推しの姿をしたケモノが自分になついてきてしんどい

八百十三

推しの姿をしたケモノが自分になついてきてしんどい

 アメリカ東部、とあるそこそこ栄えている都市。そこで、一人暮らしをしている私、マリアはパソコンの画面を見ながらうっとりしていた。


「はあ……ランディ……」


 その画面に大写しにされて私からの熱視線を浴びているのは、オオカミ。ただのオオカミではない。現実にはありえないカラフルなミントグリーンの体毛をして、手足の先端は白く、つぶらなオレンジ色の瞳を持ち、後ろ足二本で立っている。

 つまり、着ぐるみだ。

 彼は日本にオーナーが住んでいる。だけど時々アメリカのイベントにも参加しに来て、その可愛い姿を見せつけている。それが私は大好きだ。


「可愛いわぁ……もふもふで、目がつぶらで、元気いっぱいで……尊い……次のイベントが待ち遠しいわ……」


 会いたい。会いたいが、何かしらのイベントがないと彼はこっちに出てこれない。いっそ日本に会いに行ってイベントがないか探そうか。そう考えていると、私のスマホに着信が来た。


「あら? 電話」


 スマホの画面には、友人のアントンの名前が表示されている。画面をタップして口を開いた。


「ハイ、アントン?」

「やあマリア。今ヒマかい? 君に是非会わせたい人がいるんだ」


 スピーカーホンの向こうからアントンの声が聞こえてくる。イベントなどではよく予定を合わせて一緒に行動する彼だ。当然私の趣味も知っている。しかし、そんな彼がわざわざ電話をかけてまで合わせたがる人とは誰だろう?

 時計を確認した。特に今日は予定もないし、問題ない。


「大丈夫よ、どこで落ち合う?」

「じゃあ、僕の家まで来てくれないか。場所は分かるだろ?」


 流れるように話は進む。私の家から隣町のアントンの家までは、車を走らせ30分ちょっと。そんなに距離が離れているわけではない。


「分かったわ、じゃあ後で」


 にこやかに電話を切って、私は車のエンジンキーと家のキーを手に外へ飛び出した。鍵を閉め、車の扉を開けてエンジンキーを差し込む。アクセルを踏み込み、ストリートを走りながら私はつぶやいた。


「一体どうしたのかしら、急に……」


 訝しみながら私は車を走らせる。そして数十分の後、私はアントンの済むアパートの前に車を止めた。駐車場から降りて、1階のアントンの部屋に向かう。


「やっと着いたわ。アントン? マリアよ」


 インターホンを押して中に呼びかければ、すぐにアントンが顔を出した。扉を開きながら私を迎え入れる。


「やあマリア、遠路はるばるようこそ。さあ入って」

「お邪魔するわ」


 案内された私は、居間のソファに腰を下ろした。入り口の扉を閉める彼に笑顔を見せながら問いかける。


「一体どうしたの? 急に呼びつけるなんて、そんなに私と会わせたい人がいるの?」

「そうとも。あー……厳密に言うと、ヒトじゃない・・・・・・けど」


 私の質問に視線を逸らしながらアントンは答える。その言葉にますます首を傾げる私だ。


「どういうこと?」


 ヒトじゃないとは、どういうことだろう。犬でも飼い始めたのだろうか? いや、新しい着ぐるみを買ったのかも。

 と、私に笑いかけた彼は居間の扉、先程彼が閉めた扉の方に声をかけた。


「見れば分かるさ。ランディ! もういいよ」

「は……っ!?」


 彼が呼びかけた相手の名前を聞いて、私は飛び上がった。文字通りに飛び上がった。今、彼はランディに呼びかけた。ランディに。私達の間でランディと言ったら。

 とっさに私は顔を背けて両手を前に突き出した。なるべく居間の扉は見たくない、今は。


「待って待って待って、アントン、待って、心の準備がまだ」

「ははは、そう言うと思った」


 私の心の内などお構いなしと言わんばかりに、アントンは扉に歩み寄る。そしてドアノブに手をかけると。


「ばーん」

「イヤーッ!?」


 聞き覚えのない若者の声が部屋に響くと同時に、私は背けた顔を両手で覆った。

 アントンの声ではない。もっと若い、子供のような声だ。いやちょっと待とう、彼が話すはずはない・・・・・・・。だって日本の着ぐるみってそういう暗黙のルールがあるし。だが、だとしたら今の声は。

 と、目をぎゅっとつむって顔を隠し、ソファの上に縮こまった私を見て、その誰かが大笑いを始めた。


「ハッハハハハ、すごい反応」

「言っただろランディ、彼女は絶対こうなるって」


 英語だ。流暢な英語を喋っている。そしてアントンは間違いなく「ランディ」に呼びかけた。

 おそるおそる、目を開けて顔を元の向きに戻す。指の隙間から前を見ると。

 ミントグリーンの毛並み。足先と指先の白いファー。ふっさふさの尻尾が揺れて、大きなオレンジの瞳が私を見つめながら瞬きして。

 信じられない。一音ずつ確認するように呼びかける。


「ランディ?」

「そうだよ、ボクがランディ。オオカミのランディさ」


 私の問いかけに、彼は……ランディは滑らかな動きで一礼した。

 その動きに私は大きく目を見開く。喋るのに合わせて口が動いていたのだ。

 そういう事のできる着ぐるみが世の中に無いわけではない。しかし口の中の舌は偽物ではなく、明らかに肉感を持った舌だった。色こそオレンジだったけれど。

 思わず、素っ頓狂な言葉が口から飛び出す。


「本物?」

「本物だよ。見れば分かるだろう?」


 そう言いながら、ランディはぱたぱたとこちらに歩み寄って、私の前で屈み込んだ。

 彼のオレンジの瞳に、私の顔が映る。手をどければ、その顔がよく見えた。いつも写真で見ていた顔が私の目の前にある。

 自然と、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「えっ、えっ」

「マ、マリア、大丈夫かい?」


 泣き出す私に、アントンもランディも揃って慌てだす。私は放心して泣きながら、間近にいるランディから目を離せないでいた。


「生きてる……動いてる……喋ってる……信じられない、これは夢?」

「夢じゃないよ、ほら、触ってみて」


 私に頷いた彼が右手を差し出してきた。手のひらにはこれまたオレンジ色の肉球があった。手首のところにファーの切れ目もない。触ったらとても柔らかくて弾力があった。


「柔らかい……ぷにぷにしてる……」

「ね? ちゃんとボクはここにいるでしょう」


 ランディが嬉しそうに言うと、私は涙を拭って彼に抱きついた。温かい。いい匂いがする。


「すーっ……はーっ……」

「あぅっ」


 もっふもふの胸毛に顔を埋める私は、きっと蕩けたような表情をしていたことだろう。実際、至福だった。


「はっはっは。どうだいマリア、本物のランディをもふった感想は」


 アントンが私の姿を笑いながら声をかけてくる。私はランディの胸元に顔をうずめたままで口を開いた。もふ毛が唇をくすぐる。


「信じられないわ……ちゃんと血が通っているのを感じる……でもどうして? 彼のオーナーさんは日本にいるはずでしょう」


 彼の胸から顔を上げてランディに問いかけると。ランディが急に私を抱きすくめた。それはもう嬉しそうに。私の身体がランディのもふに再び埋まる。


「遊びに来たんだ! ボクのことが大好きで、いつも会いたがっているってアントンから聞いてね。直接会えてよかったよ」

「ぴっ」


 全身でランディを感じた私の脳みそが、一気に沸騰した。完全にキャパオーバーだ。何が何やらもう訳が分からない。


「しぬ……」

「ランディ、ランディ、マリアが熱暴走起こしてるから離してあげて」


 私が頭から湯気を出しているのを見たアントンが、ランディに声をかけた。そこで彼はようやく、私の様子がおかしいことに気付いたらしい。抱く腕を離して私の顔を見た。

 ら。


「大丈夫? んーっ」

「あっえっ」


 彼が口の中のオレンジ色をした舌で、私の顔をベロンと舐めた。

 追い撃ちにもほどがある。私の意識は感動と驚きで一気に虚空へと吸い込まれていった。


「あ……」

「マリア? おーい」


 アントンの呼ぶ声がうっすら聞こえるが、当然私は反応できやしない。そのまま私は気を失って――




 次に目を覚ました時、私はソファに寝かされていたらしい。目を開くと私の顔を覗き込んでいたのか、ランディの顔面が間近にあった。


「はっ」

「あ、目が覚めた?」


 驚いて身を捩る私に、ランディがにこにこ顔で話しかけてくる。事情を飲み込むまでに時間がかかっている私が、呆気に取られて彼に声をかける。


「ランディ……?」

「うん。大丈夫? 起きれないなら抱っこしてあげようか」


 すると、ランディのもふもふして太い腕が私の身体を抱き上げた。お姫様抱っこだ。尊さのあまりまたどっかに飛んでいこうとする意識をつなぎとめながら、私はランディにかねてよりの疑問をぶつける。


「どうして……あなたはケモノなの?」


 そう、ずっと心のどこかに引っかかっていたのだ。私の知る彼は、今まで何枚も写真を撮って、触れ合ってきた彼は、着ぐるみだったはずなのに。ケモノの彼は私を前から知っていたかのように話す。

 私のすぐ上でニッコリ笑いながら、ランディは話し始めた。


「実はね、こっちの姿が本当のボク。普段イベントで見せている着ぐるみの姿は、ボクのオーナーさんに着てもらうために、魔法で姿を変えた状態なんだ」

「日本では既に一般的になっているらしいよ、ケモノが元になっている着ぐるみ。さすが神秘の国だ」


 アントンも一緒になってにこにこ笑いながら言う。聞くに、着ぐるみ界隈では少しずつ「本体はケモノでオーナーと一緒に生活し、イベントの時は魔法で着ぐるみになってオーナーが中に入る」という着ぐるみが出始めているのだそうだ。

 彼もその例に漏れずこのケモノ姿が本体で、普段はオーナーと二人暮らしなのだそうだ。

 その驚くべき事実に、ため息をつく私だ。そんな仕組みになっているとは、知らなかった。


「そうなの……」

「うん、すごいでしょ! だからボクといっぱい遊ぼうね、マリア!」


 私の言葉に頷いたランディが私の顔に頬ずりしてくる。

 ああ、尊い。尊すぎてどうにかなってしまいそうだ。私は彼の腕の中で、まさに天にも昇る心持ちだった。

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