わたしと彼とテディベア

戸松秋茄子

本編

「ゴドーでも待ってるの?」


 わたしは思わず口にしていた。かの不条理劇のごとく、待ち人が来ることは永遠にないのではないかと予感して。


 英士はかれこれ三〇分は立ち尽くしている。ショッピングモールの二階。吹き抜けの手すりを背に、ずっとスマートフォンをいじっている。


「誰を待ってるんだろう」


 もう何度目かわからない問いかけが口から漏れる。この雑踏の中では、自分でもようやく聞こえるくらいの小声だ。しかし、その瞬間、英士はまるでその声が聞こえたかのように背後を振り向いた。


 慌てて柱の陰に顔を引っ込める。距離があるから、気づかれなかったとは思う。少し間を置いてふたたび顔を出すと、英士はもう背中を向けていた。


「これは持久戦になるかな」そこで思い直す。「いや、探りを入れてみよう」


 わたしはLINEで英士へのメッセージを作成しはじめた。


 >>いま誰と会ってるの?




 春の週末のことだった。ふらりと立ち寄ったショッピングモールで英士を見かけた。


「あれ、こんなとこで何してるの?」


 わたしが声をかけると、英士は気まずそうに顔を背けた。


「何々? めかし込んじゃって」


 ぱっと見の印象が学校とはだいぶ違った。靴はいつものスニーカーだけど、黒のスキニーに少しだぼっとした無地のカットソー、首もとにはいっちょ前にネックレスなんてしちゃって、がんばって無難を目指しましたって感じの格好だ。髪はばっちり固めてるし、眉毛も今朝整えてきましたって決まり具合で、いつもより爽やかだ。


「……うっせえ」英士は言った。


「デート? まさかね、英士にかぎって――」


 わたしは思わず言葉を飲み込んだ。英士の顔がみるみる赤くなっていったから。


「本当に?」わたしは言った。「誰なの。同じ学校の誰か?」


「なんだっていいだろ」英士は子供みたいなごまかし方をした。「あっち行けよ」


「えー、いいじゃない。紹介してよ」わたしは追撃の手をゆるめない。「言えない相手だったりするの?」


 英士は何も答えない。目の前の幼馴染みを無視して、スマートフォンの操作に集中している――というポーズを取ってはいるが、指の動き方がでたらめすぎて動揺が隠せていない。


「へー、英士がねー」わたしは言った。


「……うぜえ。暇人かよ」


「心配しなくても、デートの邪魔するほど野暮じゃないよ」わたしは歩き出しながら言った。「じゃあね、デートがんばって」


「……尾行とかすんなよ」


「何それ。自意識過剰だよ」


 わたしは背中に英士の視線を感じながら少し歩いたところにある一〇〇円ショップに入った。


 買いたいものがあったわけではない。店内を突っ切り別の出入り口を目指す。英士の背後に回り込むのだ。


 文具ケースの棚越しに英士が背中を向けていることを確認して店を出る。早足に柱の陰に隠れ、色気づいた幼馴染みの監視をはじめた。




 それからかれこれ三〇分、英士は手すりの前から動かず、彼の前に誰かが現れることはなかった。


 じれったくなって、LINEで訊いてみたのだ。


 >>誰か吐いたら楽になるぜ


 >>その情報は裁判で俺に不利な証拠として用いられる可能性があるんだろ?


 アメリカの刑事ドラマかよ、と脳内でツッコむ。LINEだと英士も多少は舌が回る。こういう凝った言い回しをすることもあった。


 >>弁護士は依頼人の利益を第一に考えるよ


 >>いつ弁護を頼んだ


 >>公選弁護人だもの

   自費で弁護士に依頼しなければ自動で選ばれる


 >>無免許だろ

   ロースクールから出直してこい


 以降のメッセージは既読すらつかなくなった。


「何さ、もう」


 わたしは英士の背中をきっと睨みつけた。


「でも、よくよく考えると、英士はデートするとは一度も言ってないんだよね」わたしは少し考え込んだ。「彼の反応からそう憶測しただけ」


 英士は嘘が下手だ。だからこそ、隠しごとがあるときは決定的なことは何も言わない。さっきのように煙に巻こうとする。


 何か隠してるのは確かだ。でも、デートというのはわたしから言い出したことで、彼はそれをミスリードに利用しただけかもしれない。本当はもっと別のことを隠しているのかも。


「でも、デート以外でどんな可能性がある? あんなあからさまなのに」


 男子高校生が、ウィンドウショッピングをするでもなしに、ショッピングモールの一角で突っ立つ理由とはなんだろう。


 デートかどうかはともかく、待ち合わせの相手が遅れている、あるいは、英士が張り切りすぎて早く来すぎたと考えるのが一番すっきりする。


 あるいは――とわたしは考える。


 わたしが監視してることに気づいてる?


 それで、相手に連絡してすぐに来ないように言ってる?


 わたしが飽きて帰るのを待ってる?


「だとしたら、よっぽど知られたくないんだろうな」


 わたしはつぶやくと、テディベア型のバッグをぎゅっと抱きしめた。 


「お腹減ったね」わたしはテディベアに話しかける。


「そうだね、お昼にしようか」裏声でテディベアのアテレコをする。「僕はハンバーガーが食べたいな」


「奇遇だね。わたしも」


 わたしはテディベアを抱えたまま柱の陰から立ち去り、エレベーターでフードコートがある三階に上った。好きなチェーン店があったのでそこに入る。


「お一人様ですか」


 店員さんは最初、テディベアを抱いた推定ハイティーンの少女に面食らったようだが、にこやかに尋ねた。


「二人です」わたしは裏声で言った。テディベアの手を持ち上げながら。「僕と彼女で二人」




「僕と一緒でよかったね」隣のテディベア裏声が言う。「じゃないと英士に声なんてかけられなかったし、ハンバーガーセットも注文できなかった」


「メニューを指差せば注文くらいできた」わたしはコーラを飲みながら言う。「それに、別に英士に声をかける必要もなかったよ」


「本当に? 僕がいなかったら、きっと気づいてくれないかなあって周りをうろうろしたでしょ? それよりはだと思うけど」


「……その気になったらわたしでも声をかけるくらいできるよ」


 わたしだって、家ではお母さんと多少の言葉は交わす。英士とはわたしがこうなる前からの付き合いだし、それまでは普通に話していた。同級生や先生とは違う。


「でも何も訊けないでしょ? それとも目の前にいながらLINEで会話? やれやれ。いくらシャイでも、僕の前でくらい本音で話してほしいものだね」


「本音って?」


「英士が好きなんでしょ」


 わたしは口をついて出た言葉に自分自身驚いた。


「どうして? あなたみたいな素敵ながいるのに」


「でも僕は君を抱き締めてやれない。キスしてやれない。わかってるだろ。こんなのはごっこ遊びさ。寂しい寂しいソロプレイ」


「それが悪いの?」


「何も決別しようとか、僕に頼るなと言ってるんじゃない。それはそれで寂しいしね。ただ、僕を何かの代替として求めるのはやめてほしい。これでもプライドがあるんだ。そんな風に扱われたら傷つきもする」


「そんな風に思ってないよ」


「なら、もっと堂々と言ってほしいな」


「あなたもけっこうめんどくさいよね」


「だとしたら、誰に似たんだろうね」


「……あなたはどうしてほしいの? 英士の監視に戻れって? それともデートの邪魔でもする?」


「それを決めるのは君だよ。別に何もしなくたってかまわないさ。誰だって失恋のひとつふたつは経験する。ただ、諦めるなら諦めるで僕を言い訳に使うなってこと。まだ何もわかってすらないだろ? 彼にもう一度訊くくらいのことはしてもいいと思うけどね。今度はおふざけなしで、真剣に」


 わたしはしばらく無言でハンバーガーやサラダを口に運んだ。そして、ハンバーガーを平らげたタイミングで、言う。


「わかった」


 わたしはテディベアを肩にかけると、まだ少しサラダの残ったトレーを持って立ち上がった。


「って、ええ。急だな。ランチくらいゆっくりと――」そんな声が頭の中で聞こえた。


「止めないで。せっかく、その気になったんだから」わたしはつぶやき、向かう。すると、レジの前に見覚えのある後ろ姿があった。


「英士?」


 わたしが声をかけると、英士はゆっくりと振り返った。


 片手に、リボンを巻かれた馬鹿デカいテディベアを抱えて。




 わたしはトレーを持ったまま元の席に戻った。向かいに英士が座る。


「いなくなったと思ったのに、なんで先回りしてんだよ」


 どうやら監視されているのに気づいていたらしい。


「たまたまだよ」わたしはテディベアを抱え直し、裏声で言う。「それ、どうしたの?」


「いや、その、こいつはあれだ」英士は目を泳がせた。「ほら、デートだよ。お前らと同じだ」


「また下手な嘘をつくね。さっきまで持ってなかったでしょ」


 英士は顔を背ける。


「……俺がこういうのを買ったら悪いかよ」


「へー、そういうの興味あったんだ?」


「なわけねーだろ!」英士はまた赤くなった。「これはその……プレゼントだよ」


「相手は小学生? それ以上ならテディベアというのはちょっと――」


「お前が言うな」


「ごもっとも」


「……そういうのが好きなやつなんだよ」英士は言った。「でも、微妙だって言うなら、もういい。お前にやる。そういやお前、誕生日近かったしな。お前もこういうの好きだろ」


 英士はテディベアをずいと押し出してきた。


 えっと、つまり、そういうこと?


 最初からわたしにこれを?


 だから知られたくなかった?


「……ありがとう」わたしは受け取りながら言った。少し耳が熱くなっていた。


「お前、素だとそういう声だったっけ」


 店員さんが英士の注文が乗ったトレーを運んできた。英士は無言でハンバーガーを食べはじめる。すでにサラダを食べ終えたわたしはすることがない。


 わたしたちはきっと似た者同士だ。本心をなかなか口に出せない。


 だけど、そう勢いだ。勢いで言ってしまえ。


「あのね」


 わたしがの声で言うと、英士は口元にトマトソースをつけたまま顔を上げた。


 あーあ、台無しだよ。


 そう思いながらも、わたしは次の言葉を継ごうとしていた。

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