先を教えない玲。しかし、今回のライブや兄に関する情報を得るため教えることにした。



こうして二人は視聴覚室に戻ってきた。そして練習した後、へとへとになった兄を伴い、玲は自宅へ帰って来た。


「つかれた!」


「もう!それ?私が言いたいセリフだから」


帰るなりリビングのソファに突っ伏した兄に、玲は冷たく言い放った。


「ん?何かメッセージがいっぱい来ている……全く、一人にさせてくれよ」


「……はい、はい、そうですか?私は、先にお風呂入るから」




そして熱いお風呂から出た彼女は、自室にいる兄に声をかけた。



「お兄!お風呂でたよ。私は勉強してから寝るから」


すると彼の部屋のドアがバーンと開いた。


「おい、玲?翔からの連絡でさ。わかんねえ事あるんだけど『世界史についての論文のテーマでどんなものがあるか』ってお前の携帯に送ったってさ」



「随分大きなテーマだね。今の世界史は西洋人の視点の世界観だから、アジア人の視点で書いた世界史とかはどうかな……あとは、日本人が世界に与えた影響についてになるかも」


「お兄に聞くなよ。眠れなくなるじゃねえか」


「わかった。自分で送っとく」


「あとな。隼人からで『明日、ここに遊びにきてもいいか』って」


仲良くするならいいか、と玲はカレンダーを見ながら返事をした。


「いいよ。私は明日、生徒会の用事で学校に行かなきゃいけないから。家には居ないし。お兄達で勝手にどうぞ」


「ふーん。あとさ」


「正樹さん?」


「そう。アイツは、『今日の玲のキーボードすごかった』ってさ。アイツ、とうとうリア充に目覚めたのかもな……」


「それはまだでしょう?一応、『ありがとうございます』って返事しておいて。ふわぁ……」


「……お前さ、勉強しすぎゃね?あんまり無理すんなよ。バカになるぞ」




そう真顔で話す金髪の兄は口うるさい両親が不在の夏休みが楽しくて仕方ない感丸出しでニカッと笑った。



「ハハハ。お兄、早くお風呂入って。出る時、泡だらけのままにしないでよ」


「わーってるって。これでもシャワーで流すのは得意なんだぜ?!」


嬉しそうな兄に微笑んだ玲は、自室に移動した。エアコンの冷房を浴びて目を覚まし、椅子に座った。

 

やがて翔からメッシージが来たので、ドキドキしながらこれを開いた。


そこにあった『ありがとう』という返事が彼女はくすぐったかった。



……怒った翔さんは怖かったけど、バンドのメンバーはみんな良い人みたい。隼人さんは楽しいし。正樹さんは優しいし。これならなんとかバンドになりそうだ。



火星が赤く見える夏の夜空。彼女は夜明けまで夢中になって勉強したのだった。




つづく


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