11

「!」


途端に朱音が、ぐっと言葉に詰まる。

一方、その懐音側の目論見を看破した緋桜は、これが好機とばかりに、懐音に助け船を出した。


「そうだよ朱音。何も今ここで訊かなくても、懐音さんはいつでもあの館にいるじゃないか。

少なくとも懐音さんのことは、後からでもじっくり、あの館で本人から訊けるんだから…

さっきも似たようなこと言ったけど、今はアンリさんたちの話を優先した方がいいんじゃないか?」

「うーん…それもそうね」


朱音が上目遣いに考えるその向かいで、懐音が絶対零度の瞳で緋桜を見据える。

その微妙な殺気を感じ取った緋桜は、何とか懐音を宥めすかすと、慌ててアンリの方に話を振った。


「ま、まあそんな訳だからアンリさん!」

『間に挟まれて…大変そうだね君も』


緋桜の取り繕う気苦労を察したのか、さすがにアンリが苦笑する。

そしてその傍らにいるジュリも、この三人のやり取りには笑みを誘われたらしく、顔を綻ばせて口元を手で押さえた。


それを見た朱音は、真っ赤になって懐音をつつく。


「ほらー! 懐音のおかげで要らない恥をかいたじゃないの!

事が済んだら質問責めは覚悟しなさいよ、この俺様ヘビースモーカー!」


「……」


恐れ知らずの朱音の発言に、懐音はその、整った眉根を寄せた。

が、このままではどのみち、埒があかないと判断したのか、その右手を無造作に自らの髪に埋めて座り直す。

そして改めてアンリを見やった。


「…アンリ、度々面倒だろうが、この腐れ跳ねっ返りに、事の顛末を説明してやれ」

「!腐れは余計よ腐れはっ」

「いいから黙って聞いていろ。これ以上、無駄に話を引っ張るな」

「…はぁい…」


朱音は口を尖らせると、渋々といった様子で黙り込む。

それを変わらず苦笑したまま見つめたアンリは、ふと真顔になった。

その隣にジュリが、静かに腰を下ろす。


『…、朱音さん、緋桜くん。

我々はね、どうやらこの館に縛られているらしいんだよ』

「縛られている…?」


緋桜が、そのひと言である程度の意味合いを把握する。


「…成る程ね、だからか…」

「!え、なに、緋桜…もう分かったの?」

「大体のことはね」


緋桜が至極あっさりと答える。


アンリの今の発言。それに、サガが介入していた事実。

それからすれば、答えはひとつしかない。


「アンリさんやジュリさんが、今だ現世に留まっている理由が…

この館にあるっていうことだね?」


…アンリが感嘆の息を洩らした。


『君にとっては、今となっては、こう言われるのも不本意かも知れないが…

さすがに上条財閥の後継者だっただけのことはある、鋭いね。今の僅かな説明からそこまで読むとは』

『…カイネ様が、貴方をお側に置く理由が良く分かりました』


ジュリは、にっこりとあどけない笑みを浮かべる。しかし、それに軽く首を横に振ると、緋桜は朱音の方に向き直り、先を続けた。


「…失礼を承知で分かりやすく言えば…

要するにね、アンリさんとジュリさんは、この館に何か未練があって、その未練が何かを知っている第三者に、そこをつけ込まれたってことさ」


緋桜は二人の手前、そしてサガの素性を伏せるために、あえて“利用された”とは言わないでおいたが、その言い回しから、朱音は何となく気付いたようだった。


「…ってことは何? さっきから懐音との会話に上がっている、皆の共通の知り合いの、そのサガって人が、この場合の“第三者”なわけ?」

「まあ、そういうことになる…」


自分の前例からも、緋桜は言葉を濁さずには居られなかった…が、それを聞いた朱音が、彼女の性格からは当然と言うべきか、苛立ちを通り越して憤慨する。


「ふざけてるわね、何様なのよその人!」

「……」


冥界の王子で懐音さんの実弟だよ、と、緋桜は内心で要らぬ突っ込みを入れる。

すると朱音は、きっ、と唇を一時噛み締めると、次にはそんな緋桜も怯むほどの剣幕で、勢い良くまくし立てた。


「──アンリさん、ジュリさん!

二人とも、そんな第三者に好き放題させてちゃ駄目よ!

…全く、それにしてもそいつもそいつよ!

人の弱味を盾に取って動かすなんて、なに考えてんのよ! 最っ低じゃない!

アッタマきたから、あたしも協力するわ!

何が何でもその理由を見つけて、そいつの思い上がり、木っ端微塵に打ち砕いてやりましょ!?」

「…っ」


思わず懐音が口元を押さえる。

それは特別その言い分に、感心した訳ではなく…


「この女…、俺の言いたいことを全部代弁しやがって」


…しかも、今だ相手の実態を知らないとはいえ…

否、実態を“知らないはずなのに”未知の相手に対して、これだけ言える気の強さ。

小気味良いまでのキレっぷり。



(…面白い女だな)



相手が何者であろうと関係なく、ただ純粋に、された行為に対して怒っている。

…それも今日、ついさっき知り合ったばかりの二人に対することで。


(人間とは、誰もが皆こうなのか?)


それとも朱音だけが特別なのか、あるいは特殊な部類に入るのか──


何にせよ、この朱音の持ち前の性格が、アンリとジュリに与えた影響は大きい。

それが証拠に、アンリとジュリの二人は、先から親しかったはずの自分すら今だ見たこともない程の、心からの安堵の笑みを浮かべている。


(……)


懐音は満足気に笑んだ。

…未練に留められ、現世に縛られ、これまでは影に覆われていた二人。

その二人が一縷の光を取り戻したのだ。

それも、たった一人の生者の言葉によって…!


「…アンリ、ジュリ」


そのひとつの事実が、懐音の腰を本格的に上げさせた。

一方、名を呼ばれた二人は、そんな懐音の雰囲気が変化したことを敏感に察し、すぐさま返事をする。


『はい』


「既に理解しているだろうが、こうなればお前たちの道を正す為にも、少しでも手掛かりが欲しい。

…決定的なものでなくていい。漠然としたもので構わないから…

お前たちが思うところの、その“未練”のイメージの何たるかを教えろ」


『…えっ』


思わずアンリはジュリと顔を見合わせる。

それに懐音は、冷静なままに淡々と言葉を繋ぐ。


「未練がこの場にあるのだと、それだけは明確に分かっている…とはいえ、何せこの広さだ。

多少は情報を絞らなければ、それこそ舘中をしらみ潰しに探す羽目になるだろう?」

『…それは確かにそうですが…、まさか、カイネ様…』


アンリの冷や汗混じりの懸念に、さも厄介だと言わんばかりに、懐音は憮然と腕を組む。


「ああ…不本意だがやむを得ないだろう。…緋桜はともかく、この跳ねっ返りになど事を任せてみろ。ますます拗れさせること請け合いだからな」

「!なっ…」


平然と言ってのける懐音に対して、すかさず噛みつこうとした朱音の動きは、これまたその先を読んだ緋桜の動きによって遮られる。

しかし懐音は、それを事前に把握していたのか、そちらには目もくれずに、目を細める形でアンリとジュリの二人を見据えた。


…その視線を受けて、まずはアンリが躊躇いがちに口を開く。


『そう…ですね、私は… 自分の気持ちの中の、何かが欠落しているような…

何か、とても大事なことを忘れているような気がするのです』

「…とても大事なこと、か」


懐音は考えこむように口元に手を当てる。


「ジュリ、お前はどうだ?」

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