ソロ・パルチザン【PW⑧】

久浩香

トレイター(反逆者)

(こんな事は間違っているのではないか?)

 と思ったのは、10代の頃であった。


 上級貴族の次男である私は、16歳で少尉として軍部に所属し、20歳になった時に、混血の妻を娶り、上級国民として少佐へと昇進して第一王子殿下の護衛の一人となった。私は殿下の信頼を得、通常25歳を過ぎるた頃には里親パピーウォーカーとなるべく軍籍を退くものだが、殿下は私を留め置かれ、私は少将の地位に昇った。これは、大将や中将の地位が、王族や上級貴族で占められている中、第一殿下付き護衛部隊の実質的なトップであった。


 それは、国王陛下の即位19周年記念式典の準備をしていた時の事だ。

 この年の式典で、例年と違う事といえば、第一王子殿下を、陛下が正式に王太子に指名する事であった。お仕えする王子の晴れ舞台であったので、私達は、警護ばかりでなく、その準備にもおわれ、大わらわであったのだが、それは式典の二ヶ月前に中止となった。

 理由は、国王陛下と第一王后陛下との間に第三王子殿下が誕生なさったからである。


 殿下が王太子とならなかったのは残念だが、王族には変わりない。それに、こういっては憚りがあるが、相手は生まれたばかりの乳児である。直接、拝見したわけではないが、今は金髪碧眼であるらしい乳児が、“混血返り”の病を患わないとも限らないし、それでなくとも、幼い子供は死にやすい。第一王子が次期国王陛下に即位される未来が閉ざされたわけではなかった。

 それに、もしそうならなくとも、私には後を託せる相手がいた。恐らく私と同じ経歴を歩み、王后陛下のお産みになった王子に仕える事になるであろう甥だ。彼もまだ幼いが、ゆくゆく私が思った違和感を感じるように導けば良い。


 最初にその違和感を感じたのは、13歳の時だった。

 父は、少なくとも年に3回、領地へ帰る。それは、“収穫祭”、“天地祭”、“復活祭”だ。父と兄と共に、私が初めて父の領地へ連れて行って貰ったのは“天地祭”の時で、この祭りは、初代国王陛下よりも更に前、天降りて来た男神が天へ帰った後、夫に去られた大地の女神の嘆きにより、この星が飢餓の危機に陥った時、男神が自らの一部を天から降らし、それを飲み下した始祖様によって女神が、再び実りを約束して下さった伝説に由来した祭りだった。

 領主館に到着したのは前日の夜で、翌朝、父は市街に降りて行ったようだが、その間、私と兄は館の中でのんびりと過ごし、14時からガーデンパーティーが催された。

 街からやってきたのは、20歳を過ぎた娘達だった。私達は、彼女達が踊ったりするのを見物しながら、昼食を食べた。父は昼間っから酒を呑み、兄は食事の最中だというのに席を立ち、娘達と一緒に踊ったりしていた。踊っている娘達は、誰も彼も綺麗だったが、そんなのを見るのは、食事の間ぐらいで充分だった。私は父に、街の方へ行ってみたい、と訴えた。

 それに対して父は、

「駄目だ、駄目だ! お前みたいな子供が街をうろうろしていたら、それは私の子供だと言っているようなものだ。誘拐だってされかねない。そんな事より、どうだ? 気に入った女はいないか? 誰でもいいし、何人でもいいぞ。好きに選んでいいんだぞ?」

 と、にやにやと笑った。

 その時は、何を言っているのか解らなかったが、私は童貞ではなくなった。祭りの間中、前日選ばれなかった娘達は、14時になるとやってきて、踊るだけ踊って選ばれなければ17時には帰っていった。私達はそこにいる間中、ただれた時間を終日過ごして王都へと帰った。それは、どの祭りでも同じだった。

 後で解った事だが、そこにいた娘達は、金を稼ぐ為に来ていた。つまり、私達と寝れば、金になったのだ。

 少尉になった後も、20歳になるまでは父の息子として領主館へ向かった。

 16歳の時、私は館の祭りには参加せず、市街を見て回り、養護院を慰問した。本当は、産院付き養護院を見て見たかったのだが、そこに行ける男は、専用の部隊の者に限られているというので断念した。祭りの期間だというのに、街の喧騒は彼等に届かず、ただ、外での仕事が休みの期間で、彼等は粗末な服をきて、貧しい食事をしていた。そして、午後からは教会で大司教をはじめとする修道士トレーナーから嘘っぱちの説法を聞いていたのだ。


 私がそれを嘘っぱちだと知っていたのは偶然だった。

 それは10歳になる前に、王都にある屋敷で開催されたパーティー。そこには父の友人の上級貴族の第一夫人となった王女殿下がいた。そして、父は王女の愛人だった。本当なら行ってはいけない夜の庭の四阿ガゼボで、父は王女のドレスをまくり上げていた。何故、そんな会話になったのかは解らないが、父と王女は、自分達が贅沢をできる根源であるこの国の仕組みを称え、国民を馬鹿にしていた。

 その時には理解できなかった事も、学ぶ内にその時の事を思い出し、私は合点がいったのだ。


(こんな事は間違っているのではないか?)


 そう思ったが、それを口に出すわけにいかない事も解っていた。いや、思っている事を悟られる事さえ危うく、書き物に残すなど以ての外で、全て私の脳の奥に潜めていなければならない事だった。


 それを間違っていると思うのは、私が両親の元で育ったからだろうと思う。私は、両親の愛を受け、健やかに育った。領主館の事も、父の愛情の現れだ。養護院の子供達の目は、なんというか濁っていた。憎悪と諦念ていねん。そして、足りない何かを求めていた。そういったぐちゃぐちゃの感情の救済が、でっちあげの国王の神話であったようで、彼等は修道士の説法に縋っていた。

 私は貴族の暮らしも、平民の暮らしも知っていた。私にも子供が出来た。だが、その子供が、男か女かも知らない。自分の子供が、養護院であの目をしているのかと考えたら、胸が痛んだ。


 第一王子殿下の護衛に配属されたのはもっての幸いだった。殿下は、国の事には興味がなく、遊ぶ事に夢中だった。旧王宮で男になった後は、令嬢方と健全な交際をしながら、夫人達との情事を愉しみ、旧王宮で行われるゲームも喜々として参加していた。彼の頭には色欲しかないのではないか、と思える程、それにのめり込んでいた。

 旧王宮の中のゲームがどういうものかは、第一王子のお供で、その玄関のアプローチまでは行っても、中には入れない私には解らないが、中から聞こえる女の悲鳴は悲愴であった。

 だが、そういう殿下だからこそ、大広間の会場で、偶に難しい事を聞かれれば、私の袖を引いた。私は殿下の盾であり頭脳でもあった。



 第一王子派であった馬鹿で短絡な上級貴族達が粛清されたのは、国王陛下の即位21周年記念式典の三ヶ月前の事だ。おかげで、社交界における第一王子の立場は非常に危ういものになってしまった。私自身は、その謀略に加担していなかったのだが、あろうことか兄の第一夫人は、首謀者の一角である国王陛下の友人の混血の上級貴族と愛人関係にあったとの、兄自身も、その謀略の一端を担っていた上級貴族の第四夫人と愛人関係にあったらしい。

 お陰で、私の実家は没落した。兄家族は上級貴族の名を剥奪され領地も没収された後、どうなったのかは解らない。私や第一王子殿下が、事件そのものに加担していない事は認められたが、兄家族の行く末を私が知れば、新たな火種になる事を警戒されたのだろう。兄家族の事だけでなく、関係者の刑罰や処遇について、私の耳に入る事は無かった。


 兄夫婦の事は残念だったが、自業自得の事であるし、国の判断として仕方が無いと思えた。だが、甥を失った事が、何より私を苛んだ。私は、私の後を託せる者を失った。

 第一王子殿下が国王陛下となった暁には、私は殿下に今の仕組みを改変する事を唆すつもりだった。私に全幅の信頼を寄せる殿下の事だ。この企みは、平和裏に進める事が可能だっただろう。

 しかし、こうなってしまった以上、私は腹を括らねばならない。

 獅子身中の虫。反逆者の汚名を着ようとも、私はこの国を。

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