CALLING

尾八原ジュージ

幽霊の呼び出し方

 早苗は受話器を左耳に当て、右手に持ったボールペンで、社名が入ったメモ帳に正の字をひとつ書き終えた。いたずら書きは、手持ち無沙汰が嫌いな彼女の癖だ。

 早苗がオフィスの電話から呼び出しているのは、自宅の固定電話である。もちろん私用だが、休憩時間内にちょっとかける程度なら大目に見てもらえるのだ。

 今朝、早苗はスマートフォンをどこかに忘れてしまった。これまでの経験から言って、こういうときは大抵玄関の靴箱の上に置かれているものだが、それを確認しないことには落ち着かない。もし外で落としたのなら大変だ。スマートフォンにもかけてみたが、残念ながら応答はなかった。

 もしも家にあるなら、在宅ワーク中の夫の英二が確認してくれるはずだ。しかし彼はなかなか電話に出ず、彼女の手元にはもうひとつ正の字が増えた。

(出かけてるのかなぁ)

 そんなことを考えつつ、早苗は受話器を置こうとはしなかった。このまま鳴らし続けて、英二が出たら「○○回も鳴らしたのに」と文句を言ってやろうと思った。きっと「相変わらず諦めが悪いなぁ」なんて笑われて終わりだろうけど。

 電話はまだコール音を鳴らし続けている。早苗はメモ帳に線を引いた。まもなく三つ目の正の字が出来上がってしまう。

(誰もいない自分ちに電話かけるのって、怖くない?)

 ふと、昔友達と話したことを思い出す。

(怖いかなぁ、そんなの)

(えーっ、怖くないの? だって、もし誰かが出たらどうしようとか思わない?)

 なるほど、と早苗は思った。無人のはずの自宅の電話に誰かが出たら、確かに怖い。いるはずのない誰かが入り込んでいることになる。

 手元にはもう三つ目の正の字と、アルファベットのTが完成している。

 プルルル

(もう、早く出てよ)

 完成した正の字が四つ並ぶ。その横に新たな横線を引っ張ったとき、ガチャ、と受話器を上げる音がした。

『はい、もしもし』

 応えたのは女の声・・・だった。

 早苗は荒っぽい音をたてて受話器を置いた。それから立ち上がって課長の前に歩いていくと、有無を言わせず「早退します」と宣言した。

 帰路を急ぐ早苗は、電話に出た女のことを考えていた。早苗と英二のふたり暮らしなのにも関わらず電話に出た、いないはずの女。21回のコール音……

 あいつだ。

「ただいま」

 わざと大きな声で言いながら、早苗は玄関を開けた。英二はおらず、代わりにリビングの中央に髪の長い女が立っていた。

「やっぱりあんたか」

 早苗は嘆息した。

「岬早苗、いや、《幽霊ゴースト・レディ》。仕事だ」

 女は無機質な声で言った。

「やれやれ、しばらくは平和な日常をと思ったんだがな」

 早苗は服を脱ぎ、クローゼットから取り出した光学迷彩スーツに身を包んだ。

「不可抗力だ」

「わかってるよ、ボス!」

 光線銃をベルトのホルスターにしまい、ゴーグルをかけると、早苗はその透過能力をもって超高層階の窓を幽霊のように通り抜け、新千代田区新神田、通称「都市シティ」へと透き通った弾丸のように飛び出していった。

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CALLING 尾八原ジュージ @zi-yon

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