幕間1—少女の決意—


街の中で一際高い塔に君臨する鐘の音が鳴った。


耳に心地よい音。森林の風が吹き、葉を小刻みに揺らす癒しのような音が街中に響く。


今日も一日が始まる。


人々は重たい瞼を開けて、欠伸をしながら起床する。朝食を取り、家族と少しの団欒を済ませて、仕事へ向かう。


ある者は屋台で品物を準備、別の者は両替商で金銭を準備して店の鍵を開ける。


仕事を終えた者たちは、各々自由が与えられる。


ある青年は真っ直ぐ家へ帰り、両親にただいまの挨拶をする。


ある屈強な体躯をした男は、仲間たちと酒場へ向かい酔いに身を投げる。


自由を満喫した者たちは、一日の終わりを告げるように夢へ意識を預ける。


午前五時。鐘の音が鳴り一日が始まる。


そんな日常がアンバル帝国領、帝都アンバルの景色である。


しかし、そんな日常に似つかわしくない光景が現在起きていた。


比較的裕福な者たちが暮らす大通り。


軒並み構える建物の壁は、真っ新で清潔。凹凸も無く、煉瓦のズレが一切ない。赤茶色の煉瓦が綺麗に積まれている。


角丸長方形型の窓には、埃の一粒すら被っていない。


カーテンを閉め切っている家もあれば、隙間から通りの様子を眺めている者たちも少数居た。


隙間から除く者、全員がある建物の正面入口へ視線を向けている。


心配を抱えた瞳を向けている者、鼻で笑うような侮蔑な瞳で眺めている者。


住民全員が建物の主が出てくる時を待っている。


入口前には、麻布を被せた馬車。その後ろには、皇族専用馬車。麻布の馬車の全容は分からない。


麻布の馬車と入口の間には、兵士たちが整列して通り道を作る。


兵士の胸元には、豪華なバッジが付けてある。


深紅の炎と蒼穹の水、中央にはロベリアの花が添えられたバッジ。アンバル帝国の国章であり、帝国軍の軍旗でもある。


帝国直下の兵士たちが街に出ることはない。街の騒動や事件は、憲兵たちの仕事。


早朝の時間帯に、帝国直々の兵士たちが街に繰り出すこと自体が異常なこと。


異常なことはもう一つ。


馬車が止まっている先の建物は、皇族が暮らす邸宅。馬車に乗るなら全体を深紅に彩った皇族専用馬車に乗る。


しかし兵士たちが並ぶ先の馬車は、麻布の馬車。異常なことが起きている証拠だった。


なぜなら麻布を被せた馬車は、囚人専用の馬車なのだから。


建物の扉が開いた。


現れたのは、髭を生やした小太りの男。


髪は綺麗に整った七三分け。髪油を塗っているのか。若干髪が濡れているように見える。


目元は鋭く尖った鷹のような眼。その双眸が周囲の建物群に向けられる。


カーテンの隙間から除いていた者は、恐れるように閉めていく。


偏った食事が原因なのか。肌の凹凸が激しい。膨れ上がった豚鼻には、角栓が溜まってそうだ。


顔の雰囲気、髭の具合から見て年齢は三〇代前半。


鼻溝を起点に髭が左右に伸びており、たわしと錯覚するほどの毛量。


身長は一六五㎝程度。アンバル住民の男性平均身長、一七〇㎝より少し低い。


服装は、皇族のみが着ることを許された薄紫の軍服。胸元には豪華なバッチが幾つもぶら下がる。


小太りの男は、カーテンを閉め切った建物群を見ながら、驕ったような視線で鼻を鳴らして、前に足を進める。


男の後ろには、鎖を持った兵士が一人。鎖は相当年季が経っているようだ。


錆びついて銀の輝きが失われている。鉄特有のツヤは見る影もない。


鎖を持った兵士の後ろには、建物の主。いや、が手錠を掛けた状態で現れた。


髪の根元は暗影のように黒く染まっている。毛先へ流れると、猫の金毛と錯覚するほどの金が煌めく。


毛先へ向かうと、段階的に色が変化。寒波地帯で拝めるオーロラが髪に纏っているようだった。


細く伸びる鼻筋、丸みを帯びた輪郭、桃のような色素を帯びた唇、何色にも穢されていない丸みを帯びた目元。


全ての部位で幼さが残る顔つき。齢一五を満たしている顔ではなかった。


胸下まで伸びる髪が曲線に垂れる。


外見と相反するほどの、発育した曲線が膨れ上がる。


純白で綺麗な丈の長い服。鎖骨が見える服なのか。ブランケットのようなもので、肩を隠しているように見える。


腕を覆った袖には、子供らしいフリルが施されている。


シワやシミの汚れすらない。


しかし少女の華奢な手首には、錆びと化した汚い手錠が掛けられている。


手錠の間には鎖が掛けられており、前の兵士が少女を連行する。


少女は抵抗する素振りすら見せない。


若干俯き気味で、手首に嵌められた手錠を見つめながら、兵士の動きに合わせて前に進む。


小太りの男は麻布を覆った馬車まで近づくと、佇んでいた兵士に指で合図を送る。


合図を受け取った兵士は、麻布を若干捲る。


麻布の先は、黒く塗りつぶされた牢屋だった。牢屋内には何もない。


床は木材を嵌めこんだ簡易的なもの。乾いた血痕が所々見受けられる。


皇族を乗せる馬車に相応しくない内装である。


牢屋に入る用の階段が三段、その先には牢屋の扉が開いている。


罪人を黄泉の世界へ送る道に見えた。


牢屋に入れば、もう後戻りできない。そう暗示しているようだった。


小太りの男は、立ち止まった少女に向けて侮った視線を向けて、口元に気色悪そうな笑みを浮かべる。


「これでお前は終わりだ、マリエット」


マリエットと呼ばれた少女は、顔を上げて小太りの男を睨む。


少女の雰囲気が全く感じない目つき。帝国の頂点に君臨するような威厳に満ちた目つきを小太りな男へ向けている。


小太りな男は、何かを感じ取ったのか。舌打ちを吐く。


「その瞳で俺を見るな。汚らわしい」


「陛下の方こそ汚いですよ」


マリエットは両手を上げて、小太りな男の髪を指差す。


「髪光っていますよ? 」


突如、小太りな男はマリエットの頬を殴った。


強烈な音が街に一瞬だけ通る。


殴られたマリエットの頬は薄赤く滲み、切った唇から若干血が漏れる。


小太りな男は、マリエットの胸元を掴んで顔を寄せる。


「あまり調子に乗るなよ。お前の命は、俺が握っているんだからな」


小太りな男はマリエットの額に唾を吐く。


不潔な液体が前髪に絡まり、マリエットの髪を汚す。


マリエットは一言呟く。


「……後悔するのはお前の方だ」


「なんだと? 」


マリエットは鋭い双眸を鷹のような瞳へ向ける。


「私は必ずお前を引きずり下ろす。どんな方法を使っても絶対にな」


曇り空から太陽が顔を出す。太陽の光がマリエットの双眸を神秘的に輝かせる。


常闇で渦巻く台風に吸い込まれるほどの圧力と、黄泉の国を守る番人のような威圧。その二つの力が左目の紫眼しがんに宿る。


海底に漂うサンゴ礁のような純潔、宝石のアクアマリンが持つ高潔。その二つの雰囲気が右目の碧眼へきがんに漂う。


太陽に雲が掛かると、双眸から輝きが隠れる。時が経つまで、陰に潜む狼のように。


小太りな男は、冷静さを我慢できなかったのか。


歯を食いしばった後に舌打ちすると、声を上げて急かす。


「早くコイツを牢に入れろ! 」


小太りな男は嫌味を垂らしながら、後ろの皇族専用馬車へと足を進める。


鎖を持った兵士が牢に入り、マリエットは階段を登ろうとする


「あ、少し待ってくれ」


マリエットは鎖を持った兵士に声を掛けると、後ろを振り返る。


見据えるは、二階に取り付けられた窓。


口元を緩ませた後に、前を向いて若干俯きながら目を瞑る。


周囲の兵士に聞こえないように呟く。


「私の野望は、お前に預けたぞ。ルーナ」


一生戻って来れない世界に身を投げるように、足を進めて階段を登る。


三時間後。


市民に衝撃が走る内容が帝国領土内で広まる。


『次期皇帝マリエット・アンバル・イリス。亜人を保護した政治犯罪により死罪。一五の誕生日に刑執行。同日、現皇帝代理スドロフ・アンバル・トムリーニが正式に皇帝へ即位。戴冠式後には、を実施』

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