第3話(最終話)




 金属の羽がブブブッと音を立てて動きだす。

 ハチドリが宙へ飛びあがった!


「飛んだ! こども、できたね! すごい!? こどもすごい!?」

「ああ、すごいもんだ」


 こどもは無邪気に頬を赤く染め、飛びまわるハチドリと一緒に踊りだす。


「こども、大きくなったら、魔女になるよ」

「魔女なんてつまらないモンだよ」

「つまらなくない。こども、いっぱいたくさん“失せもの”を直す」


「失くしものを修理するのは、私が好きでやっているだけだ。魔女の仕事は、ここにいればいいだけさ。おまえだって今からでも、すぐに魔女になれる」

「どうすればいいのっ?」

 こどもは魔女の膝にとびついた。


「『魔女になる』と言うだけさ。その時からおまえは、失せものの河の守り主だ」

「それだけ?」

 ぱちくり瞬く大きな瞳が、こぼれて落ちてしまいそうだ。

「それだけだ」

 魔女は笑って、丸い額を指ではじく。


 こどもは肩にとまったハチドリと目を交わす。

「じゃあっ。こどもは魔女に――、」


「おやめ」


 大きな手で口をふさがれた。

「やっぱりヤメだ。魔女は一人きり。私の仕事を横どりするんじゃないよ」


 腹に響く、低い声。

 男の姿に変わった魔女が、目を光らせてこどもを見下ろす。


「……じゃあ、魔女が魔女にあきたら、つぎはこどもの順番ね」

「飽きるものか」

 魔女は三日月の笑みを浮かべてデッキへ出ていく。

 こどもも数歩遅れて彼女を追い、外の空気を吸った。



 霧の森。

 たゆたう黒い河のおもて。


「鳥。迷子にならないで、おかえりね」


 ハチドリはこどもの肩から飛びたった。

 白い霧をキャンバスに、黄緑の体で絵を描くように飛びまわる。


 しかしまた、こどもの頭上へもどってきて、高い音でさえずった。

 まるで、遊ぼうと誘っているようだ。


「なんだ。あなた、かえらない?」

「ときおり居ついてしまう子がいるんだ。おまえみたいにね」

「なら、鳥も家族になる? 魔女、いい?」

「おまえが世話をするならね」


 こどもはきゃっきゃと笑い、ハチドリと追いかけあう。

 魔女は揺り椅子に腰を下ろした。

 口がほのかに笑っている。


「ワッ!?」


 唐突なこどもの悲鳴に、魔女は眉をひそめた。


 舞い踊るハチドリを、誰かが両手で捕まえたらしい。

 こどもが血相を変えて相手につめ寄っている。


「なにするの! はなして! また壊れちゃう!」

「こいつは僕のだ!」


 キンと響く少年の声。

 半ズボンに長靴下の身なりの良い少年だ。


「よかった、とうとう見つかった。こいつはなぁ、獣とチョウのキメラなんだ。大発見だぞ」

「ちがう! このコはこどもの家族になった鳥!」


 こどもは無理やり少年の腕を下ろさせて、手をこじ開ける。

 逃れたハチドリは、慌てたようすで魔女のところまで逃げていく。


「あれっ。あいつじゃなかった……?」

「こどもの鳥だよ! こどもが直した!」

「ホントだ。ごめん」

 すなおに頭をさげた少年に、こどもはむくれた頬でそっぽを向く。


「おまえの、そのキメラっていうのは、これかい」


 魔女はローブの袖から、木の標本箱を取りだした。

 手のひらに収まる小さなの箱には、奇妙な生きものがピンで留められている。


 目にまぶしい黄緑色の毛が生えた、まるまるとした胴体。

 切り絵のような黒い輪郭で象られた、透明の羽。

 たしかに、獣とチョウのキメラのようだ。


「蛾の仲間だね。ここいらじゃなかなか見ない」

 その貴重な蛾は、ハチドリと大きさも色も、よく似ている。


「ママが気持ち悪いって、逃がしちゃったんだ」

「きもちわるくない。きれいだよ」

「だろ? ママっていっつもそうなんだ。僕、見つかるまで家に帰るもんかって、追っかけてきた」


 でもさ……、と少年は箱のガラスをなでた。

「飛んでるのが好きだったのに」

 魔女は片方の眉を上げる。

「生きて動くモノは、それだけで美しい。けれどこの蛾は、命を失くして、なお美しい。おまえは素晴らしいものを見つけた」


「……うん。これ、僕がもらっていい?」

「おまえの“失せもの”だ。好きにおし」


 少年はくちびるを噛んで、うなずいた。


「僕はエリン。ええと、君たちは?」

「こどもは、こども」

「僕も子どもだよ。ちがくて、君の名前をきいてる」


 こどもはうろたえて魔女を見上げた。


「こどもは、こどもだよ。だって、魔女は魔女だ」

「へんなこと言うヤツだなぁ」


 少年は標本を大事に胸に抱えて、森へ入っていった。

 さようならと手をふって、彼を見送る。


「ハチドリ。あの子はもう、道は分かるだろうが。獣にあわないよう、気をつけておあげ」


 魔女にたのまれたハチドリは、機械仕掛けの片翼をはためかせ、少年の後を追う。


 ふたりきりに戻った森は、とても静かだ。


「魔女。こどもがこどもは、へん?」

「ここには、私とおまえしかいない。こどもは一人だけだ。困ることはないだろう?」


「……そうだね。ふたりきりだから、へんじゃないね」


 こどもは頬をゆるめて笑う。

 魔女はこどもを見下ろし、ふむと鼻で息をつく。


「それにしても、あの子に比べて、おまえのシャツはずいぶんと小汚いね。そろそろ洗い時だ」

「ええ? 魔女はその服、洗ってないよ」

「魔女は汚れないのさ」


 ずるいなぁ、いいなぁとボヤくこどもから、魔女はシャツをはぎとった。

「さむいよ!」



「――おまえ、これは?」



 こどもが首からさげたネックレスを、魔女は指にひっかける。

「なに? しらない。ずっとしてた」


 魔女はだまってしまった。


 こどもは、気にしたこともなかったネックレスのプレートを眺めてみる。

 銀の板に、おかしな模様が彫りこまれている。


 洗い桶を河辺へ運んできたこどもは、シャツを足で踏んで跳ねるうちに楽しくなって、ネックレスのことなどすっかり忘れた。


 けれど魔女は椅子を鳴らして揺られながら、ずっと無口だった。





 獣の息づかいに、こどもはまぶたを持ちあげた。

 ぽたり、額に落ちてきた、ぬるい雫。


 常夜灯の仄灯りに、白い牙が光っている。

 顔の両脇、寝ワラを踏みしめる、獣の前足。


「うわっ!」


 こどもはワラの中をもがく。

 獣は生臭い息を吐き、こどもに圧し掛かってきた。


(オオカミ――!)


 息を呑んだ瞬間、オオカミは鼓膜を打つ音でほえ、こどもの首にかぶりつく!

 

 だが唐突に弾かれたように吹っ飛び、オオカミのほうが床に叩きつけられた。



 ……点々と散った、赤いしぶき。


 こどもは浅い息を繰り返しながら、恐る恐る自分の首に手をやる。

 血は出ていない。

 熱いと思ったら、ネックレスの銀の板が白い星のように光っている。


 オオカミは低くうなりながら、体を起こそうとする。

 牙のあいだから、ぼたぼたと血がこぼれる。


「だ、だいじょうぶっ?」

 こどもはベッドから飛びおりた。


 オオカミは低いうなりをあげ、再びこどもに食らいつく。

 だがこどもが先に、オオカミの首を強く抱きよせた。

 がち、がち、咬み合わせる牙の音が、こどもの耳のわきに響く。


「うごかないで。ダメだよ。魔女、いっぱい血がでてる」


 オオカミは動きを止め、両眼をこどもに定めた。


『……なぜだい。どうして私とわかった』

「だって魔女は、魔女だもの」


 オオカミは――魔女は、ゆっくりとこどもから身をはなす。


『こまった子だね。脅しもきかない』

 血を吐きながら、床に身を伏せる。


「もう、時が来た。おまえはここから去らねばならない」

「なんで。どうして急にそんなこと言うの」


 洗ったばかりの白いシャツが、オオカミの血に染まっている。

 こどもは震えながら、胸元を小さな手でにぎりこむ。

 魔女の銀の瞳は、光るネックレスを見すえている。


「おまえは、始まりと終わりの存在に守られている。ΑからΩ、永遠に守られているおまえを、私が守ってやる必要はない」

「よくわからない」 

「もう、お還り。自分の場所へ」


 膝に流れてくる、温かな血だまり。

“失せもの”の河の流れと同じ温度だ。

 こどもは青くなって、オオカミの首を両手ではさんで持ちあげる。


「こどもは、魔女といっしょがいい。こどもも魔女にな――」

「良い子だ」


 オオカミはこどもの口を、乾いた鼻づらを押しつけて止めた。





 こどもは霧の森を駆ける。


 ちかくに本物のオオカミの遠吠えが聴こえる。

 ハチドリが追いかけてきた。


「あなた、エリンのいるところ、わかる? こどもをエリンの村までつれていって」


 大粒の涙が、頬の上をすべって後ろへ吹き散っていく。


 魔女の薬の棚も、本も、字が読めないこどもには、どう使っていいか分からない。

 魔女はオオカミの姿のまま、動かなくなってしまった。


 でもきっと、こどもはエリンの村までたどり着けない。

 まだ“失せもの”を取りもどしていない。

 自分のそれが何だったのかも、わからないままだ。

 あるいは、こどもを“失くした”誰かが、まだ迎えにきてない。


 けれどこどもは、霧をかきわけて森を駆けることしかできない。


 ハチドリがこどもの前を飛ぶ。

 木々をすり抜けて飛ぶ鮮やかな色が、白くかすんで見えなくなりそうだ。


 こどもは涙をぬぐい、必死に駆ける。



 ――すると。


 唐突に森が終わり、木立ちの先に草原がひらけた。

 出られるはずのない、外!


 こどもは足を止めた。

 ハチドリが肩にもどってきて、機械の音を立てて羽をしまう。


 まぶしい。

 木漏れ日の光の帯。

 緑の草の上を風が吹きわたり、野原の花々をくすぐって笑わせている。


 外の世界は、昼間だった。


 はだしのつま先が、太陽の光に白く照っている。

 こどもは足を引っこめた。


「おそとに出られた……。こども、なんで?」


「こども!」

 半ズボンの少年が、草原のむこうから駆けてくる。

 そのうしろには、大勢の大人たちが。


「こども、どうしたんだよっ。おまえ血だらけだ!」

「エリン! おくすり! おくすりちょうだい!」


 エリンは、ようやく追いついてきた大人たちと顔を見合わせた。


「エリンの言ってた、魔女といた迷子だね? よかった。迎えに行くところだったんだよ」


「おくすり……」

 こどもはじりりと足を下げる。


「血まみれじゃないか。どこかケガをしてるのか」


 触られそうになって、こどもは獣のように飛びのいた。

 木立ちの影に入ったこどもの、ギラギラと光る瞳。

 大人たちは怖気づいたように喉を鳴らした。


「おくすりちょうだい。それだけ」

「こども。ケガしてるのは魔女なんだな」

 エリンが大人たちのかわりに、こどもに一歩踏み寄った。

 こどもは震えながらうなずく。


 わかった。

 エリンはそう呟いて、すぐさま踵を返した。





 霧が濃い。

 いつもより、ずっと。

 それに河の流れる音が、まるで嵐のようだ。


 こどもはハチドリに導かれ、風よりも速く駆け戻る。

 

「――魔女!」


 揺り椅子の上に、彼女を見つけた。

 オオカミの姿のまま、ぴくりとも動かない。

 そのようすが、河へ見送ったあの犬に似ている。こどもは全身の毛を逆立てた。


 人間からもらってきたのは、魔女がいつか、犬のための肉と引き換えに、村の人間に煎じてやった丸薬だった。


 こどもはオオカミの口をこじ開ける。

 抵抗する彼女の牙に腕を傷つけられながら、まだ生きているんだと、むしろ嬉しくなる。


「魔女、おくすり! 直るよ、直るから!」


 ごくり、彼女が薬を嚥下したのが分かった。

 こどもは血まみれの腕を抜きとり、尻もちをついた。


「……魔女?」


 音をたてて揺れる椅子。

 こどもの心臓も冷たく揺れる。

 オオカミのひんやりした首を抱き寄せ、毛並みに顔をうずめる。


 背後に、ぬるい水がかかった。

 ハチドリが、耳を貫く高い音で危険を告げている。


 ふり返ると――、

 下流から押しよせてくる、膨れ上がった河の、壁のような大波!


 河が、逆流している――!!


“お終い”へ流れゆく河がさかのぼり、生きる世界を呑みこもうとしている。


 こどもは魔女に目を戻す。

 この河の秩序。

“お終い”を下流へ、生きる世界を上流へ置き続けた、すなわち守り主。


 この家にひとりぼっち、椅子に揺られて河を眺めつづけ、自分のもとの形も名も忘れるほど、長い長い時を過ごして。


 魔女は壊れた失せものを直して、あるべき処へ還してやりながら、いつも寂しい瞳をしていた。


「ほんとは、魔女も、かえりたかった?」

 還れない彼女が、還るべき、どこかへ。


 黒い波が、小屋ごと呑みこむ高さから、頭の真上に影を落とした。


「魔女。わかった。こどもが魔女を、直してあげる」

 こどもはオオカミの鼻にキスを落とし、立ち上がった。

 ぼたぼたと顔面に落ちてくる、大粒のぬるい水。


「こどもが、新しい魔女にな――、」



「おやめ」



 耳に吹きこまれた、はっきりとした声。

 細い両腕が、しっかりとこどもを抱きしめた。





「魔女」

 自分を抱きしめる腕のぬくもりを、こどもはぺたぺたと幼い手のひらでたどって確かめる。

 

「心配をかけたね」

 魔女がかざした杖に、大波は見る間に縮こまり――、おとなしく河面に戻っていく。


 見る間に河の流れはいつもどおり穏やかに、滔々と――。



 魔女はこどものうなじのにおいを嗅ぎ、おやと声を漏らした。

「おまえ、外のにおいがするよ。森の外に出られたんだね」

「エリンがおくすりをくれた」

 こどもは涙をこらえ、早口にしゃべる。


 魔女はこどもを抱えたまま立ち上がった。

「バカな子だ。出られたのなら、還ればよかったんだよ」

「でもね。こども、外にいくと、また失くしちゃう。だからすぐ、ここにもどってきちゃうよ」

「おまえは、なにを言っている?」

「こどもは“失せもの”をみつけたよ。わからない?」

「……さぁねぇ」

 こどもは魔女の首を、彼女が抱きしめてくれたより、もっと強く抱きしめる。




 魔女はこどもの血まみれの服を脱がせ、長い爪でつまんで河の流れに放りこんだ。

 自分のクロゼットから引っぱりだしたローブを、こどもにかぶせる。

 袖もすそも引きずって、服が歩いているようだ。


 魔女が余分な布を、ハサミで断ち切ってくれる。

 こどもは作業台の上で足を遊ばせながら、うふふと笑う。

「魔女でもわからないこと、あるんだね」

「この世は、分からない、難しいことばかりさ」


 ハサミの音が、しゃき、しゃき、心地よく耳に響く。


「そう。たとえば、おまえになんて名をつけるのがふさわしいか――。一番の難問だ」

「こどもに、なまえ!?」


 魔女は下からこどもを覗き込み、くしゃりと笑う。


「そう。おまえに名を与えていいかい。私が」


 こどもは顔を太陽の陽ざしほどに輝かせた。

 魔女はまぶしそうに眼をすがめる。


「いいよ! なら、こどもも魔女になまえをつけていい?」

「いいよ。おまえとわたしだけで呼びあう、ふたりきりの名前だ」


 魔女はハサミを置き、飛びこんできたこどものつむじに、頬をのせた。


 外の世界のにおいがする。




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最果ての魔女と失せものたち あさばみゆき @asabamiyuki0327

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