第2話 クールな美人が酔ってる
机に用意されているジョッキが増えているのと同時に李衣菜の目も眠そうに細くなっていた。酔ったらテンションが上がって眠くなるタイプなのだろうか。
「秋原さん」
「んぅ、西澤君」
「……めちゃくちゃ酔ってるじゃないですか」
俺が席に座ると途端に李衣菜が机に突っ伏した。
「飲み過ぎた……」
「でしょうね。料理は食べたんですか?酒だけ飲むと酔いが回るのが早いってよく言いますけど」
「………食べてない、なんか食べたいわ」
李衣菜は「ぐわんぐわんする」だの「おなかすいた」だの思考が良く回っていないようで、少し憔悴した様子で文句を言っている。
店員さんを呼んで、つまみや野菜炒めなど手軽に食べられそうなものを適当に頼む。少し多めに頼み過ぎてしまったのは、俺自身もあまり食事をとっていなかったので知らず知らずのうちに空腹感を感じていたからだろう。
「んで、なんでそんな頼んだんですか。っていうか一気に飲み過ぎですよ」
「いや、君が帰ってくる前に頼んで飲まなくちゃと思ったのよ……」
本当になんでそんなをするのか分からない。酔っている人の対応はただでさえ面倒くさいのに、彼女みたいに接しているだけで俺が敵を作らなくてはならないような人だと余計に気を遣う羽目になる。そもそも李衣菜は普段酒を飲ませてもらっていないのだという。歯止めが利かなくなるのであればもっと強く制止しておけばよかったのかもしれない。
「私もう飲めない………」
「はいはい、残り飲めばいいんですね」
「……ごめん」
申し訳なさそうな
手渡されたジョッキを煽り、ビールを流し込む。空腹の腹にはすんなりと収まった。俺自身も酒に強いほうではないので、あまり無理はしたくないところだ。
「お待たせしました。春キャベツの野菜炒めです」
「ありがとうございます」
店員さんによって渡された皿を受け取り、突っ伏したままの李衣菜を避けながら机に置いた。机の端に置いてから、李衣菜の肩をゆすって体を起こさせる。
「ほら、料理届きましたよ」
「……ありがとう」
まだ少し虚ろな視線でまだ使っていない割り箸に手を伸ばした。李衣菜がさっきまで使っていた橋があったので、彼女が伸ばした手を軌道修正してそちらに向かわせる。幸いにも酔っていてもまだ素直だったようで、何も言わずに野菜炒めを食べ始めた。
「俺も食べたいんですから小皿に取り分けてください」
「………別にいいじゃないの。今どき関節キス気にするのは幼稚園生ぐらいよ」
「さすがにそこまでじゃないと思いますけどね。それにしても、もっと危機感を持ってくださいよ。もし俺が
「君ならだいじょぶだと思ってるわね」
どこをどういう根拠でそんな主張をするのだろうか。別に俺は聖人でもなければ男としての機能がないわけではない。襲われる可能性はゼロではないわけだし、本性を隠しているだけの危ない人間かもしれないのに。
どうせ今言っても聞き入れてくれないだろう。説教は後でするとして、とりあえずは自分も料理に手を付けてしまいたかった。
李衣菜が食べている皿から野菜炒めを取り分け、自分も口に運ぶ。居酒屋特有の少し濃い味の料理が今は嬉しい。そこまで得意ではないものの嫌いではないビールを流し込みながら、野菜炒めをつついた。
「君が料理を食べているのを初めて見た気がするわ」
「何言ってるんですか。人間何も食べないと死にますよ」
「それは分かってるけど、君は隙という隙を見せないじゃないの」
「好き好んで隙を見せるなんて人間はいないでしょう。俺はそれが少し過剰なだけです」
どちらかと言えば体裁は整えたいし、隙に付け込またりすることも避けたい。トラウマがあるわけでも何でもないが、将来の性格で変えようがないことだった。
「どちらかというと貴方の方が隙を見せることがなかったですよね?」
「それはそうね。少しでも隙を見せるとそこから脅されたりするからだわ。まあ、純粋にかっこ悪い姿を人に見せたくないという理由もあるわよ」
「……まあ、今隙だらけですけどね」
だらしなく投げ出された素足、楽しそうに緩んだ表情、暑さゆえか少し胸元が明けられた服に、飲酒や高揚感で紅潮している頬。誰がどう見ても隙だらけだ。
なんとなく居た堪れなくなって、視線を逸らす意味もかねて周りを見渡す。いつの間にか残っている人も少なくなっていた。うちのサークルは飲み会をかなりの頻度で計画していたりするので、決まりや進行が緩い。集金は後で行われるが他のことに関しては自由度があり、帰宅するタイミングは各々の都合によりけりだった。
「秋原さんはいつ帰るんですか」
「何、早く帰ってほしいの?」
こちらを試すような視線を向けてくる。別に彼女のことが嫌いなわけではないし、話していて楽しくないわけではないので早く帰ってほしいとは思っていなかった。
「そういうわけじゃないですけど。この時間まで一人で大丈夫かと心配になっただけですよ。秋原さんは容姿が整ってるんですから襲われますよ」
「送り狼?」
何とも癪な言葉をチョイスしてくるものだ。もう少し他人に対する遠慮もしくはオブラートはないのだろうか。
「送ってほしいんだったら送ります」
「……君だったらいいのよ。送り狼をしても」
「下手すると本気にされるからやめてください」
誰彼構わず誘惑するようなことをされたらそれこそサークル内の全員が骨抜きになる。そういう選択の余地を残されてしまうと男子は惹かれてしまうのを止められないのだから。
もう少し自分の行動による影響を顧みてもいいのではないかと思う。彼女は俺に向けられる男子の視線が突き刺すようなものになったことに気が付いていない。
「あの、西澤」
声を掛けられて顔を上げると、そこには李衣菜の女子の友人がいた。そのわざとらしく申し訳なさそうな、そしてその裏には他人の恋愛沙汰を見て楽しむ表情がある。嫌な予感がして思わず顔が引きつった。
「私たちちょっと二次会あるから李衣菜のこと頼んでもいい?」
「無理」
俺が即答するとその友人は意外そうに目を見開いた。李衣菜をあてがえば男全員が喜ぶと考えているのだったら間違いだ。
「李衣菜に迫られて悪い気はしないでしょ?」
「彼女に迫れれてどうのこうのではなく周りの視線が痛い」
「何よ日和っちゃって」
別にもともと彼女の気を引きたいという目的がないのだから日和るという単語は違うだろう。俺としては平和に過ごしたいだけだし、この飲み会に参加したのだって気まぐれだ。
「……とりあえず引き取ってください」
「いや、君が請け負ってくれる前提で二次会の予約しちゃったのよね」
「だったら秋原さんも連れてってもらって」
「人数が」
頭を抱えたくなってくる。幸せそうな顔で寝息を立て始めた李衣菜に責めの視線を向けるも、もちろん反応があるわけがなかった。思わず溜息をついた。
「………ほかに頼れる友人は」
「みんな二次会来るのよね」
その友人は「ってことでよろしく」と言って消えて行ってしまった。友人を得体のしれない男子のもとに置いていくのは友人としていかがなものだろうか。俺の抵抗虚しく、店から女子がぞろぞろと出て行く。その流れを見て返ろうと決意した人も多かったらしく、店の中から一気に人がいなくなった。
確かに一つの店で時間を潰し続けるのも面白くないだろうし、もう少し長いこと飲み会を続けるのであれば二次会三次会と場所を移すのが定石だろう。それでも取り残される側としては文句を言いたい気分だった。
時計を確認すると、ラストオーダーの時間が迫っている。料理はあらかた俺が食べ終えてしまったが、彼女の皿にはまだ残っていた。酒も飲み切っているわけではなく、机は少し散らかっている。
李衣菜の肩をゆする。
「友人に置いてかれてますけど。どうするんですか」
「……んぁ」
だめだ、まともな返事が返ってこない。ゆすり続けると目は少し開いて売るものの、瞼の隙間から除く瞳にはまだ酒気と眠気が見える。そんな問答をしているうちに店からは俺たち以外の人が居なくなってしまった。
店員さんがこちらを伺うように見ていたので、とりあえず李衣菜の身体を支えながら店を出た。料金の支払いはサークルの運営の方で済ませてあるので、俺たちは後で集金に応じればいい。
店から出てすぐのベンチに彼女を下ろした。
「秋原さん。家帰ってください」
「……あれ、ここどこ?」
「店から出てすぐのところです」
「……西澤君ありがと」
まだ彼女の気の抜けた状況は終わるわけがなく、ほわほわとした空気のままベンチに深く腰掛けている。なんで俺がこんな介抱みたいなことをしなくてはならないのか。
「で、秋原さんは家帰れるんですか」
「無理……」
「できればこんなことしたくなかったんですけど、家まで送りますよ」
李衣菜のことを家まで送ったとなればそれだけで騒ぎになるだろうし、人には見られていないだろうが、念のために危ないことは避けたかった。
と、思っての言葉だったのだが、どうやら李衣菜には不服だったようだ。頬を膨らませて不器用に『不機嫌です』アピールをしながら「……いやだ、帰りたくない」
と文句を漏らした。
「何言ってるんですか」
「……私は西澤君の家に行くのよ」
「は?」
「……元からそういう予定だったの」
困惑したままの俺の裾を両手で手繰り寄せ、消して話さないという意思を明示しながら李衣菜は再び眠りに落ちた。
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