第8話


 こうして、砂と黄金の国の王とその妃サラは、神に背き、ただ己の私利私欲のために、アレクシスと戦う決意をしました。王は、使者に手紙を持たせ、アレクシスに王位を譲る気はない。死んでも玉座は渡しはしない、と先方に伝えさせました。つまりは宣戦布告です。戦いに対して気の進まないアレクシスに対して、司令官はほくそ笑みました。これで、砂と黄金の国に攻めこみ、戦果を略奪する大義名分ができるからです。荒地と太陽の軍団は、元来の兵士のほか、アレクシスの信奉者、それに多くの前科者を抱えておりました。この聖戦に参加すれば、すべての罪が赦されるときいて、近辺の諸外国からやってくる荒くれ者もあったのです。烏合の衆である彼らをまとめるには、略奪を赦し士気を高める必要がありました。

 そんなところに、伝令係がやってきました。

「司令官、アレクシス様。かの砂の国から逃げてきた民が、アレクシス様にお目通りを願っておりますが」

「またか」

 司令官がため息をつきました。アレクシスの起こした奇跡の噂を聞きつけて、彼の姿をひと目見たいと言う者が、国内外から多くいたのです。もちろんいちいち相手にしていられませんので、戦に勝った暁にはアレクシスから言葉がある、などと適当にあしらっていました。今回も同様にするつもりでした。それは伝令係もわかっているはずでしたが、彼は困惑しているようです。

「なんでも、かの国の王妃についてお耳に入れたいことがあるとかで……」

「王妃様について?」

 アレクシスが思わず声をあげました。砂と黄金の国の前王妃が王に殺されたのは有名な話でしたが、現王妃についてはほとんど情報がありませんでした。元々、かの国では女性が政治の表舞台に出てくることがありませんので、気にすることもなかったのです。

 しかし、集められる情報は多いに越したことはありませんから、司令官は話を聞いてみようと思いました。

「私が聞こう。殿下はお休みを」

「いえ、一緒に聴きたいです」

「……わかりました。では、連れてまいれ」

 連れてこられたのは、中年の夫婦と、若い乙女でした。

「お目通りが叶いまして感激でございます。わたくしは砂と黄金の国に住んでおりましたハキームと申します。こちらは妻のファティマ、娘のニスリーンでございます。アレクシス殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう、本当にご立派なお方で……」

 このまま放っておくと永遠に喋り続けそうなので、司令官がピシャリと遮って言いました。

「挨拶は良い。王妃の話を聞かせよ」

「ははっ……実は、現王妃サラは、もともとわたしの弟の娘、姪なのです。アレクシス様、あの娘は悪魔の眷属でございます。我が故国の王はあの娘に誑かされているのに違いありません」

「悪魔の眷属? 詳しく聞かせよ」

「はい、もともと弟は都の神殿で神にお仕えする神官でした。わたくしはてっきり神殿で慎ましく純潔を守って暮らしているものとばかり思っていたのですが、家族の誰にも知らせずに還俗し、見知らぬ女と娘をもうけていたのでございます。弟は結婚の仔細について何も話しませんでしたが、どうやら女は内縁の妻だったようで、三人でひっそりと隠れるように暮しておりました。神殿にお勤めしていた頃は、いつも便りをよこしてくれていた弟が、わたくしに向かって、もう来ないでくれ、自分たちのことは誰にも言わないでくれというのです。ところが、その直後に弟の家は全焼し、弟と妻の女は焼け死に、まだ子どものサラだけが、全身に火傷を負った状態で見付かりました。以来、ずっとうちで世話をしてやっていたのですが、ある日、どういうわけか国王陛下に見初められ、王妃の座に収まってしまったのです。全身に火傷を負った醜い娘がですよ? わたくしが思うに、あの娘は魔術を使って王をたぶらかしたに違いありません」

 ハキームが言うと、今度は妻のファティマがペチャペチャと喋り始めました。

「義弟の女房も怪しい女でございました。アタシは思うんですけどね、サラの母親も悪魔の眷属だったんですよ。あの女が真面目な義弟を誑かして駄目にしてしまった、それが神のお怒りに触れて、あの火事が起きたに違いありませんわ! 義弟は神のお恵みである火の扱いにはとりわけ注意深い人でしたから、火事を起こすなんてあり得ませんもの!」

 今度は娘のニスリーンが興奮した様子で早口でまくしたてました。

「あの火傷だらけの醜い姿こそ、あいつが悪魔の眷属だという証拠です! そんな姿なのに国王陛下が妃として迎え入れたと言うのも、サラが穢らわしい力で王を唆したからに違いありませんわ! アレクシス様に降伏しないのだって、きっとサラのせいです!」

 その後も三人はぎゃあぎゃあと喚き立てておりましたが、司令官が話を切り上げました。

「ハキームよ、話はわかった。下がるが良い」

 司令官が言うと、ハキーム一家は残念そうにすごすごと下がっていきました。何らかの褒美でも期待していたのでしょうか。しかし、兵と、保護した民を食わせてやるだけで精一杯でしたし、噂話程度でほうびをくれてやるつもりはありませんでした。

「司令官殿、今の話は……」

「さあて、確かなことはわかりませぬな」

「確かに、原初の悪魔は、神の浄火によって今も全身を焼かれており、逆恨みした悪魔が眷属を人に紛れさせ、大逆を為さんとする、という話があります。それが、まさか兄上の妃に……」

 今の王妃がもともと庶民であり、どうやら美しい容貌では無いらしい、という話は司令官も知っていました。

 かの国王の悪行……前妃と百人の乙女殺しは、今の妃を娶る前の話で、当時庶民だった彼女がそれをけしかける事などできようがありません。そもそも、元庶民の女ごときに国を揺るがすような謀略が立てられるわけがない、と司令官は考えていました。妻を殺して錯乱した王が卑しい娘を娶るという奇行に走ったのだろう、というのが司令官の考えでした。

 しかし、かの国の評判が悪ければ悪いほど、戦はこちらにとってやり易くなります。あのおしゃべりなハキーム一家が、放っておいても悪い噂を広めてくれるでしょう。果たして司令官の思惑通り、現王妃の悪評はあっという間に広まりました。前妃は現王妃の陰謀によって殺されたのだ、というあり得ない噂まで広まりました。どこまで噂が本当なのかはわかりませんが、現王妃は砂の国の民からもあまり人気は無かったようです。戦いに乗り気ではなかったアレクシスでさえ、王妃を討ち取れば、兄は正気に戻ってくださるだろうかと真剣な顔で相談するようになりました。司令官はただ、殿下と神の御心のままに、とだけ答えました。


 一方、砂と黄金の国の王は、偽りの王子を掲げる荒地の蛮族を成敗する、と大義名分を唱え、周辺諸国に手紙を出し、戦に勝った暁には十分な報償を与えることを約束し、なんとか兵を集めていました。王の元に残ったのは、アレクシスを信じられない保守派の者や、古参の者、王の本当の事情を知っている者、そして逃げる術を持たない独り身の者ばかりで、それではあまりにも兵力が足りなかったのです。

 一方、サラは、王宮内の侍女たちと共に、籠城戦に備えた戦支度をしていました。王宮の中で勉強したり音楽や礼儀作法を学ぶばかりの日々とは打って変わって、サラは忙しく王宮内を駆け回っていました。

「……妙に楽しんでいないか、サラ」

 王の言葉に、サラはどきりとしました。

「そんなことは……」

 サラは口ごもりました。王は、静かな声でサラに言い聞かせました。

「戦は遊戯ではない。我々は、かの荒地の国の蛮族どもから民を守るために戦う。だが、犠牲は零とは言えない。家を失い、家族を失い、血と涙を流す民が出てくる。それをゆめゆめ忘れるな」

「……申し訳ありませんでした」

 王の言葉に、サラは恥ずかしく思いました。実は王の言う通り、今まで味わった事のない高揚感に、サラは酔っていたのです。王宮に嫁いでから初めて仕事らしい仕事をして、内心、浮き足立っていました。しおらしくなったサラを見て、王は声を和らげました。

「辛気臭い顔をしていろと言うのではない。そう気を落としてくれるな。それよりもサラ、お前に頼んでおきたいことがある」

「なんでしょうか」

「……私に万一のことがあったら、私の代わりに、私の大切なものたちを、異教徒に触れさせないよう、守り通してほしい」

「……そんな縁起の悪いこと、言わないでくださいよ」

「戦なのだ。万が一の時のことは、考えておいてもらわねば困る」

 サラは不安でした。王が勝つことをサラは信じていますが、万が一の時に、王妃として、王の大切なものを守り通すことなどできるのか、それが不安でした。

 そんなサラの心を見透かしたように、王はそっとサラの肩に手を置き、うつむいていたサラの顔を覗き込んで言いました。

「……大丈夫だ。お前なら、きっとできる」

 サラは、王の言葉に顔を上げました。子供の頃から、伯父夫婦にも、従姉妹にも、周りの人間からはずっと、『お前は醜い』『何をやっても無駄だ』『何の為に生まれてきたの』ずっとずっと、そのように言われ続けてきました。つつがなく仕事を終えたとしても、それが当然だというように無視されたり、磨いた床にわざと汚物をぶち撒けられて、掃除のやり直しをさせられたこともありました。

 何かを、お前ならできると言われたのは、初めてのことでした。

 サラは、固くうなずきました。この人のために、自分にできることを精一杯やろう。たとえ死ぬことになったとしても、この人の役に立ってから死のうと思いました。

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