8話―歓迎―
ビスティア。人口は四〇~五〇人程度。狼月族が暮らす村。
五〇〇年前、レインが穏健派に属する種族たちと会合した場所でもある。
寝ぐせなのか巻き毛、どちらか分からない荒れた髪を掻きながら、咲間は最大限の欠伸をする。
上体を伸ばすと、関節の至る所から甲高い音が鳴る。
昨日だけの疲労なら、睡眠を取れば多少回復する。
しかし前を堂々と歩くユアが、咲間の回復を今朝から大幅に削った。
木漏れ日が若干少ない時間帯。
無理やりユアは、固いベッドで寝ている咲間を叩き起こす。
眠たげな目を擦って、身支度を終えてから小屋を出た。
目指す場所は、狼月族が暮らす村"ビスティア"。小屋からは、結構離れている。
時間は、掛かるだろう。
クーシェル森の正確な広さは不明。ビスティアへの凡その時間を算出することもできない。
徒歩で順調に進めば、夕方に着けるとユアは言う。
順調に進むことが条件。下手すれば、夜に着くほどの距離。
時間効率が悪いとユアは考えたのか。
子供を背中でおんぶするような姿勢になる。
"私が担げば数時間で着けます"と言って、背中を両手で叩く。
勿論、拒否する姿勢を咲間は見せた。
嫌な予感がユアからただ漏れだった。
"絶対に乗らん! "と心に誓う。
しかし結局、ユアの根気に負けて背中に乗った。
案の定、大樹から生えた枝を活用しながら高速移動するユア。
ジェットコースターに乗っているような喚きを繰り広げる咲間。
変な構図が生まれてから何時間経っただろうか。
ユアは、地面に降りて周囲を確認。この位置からなら、歩いて数分で着くらしい。
そして、現在に至る。
淡い木漏れ日が指した森林内を歩きながら、ユアに問う。
「そういえば、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう? 」
ユアは咲間に一瞥せず、周囲に目を配る。
前日、下層に住むキメラが現れた。警戒するのも無理はない。
むしろ、前を向いた状態で聞いてほしい。
「ユアが面白いと感じるときって、どんな場面? 」
ユアには、様々な疑問がある。
思い浮かぶ疑問の中から、抜粋して選んだものが今回の質問。
「言葉を濁さなくて大丈夫です。気になりますよね、この顔」
人の性質に踏み込む言葉は、時に人の心を傷つける刃と化す。
傷付けない言葉を吐き出したつもり。しかしユアには、全てお見通しだったようだ。
「いや、気に障ったんなら謝るよ。ごめん」
「別に構いません。何も気にしてませんから」
言葉が途切れる。
静寂に包まれた咲間たちの間で、鳥の囀りや草木の騒めきが響く。
心地よい風とは言い難い。
若干陰湿な風。梅雨の時期に吹く風のように感じた。
乾いた唇に陰湿な風が撫でる。舌なめずりして、唇に潤いを与える。
「空っぽなのです」
咲間は、喉に出かけた言葉を奥底に引っ込める。
「他の人が感じるであろう場面で、何一つ心に感情が灯らない。楽しいとか面白いとか何一つ……」
「だから感情が顔に出ない? 」
「はい。しかし例外があります」
「例外? 」
「突然小さな焔が灯ったように、ボッと感情が灯る瞬間があるのです。だから嬉しいとか悲しいという感情は分かります」
ユアは、首を斜め後ろへ向けて答える。
「ご主人様にも見せているはずです。私の感情を」
ユアの感情変化は、一度だけ見たことがある。
咲間がフォルテシオンに転生した日、ユアは満面な笑顔で咲間と自己紹介を交わした。
あの笑顔は、嬉しいときに感じる表情だった。
咲間にとっては、忘れられない表情。
脳裏でユアの笑顔と"アイツ"の笑顔が同時に流れる。
「ご主人様と出会ったあの日、ご主人様の名前を聞いて心底嬉しく思いました。あぁ、やっと出会えたと思ったから」
出会えた?
言葉に引っ掛かりを感じた。
問おうとした瞬間、ユアが前を見つめる。
「着きました、ここがビスティアです」
小高い傾斜面を登って、目前の光景を見やる。
圧倒過ぎる景色だった。
一言で表すなら、カーテン。
柳のように垂れ下がる葉。太い枝が曲線を描き、地面に枝先が到達している。
不思議の国へ
カーテンは一直線に遮っていて、向こう側の色が見えない。
周囲の闇に溶け込むように、カーテンが伸びる。
どこまで続いているのだろう。
「ここから入りましょう。私に付いてきてください」
ユアは、柳の中へ潜り込む。
少し躊躇が生まれた。
草や葉に触れた瞬間の触感が苦手。入りたくない旗を上げたい気分。
しかし一人で森に残りたくもない。
咲間は意を決する。
脳内に生まれた様々な言葉を隅に追いやって、柳を掻き分けていく。
全身に虫が這うような触感に耐えながら、ユアの背中を目印にして奥へ進む。
柳から眩い光が漏れている。光が徐々に大きくなる。
触感を抜けた瞬間、目前に映る光景に目を疑った。
ロッジハウス群が並んでいた。
リゾート地に並ぶような木造住宅。三角柱の屋根には、太陽の陽が神々しく降り注ぐ。
心地よい木造の匂いが鼻穴を撫でる。
腐った木材の臭いと違って、良質な素材と思えるほどの匂い。
眠りを促進する効果が見込める香りだと感じた。
上を見上げれば、青の絨毯のような空が顔を出す。
雲が幾つも伸びて、青の絨毯に白が足される。
天気予報で、曇りと言われそうな天気。太陽が雲に隠れている。
素晴らしい景観に不釣り合いな天気。雨が降らないか心配になる。
「こちらです」
ユアが前を先導する。
肩や頭に付いた葉を払いながら、咲間はユアに付いていく。
一切の隙間なく綺麗に積まれた木材。住居の壁に錆びた様子はない。
木杢が逆に小枠な味を醸し出している。
黒茶に染まった屋根から、赤茶に混ざったレンガ造りの煙突が見えた。
薪でもくべているのか、薄黒い煙が噴き出ていた。
ロッジの傍には、小規模の家庭菜園があった。傍に置かれた籠には、多種多様な野菜や果物が詰められている。
リンゴやブドウの他にも、サツマイモやキャベツなどの野菜が見受けられた。
しかし野菜や果物を食す、住民の姿が見当たらない。
住居の扉が開いた状態で放置されている。
急いで外へ飛び去ったような開け方だった。
広場のような場所に出た。
バスケットコート一つ半ほどの広さ。四五m前後はある。
大理石で造られた噴水が広場の中心に鎮座。周囲の建造物と違って高級感が漂う。
噴水の前では、群衆が集まっている。
全員が灰色のローブを身体に纏った光景は、どこかの暗殺集団に見えた。
しかし全員の頭には、狼の耳らしき可愛いものが確認できる。
耳から毛が生え、触るだけで心が癒されるだろう。
色は人それぞれ違う。灰色、白、黒。主に単調の色が多い。
狼月族と言われているから、腰辺りの膨らみは狼の尻尾だろう。
白髭を生やした老人が前に踏み出した。
逞しく育った顔のシワは、老いを全く感じさせない。
足取りも真っ直ぐで背筋も綺麗。
老人ホームで一際元気なお爺ちゃんのような雰囲気が漂う。
老人は片膝をつけて跪き、ユアへ視線を向ける。
後ろに佇んでいた村民たちも同じように跪く。
「お待ちしておりました、ユア様、レイン様。」
頭を下げて敬意を示した。
「私たちは、レイン様、ならびにユア様に全霊を賭けて、ご協力いたします。何でも必要であれば、仰ってください」
言葉を締めた瞬間、老人の背後で跪く人たちが一斉に頭を下げる。
「この方は、ルフラ・クリスティーン・ヴァルシア。月狼族の族長です」
ユアが耳打ちで教えてくれる。
「ご主人様も簡単な自己紹介を済ませてください」
半歩後ろへ下がる。ユアの視線を後ろで感じながら、咲間は細々と自己紹介する。
「レイン・イースト・モレドと言います。こちらこそよろしくお願いします」
咲間の名前を聞いたルフラの瞳に薄い膜が覆う。
「本当に魔王様が復活されたのですね」
村民たちの方から、"謙虚なお方だ"とか"魔王様は優しい人だ"と聞こえる。
罪悪感が胸に灯る。その瞬間、耳鳴りがした。
罪悪感が宿った合図なのか。
罰するという判決を言い渡す槌の音か。
どちらにしても、ルフラや村民たちの姿を見ていると、罪悪感が募っていく。
嘘を付いていると考えるだけで、心臓が痛む。
ルフラの瞳から一筋の雫が零れ、肌を少しだけ濡らす。
目頭に溜めた涙を拭う。
「ユア様。そろそろ宜しいでしょうか?」
何が宜しいのか。
ユアは、納得したように頷く。
「ああ、派手に頼む」
ルフラに何を頼んだのか。
咲間の背筋に、嫌な風がゆったりと舐めた。
ルフラは、立ち上がって村民たちの方へ身体を向けた。
腰に手を当て、仁王たちのような姿勢を取る。
「皆の者! 今宵はレイン様の誕生を祝した祝福祭。最高のおもてなしを実現させるために、死ぬ気で務めを果たせ!」
村民たちは、ルフラの言葉を聞いた瞬間、一同に歓声を上げて各々散らばった。
昨日、ユアから祝福祭について軽く説明を受けた。
本当にあの内容が行われるなら、理性を保てるか心配。
男は平伏せ、女は快感に満ちる。想像するだけでも卑猥な光景しか浮かばない。
絵画に出てくるサバト風は止めてくれ、と考えながらため息をつく。
ルフラの元に、四人の男女が近寄ってきた。
一人は、琥珀色の瞳。シーラという名前だった気がする。
もう一人は、黒髪の少年。寝癖のように髪が乱れている。しかし髪質は、とても柔らかそうに見える。
二人の背後では、男女の大人が笑みを含む。
四人は、跪いて首を垂らす。
「ご紹介します。左から息子のデルクと妻のモニカ、孫のシーラ。孫の従者のギル。今日より私たちが御身様の生活を承ります」
四名が顔を上げて、イクスを見つめる。
ギルの視線が鋭い。顔立ちから察するに、イケメンと称されても間違いはないだろう。
耳の中間あたりに掛かる髪の長さ。
ダークブラウンの瞳と顔立ちが合わさって、暗い印象が漂う。眼が鋭い一匹狼のようなクールイケメンと呼べる外見。
顔立ちから察するに、一六歳前後のように見える。
手の甲には、小さな擦り傷。指先には、絆創膏風のテープが巻かれている。
何百回も素振りした野球選手のような手。
視線が明らかに敵意剥き出しだった。それとも他の要因があるのか……。
何はともあれ、要注意人物にギルを入れようと決めた。
「私たちクリスティーン家が手となり足として、レイン様にお仕えさせていただきます」
「何かお困りがあるならすぐに仰ってください」
デルクの印象は、逞しいの一言が似合う容姿。
一七五センチは、優に超えるほどの身長。
へアゴムで纏めた髪が後ろへ垂れる様子は、江戸に生きた侍のような雰囲気。
勇敢で頼れる親分肌と呼べる風貌だった。
モニカの印象は、癒しを与える聖母。雪肌に染まった肌色で、凹凸を削った
綺麗な曲線を帯びた目元は、守りたい欲を働かす垂れ目。
髪全体を編み込んだ栗茶色が、左肩に垂れて胸辺りまで到達するほどの長さ。
フィッシュボーンというヘアースタイルに近い。
二人から視線を外した瞬間、シーラと目が合った。
シーラは、目線を外して頭を下げる。
耳元に少しだけ朱が入る。
モニカの勘が働いたのか。
娘に対して助け船、いや、シーラの緊張をさらに加速させたかもしれない。
「シーラ、こっちに来なさい」
モニカはシーラの耳元で何か囁く。
途端にシーラの顔色が真っ赤に染まった。
口が開く閉じるを繰り返す様は、異性にバレンタインを初めて送る乙女のような面持ち。
モニカはシーラの背中を軽く押して、咲間へ近づけさせる。
「レイン様、娘が何か言いたいようなので聞いてあげてください」
シーラは、手を組んで両人差し指を回しながら、上目遣いでイクスの瞳を見つめる。
柔らかい布で他者を包み込むような純白の肌。
何色にも染まってない肌には、真珠と錯覚するほどの美しさが染み込む。
目元は、若干垂れ目に近い。相手は真っ先に、告白の瞬間を妄想するだろう。
頭に生えた灰褐色の耳が震える。顔は、真っ赤で耳に朱が差す。
視界の端では、デルク、モニカ、ルフラが恍惚とした視線を向けている。
相反するように、ギルの視線は鋭い。
「そ、その……いつでも疲れた時は、言ってください!! わ、私が身体を……使ってい、癒しますので。ど、どうか……お傍に……お、置いてくださにゅ。……お、置いてください!」
気が動転しているようだ。
言葉のリズムが可笑しく、噛みまくり。
ギルの視線がさらに鋭くなる。
"厄介事はごめんだ"と考えながら、話題を変えようとした。
「シーラ。魔王の愛人になるならば心も捧げること。後、イクス様は胸が好きらしい。しっかりと栄養は取っておくように」
「い、いやどういうこと? 」
ユアが会話を可笑しくさせる。
「いつも私の胸を見ていました。……それくらい分かります」
ユアの胸は、豊満ではない。しかし余分な脂肪が垂れていない綺麗な形の胸。
張り出した胸の影響で、姿勢に堂々とした印象を与える。
一言で表すなら、美を纏った胸。
確かに時折、目線が胸へ向いたこともある。
まさか、気付いていたとは……。
シーラは跪いて、頭を下げる。
「は、はい! 教えてくれてありがとうございます」
咲間は、膝から崩れそうな脱力感に襲われた。
勘弁してくれ、と思いながらため息をつく。
「ところでルフラ。最近起こっている森の状況について共有したい。どこか話せるところはある? 」
話題を変えて、ルフラに問う。
「ええ。もしよろしければ家内まで案内します」
「ええ、ありがとう」
「シーラ、レイン様たちを家内まで案内しなさい」
「はい。ご案内します」
シーラが先導して前を歩く。しかし歩き方が不自然。
腕と足が一緒に前へ出る姿は、小学生が初めて表彰台へ上がる光景に酷似している。
モニカとデルクは笑みを含めながら、シーラの後ろを歩く。
咲間は、最後から二番目。最後尾はユアとルフラ。
シーラの微笑ましい動きを見ていると、視界の端で誰かの視線を感知する。
木材を並べる倉庫らしき建物。整理整頓された木材が横一列に並ぶ。
建物内には、工具などが点在する。
人影は誰もいない。
全身から粘り気のある鬱陶しい汗が流れる。
ギルのような子供が行う可愛らしい睨みではなく、闇を纏った邪悪な睨み。
鬱陶しいゴミを見るような視線を、咲間は久しぶりに感じた。
小さく舌打ちする。
ここにもいる。咲間を良しとしない者が……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます