家に帰ったら清少納言がいた

結葉 天樹

ご唱和ください推しの名を

 家に帰ったら清少納言がいた。お前は何を言っているんだと思うかもしれないが、そうとしか言えない。

 体は透けて宙に浮いているところから見ても幽霊だ。それはまあいい。十二単じゅうにひとえに長い黒髪。それもありうる。何より手に持っている本に思い切り「枕草子」と書いてある。


「やっほー、諾子なぎこだよ。なぎっちって呼んでね」


 しかもこの十二単じゅうにひとえを来た女子、めちゃくちゃノリが軽かった。


「ごめん、状況がわからない」

「ぶっちゃけ古文教えに来た」

「なんでだよ!?」

「昨日、天満様にお祈り来たっしょ?」


 それは間違いない。俺は正直古文が大の苦手でテストでは補習の常連だ。次のテストで赤点を取れば家庭教師をつけると親にも言われている。だから藁をもつかむ思いで学問の神様にお祈りに行ったのだ。


「んで、実はたまたま一年に一度、抽選でお願いを一人だけかなえてあげる日だったんだよね。だから道真ざねさんのお使いであたしが派遣されたってわけ」

「……俺は何でこんなお願いをしちまったんだ」


 もっと他にお願いがあっただろう。金持ちになりたいとかモテたいとか。


「まーまー。それにあまりにも欲にまみれたお願いだったら抽選から弾かれてたし」

「フィルタリングかかってんのかよ」

「でもよかったじゃん。清少納言から直接古文教えてもらえるなんて世界中で誰も経験してないことだよ?」

「いや、そもそも本当に清少納言なの?」

「あ、疑ってる目だ。わかった、ちゃんと証明するから。この『枕草子』で!」


 じゃじゃーん、と効果音が聞こえそうな勢いで手に持っていた枕草子を諾子なぎこさんもといなぎっちは掲げた。


「『春はあげもの』だっけ?」

「そーそー、揚げ物美味しいよね。この日の本を代表するてんぷらは春が旬の食材を揚げてこそ……ってうおい!」


 見事なノリツッコミと裏拳が俺に炸裂した。


「んじゃ何か。夏はそうめん、秋は柿とでも言うつもりか!」

「俺は冷やし中華派っす」

「聞いてない! て言うか、そもそも違う! は・る・は・あ・け・ぼ・の! はい復唱!」


 なぎっちの勢いに押されて俺は言われたとおりに復唱する。


「そう! 春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝つとめて! 各季節の尊いものとその推しポイントを挙げた文章よ」

「あ、そういう話だったんだ」

「あんたさあ、そもそも古文をやけに崇高で芸術的で高尚な文章の塊とでも思ってるっしょ」

「違うんすか?」

「んな訳ないでしょ。あたしの『枕草子』なんて特定のテーマの話と日常の話と季節の話ばっかよ」

「エッセイかよ」

「あー、近いかも」


 なんだか突然俗っぽいものに感じてきた。


「ほら、SNSでもエッセイでもブログでも尊いもの見つけたらそれについて語りたくなるっしょ? 皆共感して『いいね』してもらいたいじゃん。あんなイメージ」


 枕草子はインスタか? いいのかそれで。


「て言うか、さっきから連呼してるけど『尊い』って何すか? 抽象的過ぎてよくわかんないんだけど」

「『尊い』は、エモいとヤバいと推しへのクソデカ感情よ!」


 余計にわからなくなった。


「えー、今の時代に言葉のチョイス合わせたのに。現代語ウルトラ難しい」

「いや、むしろ馴染みすぎてて気味が悪いくらいっす」


 着ているのが十二単なのがむしろ違和感だ。


「んー、なんか具体例出した方がいいか。あんた推しのアイドルとかいる?」

「まあ、人並みに」

「それがカッコいい姿見せたり自分のこと誉めてくれたり、二人にしかわからない意思の疎通出来たらエモくない?」

「なるほど。ちなみになぎっちさんもそんな経験が?」

「あ、聞く!?」


 目を輝かせてなぎっちさんが身を乗り出してきた。なんだかまずいことを聞いてしまった気がする。


「あれは定子様と初めてお会いした時のこと……十歳以上も年上の私が顔を見せるなんて恐れ多くて顔のよく見えない夜にしか参上できなかったの。でも定子様ったらそんな私を気遣って側に呼んで下さったの。その時のあのお方の手のお美しいことったら!」


 なぎっちが物凄い早口でまくし立ててきた。開いた枕草子には「宮仕えに参りたるころ」と書いてある。


「尊い、マジ尊い! あんな美しくてお気遣いができて気品のある人がこの世にいるなんてマジヤバい! この気持ちわかる!?」

「ま、まあ……」


 推しのアイドルが握手会で俺のことを覚えててくれたりすると確かに嬉しい。そんな感情だろうか。


「定子様ってばマジパナいから並大抵の教養あたまじゃついて行けないのよ。だからあたしはご期待に完璧に応えられるようにしたわ」

「はあ」

「ツーと言えばカー。香炉峰こうろほうと言われれば格子こうしを上げる。推しの言ってること全部理解できるって最高に幸せってものよ!」


 なぎっちは止まらない。次々と枕草子のページを開いては思い出話に花を咲かせる。


「宮仕え辞めてからもあたしのことをずっと想ってくれてるって手紙くれたし、あたしが前に欲しいって言ってたものも覚えててくれたの。そんなことされたらあんた、恥を忍んででもカムバックするわよ。そしたらね、定子様ったら再会するなり『新人かしら?』って弄って来たのよ。ネタフリといじりのセンスも抜群。あーもう、たぎるわー」


 それからもしばらくなぎっちの定子様アゲのワンマンショーは続いた。クラゲの骨とかイケメンたちのセッションとかいろんな話が出て来るわ出て来るわ。一通り話が終わった頃には夜も遅くなっていた。


「ふう……堪能したわ」


 推しのことを全開で話しまくったなぎっちは成し遂げた感いっぱいのいい汗をかいていた。


「いやー、枕草子ってそんな話だったんすね」

「これで枕草子の内容は完璧でしょ」

「ええ、完璧です。枕草子は」

「んじゃ、この清少納言が手伝ったんだからテスト頑張ってね」

「……ありがとうございました」


 その後、テストで俺は……見事に赤点を取った。なぎっちさんには怒られるかもしれないが、当たり前と言えば当たり前なのだ。


「テスト範囲……源氏物語なんだよなあ」

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家に帰ったら清少納言がいた 結葉 天樹 @fujimiyaitsuki

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