龍神様がぜんぜん尊くない問題について

千羽稲穂

龍神(六太)

「えっと……ほら、村の飢饉のために生け贄差し出すやつあるじゃないですか。神様に生け贄捧げて、村に雨を降らしてーってやつ、あれです」

 私は龍神様に頭のかんざしを揺らしながら顔を傾けた。

「雑っ!」

 龍神様は、祠から幾ばくか遠ざかって私を見下げた。

 きらびやかな着物に、お酒を飲んで酔っ払った脳内に、目の前の青年の姿に。龍神様は案外細身で、腕にうっすら鱗の影が見える。目は紫紺、生気のない肌。そして、私を見る目は、細く、体が小刻みに震えていた。

「えっと、龍神様? どうしてそう距離をとられているんですか」

 祠の扉を楯にして、そこから一歩も近づいてこない。私の想像していた龍神は一気に私の身をたいらげて、飛び去る姿だった。こんなちんちくりんな青年ではなく、もっと荘厳で、威厳があり、白くうねる体で空を駆ける。

「人間、怖い」

 対して、現実。

 なんか想像していたのと違う。

「もしかして仮の姿とかそういうやつ?」

「僕はほとんどこの姿」

「うっわぁ」

 タイプじゃない。

「生け贄の分際で、僕を下に見るのか」

「食べられる相手ほど気にするのは当たり前じゃないですか」

「確かに」

 なんで生け贄の分際の言葉を聞いてるんだ、この神様。龍神様は私やみんなが思っているよりも、意外とどうしようもないやつなのかもしれない。

「と、言うか僕は六代目の龍神で、人間との混血だし、龍の姿なんて疲れてめったにしないというか。生け贄差し出されても困る」

「そんなこと言われても私も困ります」

「人間食べられないし」

「人間食べられない神様とか全く怖くないし」

「どうしよ」

「生け贄に意見求める神様ってどこにいるんですか」

 しばし沈黙の後、龍神様が扉を開けて祠に光りが注がれる。私は久しぶりの外の空気に触れて、体に溜めてあった暗い空気が浄化される。私が根無し子だったのもあるけれど、自分の身のうちにある妬みや僻みが村のみんなに伝わってしまったからなったのだ。生け贄になる人間なんて、そんなもの。龍神に食べられないのなら、私は身を投げるしかない。

「えっと……来る?」

 龍神様がそう言い出さないと、どうしていたのやら。

 私は祠から身を乗り出す。そこは岩壁にたたずむ祠。海水が荒波たてて、岩壁に乗り出す。うなる波に自分の身を投じたらひとたまりもなかっただろう。龍神様がこなかった少女たちはみなそうしていただろうし、私は案外運がいいのかもしれない。

 重い着物をたくしあげて、龍神の手を取る。ひんやりと冷たいうろこが指先にあたった。私が触れると、びくっと龍神様の震えが伝ってきた。小刻みに震える龍神様の手に私は深くは握りかえさない。

「人間は温かくて、気持ち悪いな」

「なら、食べてください」

「食べたら腹を下しそう」

「切実な悩みなんですね」

 龍神様は私を背中に預けて、龍の鱗を波立たせた。霧が立ちこめたと思ったら、体は長く伸びて、手の爪はするどく、目は紫紺をきらびかせ、目と同じ色の鬣はうっそうと映えていた。私は龍神様の角にしっかりとつかまる。振り落とされないように。龍神様は空へと駆ける。


 それからの日々は、龍神様の傍で仕えることになった。

「龍神様、このご飯おいしいです」

「人間に言われるのは不服だな」

「というか、龍神様もご飯作るんですね」

 龍神様のつくる料理は、精進料理。質素で、なにもないのにお膳だけは、名匠が作ったのがわかるほどの素晴らしい物だった。私なんかがもったいないくらいの、普通の料理だった。

「そういえば、龍神様って名前あるんですか」

「ある」と、お膳に手をつけた。

「なんて名前ですか」

「六太」

「なんというか、普通」

「なんだと」

「龍神様って、料理も作れるし、たまに小うるさいし。

 なんというか、庶民派?」

 全く尊くない。

 私は、龍神様に近づいて、紫紺の瞳を覗き込む。ここだけは特殊。じーっと見つめると、紫紺の瞳がうるんでくる。「あの、ちょっと、近くて怖いんでやめてほしいんですが」

 龍神様がそう言うと、私はこつんっと額にでこぴんして、離れた。龍神様の焦った顔つき、龍神様の不服そうな顔、ころころと変わる青年の顔つきに人間と変わらない何かを感じる。同列にいる気がするのが笑えて仕方なかった。ふふ、と声に出して笑うと、龍神様の「ご飯中に行儀悪いぞ」と注意が飛んできた。


 龍神様はたまにどこを見ているか分からないときがある。「おい、そっちじゃない、こっちにある」

 と、私に向けて話しているのに、部屋の片隅に置いている、よく分からない男の像に対して言っているときがある。

「龍神様、誰に話しかけているんですか」

「きみに」

「私はいつから像に変わったんですか」

「今から」

 あまりに、そういうことが多いので本当は私の顔すら見えていないんじゃないかと言うほどだ。

「人間の目と一緒にしないでくれ。龍の瞳というものは、尊いものなんだから」

 龍神様がそういうなら、と気にせずにいたけれど、たびたび像になってしまうのはたまらない。龍神様の部屋にあった眼鏡というものを見つけ、龍神様が眠っている時にかけてあげた。目が覚めた龍神様はこの世が一変したとでもいうような驚いた顔を見せた。

「眼鏡眼鏡」と私が指し示すと「人間の目と一緒にするな」とはじいた。

「でも、眼鏡で見えたってことは人間と同じなんじゃ……」

「そう、かもしれない……」

 聞き分け良すぎて、ふっと私は再び笑ってしまう。

「でも、そうか、きみの顔ってそんな顔してるんだ」

「はい、驚きましたか」

「少しだけ」

 それから龍神様は、少しだけのあいだ眼鏡をして私と話すようになった。


 こんな日々もあってか、私は龍神様のもとに居座り続けた。龍神様のご飯はいつもおいしい。

「雑だ」龍神様が私のことを見てげんなりする。心なしか紫紺の瞳もくもっていて。

「そうですか」

 お膳にあった龍神様のごはんはいつもどおり普通なのに、とても豪勢だ。

「きみはなにかと雑だ」

「またおこごとですね」

「掃除は隅までやらないし、プレゼントはいつも適当にくれるし、なにより僕のところに居座り続けるし」

「仕えてるんです」

「神様にごはん作らせているのは、おかしい気がする」

「私が作った料理よりも龍神様の料理の方がおいしいから仕方ないじゃないですか」

「それもそうか」と龍神様は納得した。

 私が作った料理はどれも黒ずんでいたり、砂糖が多すぎて甘すぎたり、塩が多すぎて辛すぎたりした。自分でも言うがおいしくない。鼻を高くして言える。私がつくるよりも龍神様のご飯がおいしいのだから、一生龍神様が作ったのを食べていくつもりだ。

「て、そういうことでもあるけれど、そうじゃなくて」

 龍神様が、言いにくそうにもごもごと口を動かした。

「きみはいつ出てくんだ。

 僕は龍神の血縁であるけれど、ほとんど人間だ。人間嫌いだけど」

「人間嫌いなのに、人間の血が多分に含まれていらっしゃるのは知っています」と私が言うと龍神様は顔をむっとさせた。

「お金の工面はしてやれるし、僕のようなやつに仕えるのもおかしい。きみなら雑だけど、他でもやっていけるだろう。出て行ってもいいんだよ」

「雑だけどって余計ですよ。それに、龍神様に寄生する、おっと、仕えるのはとても楽で私としてはこのままでいいですし」

「すんごい露骨な言い間違いだな」

「それに、今日も龍神様は私の分の料理をお作りになっています」

 人間が嫌いで、自身の血も嫌いであるはずなのに、それでも私のために何かしてくれる。尊くはないし、むしろ庶民派の龍神様。名前も六太と、これまた普通だったけれど。

私は、お膳を置いて、龍神様の手を重ねた。

「冷たい手ですね」

 龍神様の手は、生き物と違っていて、温もりがない。部屋の様子は、閑散としている。部屋の奥の像は、龍神様に似ているけれど、容姿が少し違っている。きっとあれは一番目から五番目のいずれかの龍神様。どこにも龍神様はいなくて、たった一人、今は龍神様を六太がやっている。

「なんで、あのとき私を助けることにしたんですか」

「祠を掃除しに行っただけだ」

「龍神様があそこ掃除してるんですね」

 ほら、また尊くない。

 最初の頃は、人間が嫌いで龍神様は私に触れることすらためらっていた。気持ち悪いと言って震えていたはずの手は私の手をためらいなく握り返している。

 ほんとはこんな柔い青年はタイプじゃないけれど。

「なんというかそういう、ありきたりで平凡なところが良いなあって思うんです。寄生しがいがあって」

「ひどいこと言われている気がするんだが」

「私は村人からのけ者にされた生け贄ですので、性格は最悪なのは知っています」

「少しは変えてくれ」

「精進しますが、難しいです。こんな性格なんで、普通に憧れがあるんです。龍神様は全く尊くないけれど、私はそこが好きですよ」

 ごつん、と龍神様の額に私の額を当てる。冷気が私の額とぶつかって、鱗のつやめきが額につきたてる。すべすべで心地良い龍神様の温度が私を包み込む。

「ねぇ、六太さん。お千代を傍にいさせてください」

 龍神様は私の瞳を覗き込む。きらきらした、光る紫紺は宝石のようで。温度がないのに、美しかった。庶民ぽくて、なんにも神様っぽくないけれど、私にとっては尊いもののひとつなのだ。

「お千代がそういうなら」

 やった、と私は微笑んだ。

「寄生先ゲットです」

「でも、言葉遣いはせめてどうにかしてくれ」

 私はお小言を言う龍神様の唇に、自身の唇を重ねた。

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