モリアーティーは尊ぶゆえに蹂躙する

黒銘菓(クロメイカ/kuromeika)

第1話

 天才的な男が一人、居た。

 男は人間の作り出した数字と計算を学び、研鑽を続け、極めんとし、他人に教え授ける迄に至った。

 男は正に天才であった。計算によってありとあらゆる分野を最適化し、自身の知識としてきた。

 数学を筆頭に、経済学、産業、農業、医学、法学、音楽、科学、心理学、言語学、考古学、宗教学、民俗学、疫学、社会学、地理学、経営学、物理学……………………………。

 人がそれまで培ってきた叡智の全てを手に入れようとする様に、知識を収集して、それを彼は何に使ったか?


 答えは簡単。犯罪だった。

 培った知識を惜しみなく使えば、人類史を変革してより良い方向に変える事が出来る男は、その全てを使って人々の培ってきたものの悉くを弄び、蹂躙し、破壊する道を選んだ。

 人々にとっての敵になる事を選んだ。

 

 ジェームズ=モリアーティーは今、とある都市の闇の中に居た。


 有毒な排気で汚染し尽くされた空気。

 冷たく、無機質な建物達。

 ガス灯という灯りは街中に幾つも有る。しかし、それ故に影は生まれ出る。

 光が大きい程、影は大きく黒くなっていく。

 ガス灯に照らされた部分においては偉大な数学者にして大学教授。

 照らされない闇の部分においては邪悪な犯罪者にして完全犯罪コンサルタント。

 大きくなる光と闇。それぞれの顔を持ち、それらが決してつながらない男。それが、ジェームズ=モリアーティーだ。

 「え˝ッ!オ˝ぅッグッ………………!」

 体の中で燃える蛇がのた打ち回って臓器を食い荒らしている様な気がする。

 「グゥゥガァ………………」

 冷たい石の地面に撒き散らされるのは血液。

 ドス黒い、ドロリとした塊が自分の口から吐き出されていく。

 案外、蛇がのた打ち回っているのは間違いじゃないかもな……………。

 「新型毒物『ヴァイパー』。

 全身の内臓を強制的に活性化させ、瞬間的な過剰負担オーバーロードで自身の肉体を自壊させる代物だ。

 コレの特徴は、肉体の活性化現象による、所謂自爆という点にある。

 人体の元々存在する機能によって自分を壊させる事が出来る。

 要は、量さえ間違えなければ、死んだ段階で既に注入した毒物は分解されて、毒物が検出されない訳だ。

 まぁ、未だ実験段階の毒物で、臨床試験不足がね。」

 悶えながら血反吐を吐く俺の事を見下ろしながら男はそう言った。

 「ゲブッ……

 モリ、アー、テ………。」

 俺は、その名前を、知っている。

 この、都市に、拡がる悪意。ここに、住まう、人々の心。

 それらを、自分の、手足以上に、操る邪悪。

 犯罪を、辿った。

 人の心を、巡った。

 犯罪の糸を、手繰り寄せ、人の、悪意を、見せつけられながら、ここに、やって来た。

 悪意を、光へと、引き摺り出す為に。

 過ちだった。

 闇は、俺の手に、余るものだった。

 『牙を向こう』、とした、俺は、愚かだった。

 あれは、人間の、悪性だった。

 人間の悪意。それが、人に宿っていた。

 あれは、人には、大き過ぎる狂気だった。


 私は、追い詰めた、訳ではなく、脅威となる私は嵌められた、訳でもない。

 単純に、丁度、そこに、居たから、脅威でも、なんでも、ないが、丁度、近くに居たから、毒の実験に使った。それだけだったと確信した。俺は、追い詰めて、居なかった。

 俺の、今までの、人生。

 俺の、今までの、出会い、と、別れ。

 俺の、今まで、築いてきた、技術。

 俺の、今まで、集めてきた、知恵。

 そんなもの、関係無い。

 には、そんな事、如何でもいい。

 人の全てを壊して人を殺す。それに対して、何も、感慨が、無い。

 躊躇いが、呵責が、加減が、後悔が、苦悩が、狂気が、無い。

 「グゾ、バケモノ!」

 血反吐を吐きながら、せめてもの抵抗をする。

 「バケモノ……化物か。

 化物、怪物、悪魔、人でなし、狂人、外道………よく言われた事の有る台詞だが、だからどうした?

 人殺しがそう呼ばせるのならば、問おう。人類史が今迄どれだけ人殺しをやって来たか、解っているかね?

 邪悪を為した事がそう呼ばせるのならば、問おう。人間に邪悪がどれだけあったか解っているかね?

 人を自分の思う様に動かしたことがそう呼ばせるのならば、問おう。人間を思う様に動かす事と、それによって行われた所業が、人間の社会の核である事を解っているかね?

 別に、私は自分が悪くないとは言わない。

 私のやって来た事は人間の心、命、尊厳を弄び、踏み躙り、傲慢にも破壊する倫理と道徳に背く所業だ。

 だが、君達は、人の悪意を過小評価し過ぎている。

 人がどれだけ悪意に満ちているか、あまりに知らなさ過ぎる。

 君の言う事は、あまりに想像力が足りない。あまりに意味が無い。何より、あまりに弱過ぎる。

 まぁ、たとえどれだけ正しくとも、私に毒を飲まされる程度の君ではどうしようもない。

 君は、無駄な正義感で自分の命を捨てたという訳だ。」

 「ゲ………ゲッ

 人、の、命。

 かけがえ、無い、尊い、命、を、なんだと………思って、る?」

 「決まっているだろう。人の命は、人の命だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 あぁ、命は尊い。そうだろうさ。

 だから?

 尊い『から』奪わない。

 尊い『から』踏み躙らない。

 尊い『から』壊さない。

 そんな理屈は通らない。

 お前達は人を何だと思っている?何を期待している?

 お前達は、尊い『から』全てを奪い、踏み躙り、壊すだろう?

 尊い『から』こそ破壊は効果的に働くのさ。

 尊い『から』悪意は行われる。間違えるな。」

 血反吐、を、吐く、事、さえ、難しく、なってきた、俺、を、見下ろし、見下し、そう、言った。

 「ウ…………呪って、や、る。

 お前、の、様な、ヤツ、は、直ぐにその、悪意、を暴かれ、る…………!

 地獄、で、待って、やる!」

 最期、の、力、を、絞り、出す。

 「呪い、ねぇ。

 非科学的でそれを証明する為の論拠が無い。

 何より、だ。今まで君の様に『呪ってやる』と言って来た人間共は掃いて捨てる程居たが、未だに化けて出られたことは無い。

 そして、私の悪を暴いた者は、誰も居ない。

 全く、私に牙を向き、対峙出来る人間は、現れないものかね……………………………、あぁ、もう聞こえないか。」

 動かなくなった男の死体を見て、興味を無くした教授は踵を返して都市の闇に消えていった。

 モリアーティーの悪事を証明出来るものは未だ現れない。

 彼の悪事は都市の闇に拡がり、広げていく。




 彼は未だ、彼を追い詰める脅威を知らない。

 彼はライヘンバッハを未だ知らない。

 そして、ライヘンバッハの先に拡がるものを、知らない。

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モリアーティーは尊ぶゆえに蹂躙する 黒銘菓(クロメイカ/kuromeika) @kuromeika

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