マリーゴールド・ハピネス

柳なつき

黄色い国

 私は、世界でいちばん幸福な国に暮らしている。

 そして私は実際、ほんとうに幸福だ。

 ここは、尊い感情しか存在しない国だから。


 天まで届くほど高いイエロータワーが、国民すべてを見守っている。もちろん、私のことも。



 大学の帰り。国民の誇りであるセーラー服を着た私たちは、明るく楽しく談笑しながら駅まで歩く。

 イエローに統一された町は、私たちの誇りだ。


 緑なんていらない。システマチックなイエローの町並みこそが、世界平和の秘訣だ。

 だって緑は枯れるから。いつかはかならず、朽ちるから。

 私はやっぱりこの国が大好き。


「あのさ実はさ高校の先輩が、てんさいだったんだよ」

「それ、ジーニアス? それともディザスター?」

「ふつうに後者なんですけど!」

「ってことは天才じゃなくて、天災ってことね?」

「さっすが」


 ほんとうに楽しい。

 他愛ない会話でこんなにも満ち足りた気持ちになるなんて、ふしぎだな。


「ねえねえそれ言ったら私のお父さんなんか鬼だったんだけど」

「だからそんな良い子に育ったんだね」

「てか私みんなのことマジで好き」


 話題なんて、なんでもいい。だって、私たちには確固とした絆があるから。

 いっしょに帰っているみんなの名前すら覚えなくっていい。だって、この国のひとであれば、みんながみんな、おんなじだから。


 あはあはあはははって、みんなでおしゃべりしているうちに。

 駅に到着する。ここから東西南北に列車が分かれて、正方形で区切られた居住エリアに向かうのだ。駅もイエローで居住エリアも全部イエロー。


 色のうるさい花壇とかもないのだ。やっぱりこの国はすばらしい。


 北行きのひとー、とだれかが言うと、はい、はーい、と数人が手を挙げる。東行きのひとー、西行きのひとー。おなじようなやりとりが繰り返される。私の居住エリアは西だ。でも今日だけは違った。だから南行きのひとー、とだれかが言ったときに、ほかの数人とともに私は手を挙げた。


「みんな、いつもありがとう」


 親友たちのひとりが、そう言って急に泣き出した。私たちは彼女に駆け寄る。道ゆくひとびとも駆け寄る。みんなが優しい笑顔をしている。


「私、この国のすべてのひとたちと親友でいられて、すっごく幸せ」

「私もだよ!」

「私もそうだよ!」


 私も、と私も言った。


「なんでこんなに幸せなんだろうね」

「日々に愛しさしか感じない」

「すべての存在に感謝したいよ」


 みんなが口々に言う。


「尊い」

「尊いね」

「尊すぎる!」


 みんなで、抱き合って泣いた。

 私の心には、尊い感情しか存在しなかった。




 今日、私が南行きの電車に乗ったのは、政府さまからお仕事を頼まれたからだった。


「ずいぶん遠くまで行くんだね。気をつけて」


 最後に二人になった親友たちのひとりは、私に優しい言葉をかけてくれた。私は彼女の両手をぎゅっと握った。彼女も私の両手を握ると、うん、とうなずいてくれた。


 彼女が電車を降りる。ドアが閉まる。彼女はずっと手を振ってくれている。私も大きく、手を振り返す。

 電車が動き出して、彼女の降りた南五番目駅が遠ざかっていく。


 ここからは、居住エリアではない。生活維持エリアだ。

 私はポケットにしまった紙を広げた。

 南六番目駅で降りて、とある青年の仕事を見守る。今日中にその仕事ぶりを政府に報告。


 ……国の外れは、うまく言えないけど、ちょっと変な感じがする。


 たぶんイエロータワーから遠くなってしまうからだ。

 早く、お仕事を終わらせて。そうしてイエロータワーのすぐそばにある、私のおうちに帰ろうと思った。




 南六番目駅で降りる。

 駅のホームはイエローだけど、降りたところからはそうでもない。タルや積み上げられた木材はイエローだけれど、土や雑木林はイエローではないのだ。


 改札を出ると、白衣を着た仏頂面の青年がいた。


「政府のよこした監視役、だな」

「はい。よろしくお願いします。政府のお仕事をさせていただけるなんて、光栄です!」

「話に聞いていた通りだな。まあいい。名前は」

「名前? そんなもの、私たちの国では必要ないですよ。私たちは国ごと家族ですから、区別する必要などないのです!」

「ああそうかい。こりゃ噂通り、マジもんに電波だな」


 青年は歩き出した。私はそのあとを歩く。


「あなたは、この国のひとではないのですか?」

「見りゃわかるだろ。俺は、おまえらみたいに幸福じゃねえんだ」

「なんと、それは! ぜひ私たちの国にお引っ越しください。とっても幸せになれますよ」

「……それが御免なんだよなー」


 青年は雑木林のなかに入っていく。

 私は一瞬だけ、どうしてだろう、立ち尽くした。


「ほら、早くついてきてくれ」

「そうですねっ」


 私は足を進める。

 政府のお仕事をさせてもらえるなんて、とってもありがたいことなんだから。




 白衣の青年は樹木を見たり触ったり聴診器を樹木に当てては、手にしたボードにペンでなにか書き込んでいく。

 その繰り返しだった。

 私は彼の仕事を見守っているだけでいいのだ。いままでも何度かこういうタイプの仕事はあったから、慣れている。


 青年はさらに雑木林の奥に向かう。

 歩きながら、私は口を開いた。


「あのー、お兄さんはいま、なにをしているのですか?」

「樹木の診察だよ」

「えっ、お医者さんみたいに?」

「俺は樹木医だからな。木の医者だ」

「……え、木にお医者さんって要ります?」


 私はどうしてだろう、立ち止まってしまった。

 青年は振り向く。仏頂面のままだけど、そのまま歩き出すこともなかった。


「木より人間が大事じゃないですか。なのに、木を診るために人間が行動するなんて、変です」

「おまえらの崇めるイエロータワーにイエローの町並み、あれはどうやって出来ていると思ってんだ。答えはな、おまえらの国の外に広がる資源によって、だよ。だから俺のような樹木医や、採掘師や、工場管理者や、やって来てるんだろうが。……金ばかり余っててほんとに手に負えない国だ」

「え、でも、でも、変です。やっぱり。人間が幸福なのがいちばん大事なのです。人間以外の存在なんて人間のためにあるのです。人間以外の存在なんかすべてどうなってもいいじゃないですか森でも木でも」


 青年は、急に私のほうにずんずんと歩いてきた。


「その電波、いい加減、うっせえ」


 青年は懐から四角い機械を取り出して、私のおでこに当てた――すると世界は、一変した。



 どうしてだろう。どうして。

 ……幸せじゃ、ない。

 私。私は。幸せになりたくてずっとずっと生きてきたのに――。



 青年は私のおでこから冷たいその機械を離した。



「ああすまんな。おまえらの国的には違法行為か、これ。国のなかにいるならともかく、イエロータワーから離れちまえば、洗脳電波くらいは吸いとれる技術はこっちにもあるんだけどな。……まあ心配すんな、一時的なもんだ。国の中心に戻ればまたきれいに洗脳してもらえるだろうよ」


 青年は歩き出そうとする。

 私は、両手の拳を握りしめた。


「……やめてよ、ふざけないでよ」


 青年は振り向いて、立ち止まる。


「幸せになりたかったから黄色い国の国民になったのに! なにもかもを忘れたかったのよ。悪い? 私の故郷は燃やされたのよ。他国の勝手な都合のせいで!」


 ああ。いやだ。これだから、いやだ。

 電波がないと。思い出して、取り戻して、しまうんだ。


 だから私は尊い感情だけで満たされるという黄色い幸福の国を目指したのに。

 なにもかもを失って。

 もう、泣くのも、絶望も、いやだったから。

 火傷を耐えて、裸足で、黄色い国に駆け込んだのに。


 黄色い国は噂通りのすばらしい国だった。私のことを迎え入れてくれた。幸せな国民として。リーダーは言った。


 ――あなたは尊い感情だけで満たされますよ。


 もうなにも心配しなくていいんだ、って思った。最高だった。

 


 私はしゃがみ込んで、顔を覆った。


「思い出させないでよっ、私は一生尊い感情のなかで生きるのっ……」


 土を踏みしめる音。

 青年がこっちに近づいてくるのだ。

 彼は、しゃがみ込むでもなく。

 はるか上から――でもさっきより温もりのある声を、私にかける。


「名前。なんていう」

「……マリーゴールド・ハピネス」

「俺はオリーブ・ガイアだ。その名前。俺と出身がおなじだな」


 彼がそして告げたのは、私の故郷の名前だった。

 私は顔を覆ったまま――ひそかに、目を見開く。


「……まあいまは、もうない国だが」



 風が吹く。木々のあいだを通ってくる風だ。



「つらい戦争だったよな。全部燃えたよ。でもだから俺は樹木医になって、世界じゅうの木々を癒すことができるんだ。無駄なことばかりじゃなかったよ」

「うそばっかり! 私たちの美しい花も木々も、ぜんぶ燃やされたのよっ。ぜんぶが無駄だったに決まってるじゃない!」

「……花と木々が美しいとは、言うんだな」


 彼はすこしの間のあとに。

 ゆっくりと、言葉をつむぐ。


「どうだ。あんな電波の国にいるよりは、俺といっしょに来ないか。俺たちの国の出身者は尊ばれるんだ。植物の扱いに手慣れているからな。樹木医の資格も、少し勉強すればすぐに取れると思う」

「うるさいなあっ……」


 いますぐに駆けて黄色い幸福の国に戻ればいい。

 それなのに。それなのに。


「幸せになりたい。なりたいのよ。それのなにが悪いっていうの」

「悪くないよ。だから俺も、樹木医をやってる。俺たちの国ではこう言っただろ。花は枯れるが、花は咲く」

「懐かしいこと、言わないでよ」



 そんなことを言われたら。

 負けて、しまいそうだ。

 幸福になりたい、この意思に。二度と泣きたくはない。絶望したくはない。ただそれだけの願いに……私は、いま。



「マリーゴールドが来てくれるなら。俺は同郷のよしみとして、……あの美しかった故郷を知る者どうしとして、嬉しく思う」



 木々のあいだを通る風が。オリーブという彼の言葉が。

 同郷の人間に会えたという、奇跡が。

 ただずっと尊い感情だけに満たされて幸福に生きたいだけという私の決意を、生まれ育った家のレースカーテンのように、揺らしている。

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マリーゴールド・ハピネス 柳なつき @natsuki0710

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