「尊い」が読めない人

関根パン

「尊い」が読めない人

 尊い



 空欄の回答用紙を前に、少女は頭を悩ませていた。漢字の読み方がどうしてもわからないのだ。



 尊い



 今回点数が悪ければ留年が決まってしまう。回避するためには、少なくとも五十点は得点しなければならない。ここまでテストを解いてみた彼女の目算では、この問題に正解できるかどうかが、その鍵を握っていた。正解しなければ、進級の道が閉ざされてしまう。



 尊い



 なんて読むのだろうか。「い」は間違いないはずだ。なぜなら、ひらがなだ。ひらがなは読める。「い」なのは間違いない。彼女はそれだけは自信を持った。



 そん



 まず思いついたのは、「そんい」だ。尊敬の尊。そんけいのそんだ。それはたぶんあっている。


 しかし、そんな言葉はないのではないか。「そんい」なんて一度も言ったことがない。彼女は「そんい」ではないと判断した。



 尊い



 おそらく「赤い」とか「丸い」とか、そういう「い」が付く系の言葉ではないか。彼女はそう推理した。形容詞などという言葉は知らない。「い」がつく言葉は何があるだろうか。



 ウザ



 それっぽい気がする。すごく、それっぽい気がする。だいたい読めないコイツの存在がとてつもなくウザい。



 キモ



 これもある気がする。じっと見てたらなんか虫っぽくも見えてきたし。虫っていったらキモいし。これはキモいが正解かも。



 おっぱ



 これも、なくはない気がする。漢字で今まで書いたことないけど、案外こういう字なのかも。おっぱいといえばお母さん、お母さんといえば尊敬。こうなるともうおっぱいにしか見えてこない。



 ウルグア



 場所はまったく知らないけど、どっかの国の名前だ確か。アメリカが謎に「米」と書くくらいだから、ウルグアイはこうかもしれない。たぶん、パラグアイではない気がする。無論、彼女は地理も赤点だった。



 たいそん・げ



 これは思わぬ有力候補が現れた。なんと言っても「そん」が入っている。尊敬されるような人の名前だし。何の人の名前だったかはわからない。



 わからな



 迷った時は今の気持ちに正直になれ、それが答えなんだ。昔、そう親戚のお兄ちゃんも言っていた。尊敬していたお兄ちゃん。大好きだった優しいお兄ちゃん。今は借金を作って行方知れず、連絡先もわからないお兄ちゃんだけど。





 書いては消し、書いては消し。いろいろな候補が出たけれど、いまひとつどれも決め手にかけた。もっと確実な答えを出さないといけない。焦る彼女に、試験終了の時刻は迫る。


 彼女は漢字の基本に立ち返ることにした。目は目の形から、耳は耳の形から出来たと小学校の時に聞いたことがある。この字も何かに似ていないだろうか。



 尊



 ……見えた。この、上の方の部分。



 酉



 なんかトートバッグに似てね?



 トートバッグ



 これだとちょっと長いな。思い切って縮めてみたらどうだ。



 トート



 よくよく考えたら読みがながカタカナなのはおかしい気がする。ひらがなに変えてみよう。





 とうと





 ……。


 …………。


 …………んーーー。


 いや、こんな言葉ないな。やっぱ違うわ。





 自信なさげに「てやんでい」と書いてある回答欄の、後ろにうっすら残った「とうと」の文字に赤丸をつけてあげた先生は、とても尊い。




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