6:砂嵐 2

(私は……)

 そんなことを聞かれるとは思っていなかった。

 だけど、答えは決まっている。

「私はギュンツを守りたい。でも、自分の手では守り切れないと思ったら、潔く身を引くのも必要なことです。――私は、自分が許せないんですよ」

 何か言いたげな視線を振り切るように、口早に付け足す。

 依頼を下りると言い出したアイラに対し、ギュンツは依頼料を上げてもいいと提案してきた。あの護衛団長の馬鹿にした笑いを思い出せば、ギュンツがアイラを見た目で決めつけず、頼ってくれたことが胸にしみる。

 だからこそそれに応えたかった。なのに。

 熱砂病は死ぬこともある危険な病気だ。知っていながら忠告しなかったのは、ワルダートに指摘されてみれば、仕事の価値を揺るがす怠慢に思えた。

「そんなに思いつめないで。ギュンツ君が助かったのは、君の処置が正しかったからでもあるでしょう?」

 ハジャルはあえて明るく言う。ひきかえ、ありがとうございます、とつぶやいた声は、あまりにも暗く聞こえたのだろうか。

「僕の言葉じゃ元気を出せない?」

 ハジャルが長身をかがめてのぞき込んできたので、アイラは慌ててしまった。

「そうですね――じゃなくて!」

 うっかり滑った口をとっさに手でふさぐ。

 何が「そうですね」だ。さすがに失礼だろう。

 ハジャルは少し驚いてはいたが、気分を悪くしたようではなかった。それに励まされるように、言葉を取りつくろう。

「その、嬉しい気持ちはあるんです。そりゃあ厳しい言葉より、優しい言葉のが聞きたいですよ、落ち込んでるときは特に……」

 肩に垂らしたおさげを引っ張るのは、気分が沈んだときの癖だ。日焼けした黒髪に絡んだ砂を、ついでに振り落とす。

「だからハジャルさんがそう言ってくれるのはありがたいことだし、たとえ本心じゃなくっても……あっ、違うんです!」

 取りつくろうはずがまたも口を滑らせ、アイラは頭を抱えた。

 マルジャーンに言われたことがある。嘘をつけないのはアイラの美点にして、どうしようもない欠点だと。呆れて笑うマルジャーンの顔を走馬灯のように頭にグルグルさせながら、アイラはどう謝ったものかと小声でうなった。

「いいや、君の言う通りかも」

 アイラの奇行をよそに、ハジャルは驚きから立ち直っていた。小さな目を光らせて、横を行く行列に微笑みかける。商家の召使いの一人が、通りかかったハジャルを見て嬉しそうに会釈するのに応えたものらしい。

「確かに本心よりも『どうしたら相手を納得させられるか』でしゃべっているところはあるよ。本当に言いたいことなんて半分も言わない方が、上手く行くことは多いからね」

 そっと口に指を当てたハジャルを意外に思って、アイラは目をぱちくりさせた。

 この旅のために雇われたのだろうラクダ使いたちの中にも、ハジャルに愛想よく笑いかける者がちらほら見られる。短いつき合いでそれだけ好かれるのは、素朴な人柄のたまものだと思っていたのだが。

 本当に素朴なだけでは、副隊商長など務まるはずがない、か。

「数年前にワルダートと組んでからは特にそうだ。ワルダートがああだから、せめて僕は柔らかくいようと思ってね。もうずっとそうしてきたんだけど……君には、本気の言葉じゃなくちゃ伝わらないみたい」

 いたずらっぽく微笑みかけられて、アイラは今までとは別の意味で恥じ入った。大人の方便を理解しない、面倒くさい子供だと思われたかもしれない。

 しかしハジャルの表情を見るに、アイラを馬鹿にするつもりはなさそうだ。それよりも、続く言葉にアイラは慌てることになった。

「自信を失っている若者を励ますくらい、わけないと思ったのになあ。ギュンツ君になんて言い訳しよう」

「え、ギュンツの差し金だったんですか?」

 怪訝な顔で眉を寄せるアイラに、ハジャルは「とんでもない!」と手を振った。

「僕の方から協力を申し出たんだよ。追いかけ回して焦らせても、お互い冷静になれないよって」

 そういえば、護衛団と話しに行こうとラクダに飛び乗ったアイラを、ギュンツは追いかけようとしていた。そのときギュンツを止めるハジャルの声が聞こえたような。あれはギュンツを止めたのではなく、アイラの説得を申し出ていたのか。

 なぜわざわざ、といぶかしげなアイラに、ハジャルは明るく笑って見せた。

「何、ただのおせっかいだよ。君はまだ、ギュンツ君との旅を続けるべきだと思ったものだから。それは君自身のためにもね」

「私のため?」

「アイラさんは、自分が未熟だと思って悩んでいるんでしょう? だったらここで退くべきじゃない。この旅で、君は何かをつかめるんじゃないかと思うから」

 そんな、予言者のようなことを言われても。

「ギュンツ君もまた、君と旅することで得るものがあるだろう。だって君たちはまるで正反対なんだもの。一緒にいることで、お互いにとっていいことになる、そう思ったんだよ」

 結局、よく分からない話だ。

 ギュンツの考えは読めないことも多いが、アイラに対して求めるものが成長のきっかけなんかじゃないとは知っている。護衛と案内のために金を払って、そんな曖昧なものをつかまされたんじゃたまらないだろう。

 だいたい何かを得られるとして、その前に死んだら意味がないじゃないか。アイラは砂漠に慣れすぎていて、慣れていない人にとって何が危険か分からない。それが問題なのに、はぐらかされた気分だった。

「ギュンツ君を守り切れないって心配してるんだろうけどね、その点は大丈夫だよ。君は彼を死なせない」

「どうして?」

「そこは結局、君が若いってことかな。僕の方が長く生きてるし、多くの人を見ている。だから分かる。そう、つまりは直感さ」

 長い話の結論がそれでは拍子抜けする。

 憮然として口を結んだアイラに、ハジャルがクスクスと肩を揺らした。

「おや、説得力がないって顔だね。君に言われて本心で話してみせたって言うのに、酷いなあ」

 頼んだわけではない。

「なんにせよ、今言ったことは僕の本音だからね。温和な副隊商長の本音なんて、めったに聞けない希少品だ。一考の価値はあるんじゃないかい?」

「……そうかも、しれませんね」

 でもおかげで、肩の力が抜けたかもしれない。考えすぎて砂が詰まったようになっていた頭から、少し砂が落ちた気分だった。アイラもつられて口元を緩めた。

「それにどうせ、次の町までは彼を手伝うんでしょう? だったらアイラさん、お仕事だよ」

 ハジャルの節くれだった指が、すっ、と伸びて地平線を指す。アイラはそちらへ顔を向け、息をのんだ。

 晴れ渡った青空を、土色の渦が塗りつぶそうとしていた。風に巻き上げられた大量の砂が、巨大な壁となってこちらへ向かっているのだ。

「砂嵐だ!」

 砂漠では見慣れた光景だが、セレナから来たギュンツにはどうだろう。アイラはとっさに、隊商の人群れの向こうに依頼人の姿を探した。

「ギュンツ君ならワルダート班にいる。隊の真ん中だ、行っておやり」

 アイラをうながしながら、ハジャルは白い眉を少しひそめた。

「そういえばハジャルさんって……」

「うん。隊の最後尾の班長なんだけどね、今から行って間に合うかなあ」

 平時ならともかく、砂嵐に呑まれているのに班長不在ではさすがにまずい。砂嵐の迫る速さを見るに、一帯が覆われるまであと数分。アイラはズームルッドの背をポンと叩いた。

「それなら私のラクダに乗って下さい。隊の真ん中までなら走れば間に合いますし」

「おや、ありがとう。それじゃあお言葉に甘えて」

 駆けて行く後ろ姿を見送りつつ、アイラも急いだ。ハジャルには間に合うと言い切ったが、実際は、のんびりしてはいられない。

 人の足は砂に沈みやすく、走りづらい。もたついている間に、風のうなりが耳に届き始めた。細かな砂塵が一足先に上空を覆い、砂原の色が暗くくすんでいく。足元の砂粒が嵐の余波で膝まで舞い上がるのを、さらに蹴散らして進む。

「ギュンツ!」

 ようやく班に辿り着いたときには、土色の壁は砂の粒子を数えられるほど近づいていた。中で渦巻く風の勢いに押され、ふくらみながら進むさまは、まるで巨人の肺だけが実体化したようだ。

 それを指差して騒ぐ数人の向こうに、ラクダの上からのんきに見物するギュンツがいた。

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