第3話 実行

 2020年3月28日

 スーツのまま眠ってしまった俺は、聞き馴染みのない通知音で起こされた。時計は12時を少し過ぎていた。画面を確認すると、美里さんからの謝罪メッセージと例のマッチングアプリの通知だった。こんなにも早いものか既に3人と繋がっているようだ。ここから何かするわけでもなく、向こうからメッセージが来るこの状況が少しだけ怖い。どこの誰かわからない人に良く連絡しようなんて思うな。まさに俺もそうするためにこのアプリに登録したわけだが、昨日の勢いは完全に消えていた。俺はこれから、こんなに必死になって恋愛に向き合っている誰かを裏切ることになる。自分の幸せのために誰かを裏切らなければならない。光さんに言われて気づいたが、その事実はかなり俺を悩ませる。何をして良いかわからず、とりあえず村井さんに連絡しようと思ったが、連絡先を聞くのを忘れていた。買い出しのとき、美里さんとは連絡先を交換したが光さんのは聞いていなかった。

「もしもし美里さん、昨日大丈夫でした?」

「大丈夫、大丈夫、昨日迷惑かけたみたいで、ごめんね?」

「いいえ、大丈夫です。あの、一つお願いがあって、村井さんの連絡先を教えて欲しいんですけど」

「ああ、了解。じゃあメールで送っとくね!」

「ありがとうございます。お願いします」

「あ、ちょっと待ってみつき君、昨日さ私コロッケ食べることできたの?コンビニに行ってから覚えてなくて」

 何を気にしているんだこの人は。

「あ、はい!食べましたよ一緒に!」

「よっしゃー、さすが私だ!あ、じゃあねー!」

 電話が切れてすぐに電話番号が送られてきた。青文字で表示される番号を押してすぐにその番号にかけた。

「もしもし、あの村井さんでしょうか?」

「そうですが、どちら様でしょう」

 女性の声だった。

「あ、もしかしてみつき君?」

「ああ、そうです。すみません、光さんの番号だと思ったのですが」

 美里さんは間違えて、美桜さんの連絡先を送ってきたようだ。

「昨日はごめんね?美里さん大変だったでしょ」

「いいえ、大丈夫です。とても楽しかったです、ありがとうございました」

「またいつでもきてね、それで、忘れ物でもした?」

「ああ、違うんです。光さんに用があって、美里さんに連絡先を聞いたんですが、美桜さんの番号だったみたいで」

 昨日会った人全員を並べたような今の言葉が、自分でおかしくなった。

「そうなのね、じゃあ光さんにかわるね」

「ありがとうございます」

 電話の向こうで光さんを呼ぶ美里さんの声が聞こえる。光さんのことを「あなた」と呼んでいた。2人でいる時はそんな呼び方をするのか、向こう側の幸せな空間がここまで届いてきた。

「何のようだ」

「おはようございます。昨日はありがとうございました」

「そうか、じゃあ切るぞ」

「あ、ちょっと、聞いてくださいよ」

「なんだ、どうせメッセージが来たとかだろ?」

「そうです、そうなんですよ、どうしたらいいかわからなくて

「何人から来た?」

「3人です」

「本当なら3人全員に返信を出したいところだが、お前のゲームにそれは必要ない。短期集中だ、1人選んでそいつと繋がれ」

「1人で大丈夫ですかね?心配で」

「犠牲者は少ない方がいいだろ?それに、早く付き合って早く別れたほうが相手にかかる迷惑も数句なくなると思わないか?」

「確かにそうですね」

「いいか、すぐにデートに誘うんだ。このままコロナの感染者が増えたら、これから外に出られなくなるかもしれないぞ」

「そうですね、わかりました。ありがとうございます」

 そうだ、時間がないんだ。急がなければならない。彩が誰かに取られてしまうかもしれない。遅ければ遅いほどこのゲームは不利になるのだから。アプリを開いてメッセージをくれた3人のプロフィールを見た。その中で、22歳、同い年の子を見つけた。東京住みで、社会人一年目らしい。趣味の欄には、映画鑑賞とだけあった。3人の中で1番歳の若いこの子、大上綾おおがみ あやが最適だと思った。


「綾さん、初めまして、メッセージありがとうございます。僕も社会人一年目で、

現在22歳です。映画を観るのが好きなんですね僕も好きで、今観たい作品もいくつかあるので是非一緒にみられたらなーなんて思っています」


 送ってから見返して、焦り過ぎのキモいやつに見えた。折角メッセージくれたのに。取り消しボタンがないかを探し、取り消せないことに落ち込んでいると、なんとすぐに返信が来た。


「そうなんですね、よろしくお願いします。私も観たい作品があるので、もし趣味が合えば是非ご一緒したいです」


 なんでうまくいくんだ。あまりにもスムーズなやりとりだったため、一瞬何かドッキリの企画かと疑った。こんなドッキリを見たことがある。これで待ち合わせ場所に行くと仕掛け人が待っているのだ。ただ、俺にそんな友達はいない。唯一やるとしたら光さんかもしれないが光さんは完全にこっちの味方だ。

 続けて通知音が鳴り、「ハイ&ロー エピソード8 最後の戦い」というタイトルが送られてきた。


「本当ですか?僕もこの作品楽しみだったんです。是非一緒に観に行きたいです。」

「みつきさんもこのシリーズ好きなんですね、これ来週で上映終わっちゃうんですよ。明後日、30日の月曜日、仕事終わりにでもどうでしょうか?」

「もちろんです!楽しみにしています!」

 

 恐ろしいほど話が早く進んだトークの画面ををもう一度見直す。流れるようにデートの約束ができた。もしかしたら俺はセンスがあるのかもしれない。ハイ&ローシリーズがどのサブスクでも配信されていないことを知って、全く観たことのないこのシリーズのDVDを7本とクロスオーバー作品2本をレンタルしに出かけた。今日と明日で見終わることができるだろうか。これも彩と結婚するためだ。


2020年3月30日

「それで、今日この後映画デートって話になったのか?」

「はい。そうなんです」

「うまくいきすぎだろ、お前浮気常習犯だったりしないだろうな?」

「じゃないですよ、今回が初めてですよ」

 口に出してからドキッとした。そうだ、これはお互い了承の上ではあるが、浮気なのだ。ゲームとはいえ、俺は今日彼女以外の女とデートする。

「とにかくな、今日ミスったら結婚できないと思え」

 先にラーメンを食べ終えた光さんがお箸の先を俺に向けながら言った。俺の想像以上に今日は大事な日らしい。

 職場に戻ってからも、今日のデートのことしか考えられなかった。途中何度か光さんが茶化すためか作業部屋に入ってきて、俺を笑って去って行ったりしたからさらに緊張してきた。気づいたら業務の終わりを合図するチャイムがなった。

「みつき君お疲れ様!今日の仕事も問題はなかった?」

 すぐに美里さんが来てくれた。

「問題ですか、問題ないです」

「どうしたの?具合悪い?」

「こいつは今から戦いに行くので大丈夫ですよ」

「戦いってなによ?」

「デートらしいですよ」

「ちょっとなんで言っちゃうんですか!」

「えー、こっち来て短いのにもう彼女できたの?」

「今から作るんですよ!こいつは今日が勝負の日なんですよ」

 光さんのからかいに反応できないくらいに緊張していた。

「みつき君、そんな顔してデートに行ったら心配されちゃうよ?笑顔だよ笑顔!」

「そうですね、笑顔でいきます」

「じゃあこれあげる!」

 美里さんはレストランのペアチケットをくれた。デザートが無料になるようだ。

「これ今月までなんだよね、多分もう行くことないし、ソロで行くことになりそうだし、まだお店決まってなかったらどうぞ!」

「ありがとうございます!ここ行ってきます!」

 職場を出て、駅に向かった。綾さんとは映画館で待ち合わせをしていた。電車に揺られている間は、ハイ&ローのまとめサイトを眺めた。この映画は巨人族と小人族の対決を描くアクション実写洋画なのだが、正直あまりハマらなかった。なんでこんな作品がこれほど続いているのかわからない。でもこの作品への熱烈なファンがいるようで、シーズン5からはクラウドファンディングに頼ったりもしているらしい。人の好みというものはわからない。

 目的の駅に着いた。劇場までは徒歩数分の距離らしい。19時半開始で、19時に待ち合わせをしている。今は18時40分、まだ少し時間がある。駅のトイレの鏡で鏡で髪を入念にセットした。劇場に向かう途中風が強く、髪が気になり、路駐してあった車を鏡にセットした。着いてからもトイレの鏡でセットした。

「あの、神谷さんですか?」

 振り返ると、短い髪でスーツ姿の可愛らしい女性が立っていた。おそらく綾さんだ。

「あ、そうです。綾さんですか?」

 やばい。下の名前で呼ぶ癖が出てしまった。失礼なやつ、いきなり馴れ馴れしいやつだと思われてしまう。

「初めまして、大神さん、今日はよろしくお願いします」

「初めまして、こちらこそよろしくお願いします。綾で大丈夫ですよ?」

「あ、すいません、つい癖で」

「そんなことより、押しは誰ですか?」

「はい?」

「好きなキャラですよ!私は巨人族のダンギです!」

「ああ、かっこいいですよね、巨人族ボスの右腕の!クールで僕も好きです!でも僕は、小人族のタンタチーカです!」

「えー、意外です、確かに可愛くて強いですけど、あの子の行動怪しくないですか?」

「怪しいですけど、それが良いじゃないですか。俺は絶対に小人族が有利になるような秘密を握っていると思うんですよ!」

「そうですね、じゃあ、私たちもライバル同士ですね!今回その秘密が明かされると良いですね!」

 予習してきてよかった。完全にこの作品のファンを演じきれているだろう。共通の趣味があるということは恋愛にとってかなり重要な部分だ。完璧なスタートになった気がする。

 ポップコーンとドリンクを頼みお互いにひとつずつ頼んだ。キャラメル味にしたかったが彼女が塩を頼んだので俺も塩にした。多分こういう気配りが大事だ。え?なんの気配りなんだこれは?キャラメルにしておけばよかった。

 席に座ったと同時に公開予定の作品の広告が流れ始めた。

「神谷さん、これ面白そうじゃないですか?来月公開予定だけど、ちゃんと公開できますかね?」

「うーん。最近は公開延期になることが多いですもんね」

「ですよね、コロナの影響で映画館に来るのも少し勇気いるじゃないですか、だからほら、お客さん入ってないですもんね」

「そうだね、僕たち含めて5名くらいしかいないね」

 この映画に関していえば、客の少なさはコロナと関係ないと思う。なんていうことはできなかった。

 そして、スクリーン以外のあかりが消え、映画が始まった。

 次にあかりがついた時、左隣に座っていた彼女は号泣していた。終盤彼女がむせている音が聞こえた。しかし、無理もない。巨人族のダンギが殺されたのだ。もしかしたら生きているという可能性のある死に方ではない。小人によって首を落とされたのだ。その首を落とした相手こそがタンタチーカだったから、かなり気まずい。

「これ絶対続きあるよね」

 かけてあげる言葉はこれくらいしかなかった。

「あっても、もう観ません。ダンギのいないハイローシリーズなんて面白くないに決まってます。神谷さんの推しは活躍してましたね。これで晴れて小人族の新リーダーですね」

 これはやばいぞ。やってくれたなシーズン8。このまま解散はまずい、俺は次の作戦に出た。

「ちょっとご飯食べに行かない?」

 彼女はゆっくり頷いた。時間は21時を過ぎていたが、今行けば美里さんの紹介してくれたレストランに間に合う。タクシーでそのお店へ向かっている間、彼女はずっと黙っていた。俺はすでにタンタチーカが1番嫌いなキャラになっていた。

「いらっしゃいませ、こんばんは」

 かなりおしゃれなお店、さすが東京クオリティだ。2人用の席に案内してもらい座った。メニューを開いて驚愕した。高すぎる、もちろんここは俺が奢るつもりなのだが、やばい、高い。だが、ここで逆転を狙わなくては、そのための奥義も用意してある。

「神谷さん、よくこんなおしゃれなお店知ってますね」

「いえいえ、会社の先輩に紹介してもらったんです」

「社会人ですもんね、ちょっとくらい良いお店知っていた方が良いですよね、勉強になります」

「頼むもの決まりました?」

「あ、はい」

「すみません、注文お願いします」

 すぐに店員が来た。

「お待たせしました。お呼びの際はこちらのボタンでお願いします」

 恥ずかしい。そんなこと最初に言ってくれ。だが良い、俺には秘密兵器がある。注文を終えてから俺はポケットからそれを取り出し、店員さんに渡した。

「すみません、これお願いします」

「デザート券ですね、かしこまりました。食後にスペシャルデザートをご用意します」

 店員さんが一礼してメニューを下げて戻っていった。

「すごい、デザート頼もうか迷っていたんです!ありがとうございます、すごく楽しみです」

「いいえ、会社の先輩から頂いたので、せっかくだから綾さんと、と思って」

 完璧だ、さらにもう一つ光さんからとっておきの技を教えてもらった。

 美里さんからチケットをもらった後のことだった。駅に向かう俺を、光さんが走って追いかけて来てくれた。

「光さん、どうしたんですか?」

「ああ、一つ大事なアドバイスを忘れてた」

「なんですか?」

「必勝法だ。デートでご飯に行った際、一番のポイントはどこかわかるか?」

「お店のセンスとかですか?」

「甘いな、さすが田舎者だな。答えは、奢り方だ」

「奢り方?」

「ああ、男が飯を奢るのは当たり前の世の中だ。だから普通に飯を奢ったってなんのポイントにもならない。だが、ここを工夫することで、格段にポイントが上がる」

「なるほど、どうやるんですか?」

「じゃんけんだ」

「じゃんけん?そんなのどっちが勝つかなんてわからないじゃないですか」

「ああ、ただこれは、奢りたいと思っている方が絶対に勝つという裏技があるんだ」

「どうやるんですか?」

「一回やってみよう。俺がお前役でお前が綾ちゃん役だ」

 この人は一体どこで今日会う約束をした子の名前を知ったんだよ。

「ここは僕が奢るよ」

 突然始まった寸劇に、とりあえず乗っかった。

「ええ、申し訳ないですよ」

「じゃあ、じゃんけんで決めよう。最初はグー、じゃんけんぽん」

 光さんはグーを出して、俺はチョキを出した。

「やった、勝ったから僕が払うね!」

「これ、たまたま勝っただけじゃないですか!」

「頭悪いな、お前は。もう一回同じ流れをやってみろ」

 そう言ってまた寸劇が始まった。

「ここは僕が奢るさー」

 次はあり得ないほど下手くそな沖縄っぽい喋り方をした。

「そんなの申し訳ないですよ」

「じゃあ、じゃんけんで決めよう。最初はグー、じゃんけんぽん」

 俺はパーを出した。光さんは俺が出したのを見て、グーを出した。

「くっそー、負けちゃったから僕が払うね!」

「なるほど!勝っても負けてもこっちが奢れるというわけですか」

「そうだ、ポイントは、このトリックを相手が理解するかどうかだ。お前みたいな馬鹿な奴には理解できないはずだが、頭が良い女なら理解できるはずだ。そしたらお前のポイントはかなり高くなるはずだ。女性に気を遣わせずに奢ることができる良い男ってわけだ」

 俺はこれを聞いた時感動した。光さんはやはりモテモテだったのだろう。女性を相手するのがかなり上手いようだ。よし、実践だ。慌てなくて良い成功する確率が100%の裏技なのだから。それに、綾さんは頭が良さそうだ、

「今日は綾さんとご一緒できてとても嬉しいです。僕が奢りますね」

「いいえ、そんなの申し訳ないです。」

「じゃあ、じゃんけんで決めましょう。最初はグー、じゃんけんぽん」

 俺はグーを出した、綾さんもグーだった。

「あいこで・・・」

「あ、ちょっと待ってください」

「はい、どうしました?」

「勝ち負け決めてなかったので、私が負けたら私が奢りますね。じゃあいきます、じゃんけんぽん!」

 俺はグーを出した。彼女はチョキを出した。俺が勝ってしまった。

「あ、じゃあ私が奢ります」

 彼女は、俺より、そして光さんより頭が良いようだ。どうしてくれるんだ光さん。

「あ、いや、今のは」

 今のじゃんけんをやり直そうと思った時さらなる敵が現れた。

「お客様すみません、先程いただいたデザート券なのですが、有効期限が去年でして」

 店員さんに渡されたチケットを見た。確かに有効期限は2019年の3月までになっている。

「あ、すみません確認していませんでした」

 店員さんは笑いながら戻っていった。恥ずかしすぎる、何してくれるんだ美里さん。もう、俺のポイントはボロボロだ。それもこれも全てタンタチーカのせいだ。

 明らかに落ち込んでいる俺を前に、綾さんは突然笑い出した

「なんか、面白いですねみつきさん」

 初めて下の名前で呼ばれた。

「ええ、なんかもう、めちゃくちゃですみません」

「いいえ、楽しいで。私の方こそすみません。映画のこと引きずっちゃって、でもおかげで元気出ました。みつきさんと観に行けてよかったです。1人だったら絶対に耐えられませんでした」

 彼女はマスクを外しておしゃれなグラスに入った水を飲んだ。マスクを外して笑う彼女の姿はとても可愛かった。無邪気に笑う姿がどこか彩と重なった。

「お待たせしました」

 豪華な料理が運ばれてきた。彼女は魚料理とサラダを、僕は肉料理とパスタを、お互いが頼んだものをシェアして食べた。かなり美味しい。料理を食べながら会話が弾んだ。

「ええ、沖縄出身なんですか?」

「はい、実はつい先週まで沖縄にいたんです」

「すごい、私ずっと東京なので、沖縄にめちゃくちゃ憧れがあるんです。いつか住みたいと思ってて」

「いやいや、逆に僕は東京に憧れてて、ここで暮らすのが夢でした」

「そうなんですね、じゃあ東京生活は楽しめていますか?」

「それが、まだ全然なんです。社会人って思ったより忙しくて、観光とかもできていないですし、夜ご飯を外で食べるなんて今日が初めてですよ。あ、もちろんデートも」

「わかります。社会人大変ですよね。就職がゴールだと思っちゃってたので、あまりの大変さにいつもヘトヘトです。私まだ実家に住んでいるので、帰ってからも大変で、今日は久々にリフレッシュできて楽しいです」

 グラスに纏った雫を紙ナプキンで拭き取り、少しずつ水を飲み、畳んだおしぼりの上にグラスを置く姿が再び彩と重なる。

「みつきさん、ひとつ聞いても良いですか?」

「もちろん」

「今、付き合っている方はいないんですか?」

 ドキッとした。何かそう思われるようなまずいこと言ったかな?いや考えすぎだ。ただの質問じゃないか。

「ええ、もちろんいません。だから家に帰っても毎日寂しくて」

「わかります。私も帰ったら家族がいるのに、寂しさがあって。これは家族では埋められない寂しさなんだろうなって」

「ありますよね、恋人でしか埋められない、満たされない心の空洞みたいなのが。ここに別の何かで紛らわせようと適当なものを押し込むと、さらに空洞が広くなってしまうようで」

「私ならその空洞埋められますかね?」

「え?」

「失礼します、お客様」

 遮るように店員さんが来た。ケーキとアイスの乗ったお皿を二つテーブルに置いた。

「デザートです」

「え、でも、デザート券は使えないって」

「サービスです。実は、来月から営業時間短縮巣旅程でして、デザートはなかなか販売できないと思うんですよ。なのでお召し上がりください

「ありがとうございます」

 俺のミスをカバーしてくれた最高の店員さんに俺は深々と頭を下げた。

「うわー、美味しそう!みつきさんありがとうございます!」

「いえいえ、僕は何もしてませんので。美味しそうですね」

 チーズケーキとチョコケーキ。ココナッツとキャラメルのアイス。赤と茶色のマカロン。それに、紅茶まで運ばれてきた。なんと贅沢な。

「私、甘いもの大好きで。本当はキャラメル味のポップコーンにしたかったんですけど、なんとなく塩味の方がカッコつくかなってキャラメル我慢したんです」

 美味しそうにキャラメル味のアイスから食べ始めた綾ちゃんは言う。

「実は僕も、なんでか同じ塩味を選んだほうが良いのかなって思ってキャラメル選んだんです」

「やっぱり!そうですよね、塩あざのポップコーンとコーヒーが合うわけないって思ったんですよ!」

「でもでも僕もそう思ったんですけど、これが結構いけちゃって、新しい発見でした!」

 あったかい紅茶の入ったカップで両手を温めるかのように、大事そうに持つ彼女は、俺の目を見てちゃんと話を聞いてくれた。そういえば、店に入ってから俺は一度もスマホを触っていない。つまり楽しいのだろう、彼女も触っていないようだが、楽しんでいるのだろうか。それからたわいもない会話を、閉店の24時まで続けた

 店を出る頃には俺たちは完全に意気投合していた。結局お会計は割り勘した、それでよかったのかもしれない。お互い一年目の社会人なのだから。

「明日絶対に寝不足で大変になりますね」

「ごめんなさい綾さん、こんな時間まで」

「いえいえ、本当にすごく楽しい日でした!明日からまた頑張れます!」

「本当ですか?僕も楽しかったです!」

「あの、みつきさん、また会ってくれますか?」

「もちろんです!仕事終わりでも、土日でも、いつでも暇なので!」

 この感覚は久しぶりだった。彩以外の女の子と2人きりで遊ぶことなんてなかった。彩が言っていた通りなのかもしれない。6年という長さがお互いしかいないという空間を作ってその空間に慣れすぎていたのかもしれない。

 せめてここだけはカッコつけさせてと言って綾ちゃんにタクシー代として1万円を渡した。彼女は遠慮しながらも受け取ってくれて、タクシーで帰った俺もタクシーで帰る。そういえば東京に来てから仕事を終えて真っ直ぐ家に帰ったことがない。一気に色々起こりすぎている。電車に乗ったってまともに景色さえ見れていない。社会人とはそういうものなのだろうが、確かな充実感は俺を満足させている。

「もしもし、デートどうだった?」

 彩の声を聞くのは久しぶりな感じがした。毎日電話しているのに。

「楽しかったよ、映画もご飯も」

「本当だ、ミツキ喜んでるときの声してる」

「次会う約束もしたからさ、もう付き合うのも時間の問題かもよ?」

 俺は彩にプレッシャーをかけるつもりで言った。

「そっか、さすがミツキだ!そっちも順調でよかった!私も目星つけた人がいるんだよ!」

 予想外だ、完全に俺の方がリードしていると思った。やはり、俺のことを降って新しく付き合いたい人が最初からいたんじゃないかと疑ってしまう

「新しい男ってどんな人?」

「うーん、歳上で賢い人」

「歳上がタイプだったんだね」

 もしもお互い新しい相手と付き合った場合、このゲームは続くのか?考えれば考えるほどアンバランスだ、このゲームは。

 


 焦りもあって、俺はこの日以降かなりのスピードで綾さんにアプローチを続けた。デートを重ねようと思ったが4月になると緊急事態宣言が出て難しくなった。だから俺の家に呼んで映画を観たり、お菓子を作ったりした。お互いの仕事がリモートワークに切り替わってからは、綾さんはWi-Fiの環境や、家族がいると難しいという理由で俺の家で生活するようになった。ほとんど同棲だ。日に日に彼女の見えなかった部分が見えるようになってくると、次第に彼女に好意を抱く自分がいた。

 彩と綾、2人の間で揺れ動く俺の心はすでに俺のものじゃないようだった。彩への気持ちがまだ確かなものなのか。彩への気持ちは寂しさを紛らわせるためのものじゃないのか。まだ新しい相手と付き合っている訳ではなかった。俺も彩も。



2020年3月30日 大上 綾

 ハイローのネタバレをみてしまった。ダンギが死んじゃうって。いつもは公開日初日に観に行くの1人で観るのが怖くていけなかった。だから今日は一緒に観に行ってくれる人がみつかって嬉しかった。このシリーズを好きな人なんて周りにいないから、この人とは仲良くしたいと思った。仕事が終わり電車で向かう途中、トイレでメイクを直した。劇場についてからもトイレでメイクを直した。トイレを出たときに、彼を見つけた。仕事終わりだといっていたので、スーツ姿だろうとは予想できていた。といってもスーツ姿の人は他にもたくさんいたが、何かこの人だろうなと感じた。というより、この人だといいなと思った。この人だった。

 みつきさんがハイローのファンじゃないことはすぐにわかった。タンタチーカ推しの人は、タンタカと呼ぶことが決まりなのだ。多分あまり知識がないのだろうなと少しがっかりした。ただ映画好きであることはわかっている。メッセージを返してくれたときだ、映画を「観る」と書いていた。本当に映画が好きな人は「見る」じゃなくて「観る」と使う。多分、他にも観たいものがあったはずなのに、悪いことしたなと思った。

 ダンギが死んだ。知っていたが、本当に死なれると想像以上にダメージを与えられた。正直デートどころじゃなかった。帰ってダンギのぬいぐるみを抱きしめたかった。でも、ここで帰るなんてできない、ちゃんとデートをしなきゃ。

 私は生まれてから、彼氏というものができたことがない。学生時代から、「変わったヤツ」というレッテルに苦しめられてきた。友達にいたら面白いが、付き合うのは勘弁という位置付けだったのだろう。学生生活はそれで満足していたが、先日母に言われた。

「あんた、一生結婚できないわよ」

 母がどれほど本気で言ったのかはわからないが、私はそれを言われて号泣してしまった。あんな表情の母は初めてみた。私が篭った部屋に好物のシチューを持ってきてくれた。母は「ごめんね」と謝ってくれたが、母が悪い訳じゃない。キャラだからと誤魔化してきた自分が許せなかったのだ。学生生活を全部そのキャラのために費やしてきたと思うと悔しかった。

 だから、まだ自分には可能性があると信じたくてこのアプリを使って絶対彼氏を作るんだと決めた。

 今帰ったら、映画で推しが死んで大号泣して帰った変わったヤツになっちゃう。それは避けたかった、こんなにすぐ相手が見つかるなんて奇跡なんだから大事にしなきゃ。

 彼の連れてきてくれた店は素敵だった。そして、用意してきたのであろう様々な作戦がことごとく失敗に終わる彼は可愛かった。彼もこういうことに慣れていないようだった。なんだか気が合いそうな気がした。

 初めてドキッとしたのは彼がマスクを外したときだ。完全に見た事があると思ってしまった。アイコンではしっかりと確認することができていなかったが、私はこの人を知っている。どこで見たことがあるのかわからないが、絶対にどこかで見たことがあるのだ。だから沖縄に住んでいたと聞いて衝撃だった。会ったことがないのになぜ見覚えがあるのだろうか。不思議だった。彼は東京にくる前に6年も付き合っていた彼女と別れてしまったことを教えてくれた。理由を聞いたら飽きたのかもしれないと言っていた。でも彼は、元カノの彩さんの話を楽しそうにした。名前について話した時もそうだ

「神谷さんって女の子みたいな名前だって言われません?みつきって」

「ああ、よく言われます。男で名前が漢字じゃないのも変だとか」

「嫌じゃないですか?私も、自分で決めた訳じゃないのに、大上って姓からオオカミって呼ばれたりました。好きでいる時も一匹狼とか言われて」

「僕も嫌でしたよ。本気で名前変えようかなと思って変え方とか調べてましたから。でも、ある人が言ってくれたんです、みつきって名前さ、みつきを表すにはぴったりだと思うんだって。たったそれだけなんですけど、自分そのものを初めて認めて貰えた感じがして、それ以降逆に名前で呼ばれるのが嬉しくなっちゃいました」

 嬉しそうに語る彼がいう「ある人」は絶対に綾さんのことだとわかった。こんなに楽しそうに語るのだから、本当はまだ付き合っているのではないか?と思った。もしかしたら、家には同棲している彼女がいて、今は浮気相手を探しているとか。そんな人には見えないが、そんな人に見えない芸能人が浮気をしてニュースになっていることなんてよくある。

 店員さんに礼儀正しかった。私に気を遣わせず奢ってくれようとした。一緒にハイローを見に行ってくれた。タクシー代だと言って渡してくれたものが返された期限切れのデザート券と間違っていたことも含めて既にみつきさんを好きになっていた。

 だからこそ、翌日すぐに確かめたかった。彼の家に行って、本当に彩さんとは別れているのか。仕事が終わってすぐに、彼が昨日教えてくれた職場に向かった。彼が綺麗なお姉さんと出てきた時はびっくりした。かなり近い距離で話していたから焦ったけど、例のチケットをくれた上司だと教えてくれた。そのチケットは私の財布に大事にしまってあることは内緒だ。彼には、今の気持ちをはっきりと言った。

「本当に一人暮らしなのか確かめたいんです。おうちに連れていってください」

「別に構わないけど、本当に一人暮らしだよ?」

「もちろん、信じたいんですけど、自分の目で確かめたいんです」

 彼は怒ることもなく、笑ってスマホを私に預けた。「誰にも連絡とっていないという証明になるでしょ?」と言ってくれた。この時点で確かめに行く必要は無くなっていた。

 彼の家に怪しい影はひとつもなかった。そのまま玄関で土下座した。彼は笑いながら疑ったことを許してくれた。その代わりに見つけたのは、レンタルビデオショップの袋に入ってあるハイローシリーズだ。しかも、クロスオーバー作品まで。彼は恥ずかしそうにそれを隠したが、私はまたまた号泣してしまった。自分のためにここまでしてくれた人がいたと思うとこの瞬間で一生を終えても良いとさえ思えた。号泣している私を心配しながら、みつきさんはダンギが1番活躍するエピソード6を再生してくれた。

 この人だ、この人で間違いない、この人と一緒にいたい。この瞬間、私の推しはミツキさんになった。

 それから私はみつきさんを誰にも取られたくないという思いから、かなり積極的にアピールした。彼も私を受け入れてくれて、ついにはミツキさんの使っていなかった部屋が私の仕事部屋に変わった。

 ただ、この家に泊まることが増えても、みつきさんは一切私に手を出すことがなかった。夜になるとそういう雰囲気になるものだと思っていた。お酒が入ると尚更だ。とろんとした目になるみつきさんに対して勇気を振り絞ってベッドに誘うのだが、毎回なんとなく誤魔化されるのだ。

 気になることがある。一ヶ月足らずでここまでの関係になっているのに、一体なぜみつきさんは告白してこないのか。男から告白するのが当たり前だと思うのは良くないことだと思うけど、それでも何かきっかけを作ることもしない。彼はこの生活に満足しているようだ。

 実際私だってそうだ、付き合わずともこの生活ができるのなら、別にこのままでいいと思っていた。ただ、私に見せない彼がいることがなんとなくわかった。思いきって彼にキスをした時だった。私のファーストキスは怒られた。

「なんで、急に?」

「だって、もういいのかなって思って」

「そういうのは俺からやるから。綾ちゃんは無理しなくていいよ」

 別に無理なんかしていない。実際それ以降彼からキスすることなんてなかった。女の子に気をつかえるのは彼の長所だがここまでの関係になって変な気をつかわれるのは壁を感じる。私から距離を近づけようと行動する時、彼は決まって少し嫌な顔をした。 

 それとは対照的に彼が嬉しそうな嬉しそうな顔をする時がある。彩さんの話をするときだ。かなり楽しそうに思い出を語るのだ。6年間という思い出が深いのはわかるが、そういうところは気を遣ってくれないんだと思ってしまう。その行動も全て、私と彼との間の壁を高く厚くするのだった。ただ、彼の嬉しそうな顔を見るのは私も好きだ。そして、なぜか彼の話に出てくる彩さんを嫌いになることができなかった。可愛くて、優しくて、少し不思議で、そして声が良いらしい。

彼にどうやって彩さんのどこが好だったのか聞いた時の話だ。

「うーん、好きなところはたくさんあるんだけどね、惚れたのは声だった気がする」

「声?綺麗な声なの?」

「綺麗というか、空気みたいな声なんだ。とってもクリアでさ、いつも真っ直ぐに耳に入ってくる感じがするんだ。透き通った声だとかそんな簡単に表現できないんだけどね、声を聞いたときにこの人だって思ったのかも」

「私の声は?」

「綾ちゃんの声も可愛いよ!」

 そんなフォローされたって何も嬉しくない。嘘、嬉しい。私はこの話が好きで、何度も別の聞き方でこの話を聞いた。彼が「一耳惚れ」と表現するのがとても好きだった。私は彩さんに勝てないんだなとわかった。でも、勝たなきゃ付き合ってくれないんじゃないかとも思った。周りの友人が言うように、みつきさんにこだわっている自分が不思議だった。でもそれすらも愛おしかった。

 そんな話はするのに、別れた理由を聞くと誤魔化すのだった。「飽きたんじゃないかな」とか、「他に相手でもできたんじゃないかな」とか、そんなに好きな人に別れを告げられて納得できるもんか。絶対に別れようと思った理由が気になるはずだ。もしかしたら、聞かれたくない理由で別れたのかもしれない。その理由が、私との壁を作っている理由かもしれない。触れたいが触れられないモヤモヤがある。

 このモヤモヤを増幅させる彼の行動がある。私に隠れて毎日誰かに電話をしていることだ。リモートワーク中なので、突然職場から電話がかかってくることはよくあることだ。しかし、そう言った電話は私の前でとる。ときにはスピーカーにして話す時もある。信用されているんだと嬉しくなるが、私の前では絶対に取らない電話がある。そういうとき、決まって彼はイヤホンを繋げて、ベランダに出て窓ガラスを完全に閉めるのだった。雨の日にはわざわざ傘をさしてベランダに出た。わかっている、きっと彩さんだ。部屋に戻ってくる彼の顔はいつもバラバラだった。喜んでいる時もあれば、悔しそうな時もある。泣いている時も、めちゃくちゃに怒っている時も。でも、めちゃくちゃに怒っていた翌日にだって、彼は電話に出るのだった。一度誰からの電話かと聞いたことがある。

「ああ、ちょっと仕事でさ、静かなところで話さなきゃいけなくて」

 外は暴風だった。静かなわけがない彼が嘘をついた話題はそれ以上聞かないようにしていた。私はすでにこの生活に満足していたからだ。もう、嫌われなければどうだって良いと思い始めていた。電話をかけてくるのは決まって向こうなのだから、向こうが一方的にみつきさんのことを引きずっているのだろう。時間が経てば電話もなくなり、向こうも諦めてくれるだろう。私はそれまで嫌われずにいようと決めた。

 私がみつきさんにこだわる理由がなんとなくわかってきた。彼と私は似ているのかもしれない。私たちは、決まった枠にはまって学生生活を自由に過ごせなかった。他の枠にはまることから逃げてきたのだ。彼がずっと彩さんと付き合っていたことも、沖縄にいることが窮屈に感じ東京に憧れていたこともそうだ。社会人になってその自由を手に入れようとした時、やり方をわからないのだ。だからお互い惹かれあったのかもしれない。彼が私に惹かれているかはわからない、もしその枠がまだ彼を離さないのであれば、彼を私の枠に入れてあげたい。彼がそうしてくれたように。

 また、ベランダで知らない誰かと電話をする彼は私の知らない表情をしていた。

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