21回目の鐘の音

南雲 皋

悪意の根

 遠くから、鐘の音が聞こえる。


 どこから鳴っているのか誰も知らない鐘の音が。

 いつから鳴り始めたのか誰も知らない鐘の音が。


 ただ、どうして鳴っているのかだけは、誰もが知っていた。


 鐘の音が鳴り終わる前に、家に帰らなければならないよと言われて育つ。

 自分の家に戻れなくても、誰の家でもいい、人間の住む家に入りなさいと。


 よくある、子どもをおどかして言うことを聞かせるための作り話でないことは、物心つく頃には理解する。

 嫌というほど。


 なぜなら、村で葬式が行われる時、そのほとんどが鐘の音が鳴り終わる前に家に入れなかった者たちの葬式だからだ。

 彼らの死体は損傷が酷く、村の限られた大人たちが密やかに棺に入れる。

 遺族でさえも遺体を見ることは推奨されていない。

 どうしてもという場合だけ棺の蓋は開かれるが、大抵遺族は失神した。



 ホーシェムがその限られた大人たちの仲間入りを果たしたのは、彼の勇気が理由ではない。

 むしろ逆だった。

 ホーシェムは誰にも負けぬ体格に恵まれていながら、ほかの者より少しだけ知恵遅れだった。

 村の若者たちの間ではかなり浮いた存在であり

ほとんど押し付けられる形で、遺体を扱う大人の中に入ったのだった。


 大人たちはそのことに気付いていたが、表立ってほかの若者たちを叱ることはなかった。

 代わりに、ホーシェムが仲間になったら力持ちが増えて助かるな、などといった褒め言葉を多用した。

 ホーシェムは自分の置かれている立場についてよく理解していたので、そのことについてとやかく言うことはなかった。

 黙って頷いて、大人に混じって仕事をこなすのだった。


 とはいえ、そこまで頻繁に決まりを破る者が現れるわけではない。

 酔っ払って前後不覚に陥った者か、親を亡くした子ども、近隣の村からの流れ者に関しても、死んだのが村の近くであれば埋葬してやっていた。

 死体を放っておくと大きな獣が寄ってくるからである。


 村の代表の仲間入りをしてからどれだけ経った頃だろう。

 初めての仕事がやってきた。

 まだ日の出も遠い夜と朝の中間、ホーシェムが母と住む家に報せが届いた。

 鳩の首に結ばれた文には集合場所が書かれてあって、ホーシェムは母に見送られて家を出たのだった。


 集合場所に着く頃には4回目の鐘が鳴り、空がぼんやりと白んできた。

 ホーシェムが森の中に入った時から微かにしていた生臭さは、集合場所に近付けば近付くほど濃くなっている。


 伸び放題の草の隙間から、人だった物が顔を覗かせていた。

 呼ばれたから、自分の仕事が何なのかが分かっているから、だからこそ今ホーシェムの足元に転がるそれが人間の一部だと理解できる。

 けれど、何も知らなければもしかしたら、それが何かも分からずに通り過ぎてしまうかもしれなかった。

 それほどまでに、無惨にバラバラになっていた。

 ただ、周辺を包む血生臭さだけが、ここで何かがあったのだと強烈に伝えてきていた。


 ホーシェムは今まで棺の中を見たことはなかった。

 昔、ホーシェムの父が死んだ時、母すらも棺を開けることはしなかったからだ。

 こんなにもバラバラになっているとは思わず、ホーシェムはたじろいだ。


 村長の声で、集まった全員が動き出す。

 そこら中に散らばった肉片をかき集め、元の形が分かるくらいに塊でちぎれているものは、腕なら腕、脚なら脚、顔なら顔の場所の棺に納めていった。

 骨も肉も可能な限り棺に納め、どうしようもならない細かな肉片と血液は、近くの川から汲んできた水で洗い流す。


 こんなにも人間の身体を細切れにするような存在が近くにいるのだと思うと、ホーシェムは震えた。

 作業の途中に5回目の鐘の音が鳴り、思わず肩が跳ねる。

 21回目の鐘の音までは、まだ時間がある。

 ホーシェムは深呼吸をしながら作業を続けた。


 作業が終わったのは、6回目の鐘が鳴り終わった頃だった。

 ホーシェムは他の3人と棺を支えながら村に帰った。

 皆が重そうにしていたので、ホーシェムはできるだけ力を入れるようにした。


 葬式は明日行われる。

 今日は準備のための一室に置かれ、希望する家族にのみ面会を許されるのだ。


 棺の中を家族が見ることはなかったが、それでいいとホーシェムは思った。

 あんなにもバラバラで、死んだ人の面影もないくらいで、どうやって悼むというのか。


 ホーシェムは家に帰った。

 母の姿が見えず、不思議に思いながら再び家を出た。

 既に20回目の鐘が鳴った後である。

 早く家に帰らなければ、次のバラバラ死体は母になってしまうのだ。

 ホーシェムは村中を探し回り、しかし母は見つからなかった。


 どうして。

 ホーシェムは村の外れで立ち竦んだ。

 周りにポツポツとある家の中から、ホーシェムを見つめる瞳がいくつかあった。

 それらはやけにニヤニヤしていて、ホーシェムはまさかと思う。


 自分はきちんとお勤めを果たしているのに。

 村のために働いているのに。

 どうして自分だけでなく母までも、村人たちの悪意に晒されなくてはならないのか。


 21回目の鐘の音を聞きながら、ホーシェムは背後から様々な気配が近付いていることを感じていた。

 どこからともなく、上からも、下からも、前後左右からも。


 けれど、その気配のどれよりも、村人たちが自分を見る目の方が怖かった。


 ホーシェムを殺すのは、鐘の音のソレではない。

 仲間のはずの、村人なのだ。




【了】 



 

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21回目の鐘の音 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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