これからの話

「夢?」

 思わず、聞き返してしまった。

「そう。夢、です」

 グレイさんは、なお笑いながら言った。

「この福音荘は、行く当てのない若者が自分の天職を見つけるまでの仮宿。さっさと独り立ちして、出て行ってもらうことの方が良いの。だから、入居するには目標を持って努力していることが条件。自力で生きるつもりのない人間を無尽蔵に受け入れることはできないしね」

 困惑する僕の姿を見かねたリリィが、補足してくれた。成程、だから夢の話をするのか。

「照れとかで、隠す必要はないぜ。俺たち全員、大それた目標持ってるからな。恥ずかしいとか思ってるだけ損だ。実際、グレイさんにさっさと教えておいた方が、サポートとかしてもらえるしな」

 ギレンさんが、グレイさんの淹れた紅茶を飲みながら言った。見た目に反して優しい人のようだった。ティーカップとの似合ってなさは酷いが。


「でも、目標はあるんだよね。詳しくは聞いてないけど、カフェで言っていたじゃない」

 悩む素振り話見せる僕に、リリィが再度助け舟を出してくれた。

「おや、そうだったのですか。教えてもらっても?」

 グレイさんが、興味深そうに聞いてくる。答えるほかないだろう。

「えーと、神にかかわる職に就きたいんですよね。この世界の根幹に関することじゃないですか。だから、色々と知りたいって思ったんです。でも、聖職とか、教会関係者になりたいとかじゃなくて。うーん、なんて言えばいいんだろう。わかりますかね?」

 取り留めもなく、言いたいことを言った。神に興味があるというか、神を殴りたいだけなんだけど、流石にそれは言えない。まるで進路相談のようだ、と思ったが、勉強が手段ではなく目的になっていたあの頃よりは、中身のある話ができたと思う。

「神、というのは『主』。光祝神命教の絶対存在のことでいいですか?」

 若干怪訝そうに、グレイさんが聞いた。よく考えれば、例のアイツのことを『主』と呼ぶ人は多くても、神と呼ぶ人はいなかった。ほぼ全員が同じ対象を信仰しているから、一般的な名詞を使うことは少ないのだろうか。

「はい、コーメーのことです」

 グレイさんは納得したように頷き、背もたれに体重を預けながら天井を見上げた。

「なるほど、異教なら難しいですが、コーメーならあるいは……。オータル君から助言できませんか?」

 一人呟くように話しながら、グレイさんは考えこむ。ふと、思いついたようにオータルさんに話を振る。オータルさんはといえば、やけに興味ありげにこっちを見ていた。

「はい。その手のことは、僕のような学問魔導士が最適です。さっきも言ったけど、僕は魔法を使ってこの世界のことを研究しているんだ。魔法も、一種の『主』の恵みだから、君の興味にもあっているよ。実際、神学者として学問魔導士をしている知り合いは多い。ところで、君は魔法を使えるかい?使えるとしたら、どんな種類のものかな?あと、君は魔法の発動時における術式の補助についてどう思う?僕は生命力の……」

「それはどうかしらぁ」

 立て板に水のごとく、オータルさんの熱弁は止まらなかったが、遮るような声が響く。リリィのものだった。オータルさんの熱意に反比例して、つまらなそうな顔をしていたが、なにやら言いたげだ。

「確かに、あんたの言う通り、魔法について学ぶことは『主』について学ぶことにもつながるでしょうね。でも、それは最短の道じゃない。もっと良い方法があるでしょ」

 挑発的な目で、オータルさんをねめつける彼女の態度には、どこか確信的なものがあった。

「ほう、どういうことだい?学ぶがゆえに知識を得る、自分のステータスすら把握できていないような子供にだってわかる常識のはずだが?」

 気分を害したように、オータルさんが聞き返す。ここではないどこかを見つめていた目も、冷たくリリィを見つめる。

「あら、本当にわからないの?毎日机にかじりついていても、大したことないのね」

 売り言葉に買い言葉。二人の間に流れる空気が、一層険悪なものになった。リリィの手には、足元に置いていたはずの短杖が握りしめられており、オータムさんも、ポケットの中から何やらくしゃくしゃの紙を取り出していた。


「ん、ンン」

 当事者二人は立ち上がり、残る三人の同居人も固唾を飲んで見守っていた。そんな中に、管理人が咳払いで待ったをかける。

「やめなさい、二人とも。共同生活では、仲良くすることが基本ですよ。わかってますよね?」

 静かに、だが威圧感を持った声が、二人に投げかけられる。関係がないはずのこちらまで、思わず背筋を伸ばす。

「まあ、まずは取り出したものを片づけなさい。落ち着いて話し合いましょう」

「はい」「わかりました」

 二人は、意外にも素直に従った。お互いを見る目は依然として厳しかったが、一先ずの難は去った。

「二人が魔法について、譲れないものがあることはわかっています。ですが、相手のことをよく理解し、自分とは違う意見を受け入れるのも重要なことです。いいですか?」

 グレイさんが、二人のことを交互に見ながら言った。二人のことはよく知らないけど、それぞれ魔法に一家言あるが、それをお互いに侮辱し合うことになったようだ。意思の強そうな二人だから、衝突するときは派手にぶつかるのだろう。

「魔法は、素晴らしいものだ。学ぶべき宝だ」

「魔法に、価値なんてないわ。便利だから利用するだけ」

 二人はなおも意見をぶつけていたが、それ以上の争いに手を出す気はないらしい。


「それで、リリィさん。一心君にとって、もっと良い方法があると言ってましたね。どのようなものか教えてくれますか?」

 グレイさんが、二人の喧嘩についてはもう忘れてしまったかのように、リリィに聞いた。リリィも驚いたようだったが、素直に答える。

「別に変ったことじゃないですよ。傭兵団か何かに入って、戦いの中に身を置くってだけです」

 そうリリィは言った。

 神に係る仕事や神について学ぶことと、戦いは関係がないように思えたが、他の面々は納得したようだった。それもそうか、と頷いている。

「ああ、確かにそうですねえ。その方向で考えてもいいでしょうか」

 グレイさんも、その案に賛成のようだった。

「ちょっと待ってください。なんで戦っていたら、神に近づくことになるんですか?」

 話がそのまま流れそうになっていたから、流石に声を出した。どういうことか教えてもらおう。

「ああ、失敬。一心君には説明しないといけませんね」

 グレイさんが、僕の疑問を察して、すぐに答えてくれた。

「この世界において、『主』の恩恵を一番感じるのはどういったものでしょうか。立場によって答えは変わるかもしれませんが、一般的には『ステータス』でしょう。我々に与えられた力の全てが現れるのですから。『ステータス』の数値が高ければ、高位存在に近づくと考えられています。戦うことが『ステータス』を高めるのに、一番効率が良いですから、戦いが君の目的に合っているのです」

 嫌な単語が出てきたが、一応ちゃんと聞く。アイツの気紛れに合わせてこの世界が造られていることが、よくわかる話だった。

「あと、戦闘職をやってたら、ダンジョン攻略とか高位存在とのエンカウントとかがあるからね。ただ安全なところで勉強するよりも、『主』に近づく可能性ははるかに上がるわ」

 リリィが、付け足した。グレイさん、フロワさん、ギレンさんがもっともだ、と言うかのように頷く。オータルさんだけが、不満げだった。


「何を言っているんだ。魔法は道具として扱うのではなく、与えられた智慧として、研究するべきなんだ。……、リリィだって、あれほど強い催眠魔法を使えるのに……」

 オータルさんが、一人呟いた。本人は単なる独り言で、誰にも聞かせるつもりはなかっただろう。声も絞っていたが、不意にみんなが黙るタイミングにあってしまって、全員に聞こえた。

 オータルさんが、しまった、と顔を顰めた。フロワさんは、呆気に取られたように目を見開いていた。ギレンさんは、窘めるように隣のオータルさんに手を伸ばす。

 リリィは、一瞬だけ傷ついたような顔をしたが、すぐに顔から色が消えた。

 グレイさんだけ何も反応せず、紅茶を啜った。

 

「ご、ごめん。別に悪気があったわけではなく……」

 オータルさんは慌てて取り繕うように言い重ねた。フロワさんとギレンさんは心配そうにリリィを見つめる。

「別に、いい」

 リリィは、無表情のまま答えた。とても、気にしてないとは思えない様子だったが、踏み入ることができなかった。何も言えないまま、嫌な間が開いた。

「リリィさんが大丈夫なら、いいでしょう。ただ、一心君のこれからについて話すような雰囲気ではなくなってしまいましたね。また明日にしましょうか」

 グレイさんが、ティーカップを置きながら切り出した。住人五人の不穏な空気を、気にも留めていないようだった。





 あれから、夕食の片付けをして、自分の部屋に戻った。濡れたタオルを貰ったから、簡単に体を拭いて、今日リリィと買った寝間着に着替える。意外と着心地がよかった。

 一度だけノートを手に取ったが、すぐに閉じた。

 燭台の火を消す。部屋の中が深い闇に包まれた。

 ベッドは、暖かく僕を包んだ。

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