魔法使いと弟子

楸 茉夕

 

 今日の課題は魔法で暖炉に火をつけることだ。

「……光は熱に、熱は光に、収束して炎を生ず!」

 炎が上がるはずだったまきの束から、ぷすん、と音がして、黒い煙がうっすらと上がった。少年はかざしたてのひらと薪とを見比べ、肩を落とす。

 少し離れた場所に椅子を据えて眺めている師を、恐る恐る振り返る。師匠はだらしなく姿勢を崩し、興味なさそうに本をめくっていた。

「ちょっと! 師匠! ちゃんと見ててくださいよ!」

「え? あー、聞いてる聞いてる。そいつは美味そうだ」

「一文字もあってない!」

「聞いてるって。何回目だ?」

 本を捲りながら目を上げもしない師に、少年はぼそりと答える。

「……十回目です」

「二桁突入か。まあ頑張れ」

「頑張れ、じゃなくて。もっと有効なアドバイスないんですか!?」

「ないね」

 一言で切り捨て、師は本を閉じた。椅子に座り直して足を組み替える。

「呪文は教えた、契約も完了してる、術式も正確。あとはおまえ次第」

 少年はため息とともに更に肩を落とした。―――やはり、自分には魔法の才能はないらしい。

 そのことを告げると、師は鼻で笑った。

「十回失敗したくらいで大袈裟だな。おまえはまだピンピンしてるだろ。吐いてぶっ倒れて指一本動かせなくなるまでやってみて、それでも成功しなかったら才能はないかもしれないがな」

「でも……」

「四の五の言う前に練習。時間が勿体ない。あと寒い」

 少年は反駁はんばくを諦め、暖炉に向き直った。正直、気持ちは折れかかっている。普通に火を熾して暖を取りたい。

 失敗を重ねることが恐ろしくて呪文を唱えられずにいると、師が立ち上がった。近付いてくるので振り返ろうとしたら、その前に後ろから両肩を捕まれる。

「あんま気負うな。おまえに才能がないなんてことはない。本当に箸にも棒にもかからないようなら、そもそも契約からして不可能だ」

 少年は肩越しに師を振り返る。

「そうなんですか?」

「そう。精霊も妖精も、力を貸す相手くらい選ぶのさ」

 少年の背を軽く叩き、師は部屋を出て行った。少年は一度深呼吸をして、もう一度薪へ掌を向けた。




 台所へ向かった魔導士は、かまどの前にしゃがみ込んだ。

「マダム、起きてるか」

 竈に溜まった灰の間から、蛇の舌を思わせる細い炎がちろりと立ち上る。炎は徐々に大きさと明るさを増し、ロングドレスをまとった淑女を形作る。

 両手に乗るくらいの大きさの炎の精は、彼を見上げて妖艶に笑んだ。契約時に名は聞いたが、呼ぶのは特別なときだけだ。普段は単に、マダムと呼んでいる。

『こんな時間に珍しいわね。お茶にはまだ早いのではない?』

「俺が力を借りたいんじゃない。あいつに力を貸してほしいんだ」

 マダムは意外そうな顔をして小首をかしげた。

『まあ、もっと珍しい。あなた、放任主義ではなかったの?』

「放任主義だとも。だが、暖炉がないと寒くてかなわん。別の課題にするべきだった」

『素直じゃないのね』

 小さく笑い、マダムはふうわりと浮かび上がると魔導士の肩に座った。

『あの子も、もう少しなのにね。わたしがいるのはわかるみたいなのよ。もう少し、あと少し何かを掴めれば見えるようになると思うし、ものすごく伸びると思うわ。あなた、うかうかしていたら抜かされてしまうかもしれないわよ。チビちゃんたちなんか、あの子に力を貸したくてうずうずしているのだから』

 マダムの言う「チビちゃんたち」とは、火の妖精たちだ。さっきも、少年の周囲をふわふわと舞っていたのだが、少年が存在に気付かず、具体的に助力をえないので、妖精たちも、どう力を貸していいのかわからないのだ。

「あいつが俺を超えるなんて百年早い。二百年でいい勝負だ」

 うそぶく魔導士を横目で見て、マダムは笑みを噛み殺す。

 居間に戻ると、少年はまだ暖炉と向き合っていた。

「調子はどうだ」

 声をかけると、少年は困り果てた顔で振り返る。

「何回目だ?」

「……十五回目です」

「嘘をつくな。さっきので二十回だろう」

「わかってるなら訊かないでくださいよ」

「確認のためだ」

 少年は無言で項垂れた。相当参っているようなので、魔導士は肩にいるマダムに目配せする。マダムは頷くと、火の妖精たちを引き連れて暖炉の薪の上に陣取った。

 魔導士は先ほどの椅子に腰掛け、暖炉を顎でしゃくる。

「ほら、二十一回目。頑張れ」

「今日中にできる気がしないんですけど……」

「そう悲観するな。次は成功するかもしれないだろ」

「……そうでしょうか」

「確定された未来などない」

 完全に萎れた様子の少年は、のろのろと手を暖炉に向けた。

「光は熱に……」

 手を翳したり杖を使ったり、呪文を唱えるのも、集中するための手段に過ぎない。技術を磨けば、極端な話、視線だけでも魔法は使えるようになる。要はどれだけ精霊たちと心を通わせられるかだ。

「熱は光に……」

 少年の声に合わせるように、暖炉のマダムと火の妖精たちが手を取り合って、円を描くように踊り出す。

「……収束して、炎を生ず!」

 マダムを中心に、火の妖精たちが薪の上で飛び上がると、薪は勢いよく燃え上がった。少年はぽかんと炎を見て、信じられないとでも言いたげにかぶりを振る。

「で……」

 何度見直しても炎が消えないとわかると、少年は魔導士を勢いよく振り返った。

「できました! できました、師匠!」

「見ればわかる」

「やったー! ……あれ?」

 少年は何かに気付いたように視線を宙に向けた。その先には火の妖精が浮かんでおり、おや、と魔導士は眉を上げる。どうやら、壁を一つ破ったらしい。

「この子たちは……?」

「今、おまえに力を貸してくれた火の妖精だ。ちゃんと礼を言え」

 少年は目を丸くして妖精を見た。少年の目に映っていることがわかったらしい妖精は、にっこりと笑んで手を振る。

「わああ……見える! 見えるよ! ありがとうみんな!」

「もう火は着けられるな。お茶を淹れてくれ。喉が渇いた」

「はい!」

 先ほどまで悄気しょげ返っていたのが嘘のように、少年は軽い足取りで部屋を出て行く。

 今の少年が視認できるのは妖精だけのようで、マダムが残念そうにしながら魔導士の近くへ漂ってきた。

『悲しいわ、わたしとのご挨拶はおあずけね』

「何かを掴めれば、ものすごく伸びるんだろう?」

 先ほどのマダムの言葉を借りて返せば、マダムは不満げに唇を尖らせた。

『可愛くないこと。わたしもあの子のお手伝いをしてくるわ』

 ぷいと顔を背け、少年を追って台所へ向かうマダムに、魔導士は忍び笑いを漏らした。

 なんだかんだ、皆少年が可愛いのだ。この地域に彼らと交流できるのは魔導士しかいなかった。かわいげのない大人の男よりも、愛嬌のある少年を好ましく思うのは当然だろう。

(今日はもう課題を出さないでおいてやるか)

 少年には遊ぶ時間も必要だ。魔導士は読みかけの本を手に取った。

 暖炉の炎は赤々と燃えている。




 了

 

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