福音荘の住人

 ようやく落ち着きを取り戻したとき、リリィは既に自分の席に腰を落ち着けていた。そこまで時間をかけていたつもりはないけど、待たせてしまったようだ。

 飲み終わったのか、名残惜しそうにカップを置いていた。

 僕も急いでショートケーキに手を伸ばす。紅茶と一緒に楽しんだが、紅茶は既に冷めてしまっていた。

 ほどなくして食べ終わる。期待を越えた美味しさだった。今度は一人で、ゆっくりと来たいな。


「それじゃ、そろそろ出ましょうか。さすがにもう帰ってもいいだろうしね」

 そう言いながら、リリィが立ち上がった。福音荘を出てかなりの時間が経ったから、確かに帰る頃合いだろう。


 お金なんて持っていないから、ここもリリィに支払ってもらう。グレイさんからそのために貰ったお金とはいえ、当然のように女の子に奢ってもらうのは、なんだか格好がつかない。

 マスターに手渡す様子を、ちらっと見たが、銅貨や銀貨のようだった。紙幣はないのだろうか。


「ありがとうございました、またのお越しを」

 店を出るとき、そうマスターに声をかけてもらった。できるだけ早く来たいものだ。


「さて、今から福音荘に帰るわけだけど。道はわかるかしら?」

 リリィが、短杖を握りしめながら聞いてきた。

「いいや、見当もつかない」

 見栄を張ることもないと判断し、素直に答えた。例のノートでも使えば簡単にわかるだろうけど。

「そう……。意外と近いのよ、ここから。ちょっと慣れれればすぐに一人で来れるようになるわ」

 そうやって言い放ったあと、足早に前を行く。もたもたしていたら置いて行かれそうだった。



 リリィの言っていたことは正しかったらしく、すぐに目的の建物が見えてきた。他より大きい、木造の建物。

「ただいまぁ~」

 リリィが気の抜けたように言いながら中に入っていった。

「戻りました」

 僕の声は、リリィのに比べて固く感じた。いつか、違和感なくただいまといえる日が来るのだろうか。

 

 グレイさんもベテラン門番さんも、入ってすぐの大部屋にいた。

 ベテラン門番さんは、部屋の真ん中にある何人も座れそうな大きな机に座っていて、グレイさんは部屋の片隅にあるキッチンに立っていた。

「おう、ようやくお帰りか。良い買い物はできたか?」

 ベテラン門番さんが笑いながら聞いてきた。

「おかえりなさい、一心君、リリィさん。少しは打ち解けることはできましたか?すみませんね、無理に出て行ってもらっていて」

 グレイさんはこちらを振り向きながら、そう言った。


 それから、リリィに連れられて二階に登る。僕の部屋へ案内してくれるらしい。

 僕にあてがわれた部屋は、二階の奥にあった。

 簡素なベッドや小さい机、部屋に比べて大きめな窓。街門守衛隊の宿舎の部屋と似ていた。質素というほかないし、かつての自分の勉強部屋と比べると狭いことこの上ないが、好みには合っている。

 今日買ったものと、例の文房具の内、ノートだけを部屋に置く。ようやく身軽に慣れて嬉しい。ポケットの中に無理矢理丸めていたのに、ノートは綺麗なままだった。折り目とか、全くついていない。


 自分の部屋で一息つくまでもなく、すぐに下に降りた。折角だし、大人二人とも話しておきたい。

 暫くの間、談笑タイム。カフェの感想や町並みについての質問等々、話のネタは尽きなかった。

 グレイさんが夕飯の仕込みができたころに、ベテラン門番さんは席を立った。

「わりぃな、俺今日は夜番だから、そろそろ帰るわ」

 そう言い残し、出て行った。ここ数日ずっと一緒にいたが、特に感慨もなく別れた。会いたければすぐに会えるだろうし、そんなものだろう。



「そろそろ食べましょうか」

 日もすっかり暮れて、また空腹を感じ始めたころに、グレイさんがそう言った。

 することもなく、退屈そうに短杖をいじっていたリリィが、嬉しそうに顔を上げた。目が輝いている。

「それではリリィさん、みんなを呼んできてください」

「はぁい♪」

 グレイさんに頼まれたリリィが、軽やかなステップで二階に上がっていった。

 みんな、とは福音荘の住人のことだろう。リリィのほかに、あと三人いるんだっけ。二人はこの部屋にいる間に帰ってきたから、顔だけは確認した。最後の一人は、ずっと部屋にいたらしい。


 数分ののち、リリィが一人で下りてきた。

「全員、作業してました。すぐに下りてくるらしいですよ」

 そう言いながら、部屋の中心にある大きな机に座る。一番近いところでも、端っこでもない位置に座ったところを見ると、席順とかが決まっているのかもしれない。

「そうですか。まあ、それぞれの目標に向けて努力しているのはいいことですね」

 綺麗に盛り付けた料理を並べながら、グレイさんは答えた。手伝った方が良いのかもしれないけど、勝手がわからないからやめておく。


 リリィの言うように、すぐに一人目が下りてきた。飾りっ気のない動きやすそうな服に身を包んだ女性だった。おっとりとした見た目で、女性的な体つきだったが、足取りがしっかりしていて背筋もピンと伸びていた。

「あら、良い匂い」

 微笑みながら、席に着いた。


 女性が席に着いた直後、上から乱暴に戸を叩く音がした。

「早く出てこい、メシだって聞いただろ」

 かすかに声が聞こえる。

 何事か、と僕は身構えたが、他の三人は、またか、とでも言いたげに苦笑していた。よくあることなんだろうか。


 音がやんだと思ったら、一気に二人下りてきた。僕よりも手入れのしていない黒髪の貧相な青年と、茶髪で柄の悪そうな青年が連れ立っていた。茶髪の方が黒髪を小突いている。

「お前もいい加減、研究を始めたら止まらない癖、どうにかしろよな」

 茶髪が言う。

「仕方ないじゃないか。今日こそはこの世界の真理に近づけそうだったんだよ」

 黒髪は言い訳がましくボヤく。

「なんでもいいから、二人とも早く座って」

 リリィが、面倒くさそうに言った。


 ようやく全員が座ったあと、グレイさんがこっちを向いた。

「一心くんも、座ってください。リリィさんの向かいがちょうど良いでしょう」

「はい」

 グレイさんに促されるまま、席に着いた。この机は横に長く、向かい合った椅子が十席ある。端の四席は使われておらず、一方に右からグレイさん、最初に下りてきた女性、リリィ。向かい合う位置に茶髪、黒髪。隣に座る黒髪が、僕のことを物珍しそうに見てくる。


「全員席につきましたね。それでは、召し上がれ」

「いただきます」「あー、腹減った」「いただきまーす」「あれ?今日のお昼食べたっけ?」

 四者四様の言葉を述べて、食べ始める。

「いただきます」

 僕も、早速手を伸ばす。

 グレイさんの料理は、豆・ジャガイモ・少量の肉を使った料理、簡単なシチュー、宿舎で食べた硬いパンだった。日本での食事と比べるとどうしても物足りなく感じるが、味に関しては引けを取らなかった。グレイさんの腕がいいんだろう。すいすいと手が進む。



「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」

 やけに個性的なメンバーだったが、食べているときは静かだった。


「さて、遅くなりましたが、各々自己紹介でもしましょうか」

 皿も片付け終えてから、グレイさんが切り出した。

「今更言うまでもないですが、新入りがこの福音荘に来ました」

 老紳士のイメージを崩さない程度に、楽しそうな顔だった。

「まずは私から。先に一度言いましたが、福音荘の管理人、グレイです」

 立ち上がり、仰々しく一礼をしていた。礼儀正しい所作を常に崩さない。 


「次は私かしら」

 グレイさんが再度座ると同時に、隣の女性が立ち上がった。

「私の名前は、フロワ。吟遊詩人を目指しているわ。今は練習と資金集めをしてるの。ここに来て、そろそろ半年かしら」

 口元に手を当て、フフフ、と可愛らしく笑う。か弱さすら感じる仕草だが、吟遊詩人を目指しているだけあって、それなりに鍛えているらしい。


「え?私もするの?」

 グレイさんとフロワさんに促されて、リリィが立つ。

「リリィ。戦闘魔導士志望。住人歴二年」

 煩わしそうに、短く言い切った。グレイさんが満足そうに、フロワさんが楽しそうに、茶髪が茶化すように手を叩く。僕の隣に座る黒髪だけが、不機嫌そうな顔をしていた。


「っと、次は俺か」

 さっきまで笑っていた茶髪が立ち上がった。一転、気恥ずかしそうに頬を掻く。

「俺の名はギレン。比較的色々作れる職人みたいなもんだ。今は、俺を受け入れてくれる工房を探している。福音荘にはもう五年は住んでいる。こいつとは長いぜ」

 隣に座る黒髪の青年を指さしながら、ギレンさんはまた笑った。怖い見た目と粗雑な言葉遣いのせいで、悪い人に見えるが、どうやら良い人のようだ。


「ん、僕の番か」

 黒髪の青年が、手入れのなっていない髪を振りながら立ち上がった。

「僕は、オータル。学問魔導士さ。本を読んだり術式を構築したりして、魔術の神髄を探るのが使命。そうして、この世の真理や神の存在などについて解き明かすんだよ。……、魔法を戦いなんかに使うやつらとは違うのさ……。僕もここに五年は住んでる。ギレンに遅れて一か月でここに入ったよ」

 少年のようにキラキラとした目で語っていた。唯一、魔法と戦いのくだりでリリィと睨み合っている気がしたが、杞憂だろうか。


「えーと、最後は僕ですね」

 全員の視線が集まっているのを感じて立ち上がる。

一心いっしんです。えーと、人生の目標みたいなのはありますけど、職業は決まっていません。よろしくお願いします」

 気のきいた台詞も思い浮かばず、短いものになってしまった。毎年、四月のホームルームで、自己紹介のたびに五秒で次の人に回したのは、数少ない学校の思い出。


「夢の話をしましょうか」

 グレイさんが、口元を綻ばせながら言った。

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