君が見せてくれた風景

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第1話 君が見せてくれた景色

 真夏の北海道、遮るものが何もない平原の中どこまでも続く二車線の道路には、太陽が容赦なく照り付けてくる。道路は平坦ではなく、ジェットコースターのようなアップタウンを繰り返していた。

 沢口晴樹は、額に大粒の汗を光らせながら一人ペダルをこぎ続けていた。

 晴樹は自転車のソロツーリングで、ここ北海道へとやってきた。

 東京から長距離フェリーに乗って苫小牧に到着し、そこから十勝地方を目指して、四泊五日の長い自転車の旅が続いていた。

 途中、大雨で目の前が全く見えなくなることもあった。車輪がパンクし、自分で直せなくて、何キロも歩いてたどり着いたガソリンスタンドで直してもらうこともあった。所持金が少ないため、1泊500円程度のライダーハウスを見つけては、同じように北海道を旅するライダーや自転車旅行者と雑魚寝しながら夜を越した。

 晴樹は毎日必死にペダルを漕ぎ続けてきたが、目指す目的地までには、まだまだ距離があった。北海道は町と町の間が100kmあるのが珍しくないので、たどり着きそうでたどり着けない。

 それでも晴樹は、ひたすら前を向いてペダルを漕ぎ続けた。

 これほどまでに辛い旅を続けても、晴樹にはどうしても行きたい場所があった。


「佐那、お前に、あの風景を見せてやるからな」


 ■■■■


 自転車好きの晴樹は、休日になると近所を流れる多摩川の堤防沿いでサイクリングを楽しんでいた。

 晴樹の恋人の佐那も自転車好きで、晴樹がサイクリングに誘うと、喜んで一緒に走ってくれた。

 そんな佐那には、自転車で行きたい場所があった。


「ねえ、晴樹。この写真見てくれる?」


 サイクリングの途中、佐那はペットボトルの水を飲みながら、晴樹に一枚の写真を見せてくれた。

 見渡す限りの大平原、そして丸い地平線、草を食む牛たちの大群……

 都会に暮らす晴樹には見たことも無い風景だった。


「雑誌の切り抜きだけど、すごいでしょ?」

「ここ、どこなの?日本?」

「そうだよ。北海道のナイタイ高原牧場って所」

「はあ?初めて聞く場所だな」

「十勝平野の端っこにあるんだって。いつか行ってみたんだ、ここに」

「じゃあ、行こうか?」

「え?北海道だよ?自転車に乗って行くにしても、遠すぎない?」

「佐那が行きたいのなら、近い遠いは関係ないよ。それに、北海道なら東京からフェリーが出てるだろう?フェリーならずっと安く北海道に行けるさ」

「じゃあ、連れてってくれる?」

「いいよ。俺も佐那と一緒に、この風景を見てみたいんだ」

「嬉しい。じゃあ、約束だよ!」


 その時から晴樹は、北海道に行くための資金を貯め始めた。

 自転車に載せるテントや寝袋、リュックや雨具など、長距離走行に必要な道具は多く、買いそろえるのには十分な資金が必要だった。

 北海道行きを決めた瞬間から、晴樹はそれまで週2回続けていたアルバイトの回数を増やし、さらには他のアルバイトを掛け持ちして資金を増やそうとした。

 佐那も塾講師のアルバイトを始め、彼女なりにこつこつと資金を貯めていた。


 十分な資金が貯まり、必要な荷物も買い揃えた。あとは出発の日を待つばかりの二人。そんなある日、いつものように佐那と晴樹は多摩川沿いでサイクリングを楽しんだ。

 いつもなら心地よさそうな表情で自転車を走らせる佐那は、今日は心なしか元気がなかった。うつむきながら無言で走る佐那の様子が気になり、晴樹は声を掛けた。


「佐那、どうした?元気ないな。具合悪いのか?」

「ううん」

「だって、さっきから俺の方を全然見てくれないし、話しかけてこないじゃないか?」

「それが?どうして悪いの?」

「わ、悪くはないけれど……いつもの佐那じゃないよ」


 すると、佐那は突然自転車のスピードを上げ、晴樹をぐんぐんと引き離していった。


「まてよ!」


 晴樹は必死にペダルを漕いで何とか佐那に追いつくと、サドルを握る手を握りしめた。


「どうしたんだよ?何で急に俺を避けるんだよ?」

「だって、親が……若い男女二人での長期旅行、それも自転車でなんて危なっかしくって行かせられないって」

「親が?」

「そう。何が何でも行かせないって。隠れて行ったりしたら、二度と家には入れないってまで言われたの」

「そうか。じゃあ、俺が佐那の両親に会って、説得すればいいのか?」

「そんなことしたら、親を余計刺激するから止めてよ!」

「でも、ここで諦めたら、今までの苦労は全てパーになるんだぞ?そして、佐那が見たいって言ってた風景も見れなくなるんだぞ?本当に良いのか?俺、一緒に佐那の両親に会いに行くから、な?」

「……」


 翌日晴樹は、佐那の両親に会いに行った。

 晴樹は両親に安心してもらうために、この旅の最中に余計な手は出さないことを約束し、旅行の計画をきめ細やかに説明した。

 しかし、両親は晴樹の話を素直に聞き入れてくれなかった。

 それどころか、佐那が晴樹を連れて説得に来たと思われ、佐那が両親に酷く怒られてしまった。


「くそっ、どうして分かってくれないんだ?俺が一生懸命話をしてるのに。そして、佐那は何も悪くないのに、何で佐那が怒られるんだ?」


 佐那の自宅の玄関を出た晴樹は、納得できない表情で感情任せに不満を吐き出した。その隣で、佐那はずっとうつむいたままだった。


「ねえ、晴樹」

「何だい?」

「晴樹の気持ちはすごく嬉しかったよ。けれど、北海道に一緒に行くことは出来ない。ごめんね晴樹、行きたいって言った私が言うのも変だけど、一人で行ってきて」

「お前……」

「それと、しばらくは晴樹には会わないつもり。晴樹に会うと、親からまた北海道に行くつもりなのか?って言われるだろうし、私自身、晴樹の顔を見ると、辛い気持ちで胸が張り裂けそうになるから」

「バ、バカ言うなよ!お前、本気でそんなこと言ってるのか?」


 晴樹は慌てふためいたが、佐那は深々と頭を下げると、軽く手を振って玄関のドアを閉めた。


「佐那!お前、本当にそれでいいのか?本当は、北海道に行きたいんだろ?そして、あの写真の風景をちゃんと自分の目で見てみたいんだろ?ここまで一緒に準備を進めて来たじゃないか?自分の気持に嘘をつくなよ!」


 玄関の前で、晴樹はひたすら叫び続けたが、しかし佐那は全く表に出てくる様子は無かった。

 その後自宅に戻った晴樹は、LINEで佐那にメッセージを送ってみたものの、何時間経っても全く反応が無いままだった。

 晴樹の部屋の中には、佐那からもらった「ナイタイ高原牧場」の写真の切り抜きが貼られていた。


「何とかして、この風景を佐那と一緒に見たい……けど、どうすれば?」


 部屋の壁際には、アルバイトで貯めたお金で買い揃えたテントや寝袋などがずらりと並べられていた。晴樹はその一つ一つを手にするうちに、少しずつであるが、ある覚悟が出来てきた。


「やはりこのまま、諦めてしまうわけにはいかない」


 ■■■■


 真夏の強烈な日差しが次第に西に傾き、空が赤く染まり始めた。

 晴樹は、力を振り絞って最後の長い登り坂を上りきると、どこまでも広がる平原を見渡せる小高い丘に到着した。

 そして、木造の「ナイタイ高原牧場」の看板を目にした時、晴樹は嬉しさのあまり思わず両手を上げてガッツポーズをした。


「やっとここまで来たんだ……長い旅だったなあ」


 牧場の中を通る道路は、さらに標高の高い所に向かって伸びていた。

 晴樹は自転車のサドルを持って、歩きながら坂道を上り続けた。

 やがて眼下に、どこまでも広がる牧場の全景が姿を現した。

 遠く彼方に見える地平線は丸く霞み、地平線に向かって、沢山の牛たちが草を食む牧場やなだらかな丘がどこまでも続いていた。

 写真で見た大地は緑色に覆われていたが、晴樹がたどり着いた時には日没間近ということもあって、大地は夕陽に照らされて燃えるような赤色に染められていた。


「こ、これだ!これが……佐那が見せてくれた写真と同じ風景だ!」


 晴樹の胸は高鳴り、全身の震えが止まらなかった。

 佐那はこの場所には居ないけれど、晴樹は何らかの形で佐那と一緒にこの風景を見たいとあれこれ模索してきた。

 晴樹はスマホを取り出すと、LINEを立ち上げ、佐那にメッセージを送った。


「佐那、久しぶりだな。俺は今、北海道にいるんだ。今からお前に見せたいものがあるんだ。ちょっと待っててくれるかな」


 晴樹はリュックから三脚を取り出すと、スマホを取り付け、動画撮影の準備を始めた。

 目の前に180度広がる風景を、スマホを左から右へとゆっくり動かしながら撮影した。

 撮影しながら、晴樹は語り出した。


「佐那が見たいと言ってたナイタイ高原牧場だぞ。どうだい?すげえよな。こんなにデカイ牧場がこの世にあるとは思わなかった。そして地平線ってこんな丸いんだなって初めてわかったよ。佐那と出会わなかったら、俺はこの素晴らしい風景を知らずに生きてたかもな。教えてくれて、ありがとう。とりあえず今日は、この風景を佐那と一緒に見たくて、動画にして送りました」


 晴樹は動画を閉じ、スマホをポケットに仕舞うと、額に手を当て大きくため息をついた。

 果たして佐那は、晴樹のメッセージに気付いているだろうか?

 折角ここまで来て名残惜しい気持ちもあるが、日没が間近のため、早々退散しようとした。

 その時、晴樹のスマホから着信音が聞こえた。

 晴樹は慌ててスマホを取り出すと、LINEに佐那からのメッセージが届いていた。


「ありがとう晴樹。すごく嬉しかったよ。ここまで行くの、すごく大変だったでしょ?まだ時間はかかるだろうけど……いつの日か、晴樹と一緒に自転車に乗って、この風景を見に行きたい。帰ってきたら、旅の話を聞かせてね」


 佐那のメッセージを読み終えると、晴樹の目には大粒の涙が光った。

 沈みゆく夕陽が目の前の風景を次第に赤く染め上げていく中、晴樹は涙を拭うと、佐那にメッセージを送り返した。


「いつの日か、いや、絶対に一緒に見に行こうな!俺はずっとその日が来るのを待っているから」








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