隣の席の新庄くん

 隣の席の新庄貴之くんには、好きな人がいる。

 ……ということは、このクラスの――いや、うちの学年のほぼ全員が認識している。

 新庄くんが心酔し傾倒し倒錯し、これ以上ほどないぐらいに愛している女の子は、水無瀬ひかりちゃん。成績優秀、容姿端麗、品行方正と三拍子揃ったパーフェクトガールである。


「ねえねえ、新庄くん」


 腕をいっぱいに伸ばして、ブレザーを着た新庄くんの肩をシャーペンでつんつんとつつく。ぴんと背筋を伸ばし前を向いていた彼は、目線をこちらに向けて答えた。


「なんだ、南方みなかたさん。今は授業中だぞ、私語は慎むべきだ」

「自習だし、みんな好き勝手に喋ってるんだからいいじゃん! どうせ新庄くんも、とっくに課題終わってるんでしょー?」


 お昼ごはんも食べ終わり、ぽかぽかと太陽の光が降り注ぐうららかな午後。金曜五限の数学は、担当教師の都合により自習となった。

 うちの高校はそこそこ進学校だし、それなりに真面目な生徒が多いのだけれど、それでも十五分もしないうちにざわざわと教室が騒がしくなってきた。真面目に課題に取り組んでいる生徒もいるけれど、大半は周りの子たちとお喋りをしたり、スマホをいじったり、居眠りをしている子もいる。

 隣の席の新庄くんは早々に課題を片付けたらしく、微動だにせず想い人ひかりちゃんの後頭部を見つめていた。新庄くんは真ん中の一番後ろ、ひかりちゃんは廊下側の前から二番目だ。新庄くんは彼女の一挙一動を遠くから見守れる現在の配置をたいそう気に入っており、いつも地下アイドルを応援する古参ファンのごとき笑みを湛えて、彼女のことを見つめている。

 さて、当のひかりちゃんはといえば。後方古参ファン面をしている新庄くんのことなど見向きもせず、前の席に座っている男子に熱心に話しかけていた。何を隠そう、ひかりちゃんの彼氏である上牧悠太である。

 ひかりちゃんは上牧の背中に「スキ」と書いてみたり、後ろから頭突きをしてみたり、肩を揺さぶったりしていたけれど、上牧は完全にそれを無視していた。あんなに可愛い彼女の「かまって」攻撃を総スルーできる神経がすごい。それでも、ひかりちゃんは心底楽しそうに笑っている。


「……ああ。今日も水無瀬さんが幸せそうで世界が美しい……」


 新庄くんは再びひかりちゃんに視線を戻し、そう呟いて満足そうに頷く。彼の気持ちは私にはよくわからない。私だったら、好きな人が他の子に夢中になってる姿なんて、面白くもなんともないけれど。私の口から漏れた「ふーん」の声は結構ふてくされていたけれど、彼はきっと気付きもしない。

 そう、私は今、現在進行形で面白くない。私――南方あかねには好きな人がいる。私がこっそりと想いを寄せているのは、クラスメイトの新庄貴之くん。そしてそのことは、このクラスの誰も知らない。


 彼の名誉のために一応言っておくけれど、新庄くんだってひかりちゃんに出逢うまでは、ここまで奇天烈な人間じゃなかった。

 私と新庄くんは、中学のとき三年間同じクラスだった。長身のイケメンで、かつ真面目な優等生で生徒会長まで努めていた彼は、人望があり結構モテていた。私も所詮は、そんな有象無象のうちの一人だったのだ。

 しかし、そんな新庄くんに対する周囲からの評価は、高校入学を機に一変することとなる。

 水無瀬ひかりちゃんに出逢ってしまった新庄くんは、彼女のことを女神の如く崇め始めた。毎朝挨拶とともに彼女を褒め称え、朝も昼も夕も愛の言葉を注ぎ続けた。人目も憚らない彼の姿に周囲はドン引きし、彼に恋焦がれていた女の子たちは、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。中には、「どんなに頑張ってもひかりちゃんには勝てない」と身を引いた子もいたのかもしれない。

 私も少なからず、彼の変貌ぶりにドン引きしていたけれど――それでも私の新庄くんへの気持ちは冷めなかった。彼の本質が変わっていないことを、わかっていたからかもしれない。

 新庄くんを好きになったきっかけは、もうあんまり覚えていない。男子に天パをからかわれていた私を庇ってくれたことかもしれないし、誰もがやりたがらないトイレ掃除に真剣に取り組んでいるところを見たことかもしれない。周囲に対してまっすぐで誠実で、融通が効かないところもあるけれどとっても優しい。たぶん、そういうところが好きだった。……口に出したことは、一度もないけれど。


「ずいぶん熱心に見てるねー」


 再び声をかけると、新庄くんは律儀にこちらを向いてくれる。話すときに相手の目をしっかり見るところは、彼のいいところのひとつだ。


「ああ。不思議なことに、いくら見ていても飽きない。永遠に見ていられる」

「……新庄くん、最終的にひかりちゃんとどうなりたいわけ?」

「できることなら、水無瀬さんと上牧くんが結婚したあかつきには新居の天井裏に住み、幸せな二人の生活を黙って見守りたい」

「こわっ、なにその不気味な座敷童……やだー……」


 予想外に重ための願望が出てきて、私は思わず身震いした。こんな座敷童、新婚家庭に絶対いてほしくない。こんなのが天井裏に棲みついてたら、私だったら秒で追い出す。


「とはいえさすがに、僕もそこまで図々しくはない。せめて結婚式には出席させてほしい。きっと上牧くんの隣で微笑む純白のドレス姿の水無瀬さんは、世界で一番美しいだろうからな。いや、白無垢も捨て難いが……しかしカラードレスも……」

「いやいや。そこ、新庄くんが悩むとこじゃないでしょ」


 私は呆れて頬杖をついた。新庄くんは想像だけで泣きそうになっているのか、そっと目頭を押さえている。

 たしかにウェディングドレス姿のひかりちゃんは、この世のものとは思えないくらいに綺麗だろう。号泣している新庄くんの姿が目に浮かぶようだ。まあ、彼が参列できるかどうかは微妙なところだけど。

 ……でも、新庄くんは本当にそれでいいのかな。自分以外の男の人の隣で世界一幸せそうに笑う、大好きな人の花嫁姿を、果たして心の底から美しいと思えるんだろうか。


 「……新庄くんはさあ。ひかりちゃんが上牧と一緒にいるとこ見てて、しんどくないの?」


 我が校のアイドルである水無瀬ひかりに彼氏ができたとき、大袈裟ではなく大半の生徒が震撼した。それは新庄くんも例外ではなく、さすがの彼も数日はちょっと落ち込んでいたように見えた。けれどもすぐに立ち直り、ひかりちゃんの幸せを応援するスタンスに切り替えたらしい。

 ……どうして新庄くんは、心の底からひかりちゃんの幸せを願えるんだろう。好きな人には、自分の隣で笑っててほしいものなんじゃないかな。少なくとも、私はそうだ。


「自分の大切な人が幸せそうに笑っているのだから、これ以上の幸福はないだろう」


 迷いのない瞳できっぱり答えた彼の気持ちは、私には全然わからない。私は新庄くんのそういうところが大好きで、ちょっとだけ嫌いだ。早くきっぱり諦めてくれたらいいのに、と思う私は、彼みたいに善良にはなれない。

 彼はこんなにまっすぐで善良で、一途にひかりちゃんのことを思っているのに――どうしてひかりちゃんは、上牧じゃなきゃダメなんだろう。


「……あーあ。見る目ないなあ、ひかりちゃん」


 ぽつりと呟いた私に、新庄くんは「それは聞き捨てならないな」と眉を寄せた。彼はひかりちゃんの悪口には敏感だ。それでも私は引き下がらず、「だって」と唇を尖らせる。


「私の好きな人もひかりちゃんが好きなのに、ひかりちゃんは見向きもしないんだもん。やっぱり、見る目ないよ」

「……南方さんの想い人も、水無瀬さんに恋焦がれているのか……やはり、彼女は罪な女性だな」

「絶対絶対、私の好きな人が、世界で一番すごくてかっこよくて素敵なのにー……」


 机に突っ伏してそう呻いた私に、新庄くんはふっと柔らかな笑みを向けた。


「……南方さんも、辛い恋をしているんだな」

「……辛くない。私はまだ、諦めてないもん。新庄くんみたいに優しくないから」

「南方さんは強いな。……僕は、君みたいにはなれなかった」


 低い声でそう付け足した新庄くんにも、本当はちょっと思うところがあるのかもしれない。私が黙っていると、彼はやけに優しい眼差しをわたしに向けて言った。


「南方さんのような素敵な女性に愛されているのに見向きもしないなんて、君の好きな男は見る目がないな」


 ……どうしよう。喜んだらいいのか悲しんだらいいのかわからない。

 褒められてるんだろうけど、なんだかすごく残酷なことを言われたような気もする。この人、ただの少しも私に好かれているという可能性に思い至らないのかな。本当に、ひかりちゃん以外に興味がないんだな。


「……新庄くんのバカ」


 思わず吐き捨てた私に、新庄くんはきょとんと目を丸くする。新庄くんのバカ、バカバカバカ。それでも、こんなにバカな男を好きで好きでたまらない私の方が、もしかすると見る目がないのかもしれない!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る