神殺しのロンギヌス~英雄の槍は甘えたがりお姉さん~

七四六明

仰げば尊し

 気持ち良さそうに眠っている。

 こうして彼の寝顔を覗き込むのは、いつ以来だろう。

 永きに渡って彼を苦しめていた因縁と決着を着け、無事に勝利を果たした彼には、最早幸せが約束されている。

 男なら一度は夢に見るだろう一夫多妻のハーレム。

 世界最強の称号。彼を総帥として動く組織と、彼を慕う部下達。

 何より自分を慕い、愛してくれる一人のつがい

 当然の報酬だ。彼は世界を救ったのだから。

 女神の齎した災害と破壊から世界を守り、人類を守った彼が、それに見合った報酬を受け取るのは当然の事だ。何の不思議もない。

 不満があるとすれば、戦場においては最高の相棒たる自分が、戦いのない平穏の今、ほとんど構って貰えていない事だった。

「ロン」

 ぐい、と頭を抱き寄せられる。

 寝顔を覗くため見下ろしていた頭を抱き寄せられ、唇に吸い付かれた。

 してやったり、とばかりに彼が微笑むので、お返しがしたくなったロンゴミアントは今度は自分から唇を食む。

 唇を食んだり。舌で舌を舐ったり。軽く触れ合う程度の口付けが、段々と濃厚な物になっていく。契約などと言う儀式的な口付けもあるが、彼女との間に交わされるそれは、そんな形式的な物ではなかった。

 まさしく、恋人同士で交わす口付けだ。

「フフ。ミーリぃ」

「甘えたがりだね、ロンは」

 スリスリと頬を擦り付けてきて、まるで猫か子犬のよう。

 他人ひと前では決して見せない甘えたがりな一面は、使い手であるミーリにしか見せない彼女の可愛いらしい本性だ。

 普段周囲から頼られるお姉さん的立ち位置にいるので、完全に二人きりになった時にしか見せる事はない。

 だがその分、その時になれば満足するまで甘えて来る。

 ミーリの隣に寝転がったロンゴミアントは抱き枕のように抱き締めて来て、自分の頬を胸に擦り付けて来る。

 普段もスキンシップは多い方だが、誰もかれもというわけではないし、ここまで情熱的なのは他の人の前ではまず見せない。

 さらに言えば、最近は多くの妻の相手をしていたから、一層寂しさを積もらせていたのだろう。いつもより激しく求め、愛を訴えて来る。

「本当に、ロンは甘えん坊だね」

「あなただけよ。私の心は、あなたの物だわ。だって私は、あなたの槍なのだもの」

「……そうだね」

 強く、優しく抱き締め返してやる。

 擦り寄って来た頬に口付けし、耳に息を吹き掛けて、驚いて震えた体をまた抱き締めてやる。

 もう、と抗議してくるもちょっと嬉しそうで、その姿がまた愛らしくて抱き締めた。

 もはやカップルを超えたバカップル。この場に限っては、とても世界を救った英雄と、その武装たる常勝の槍とは、誰も思うまい。

「今日はみんな出掛けちゃってるね」

「出掛けちゃってるわね」

「じゃあ、今日はロンのしたい通りに」

「あなたのしたい通りじゃなくて?」

「俺にいつも勝利をくれる、君のために」

「……わかった!」

 最初、鋼鉄の槍の脚で召喚された彼女には、人間と同じ生脚を手に入れた今、やりたい事が山ほどあった。その内の一つが、ただいま現在進行形で行われているお姫様抱っこである。

 ただし、抱き上げた状態で歩き回るわけではない。ソファに深く座ったミーリに抱きかかえられたロンゴミアントが、ミーリの首に腕を回して身を委ねる形で座っているだけだ。

 それだけでも、彼女にとっては充分な至福。

 槍の脚だった頃は重過ぎて、ミーリは自身の身体能力を強化しなければ抱き上げる事さえ出来なかったのだから。

「トクトク言ってる」

 主が無事、世界を掛けた戦いから生還した証だ。

 全身に一分かけて血を巡らす心臓の鼓動に、ロンゴミアントは嬉しそうに耳を傾ける。

 大好きな人の、温かな鼓動。この世のどんな子守歌よりも優しく、心地いい。仮初の肉体。仮初の鼓動を打つ自分とは、やはり違う。

 未だ神の神秘が生きる時代の槍たるロンゴミアントからすれば、青年も赤子も同じ事。人を生かす小さな臓器が、一生懸命に動いている事を示す音は、誰であろうと幼く聞こえてしまうけれど、彼に対する愛しさが、小さな鼓動に尊さを齎す。

 天より降り注ぐ恵みの雨が、地面を打ち付ける際に鳴らす音に似て、生きていると実感出来る。

「可愛らしい」

「恥ずかしいな」

「そんな事ないわ。ほら……」

 ロンゴミアントはミーリの手を取り、自分の胸に当てさせる。

 人の体から感じられる鼓動は何処か機械じみて、生きるためではなく、動くために打ち付けているような感覚。

 だが、それでも愛おしい。

 自分の鼓動なんかより、あなたの方が素敵よと、寂し気な微笑を浮かべる額に、前髪を掻き分けて唇を落とす。

 若干紅潮した頬を撫で、静かに求めて来る眼差しに応じて、唇を吸った。

「君は、俺の大事なパートナーだ。番には出来ないけれど、それでも、大切で、大事で、ずっと側にいて欲しいと思う気持ちは、嘘じゃないよ」

「……でも、私はあなたの特別じゃないわ」

「特別さ。君と他の子達じゃ、愛情の方向性が違う。俺はあらゆる武器の扱い方を覚えたけれど、君以上に馴染む武器はない。君以上に使いこなせる槍はない。まるで、俺のために造られたみたいだ。こんな運命、特別以外の何て言うんだろうね」

「……そうね。何とも言い難いあまり、尊く感じられるくらいの運命ね。だから、今度は私がしてあげる」

 生身の脚を手に入れてからと言うもの、彼女は膝枕が好きだ。されるのではなく、する方が好きで、二人きりの時は決まってする。

 鉄の槍脚では冷たくて痛くて出来なかった事が出来て、彼女はいつも満足そうである。

 ミーリもまた、柔らかな感触を手に入れた彼女の膝を枕に、満足そうに微笑む彼女を仰ぐのが好きだった。

 髪をく様に撫でる手が気持ち良くて、また眠気を誘われる。そうしてウトウトと微睡む様子を嬉しそうに見つめる彼女の顔がもっと見たくて、眠りに落ちるのを堪えるけれど、あまり長く持ちそうにない。

 またこうして、彼女の膝の上で眠れる平穏はないかもしれない。ずっとあり続けるのかもしれない。

 可能性は有限ながら無限に近しく、否定し切る事も肯定し切る事も出来ない。またこの日、この尊い時間が欲しいなら、これからも戦え、つまりはそういう事だ。

 言われるまでもない。

「ロン。これからも、頼めるかな」

「……もちろん」

 掲げた手を取られ、胸の谷間に押し付けられる。

 先も手を当てられたが、豊かに膨らんだ胸部の奥で、仮初の鼓動が脈打っている。一生懸命に、今を生きるために力の限りを尽くして動く心臓は、自分のそれと何も違わない。

 例え、死して壊れ、消えようとも、再度召喚してしまえば使える武装であろうとも。彼女の命もまた、尊い事に変わりなく、彼女との未来をも歩きたいがために、力を揮う。

「今日は、もう……このまま寝ようかな」

「えぇ。目が覚めたら、あなたを愛するみんなが帰って来ているわ」

「うん……お休み。君は、俺が……」

「それは、私のセリフよ」

 握っていた手の甲に口付けし、添える様に落とす。

 自分の膝を枕にして、静かに寝息を立てる彼には今後、世界を救った英雄としてより難関で、困難な道のりを用意されている事だろう。

 せめて今だけは。この時間だけは、彼に憩いと安らぎを。これからを戦う、彼のために。

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