第2話 六花の小学生時代~低学年編

やがて私は小学校に入学した。

漠然とではあったが、他の子とは違うという気持ちは変わることはなかった。

1クラスしかない田舎の小学校で、しかもそのまま保育園の子とエスカレーター式みたいな感じでそのまま入学した小学校だったので相変わらずいじめは続いた。

今思うと当時のいじめはまだ我慢出来た。

無視されたりしたがその程度だったからだ。

今のいじめの方が陰険で卑怯だと思う。

私の家は小学校から一番遠くにあった。

父は中学卒業後棟梁のもとで修行した腕の

いい大工だった。

今は棟上げをするのか分からないが私が幼かった頃は家の棟上げがあって大工さんに

お酒が振る舞われた。餅まきもあった。

父は日頃はとてもおとなしい人だったが、お酒が入ると全く働かなくなるのであった。

母はそれで随分と苦労した。

母方の親戚は父と離婚しろと何度も母を説得したが母は聞かなかった。

今でもよく覚えているのは少しのお金で近所の方からお米を買ったり、またお店でツケでおかずを買ったり、春には山に行って筍や蕨を取りに行って、母が筍と蕨の煮物を作ってそれをよく食べたりしたものだ。

だから私にとってのおふくろの味は『筍と蕨の煮物』なのである。

私は手先が不器用で昔から得意科目と苦手科目がはっきり分かれていた。

国語は好きだったが、算数や体育は嫌いだった。それは今も変わらない。

つまり文系は得意で理系はてんで駄目だったということになる。

特に体育の授業ほど辛いものはなかった。

鉄棒の逆上がりも今だに出来ないし、走るのが遅いので運動会の時は憂鬱な気持ちになった。 障害物競走ならまだよかったが徒競走は勘弁して欲しいといつも思っていた。

何故なら「全速力で走れ~!」っていう声援にとても嫌な気持ちになったからだった。

普段は私に話しかけてこないくせにこういう時だけはクラスメイトは声をかけてきた。

しかも最下位でゴールしようものなら、文句をすごく言われて大変だった。

小学1年の冬、雪が積もり次の日の朝道路がアイスバーン状態になっていて集団登校なので歩いて学校に向かっていた時のことだ。

滑ってしまい私六花の右腕は痛み。

ものすごく痛くて泣いてしまい学校の先生に病院に連れて行ってもらった。

すると私六花の右腕は骨折していた。

しばらく体育の授業は見学。授業中ノートをとったり、給食を食べるのは利き手でない左手。

それはまだよかったのだが私の骨折のことで学校から家に連絡した時のこと―

完全に私が悪くて右腕を骨折したのだが

私の父が担任の先生に言い寄ったのだ。

今でいうモンスターペアレントみたいに何かあると学校に文句を言った人だった。

私はそんな父が恥ずかしかった。

保育所時代と変わらず人としゃべるのが苦手で昼休憩に図書室で伝記ものを読むのがとても好きな子だった。









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六花のハチャメチャ半生 優木六花 @yukirikka

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