6:砂嵐 1

 周りが信じてくれないなら、自分で自分を信じるしかない。

 でもそれが過信だったときには、どうすればいいのだろうか。

「おいアイラ。不機嫌を直す方法を教えろ」

 険しい声がかかったのは、ラクダのズームルッドに荷物を積んでいるときだった。アイラは手を止めずに声の主に答えた。

「別に、虫の居所が悪いわけじゃないよ、ギュンツ」

「じゃあなんで突然やめるなんて言い出すんだよ!」

 怒鳴り声が薄明の砂漠に響いた。出発に向けて天幕をたたむ隊商の人々が、嫌そうにこちらを見る。

 アイラはおさげに指を絡めて、百回は繰り返した言葉をもう一度告げた。

「困らせようと思ってるわけじゃない。旅に支障がないように次の町でちゃんと、別の案内人を紹介するから。それでいいでしょ」

 ギュンツが大きく顔を歪めた。

「いいワケあるかってんだよ。分っかんねえな、何怒ってんだ?」

「何も。君は悪くない。悪いのは私だから気にしないで」

「せめて顔見て話せよ。ラクダと話してんのか、てめえ」

「ワルダートさん! 出発はいつですか?」

 強引に話を断ち切って、ちょうど通りかかった隊商長にアイラは大きく手を振った。

「そろそろよ、もうじき日の出だから。全員そろい次第出発ね」

 ぎくり、とワルダートが肩を震わせたのは気のせいだろうか。

 声も固くて不自然だ。アイラは首をかしげた。

「私の顔に何かついてますか?」

「いいえ、そうじゃないけどね……」

「なんだか恋人の別れ話みたいだねーって、今、ワルダートと話してたんだ」

「こ……!?」

 水色のターバンを揺らして顔をのぞかせたハジャルの言葉に、思わず手綱を取り落とす。裏返ったアイラの声に、またも何人かが遠目ににらんできた。

「こここ恋人って、何を言ってるんですか!」

「なるほど、オレを捨てるとは酷い女だと思ったが、さては他に依頼人が……」

「いないよ! なんでちょっとそれっぽくしてんのさ!」

 隣から聞こえた悪ノリに振り返ったアイラは、すぐに慌てて目をそらした。じっとこちらを見ていたらしい、薄青の目と視線がかち合ったからだ。それだけならいいのだが、目が笑ってない。

(顔を向けさせるための罠か……!)

 顔をそらしたアイラの耳に、ち、と軽い舌打ちが届いた。

「ワルダートさん! お世話になりっぱなしじゃ悪いので、せめて護衛の手伝いをしたいのですが!」

「それなら護衛団長に聞いてちょうだい。先駆け班の先頭にいるわ」

「わかりました!」

「おい待てよ」

 ワルダートが抱えた荷物で指した方角を確かめ、アイラはラクダに飛び乗った。その背にギュンツが怒った声を投げたが、ハジャルに止められてか追ってはこない。アイラは心の中でハジャルに礼を言い、ズームルッドを走らせた。


          ***


「手伝いだと? 子供がいても邪魔なだけだ」

 駆けつけたアイラの申し出に、護衛団長は眉をひそめた。

 先駆け班は本隊の少し先を進み、危険がないかを見極めるのが仕事だ。そろいの団服を着た五人は、すでにラクダに乗っている。その中でいちばん大柄な団長は、仔猫でも追い払うように面倒くさそうに手を振った。

「仕事を邪魔されては不愉快だ。さあ、帰った帰った」

「邪魔をするつもりはありません。ワルダートさんの許可も取っています」

 アイラは負けじと団長の前にズームルッドを回りこませた。

 見た目は子供でも、アイラは〈砂漠の戦士団〉にいた頃、いくつもの盗賊団を壊滅させている。お荷物扱いは心外だ。

 しかしそれを話しても、護衛団長は鼻で笑った。

「さてね、それが本当だとして、一人でやったんじゃないならお嬢さんの手柄にはなるまいよ。守られながら戦うのと自力で戦うのとは違うんだ」

「自力で戦えます! 少なくとも――」

 アイラは団長のかかげる槍に目をやった。

「少なくとも私は、あなたよりは強いですよ」

 護衛団長が、いぶかしげに目元をゆがめた。

 出まかせでもなければハッタリでもない。団長も他の団員たちも、ワシの紋章をまとった見てくれこそ立派だが、動きに無駄が多すぎる。強さというのが相手の命を奪う能力をいうなら、この場では間違いなくアイラがいちばん強い。しかし、

「……くはっ」

 しばらくの沈黙の末、護衛団長の喉から飛び出したのは軽い嘲笑だった。

「は、は、は! おれより強いって? 口でなら何とでも言えるわな。子供の冗談に構うほど、暇じゃないんだ、こっちは」

「冗談なんかじゃ——」

「そういう趣向のごっこ遊びか? またにしな、お嬢ちゃん。休憩時間にならつき合ってやれるよ」

 クスクスと他の護衛たちからも笑いが上がった。アイラがムキになるほどに、毒の息のような嘲笑が周りを取り囲む。

 知らず拳を握りこむアイラの脳裏に、記憶の中の声がささやいた。


『相手をぶん殴って黙らせたらな場所にいるから、どちらが強いか、いつまで経っても、誰にも分かりゃしないんだ』


 以前そう言い放ったギュンツは、アイラが彼らを殴り飛ばさないのを見たら、呆れてため息をつくだろうか。

 しかしこの人は護衛団長だ。殴り倒したりしたら護衛が機能しなくなる。ワルダートに礼どころか、迷惑をかけることになる。拳を固く握りながらも、アイラは動けずにいた。

「ハジャル副隊商長、そちらのお客さんを連れて帰ってもらえませんか。仕事の邪魔になるんでね」

 語尾を強めた声に視線を辿ると、水色のターバンがたたずんでいる。ハジャルは申し訳なさそうに微笑んだ。

「アイラさん、戻ろう」

 アイラは唇を噛んだまま、拳をほどくしかなかった。


          ***


「君が子供だからというだけが理由じゃないよ」

 ラクダを下りてとぼとぼ歩くアイラに、ハジャルがそっと声をかけた。

 東の地平線を離れた太陽が、夜の名残を幻のように消し去る。それを合図に進み始めた本隊は、まるで一時間前からそうしていたかのように足並みをそろえていた。

 リズミカルな足音とラクダの足の鈴の音が、砂交じりの空気を絶えず揺さぶる。荷物を満載したラクダが連なる合間にラクダ使いや商家の召使いがはさまり、帯のような行列の左右ではラクダに乗った護衛が槍先を陽光にきらめかせる。

「見ての通り、人が多いでしょう。うちは十分な人数を雇っているから、手伝ってもらうことってあまりないんだ。それだけのことだから気にしないでね」

 微笑むハジャルに、アイラは弱々しくうなずいた。

 弱々しくもなる。ハジャルの言葉が優しさだとは分かるが、隊商の護衛なら〈戦士団〉にいた頃経験があるのだ。全方位警戒しなければならない砂漠の旅では、護衛は多いほどいい。

 それを知っているから申し出たのに。

 そんなアイラを見て、ハジャルは心配そうに首をかしげた。

「アイラさん。ワルダートに言われたこと、まだ気にしてる?」

「そりゃ、まあ……」

 自覚が足りない、と叱られた言葉を思い出して、一層顔をうつむける。ハジャルは困ったように頬を掻いた。

「ワルダートは少し、言い方がきついところがあるんだ。アルラムル家の当主として、いつも気を張っているものだから」

 アイラは申し訳なさに身をすくめた。さっきからずっと気遣われている。

「アルラムルといえば、大商家ですよね。確か、マラク市街を代表する商人だと」

「よく知ってるね」

 話題を無理やり変えたことに気づいてか気づかずか、ハジャルはうなずいた。ターバンからこぼれる白髪が動作に揺れた。

「そう、ファルナでも屈指の大商家だよ。だけどお金と人が集まる場所には、大きな責任も生まれるものだ。ワルダートの取引先の中には、首飾りに真珠が一個足りないと言って商家を取りつぶした短気者もいてね……おっと」

 うっかり悪口をこぼした自分の口に、おどけた仕草で人差し指を当てる。

 それだけの有力者を相手に回して、家族や召使いを守って行かなければならない。ワルダートの凛とした雰囲気は、薄氷の上に立っている自覚のたまものなのだろうか。

「僕は家の格から言っても小物だし、当主を引退した気軽な身だからね。彼女が背負っているものを想像すると身震いするよ。自分にも他人にも厳しいのだって、仕方のないことなんだと思う……」

 ハジャルはそこで、少し言葉を切った。

「だけど君が意見を聞くべきは、ワルダートだけじゃないでしょう?」

 しわの刻まれた顔が優しく微笑む。

「これまで君に守られてきた、他でもないギュンツくんが、今後も君を頼りにしてるって言ってるんだ。彼の意見は無意味かい?」

 すぐには言い返せず、アイラは口を結んだ。

 確かに、ギュンツはアイラを引き止めようとしている。でもそれは。

「……ギュンツは砂漠旅の大変さを知らないから、そんなことを言うんですよ」

「一度倒れたことを、考えに入れないとは思えないけど。全部ひっくるめての判断じゃないかなあ。それにもう一人、意見を聞くべき人がいるよね」

「ハジャルさんですか?」

「おや、僕を数に入れてくれるとは嬉しいね。でも、そうじゃなくってさ……」

 続く言葉に、アイラは目を瞬いた。

「君自身だよ。君は、本当はどうしたいの?」

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