掌編小説・『尊い』

夢美瑠瑠

掌編小説・『尊い』



 私は経済学者で、樽木・尊(たるき・たける)という名である。経済に精通しているのはもちろんだが、文学にも興味があり、つねづね経済と文学の融合、学際的な統合研究というのは可能か模索してきた。

 経済とは経世済民と書いた四字熟語の略称で、元来は世の中を治めて民を助ける、そういう意味なのである。しかるに今の世の中は経済が中心的な役割を演じている資本主義社会であるのに、こういう本来的な概念が十分に本領を発揮する、そういう経済のシステムであるかというと、むしろ逆になっている。

 民は大企業に収奪されて、富とか金銭というものが弱い者いじめの道具に堕しているのではないか?私にはそう思えるのだ。

 で、私は新しい経済のシステムというのを考案することにしたのだ。

 私の名前に「尊い」と読める漢字が二つも使われていて、ことあるごとに私は「尊さ」という形容詞の意味やあるいは経済学的な「尊さ」の値打ち、尺度、そういうものを知らず知らず考えていたのだ。マルクスでもケインズでも結局は「尊い」ものの値打ちを基礎において、社会を考えて、あるいは労働に「尊さ」を見たり、金本位制や信用貨幣、そうしたものなら貨幣そのもの、あるいは国家の信用…つまり貴重で尊いものが経済理論の根幹になっているのではないか?私は人文科学の恣意性の見本のような発想に取りつかれていったのだ。

 文学的な感受性と経済学の専門性を兼ね備えている私はいつか自分の名前から発展したそういう発想や理屈に基づいて、本当にみんなを幸せにする経済理論、経済システムについて、四六時中熟考するようになっていった。

 「尊さ」、「尊い」ものとはつまりどういうもので、どういう指標で測りうるか?

かなり具体的にそういうことを考えて、いずれは「『尊さ』」の経済学」そういう新書にでもまとめるつもりだった。

 日本の経世済民にまでつながらなくても、それで本が売れて我が家の経済に資するようになればいいなあ、最初はそれくらいの軽い気持ちで論文形式に稿を起こしていったのだが、そのうちに文学者気質の私は執筆にのめりこんでいった。「経済」と「樽木尊」という名前をいつも並べていた私の脳内には想像以上に無意識的にリンクしたたくさんのアイデアが蓄えられていたらしい。 

 で、どんどん想を練りつつ論文を書き進めていくと、豈はからんや、それはだいたいがマルクス主義の流派に近い考え方の私にふさわしい、左翼的な急進的な内容になっていくのだ。

 すべての人の「尊」厳、ディグニティを保証するのが経済的安定。それゆえに金銭と競争というものは相容れない。金銭と尊さは対極にある…「尊」大な金持ちを守る金銭ほどの最悪のは発明品はない…世界の「尊」敬を勝ちうるには経済第一主義は邪魔者…まあそうした文学的な言葉遊びも交えつつ、私の「『尊さ』の経済学」は完成、脱稿、出版の運びとなった。で、昔売れた「清貧の思想」のごとくに貧乏称揚に近い内容であるのに、すさまじいベストセラーになって、印税ががっぽり転がり込んだ。

 経済中心、カネカネカネの世の中には皆内心うんざりしていて、それでこういう本が時々売れるのだろう。

 なんだか後ろめたくなった私はペンネームを「景気足る足る」というアナグラムにして、少しでも景気をよくする知恵をいろいろ考えて新しく本を書こうかと思っている。

 まあこの本のほうがずっと「尊い」動機と内容の本になることは想像に難くないところだ…


<了>

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