第2話 骨

「まったく。一体どうなってるんだ? 今日って日は」


 私たちは下がり切った気分をぶら下げながら退店し、更にそれが足かせにでもなっているかのような足取りで駅へと向かった。


「気分下がりましたね」


 まるで俺たちの心を表しているかのような曇り空だ。高山(たかやま)も、あれだけ子供の様に燥いで楽しみにしていたホットケーキを残していた。


「よかったのか? ホットケーキ残ってただろ」


 とは言っても、半分以上は既に食べていたが。


「あれじゃ食欲も無くなりますって。あとパンケーキですから」


 先ほどコンビニで買った抹茶ラテを飲みながら高山は言った。もはや気にも留めてない様子だ。まあメンタルが弱かったらジャーナリストは愚か、社会にも羽ばたけないからな。


「それにしても、なーんか最近多いですよね。駅で叫んでるような人」


 その例えはどうかと思うが、確かにアレは他に例えようがない。強いて例を挙げるとしたら、寄生虫に頭をやられたカタツムリだ。


「暑いからなあ」


「あとあれだ、6Gが普及し始めた頃からですよね。ああいう人が増えたのって」


 丁度その頃は、先ほどのパンケーキ屋で起きたような事例がニュースや記事でよく取り上げられていた。だが、私も彼女も実際に見るのは初めてで、その時はどうにも頭の整理が追い付いていなかった。

 ――――もちろん6Gの普及などは関係ない。そう。微塵も関係ないのだ。あれはもっと異質であり、私の想像など遥か及ばない次元に存在する。


「……それも記事にしてみるか? 6G脳を溶かすって?」


 地下鉄のエスカレーターに身を任せながら、私たちはその日あった出来事について真剣になりすぎず、且つ考えすぎず適当に話をしていた。何か話していないと気持ちが悪かったからだ。


「そう言っていつも記事にしないじゃないですか。日高(ひだか)さん」


 ばかめ。世の中には没ネタって物があるんだよ。記者は自分の書いた記事に責任を持たなくてはならない。そんな記事を公開して、もし6Gが無害だったら記者として終わりだ。


「フリーランスなんてそんなもんさ。世界の終わりでもくりゃあ、ネタにも困らないんだけどな」


「そうなれば記者も廃業ですって」


 ごもっとも。

 ――――その日は平日の昼間ということもあり、白シャツを着たサラリーマンがホームにたくさんいた。8月の地下鉄は涼しく、電車の通過する音が耳によく響く。


「なんか、今年は嫌なニュースばかりですね」


「ああ。自殺者が増えるのも納得だ」


 電車を待ちながら高山と話す。前も後ろも人だらけ。本当に少子高齢化なのか疑いたくなるほど人間で溢れている。ここまでくると地球が本当に心配だ。


「こうも不安が続くと、漠然とした将来の不安も大きくなりますね」


 若さゆえの悩みだな。10代のガキは現在に、20代のガキは将来に対し、言いようのない不安に襲われる時がある。まさに夜も眠れないといった様な。


「そんなもん、アラサーになれば消えるさ」


 そう。30代になって不安になるのは家でビールが冷えてるか否か。それだけだ。


「――――通してください」


【3番線に電車が参ります】


 駅のアナウンスが女性だ。最近では珍しくもないが、久しぶりに聞いた気がする。駅の隅々まで行き届くような綺麗な音色。声というのは人間の想像力を豊かにしてくれる。


「それって日高さんだけじゃないですか? マトモな人なら一生消えない悩みですよ」


「しばくぞ」


 本当に生意気な奴だ。言いたいことをはっきり言いやがって。それが社会に出て通用すると思ったら大間違いだぞ。ここは俺が気付かせるべきか?


「――――離してッ!」


 さっきから声が聞こえる。かなり離れた列の方からだ。もめてるのか? まあこの暑さだ。蒸すような空気にイライラも溜まるよな。


「今日は日高さんの家でブログ書くんでパソコン貸してください」


 騒ぎが起きている方向を見ようと背伸びした時、彼女がそう言って私の袖を引っ張った。だから私も、特に気に留めず彼女との会話に戻った。


「それなら、ついでに夕飯を作ってもらえると助かるんだけど」


 俺が何気なくそう言うと、高山の目がみるみる輝きだす。いかんいかん。落ち着け俺。あくまでもコイツは助手だ。それ以上の存在にはするな。


【まもなく電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。通過電車です】


「――――おいやめろ!」


「離してください! 僕は今なんですッ!」


 アナウンスが聞こえる。もうそろそろ電車が来るな。相変わらず揉めてる声も聞こえるが、喧嘩してるのか? こんな所でよく、目立つことが出来るな。


「なら、あたしも食べて行っていいですか?」


 それはダメ。


「それはだ――――」


 バコンッ! 


 あの音と電車の急ブレーキ音。そしてあの騒めきは今でも鮮明に覚えている。その時私は初めて、人間の身体が弾ける音を聞いた。


 小数点以下の僅かな静寂。それは一瞬にして悲鳴へと成り代わる。


 この時点で数名がその場を離れたが、大半は何が起きたのかも分からず混乱していた。私も何とか冷静さを保っていられたが、彼女は違った。


「何ですかっ? 何が起きたんですか!」


 耳を塞ぎたくなるほどの騒めきに彼女は怯え、私の腕をただひたすら握りしめていた。


 ――――よかった。高山はこの人込みで見えていない。

 不幸中の幸いか、彼女はあの惨状を目の当たりにすることはなかった。決して身長が低い訳ではないが、辺りでどよめく人達がいい壁になってくれたのだ。


「日高さん、何が起きたんですか? 結構大きい音しましたけど」


 恐怖。この2文字が彼女の眼差しから伝わって来た。耳を畳んだ動物を想わせる様な顔だ。


「大丈夫だ。何もない」


 何もなくはないだろ。いま目の前で人が死んだんだぞ。戦場で兵士が死ぬのとは訳が違う。これは、自殺だ。

 ……だが高山が見る必要はない。俺だけで十分だ。大丈夫、大丈夫さ。慣れているだろ? 


「来い、タクシーで帰るぞ」


 その事故を記事にしようかと思ったが、知らず知らずのうちに彼女の手を握り、引きずるように駅の出口を目指していた。その途中、きっと彼女は私に色々聞いていたのだろうが、その時の私には何も聞こえていなかった。


「――――ち、ちょっと。説明してくださいよ!」


 クソッ。タクシーが捕まらない。みんな同じこと考えてるからだ。

 辺りにはスーツ姿の人間が同じようにタクシーを待っている。目の前で人が死んだとしても、自分の生活というのは大切だ。


「うるさい」


 なんでいつも俺なんだ。あの時もそうだった。まるで俺を邪魔するかのように。

 …………ああ、イライラする。これが嫌だからゴシップにまわったって言うのに。とことん嫌われているんだな俺は。


「みんな浮かれてるだけだ。お前が気にすることじゃない」


「――――ええ?」


 高山からの視線を感じるが、俺は目を合わせようとしなかった。握った冷え性の手が震えてたが。きっと冷え性だからだ。

 ああ。やっとでタクシーが捕まった。


 私は半ば無理やり彼女をタクシーに乗せ、運転手に家の住所を伝えた。そしてタクシーのドアが閉まると、先ほどまでの出来事が嘘だったかの様に静かになった。


「もう。何だったんですか? 顔色悪いですよ」


 車内という閉鎖的な空間にたまらなく安堵する。ここには何者も入ってこれない、絶対に安全な空間だ。

 タクシーが走り出して暫くすると、それまで思いつかなかった、ある考えがふと頭に浮かぶ。


「…………多分。恐らくなんだがな」


 これは勘だ、確証なんかない。だが肌で感じていた。最近異常なまでに増えている自殺者。自殺者ほどではないが徐々に増えている成功者。未来が見えているかのような”佐藤”という男。この3つは恐らく。


「――――繋がってる」


「え?」


 何が何だか分からないといった様子だったが、私は構わずに続けた。人間の閃きというのは突拍子もない物だ。


「自殺者と成功者。この2つには関連性がある」


 私はこの時からスマートフォンを使い情報を集めていた。知らない方がいい事もある等とは考えずに……。

 私は彼女に対し、到底抱えきれない罪悪感をこの身に感じている。少なくとも私の好奇心で巻き込んでしまったのだから。果たして彼女は、自身の境遇をどう思っているのだろう。


「高山。この2つのことに関して大学で聞き込みをしてくれないか? どんな細かい情報でもいいから集めてくれ。バイト代も出す」


「それはいいですけど。どうしたんですか?」


 俺の顔色を窺っている。たぶん高山は気付いていたんだろうな。あの場所であの音を聞いた時から。地下鉄で起きたのか。そして俺が何を見たのかを。


「やっぱり、さっきのホームでの騒ぎって…………」


「お前はその身長に救われたんだよ。俺はこの高身長足長抜群スタイルを呪うよ」


「嘘つけ」


 高山は過去にトラウマを抱えてる。さっきの地下鉄での騒ぎは高山にとって、今にも泣き出したいくらいのストレスだったろうな。


「俺はもう一度、佐藤さんに取材のアポを取る。大学での聞き込み、頼んだぞ」


 その時の彼女の顔は見ていないが、返ってきた「はい」という言葉が、自身の抱える不安を強く表していた。私もそれに気づいていたが、それ以上に、沸き出す好奇心を押し殺す事が出来なかった。



 ――――それからの私は2日間家に籠りっぱなし。ろくに睡眠もとらずモニターに釘付けだった。個人ブログや動画サイト。学生が書いたようなソースも分からない記事など。あらゆる言葉で検索をかけ、どんな情報にも飛びついた。


 しかし自殺者に関する情報だけが乏しく、情報収集に行き詰まった私はある人へ一本の電話をかけた。

 頭蓋の内側で反響する呼び出し音。この音だけはどうしても慣れない。家族以外の人間に対しては、不思議と緊張感が走るのだ。

 コールが止まり、耳に流れ込む雑音。外にいるのか?


「……あ、もしもし? 日高ですけど。おはようございます」


「おお、日高か! どうした」


 懐かしい声だ。この人の声を聞くのはいつぶりだろう。

 俺がまだ局の職員だった頃にお世話になった先輩だ。佐竹(さたけ)さんは出世欲のない人で、「一生記者として現場へ行く」と昇進を蹴った、俺の数少ない尊敬できる人間。


「お久しぶりです。お忙しいとこすいません。そっちは変わりないですか?」


 久しぶりの空気感につい笑みがこぼれる。


「まあな。お前はどうだ? ゴシップには飽きたのか?」


「飽きるも何も、感じる事なんて何もありませんよ。金回りはいいですけど」


 笑ってる。まあそうだよな。戦場ジャーナリストになるって息巻いて独立したのに、今では国内で追っかけやってるんだからな。


 その時確かに彼は笑ったが、それは私の仕事に対してではなく、久しぶりの私とのやり取りに、昔を思い出した故の笑いだったのだろう。

 今思い返せば、その笑い声にはどこか安心したような感情も含まれていた気がする。


「そうかそうか。元気が戻ったみたいでよかった。そういえば、女子大生の助手も取ったんだって?」


 その言葉に俺は少し笑いながら答える。相変わらず耳が早いな。


「ええまあ。若い子はそういうの詳しいですから」


 電話の向こうで佐竹さんが大きく笑っているのが聞こえる。大方「お前変わったな」とでも思っているのだろう。


「お前、昔と比べて――――」


 ホラ来た。


「賢くなったな」


「…………え?」


「お前が後進国や戦場行ってた時は、馬鹿なやつなんだなって思ってたよ。日本人はそういうの疎いから、金にもならないのに」


 背もたれに深く寄りかかり、俺は何か反論できそうな言葉を探した。しかし幾ら探せど見つからない。正論だからだ。


「だが、あの時のお前の記事見てるとな。お前が何を言いたいのかが強く伝わってきたんだよ」


 反論の必要はなかった。むしろ今必要なのは、この胸の底から込み上げる別の感情を抑えることだ。


「目を伏せたくなるような写真も。ああ、これは見なければいけないやつだ。って思わされたもんだ」


 私はこの時、なぜ目頭が熱くなるのか分からずにいた。電話越しの声に懐かしさを感じていたからなのか。彼が私の記事を見てくれていたからなのか。あるいは、忘れていた情熱を思い出したからか。

 ――――佐竹さんも既にこの世にはいないのかもしれない。それでも、彼の言葉は私の中でまだ生きている。この孤独と戦って来られたのも、その言葉が支えになってくれたからだ。


 気づけば俺は目頭を押さえていた。そしてあくまでも冷静を装い「ありがとうございます」と返した。


「で? お前が俺に電話してくるってことは、何か困ってんだろ」


 流石。よく分かってる。


「ええ。最近増えている自殺者と、賭博とかで成功している人間について情報が欲しいんですけど。そっちの蔵とかに何かありませんか?」


 佐竹さんは「あー」と何か心当たりがありそうなリアクションをする。そんな事されたらつい期待してしまう。


「成功者がどうとかのネタは腐るほどあるし、前者のやつなら1つあったな」


 俺は思わずその言葉に食いついてしまう。期待は裏切られなかった。自殺者の情報は今一番欲しかったからだ。


「どんなのですか?」


「ああ。刺激が強すぎて使えなかったんだよ。その動画」


「動画ですか」


 まさかとは思ったが、沸き起こる好奇心を殺せるほど俺は記者を捨てていない。


「ああ。YouTubeに投稿された動画なんだけど、即刻消された問題映像だ。見るか?」


「いいんですか?」


「おお。結構強いぞ?」


 強い念押しだ。珍しいな。俺が新人の頃は死体の画像とか平気で見せてきた癖に。しかし今思えば、あの頃の俺は、この人の事少し苦手だったかも。


「大丈夫ですよ。慣れてますから」


 嘘だ。確かに私はこれまで何人もの死の瞬間を目の当たりにして来たが、未だに慣れそうにない。やはり神田も多少なりとも狂っていたのだろうな。


「そうだな。じゃあ、俺も今現場にいるからもう切るぞ」


 道理で少し声が大きいと思った。現場にいるってことは、佐竹さんはまだ俺の知っている佐竹さんだって事だ。少し安心した。


 ――――邪魔をしてはいけないと、私も適当に挨拶をしてその電話を切った。「今度、線香あげに行くよ」と切り際に佐竹さんは言ったが、結局その12時間後。彼は行方をくらました。


 電話を切って暫くした後、前に勤めていた放送局から俺宛に、動画ファイルが添付されたメールが届く。

 恐る恐るカーソルをそのファイルに重ね、クリックする。ウィルススキャンを終えると、コンピューターは動画を自身に取り込み始める。

 ――――ダウンロードは1秒も掛からずに終わり、俺は保存したファイルを開く。一瞬のロード。そして浮かび上がる再生ボタン。私は迷わずそれをクリックした。


「――――どうも皆さんこんにちは。アニです」


 黒髪の若い男が映る。どうやらスマホで撮影しているみたいだ。お決まりの挨拶だが、それに覇気は無い。


「ブレブレだな」


 スマホを固定せず、ただひたすら自撮り。アニと名乗った男の顔色は悪く、意識も定かでない。まるで死人が喋っているみたいだ。

 どうやら彼は台所で撮影しているらしく。その背後には飲みかけの水と、開封済みの何かの箱が置いてある。


「…………睡眠薬か?」分からない、直感だ。


「皆さんお元気ですか?」


 男が歩き出す。やはり声に張りがない。舌も上手く回っていないように感じる。カメラ映えを気にして髪をセットしたのだろうが、雑なスタイリングのせいで清潔感をまるで感じない。


「僕は今日しにます」


 カメラがブレ、一瞬だけ天井が映る。その次にはもうスマホは固定されており、派手なソファに男も座る。

 背後は白い壁だが、個性を出すためなのか色々と装飾が施されている。それでも、豆電球ほどの照明しか無いせいか、この動画からはまるで華を感じない。


「――――夢は見ますか?」


 ようやくまともな画になり、男の顔もはっきりと正面から見える。しかし目の焦点が合っておらず。視点が定まらないといった様子は、まるでそこにいない誰かに怯えている様だ。


「真っ暗い。海の底にいるかのような夢を」


 もはや脳がまともに働いていないのだろう。彼の話す内容は支離滅裂だ。


「何度お願いしても。僕はここで終わりです」


 薬が効いてきたのか、男が何度も頭を落とす。呼吸も荒い。それでも彼は必死に口を動かす。まさに口だけが生きている。そんな感じだ。


「最初だけ全部でした。でもそれからは全部ここです。気づけば一週間経っていて。違う僕が生きていて……」


 次第に呼吸は落ち着く。やはり彼は部屋の一点を何度も何度も見返す。一体そこに何があるんだ?


「あ、もう限界が来ました。…………でも多分ホネのやつではないと思います」


 目をこすりながら男は舟をこぐ。その時スウェットの袖から腕が見えたが、人間の物とは思えない程、彼の身体は痩せ細っていた。


「皆さんも……。これ……ら。へん。だと思います。ですが……。うか」


 最早カメラすら見ず、うつむきながら必死に睡魔と戦っている。

 動画を撮った後で飲めばよかったのに。……いや違うか。彼は不安に押し潰されそうになったのだ。だから少しでも気を紛らわせたかったのかもしれない。彼にとっての夢だったもので。


「ごめんなさい」


 その言葉と共に、彼は撮影を終えた。でも何か引っかかる。


 私はその後もう一度動画を再生した。まともに寝ておらず、限界も近かったが必死に探した。自分の中で引っかかる何かを。


 ――――そして最後のエナジードリンクを飲み干し、2日掛けて積み上げてきたカンカンタワーを完成させる。


「……ホネ。確か佐藤さんも同じこと言ってたよな」


 佐藤と会うのは今日だ。今日の16時。再びあの喫茶店で。


「やっぱり何か関連がある。今日、全部聞いてやる」


 疑念が確信に変わり、私は一つの達成感も感じていた。しかし私の脳は限界だった。歳を取ると徹夜が体に響いてしまう。


 もうだめだ。眠い。2日間ほぼ寝てない。流石に昔の様には行かないか。

 ――――背もたれを頼りに大きく後ろに反り返る。脳に血が通うあの感覚はとても気持ちがよく。私はそのまま目をつむり眠りに就いた。

 そして、あの夢を見たのだ。




 ――――なんだ? 落ちてるのか?


「なんだっ?」


 真っ暗だ、夜か? 何が起きているのか分からない。だが落ちているのは確かだ。暗すぎて地面との距離が掴めない。それどころか1つの星すらも見当たらない。

 それでもただ一つ分かるのは、落ちてはいけないということ。


「くそ! 何なんだッ!」


 目が慣れてきた。遠くに雲が見える。でかい雲だ。夏によく見る積乱雲よりもずっと巨大だ。下はどうだ? 下は…………。


 ――――――――海だ。


 1回目の事はあまり覚えていないが。海なのか湖なのかも分からない水の塊に落ちた時。私は目を覚ました。


「痛って、ててて」


 椅子から落ちたのか? 曲げようとすると首が痛い。それに高山の笑い声も聞こえる。なんだ夢か。ああ、眠たい。あと10分寝かせて。


「――――ッ!」


 俺は飛び起きた。佐藤と会うのは16時。今何時だっ?


「よく寝てましたねー。まだ14時ですよ」


 高山。来てたのか。こいつに寝顔見られたのは最悪だ。多分写真も撮ってる。いや、いくら写真好きでもその辺の節度は持ってるか。


「いつから居るんだ?」


 眠い目をこすりながら、激しく痛む首筋を抑える。きっと無理な体制で爆睡してたんだろうな。奇妙な夢も見てた気がするが、何だっけか。


「――――昼頃っすかね」


 椅子を起こして座りなおす。5時間も寝てたのか。でも頭はまだスッキリしない。


「日高さん。全然寝てないんですか? てかエナジードリンク飲みすぎですよ」


 積みあがったカンカンのタワーを、物珍しそうに眺めながら言った。それ崩したらころす。


「それ崩したら殺すからな」


「はいはい片付けましょうねー」


 高山は不燃物のビニール袋を手に持ち、俺のカンカンタワーを根元から崩した。ま、片付けてくれるならいいか。


「――――それより、大学では何か分かったか?」


 慣れた手つきでゴミを分別しながら高山は答える。


「自殺者と成功者の関連性は分かりませんでした」


 丸まったティッシュペーパーをUFOキャッチャーの様につまみ上げると、如何わしい物を見てしまったと言わんばかりに、それを袋へと投げ入れる。こいつ何か勘違いしてないか?

 それでも彼女は声色を変えず続ける。


「でも、先日取材した佐藤なんですが。たまたま彼の学友に会ったんで話を聞いたんですけど、どうやら佐藤自身もある日、突然奇声をあげていたらしく、それからは一切学校に来なくなったそうです」


「それは、俺たちと会った後の話か?」


「いえ。その2週間前です。その友人が言うには、彼の金回りが急によくなったのも、それからだそうです」


「奇声を上げても自殺しなかった?」


 自殺者の共通点は皆一様に奇声をあげていたということ。それなのに佐藤はまだ生きている?

 …………だめだ頭が働かん。


「あと急に宗教にハマったとか言ってましたね。それまで全く興味なかったらしいんですけど」


 なんでここで宗教なんて言葉が出てくるんだよ。神を信じたおかげでお金持ちになったってか? …………いや待て。

「わかったぞ」

 あれ、何が分かったんだっけ?


「何がですか?」


「殺す人間と生かす人間を、秘密結社が選んでいるとか?」


 ああ、駄目だ。一体何言ってるんだ俺は。テンションがおかしい事になってやがる。都市伝説でもあるまいし。


「日高さん。この大きいゴミはどこに捨てますか?」


 高山がほうきの柄で俺を突く。

 俺はゴミかよ。この女どんどん生意気になってくな。しかし高山のおかげで、今日の取材で聞きたい事が増えた。熱いに展開になってきたぞ。


 ――――高山が部屋の片づけをしてくれている間に、俺は身支度を済ませる。寝不足で頭の働きは悪いが、そんなのはもう慣れっこだ。


「よし。そろそろ行くか」


 二日ぶりの風呂とシェービングを済まし、道具一式を背負う。熱いお湯を気持ちいと思ったのは久しぶりだな。


「取材ですね」


「ああ。今回のは多分荒れるぞ。前回の分含め、聞きたいことが山のようにあるんだからな」


「――――ボコボコにしてやりましょう」


 そうして私たちは、均等にならずとも大差のない熱を腹に抱え家を出た。まさにその瞬間。家の玄関を跨いだその瞬間に、その熱意が打ち砕かれたとも知らず。

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