第5話 初顔合わせ

不肖の兄に頼まれて、バンドに加わることになった妹の中学3年生の鳴瀬玲は初めてバンドの練習に参加する日を迎えた。


……お兄の通う男子校高校は女人禁制なんだよね。


そのために弟の振りをする羽目になった妹はバッグの荷物を整理していた。


女子らしいものは省き、日焼け止めとタオルと水をバックに収めた。


そんな身支度をしている時、玄関のチャイムが鳴った。




「お兄《にい》!出てー」


「無理。俺、トイレ」


「もう」


仕方なく玲はインターホンの通話ボタンを押した。


『チース!隼人でーす』


「あ。昨日はどうも、今、開けます」



隼人が夏の制服のシャツの胸元をやけに開けてセクシー気味に玄関に立っていた。



……?家に来るってお兄は言って無かったのに。



不思議に思いながらも玲は玄関の扉を開けた。


「どうぞ。親もいないし、兄はまだ用意できてないので、入って待って下さい」


「……お邪魔しまーす」


玲が進めたスリッパに足を入れた隼人は玄関にバックを置き、ポケットに手を入れたままリビングに入って来た。


「広い家だな……」


「そんなことないですよ。適当に掛けてください。今、飲み物を入れますから」


そういってキッチンに向かった玲に隼人を声を掛けた。


「いいよ!すぐ行くだろう。それより昨日はありがとうな」


隼人はソファにすっと腰掛け大きく足を開いた。


兄の優介は小柄なので男性のこういう仕草が新鮮な玲はドキドキを必死に隠していた。


「それより。玲は用意できたのか」


「はい、万全です」


学校に行くので制服となると玲の制服はセーラー服。このため今日は兄の中学生時代の制服の夏服をひっぱり出してきて彼女は着用していた。ここに雄介もやって来た。


「……へえ?玲って、本当に中学生だったんだな」


「何を言っているんだ。当たり前だろう」


「いや。お前よりしっかりしているからさ……」


「ハハハ!それは正解!」


この会話に腰に手を置いて聞いていた玲は出掛けるために確認をしていた。



「皆さん忘れ物は無いですよね?お兄って部屋のエアコン消した?」


「記憶に無い」


「見てくるから、先に玄関に出ていて!」


「玲。ゆっくりでいいぞー」


時間を気にして慌てている玲に優しく声を掛けてくれた隼人に感動しつつ、やはり付けたままの優介の部屋のエアコンを切ると玲は玄関へと向かった。



駅までの道。3人はで真夏の炎天下の道を歩いていた。


彼女は二人の学校の話しを楽しく聞きながら、大人しく彼らの後ろに付いて行った。そうして彼らの高校に到着した。



「今日も暑いな。大丈夫か、玲?」


「はい。校内が広いんですね」


校門から玄関までの道。日陰が無かったが隼人は年下の自分のためにさりげなく身を呈し、影を作ってくれていることを玲は気が付いた。


そんな彼からはムスクのコロンの香りがした。


玲は優介からこういうセクシー系のコロンを付けている人は遊び人だと教えられており、これを兄の先入観だと思っていたが、今日の隼人の言動や素振りをみて彼の持論に感嘆していた。



「隼人。こいつは半年前までマラソンをしていたから。結構平気だぞ」


「マラソン?」


隣を歩く隼人は髪をかきあげながら玲を見つめた。


「正確にはトライアスロンです。今は受験のためにお休みしていますが、体力は自信あります」


「へえ……華奢そうだけどな……あ、あそこが玄関だ」


そうしているうちに校舎に到着した三人はひんやりした玄関で靴をはきかえた。


そのまま渡り廊下を進んだ玲は、炎天下の校庭でサッカーをしている生徒を見て男子の体力に目を褒めていた。



夏休みで人気が無く涼しい風が抜ける廊下を通り、ようやく3人はバンドの練習で借りている一階の視聴覚室にたどり付いた。




「お、本当に来た」


玲の顔を見るなり顔を明るくした正樹は、すっと立ち上がった。その背後では翔が、制服のシャツのボタンを大きく外した姿で、ドラムをセットしていた。



昨日は翔は髪をオールバックにしていたが今朝はサラサラヘアで、亜麻色の髪が綺麗だった。



そんな翔は銀髪の少年姿の玲を見つけると、真顔でつかつかと向かってきた。この怒っている様子に、思わず玲は後ずさりした。



「翔さん……こ、こんにちは。あの、昨日はご迷惑をかけたようで、あの?その……ごめんなさい!?」


その迫力に思わず、回れ右でこの部屋から逃げようと玲はドアのノブに手を掛けたが、ドアが硬かった。


「っあれ?開かない。どうして?!」


玲がそっと見上げると全身を覆う影の中、眉間にしわを寄せた顔でドアを片手で強く押していた翔と眼が合った。


「……逃がさない」


そういうと彼はいきなり玲を肩にひょいと担いだ。



「うわぁー??」


足をばたつかせて必死に抵抗する玲に怯まず翔はくるりと方向を変えた。



「降ろして!こんな恰好、恥ずかしすぎる!」


「うるさい。俺に黙秘など、二百年早い!」


そういうと、翔は玲のお尻をパチと叩いた。


「ひえ?」


「おい!翔。何をするんだよ?」


驚いている正樹に翔は担いだまま、ふっと悪い笑みを称えていた。



「……生意気な中学生に口の聞き方を教えようと思ってな」


「翔さん!ごめんなさい!もう、降ろしてってば!何でも話すから許して」


足がばたつかせて抵抗した玲はもう一発お尻を叩かれてようやく降ろしてもらった。


しかしまりの恥ずかしさで部屋の隅に体育座りをし、しくしく泣いていた。





「ううう……」


「あーあ。お前、中学生を泣かせてどうすんだよ。大丈夫か?玲」


隼人は玲に寄り添い、肩を抱き優しく慰め始めた。




「ふん。年上をからかうとどうなるか、これで思い知った事だろう」


すると正樹は飲み物を持って玲にはい、と渡した。



「へえ……そういう事?玲……翔はお前が可愛くてやっただけだから許してくれ、な?」


「お、おい正樹。勝手な事をいうな!」


怒ったのか、恥ずかしいのか不明だがニヤニヤしている正樹に翔の顔は真っ赤になった。



「はい。はい!みんな。時間が無いんだから、とっとと練習始めるぞ!玲は痛い所があったら、翔に飛ばしていいからなー」


こうして優介の一声で、ようやくバンドの練習が始まった。




とりあえず初日の玲は皆の演奏を座ってじっと聞いていた。


ちなみに玲はピアノを習っていたので、これくらいの音楽は一度聞けば演奏できる腕を持っていた。


……翔さんのドラムは正確で、リズムが整っている……。たぶん彼が一番上手だ。



ギターの隼人と正樹は音楽を初めてたばかりだというけれど、この曲だけはしっかり弾けているようだだった。


しかしやはり一番の問題は身内にあった。



「お兄。また遅れているよ。それにずーっと半音外れてる……」


「は?」



兄は汗をかきながら一生けん命シャウトしているけれど、音が外れるし、リズムが遅れていた。



やがて練習は一旦、休憩となり、みんなは水を飲み始めた。





「玲も飲んどけよ。熱中症になるから」


「はい」


隼人はそう言ってくれるが男子トイレに入りたくない玲は少しずつ水分を口に含んだ。


そして頭にタオルを巻き、水を飲んでいる兄を見ながら色々考えた。



……このままでは、ライブにならない……こんな歌じゃまた女の子にバカにされてしまうな……



何か良い方法がないかと考えながら玲は伸びをしながら視聴覚室を見渡した。



カラオケ店で判明したのは、最初の音程さえ正しく掴めば、そのまま音程は外さず唄いきれる事だった。


その時、玲は部屋の隅にあった楽器に目が止まった。




「……あのキーボード。使っても良いですか?」


「ああ。っていうか使えるのか?それ」


キーボードに付いていた埃をふっと払った玲を、背後にいた正樹はそっと覗き込んだ。



「見て。電源は一応入りますね。あ、使えそう!あの……翔さん?お願いが」


玲は眼鏡を外し顔の汗をタオルで拭いていた翔に、恐る恐る声をかけた。



「なんだ?」


……怒ってる?


「や、やっぱりいいです!」


「又、黙秘か?」


「違います!あの、さっきの曲。ドラムだけ演奏してくれませんか?僕がボーカルとしてキーボードを弾きますから」


玲の意図が知れず怪訝そうな顔の翔はじっと彼女を見つめた。


しかし、普段朗らかな兄に慣れている彼女はそんな翔の気持ちがわからず、また怒らせたかと想った。





……うちのお兄は怒ることがあまりないからお兄以外の男の人の機嫌って、よく、わからないよ?




「無理でしたら、あの」


「わかった……。少し、待て」


 

翔はドラムの椅子に座り、用意をしてくれた。




「いいか。弟?」


「え?はい!」


スティックの『ワン、トゥー、スリー、フォー!』でドラムが鳴り響いた。


玲は彼に合わせて兄が歌う音を、キーボードで弾いた。


こういうふうに歌ってほしいという願いを込める余り、抑揚をつけた演奏はノリノリで完璧な調べになった。






「なあ。本番も優介じゃなくて、玲のキーボードの方が受けんじゃね?」


玲の演奏にパチ、パチとゆっくり拍手をする隼人。優介はぶうと口を膨らませた。



「すごい。君は楽譜もないのに弾けるんだね」



肩越しに玲の手元を見ていた正樹は銀髪の頭を撫でるので、彼女は恥ずかしさで真っ赤になっていた。



「ふふん。俺たちきょうだいはな?絶対音感の血が流れているって言ったろ……」


「それはもういいから!お兄は、この音に合わせて唄ってみてよ」


「でも演奏中は、聞こえないよ?そんな細い音」


「今の演奏は、このキーボードで録音したから。ほら、お兄のイヤホンを繋いでよ。どう?」


「聞こえた。お……これはすごい」


嬉しさのあまり踊り出した優介に玲は、説明した。



「ね。これに合わせて歌ってごらんよ。翔さんのドラムは正確だし。お兄がちゃんと歌えば、隼人さんも正樹さんも、巧く合わせられるんだから……」


「よし!玲。良くやった。お兄の風呂上がりのアイスの一口目は、今夜もお前にやるからな〜?」


ニッコリ笑顔で玲に抱きついてきた優介に、ここにいた友人たちは目を見張った。



「うわ?お兄?みんなが見ているのに!?」


「仲が良いのはわかった!だから、抱き合うのは止めろ」


そういって翔は二人の間に入り引き離した。


やがてみんながまた演奏始めたので、彼女はこの間にトイレに向かった。





誰もいないので安心して男子トイレの個室を使った玲がそっと廊下に出ると、不味いことに学校関係者らしき人物にはち合わせしてしまった。



「君は?何だ中学生か」


「あの、兄の部活の見学です」



教師は玲をジロジロ見た。


「その髪はどうした?」


「若白髪です」


見ようによってはそう見える銀髪。玲の言い訳に教師は舌打ちをした。


「して……兄とは、誰だ」


「鳴瀬優介です」


「ほう。鳴瀬優介。君はあいつの弟か」


確かに兄の学力レベルは先生に見放されているから、こういう低評価でも仕方が無いが、あいつ呼ばわりに妹の玲はカチンと来た。


「彼はまだ出していない夏の課題が合ってね。だが講習に呼んでも逃げられて困っているんだよ。学校に来ているのなら、ここに連れて来なさい!」


この横暴な態度にさらにカチンと来たが、課題を出さない兄が悪いのは確かなのでこの気持ちをぐっと抑えた。



「……わかりました。では教室に課題を置いて下さい。そこに兄を連れて行きますので」


「三年B組だ。そこに連れて来なさい」


薄い髪の教師に背を向けた彼女は、こうして視聴覚室に戻った。





5話 「恐怖の黒板ドン」に続く。

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