シーン17ー1 三年
八束市を襲った突然の災厄は、一応の収束をみるまでに半年にも及ぶ時間を要した。忽然と現れた怪物たちはその原因であった『
その間八束市は完全に封鎖され、市外へと出られない市民たちは不安な毎日を過ごすこととなったが、ある時を境に市民たちの間でこんな噂が流れるようになった。
紅い肌をした謎の人間が夜になるたびに怪物を倒して回っている、と。
また、こんな噂も流れていた。
鬼のように巨大な青い肌の男が怪物の群れから街を守っている、と。
どちらもはっきりとした目撃証言があるわけでは無い、ただの噂である。しかし、先行きの見通せない生活を続ける市民たちにとっては、怪物から街を守っているとされる存在はこの上もなく頼もしい存在のように映った。
誰が言いだしたのかは分からないが、まもなく彼らはこう呼ばれるようになる。
『
怪物の完全な根絶が確認され、町の封鎖が解けた後も『抵抗者』の噂は長く残り続け、やがてある種の伝説となって市民の間で語り継がれるようになっていった。
そして、事件から三年の月日が過ぎて。
大学生になった飛田あやめは借りているアパートの一室で目を覚ます。時刻は朝五時。休みの日にしては早い目覚めであったが、今日は特別な日である。
ポニーテールにしていた髪は高校卒業と同時にばっさりと切っている。あやめなりに、子供だった自分と決別したいという気持ちを込めてのことだった。
あの事件の日、優希の背中で眠ってしまったあやめが次に目を覚ましたのは市立病院の救急病棟のベッドの上だった。あやめの傷はかなり重く、あと一歩間違えば内臓出血が起こっていて助からなかった可能性もあったのだということを後になって知らされている。
その時、最後まであやめに付き添ってくれたのがいずみだった。いずみ自身も全身を強く打ち、まともに立ち上がれないほどの重傷を負っていたにも関わらず、あやめが意識を取り戻し両親と対面するまでの間、松葉杖をついてまであやめの側から離れなかったのである。
病床で、すみません、と謝ろうとするあやめをいずみはそっと押し止めてこう言っている。
「謝ることはない。今は怪我を治すことだけを考えろ。怪我を治して元気になることが、お前にできる戦いだ」
その後、娘の無事を確認してほっとしたのも束の間、何故娘を守ってやれなかったのかと食ってかかる両親に、言い訳もせずただただ謝罪の言葉を繰り返すいずみを見て、あやめは『戦い』という言葉の意味を理解した。
あれがおそらくいずみなりの『戦い』なのだ。責任を取ることも無く消えてしまった教師の代わりに、全ての責任を背負って後始末をする。誰の助けも得られない孤独な戦い。
もちろん、姿が見えなかった優希や東元もどこかで怪物たちと命がけの戦いをしているに違いなかった。
両親といずみが退席して一人きりになった病室で、あやめは一人涙を流していた。そして決意する。もう泣くのはこれで最後にしよう、と。泣いて誰が喜ぶのだろう。いずみも、東元も、そして優希もそんなことは望んではいないはずだった。
だからもう、あやめは泣かない。どんなに辛くとも前を向き、笑顔でいようと心に決める。それがあやめなりの戦いだった。
あやめが学校に復帰したのは十一月の終わりだった。既に街の封鎖は解け学校も完全ではなかったが復旧措置を終えて通常に戻っていたが、そこに優希と東元の姿はなく、いずみもその月を持って退任することが既に決まっていた。
いずみはやはりあの時の無理がたたり、車椅子での生活を余儀なくされていた。その痛々しい様子を見たあやめは涙が出そうになるのをこらえるのに懸命だった。
一方のいずみはそんなあやめのことを優しい表情で見守っている。
「お前が元気になって良かったよ。これで私も心置きなく学校を離れられる」
「いずみ先生……歩生君と東元君は……?」
「心配いらんさ。今も元気にやっているよ。ただ、当分はこっちには戻れんようだ……二人ともややこしい立場ではあるからな」
いずみによると、二人はあの後協力して街中に残っていた怪物を倒して回っていたそうで、それにある程度めどが立った所で変身した姿のまま自衛隊の部隊に『投降』したのだという。
「大丈夫だったんですか、それ?」
「一応、私と優希と東元の三人で奴から聞いた話をまとめたレポートを持たせておいたし、何より実際にそれを証明する存在がいるわけだからな。論より証拠だ」
「でも、何か変なことされていませんかね」
あやめは心配そうに言ったが、いずみは首を横に振った。
「まあ、その辺は覚悟の上だ。それに既に変化が完全固定されている優希はともかく、東元の体は不安定だ。設備の整っている病院に無料で見てもらえるのならば、それに越したことはない」
「もしかして、今からでも東元君は普通の人間に戻れるかも知れないんですか?」
「そこまでは保証できないが、時間を掛けて体内に残る『進化のらせん』の活動を抑え込めばあるいは、というところだろうな」
そこまで語ったいずみは大きく息を吐いた。大分辛そうに見える。
「先生、大丈夫ですか。そろそろお帰りになられた方が……?」
「気にするな飛田。どうせ家に帰ったところで口うるさい母親と二人きりだ。それならお前と話していた方がずっと気楽だよ」
「先生も変わりませんね」
そう言ってあやめは微笑み、いずみもまた苦笑いを浮かべていた。
その時の会話を最後に、いずみは顔を見せなくなった。時折メールで近況と知る限りの二人の状況について連絡はくれたが、直接会うのだけは頑なに拒否している。
それは恐らく、いずみの病状が思わしくない、という類の話ではないのだろうとあやめは考えていた。ただ、そんなことをあやめが気にしても仕方がない。どのみちあやめに出来ることはないのである。ならば、今を大切に生きるだけだ。
あやめは過去から目を背けるように勉強に打ち込み、この春東京の難関大学に見事合格。親元から離れて一人暮らしを始めている。
そして、一人暮らしにも慣れて勉強が軌道に乗った頃、久しぶりにいずみからのメールが届いたのだ。長い間待ち望んでいた言葉とともに。
「久しぶりだな。ようやくお前に会える環境が整った。……の日に八束中央公園の大噴水の前まで来てくれ。三人で待っているよ。 座間」
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