尊い

「仏像の顔って、『御尊顔ごそんがん』って言うほど尊いカンジしないよね」


 トイレからリビングに戻ってきたぼくに、マスクさんは開口一番、脈絡のつかめない言葉を投げかけてきた。


「突然……なに?」


 ぼくが半笑いで訊くと、彼女はテレビに向けてあごをしゃくった。

 ニュース番組だろうか、テレビ画面ではお寺の画像が流れている。


『今回は実に二十年ぶりの開帳かいちょうということで、その御尊顔を一目見ようと観衆がお寺に押し寄せています……』

「ああ……。『秘仏ひぶつ』のお披露目ひろめか。ときどきあるよね」


 「秘仏」とは、お寺なんかで見えないようにして祀られている仏像のこと。これが特定の日や、長いものだと数十年の間隔で公開されるのが「開帳」。

 マスクさんはこのニュースを見て、なんとも罰当たりで率直な感想をぼくに伝えてきたというわけだ。


「ぼくは結構、仏様の顔、好きだけどな」

「え、好き嫌いの問題なの?」

「ああ……。違うかもね」

「でしょ? 尊いかどうかでしょ?」


 そう言われてみると、「尊い」顔ってどんなだろう……。

 あ。

 ふたつ――ある。ぼくにとって「尊い」と思える顔。


「マスクさん、今日、久しぶりに銭湯いかない?」

「おぉう……。急にどうしたの? まあ、いいけど」


***


「はぁ……。広いお風呂はいいよねぇ……」


 湯船に身を沈めると、思わず独り言が出てきてしまう。

 家でのお風呂もいいけど、ぼくはこうしてときどき、銭湯や日帰り温泉に行きたくなる。一方のマスクさんは、そんなにお風呂に執着していない。だから、「銭湯に行こう」は数少ない、マスクさんに対してできるぼくのワガママのひとつ――。


「あの像、なんだかやっぱり、『尊い』んだよな……」


 ぼくは風呂場の縁にたたずむ像を見上げる。

 まったく関連性が見いだせないんだけど、この浴場にはギリシャ彫刻風の像がひとつだけ置かれている。文字通り、彫りの深い造形のそのお顔。水気の近くに長年据えられた影響か、ところどころ塗装が剥げ、青銅色の地肌が露わになっている。

 その顔は、ひたむきで、哀愁で、なんだかぼくには「尊く」感じられる。


「南無南無……」


 ぼくは湯に浸かりながら、像を拝んだ。


***


「おおおおおかえええええりいいいい」


 マスクさんは一足先にお風呂を上がっていたらしい。ぼくより早いのはいつものこと。

 マッサージチェアに体を揉まれながら、声を震わせてぼくを出迎えてくれる。これもいつものこと。


「好きだね。マッサージされるの」

「さいきいいいいんん。してくうんんないからああああ」

「そのうちまた、開業させていただきます……」


 ぼくはお風呂上りの牛乳を購入して一口飲むと、まだマッサージを受けているマスクさんの顔を見た。


 お風呂上りの彼女は、そのアイデンティティたるマスクをつけていない。頬は紅潮して、マッサージの気持ちよさのためか、目を細め、うっすらと笑みを浮かべ、まるで天国にでもいるかのような安らかな顔――。


「南無南無……」


 ぼくは手を合わせ、彼女を拝んだ。


「なんか縁起悪いから止めてよ」


 ちょうどマッサージ機が止まったため、彼女にその姿を見とがめられてしまった。


「ちょっと……秘仏の開帳を拝してまして……」

「……なに言ってんの?」


 そうですよね。


 マスクさんとぼくは、一本の牛乳を回し飲みしながら帰路についた。

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