21番目トリソミー【KAC2021作品】

ふぃふてぃ

21番目トリソミー

 私は都内某所の歯科を訪れていた。決して虫歯や親知らずの痛みで来院したわけではない。営業である。昼休みに入った歯科の院長先生に、顔見せを兼ねて訪れた次第だ。


 姿勢を乱さず待合室の長椅子に腰掛ける。前方から院長先生らしき人物が現れたので、私はすかさず起立し、急な来訪への謝辞を述べた。


「やあ、やあ、」と楽観的な口調にも関わらず、恰幅の良い男性は。見下すように睨め付ける。私はいつも通りの営業スマイルと、名刺を押し付けるように差し出す。


「にじゅう、に」

二十二じそじ 彦一ひこいちと申します」


「へぇ、珍しい名前だね」

「北関東、特有の苗字でして、幼い頃は彦一ひくいち、−1、マイナス1。二十二から二十一にいちなんて、あだ名で呼ばれてまして……」


「ふーん」と院長。

 ーーどうやら、さほど名前には興味がない御様子だ。


 私は飽きられる前に、最先端のインプラントのカタログを手渡した。


「ウチはね、そんなに、インプラントには積極的じゃ無いからね。アレルギーとか怖いし、今までので良いかな。ごめんね。これから昼飯だから。失礼するよ」


「まぁ、そう、おっしゃらず。当社のインプラントは金属アレルギーも従来の物より少なく、安心安全に取り扱いが出来ます」


「考えとくよ」と程よく断られ、私も「ありがとうございます」と心無い感謝を述べた。


 

 慣れというものは怖いもので、最初は外回りに行けば、恐怖や怒り、悲しみなどの気持ちを抱いたていた。それなのに、今では何とも思わなず、頭を下げられる程に落ちぶれていた。


 私の唯一、隠された能力は頭を下げること。本当は手放したくて仕方がない能力だが、これは一種の防衛本能の類なのかもしれないと思って諦めている。



 それでも溜息は出た。この後に訪問する理由は、営業ではなく欠陥品の回収。クレーム案件だからだ。

 頭を下げれば済むような話だったが、後輩の対応不足で話は大きくなり、かわりの者が尻拭いに伺うという始末となった。そして、私に白羽の矢が立った。


 サラリーマン八年の経験を駆使し、アポは事前に取りつけたものの、指定の時間は五時半。まだ、四時間以上も時間がある。


 こんな時、某有名マンガなら「腹が減った」と一言。この乱立する飲食店から、魅力的な一件を見つけるのだろうが……。

 私は左右を見渡しながら、一軒一軒、入り口のメニューを見て進み、迷った挙げ句に入った二十一軒目は牛丼チェーン店。その行為は、決めることのできない自分への諦め。折角、東京まで出てきて、食べ慣れた所に腰を据えた。


 野球部のベンチ入りを外され、21番目の選手として努力した高校生活。最後に得たのは二十一にいちという蔑まれた渾名だけだった。 

 ベンチ入りを外れた段階で諦めていれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだ筈だった。


 それ以来。21という数字は、私にとって、身を引く目安。諦めの象徴のようなものになっていた。



 昼食は一瞬で終わる。漫喫で時間を潰そうかと思いながらも、プラプラと当ても無く歩いていた。三月の頭にしては、まだ肌寒く、冬籠もりの最中のような風が吹いていた。



大きな美術館の前で足が止まる。


『二十一回 昨日展 〜平成の終わりに〜』


 二十一という数字と、平成というサブタイトルに惹かれた。平成元年生まれの私にとって、コレは見なくてはと、自責の念に駆られたのだ。


 21回目になる展覧会では、平成時代に表現者として駆け抜けた九人の作家と、ゲスト作家の一人を加え、あわせて十人の作品が展示してあると、入り口のパンフレットに書いてあった。


 千円で暇が潰せるならとチケットを購入した。外はまだ明るいのに、館内は少し薄暗く、私は琥珀色の美術館を歩く。

 暖房は効いているのか分からないが、風を凌げただけでも、ほんのりと暖かさを感じた。


 まず初めに目に入って来たのは、フリップブック。いわゆるパラパラ漫画だった。ハンドルを回す事で絵が動く装置で、さまざまな物語を表現している。


 カツカツとスーツ姿で闊歩する自分に少し酔いしれる。虚勢を張りながら、さも分かったように、時に頭を抱え、時に納得したように頷いた。


 麻紐で練られた雪の結晶の前では「ふーむ、ふむふむ」と、立ち止まる。惹かれるものは、あるものの、その良さはイマイチ分からない。


 展覧会は、絵画、メディアアート、陶芸と様々な表現方法でメッセージを発信している。

 私がまれ、きた平成という時代。そのベクトルは違えど、平成という時代が、様々な人を育てていた事実に、思いを馳せた。


 それでも、芸術的なアンテナを持たない私には、それらのメッセージを受け取り、咀嚼して飲み込む事は出来なかった。


 カツカツとフローリングの床を歩く、最初は熱心に目を向けていたが、芸術がを理解するには、時期尚早だった。



 歩き疲れ、出口に向かう途中で、ゲスト作家の作品に目が止まった。


 ダイナミックな作品に圧巻した。壁一面に描かれた大きな壁画のような絵画。和紙を切り貼りして作り上げられた。日本の風景に絶句した。

 芸術なんて教養の一欠片も、持ち合わせていない、私の心を鷲掴みにした。


 更に奥へといざなわれる。二十一回目の展覧会、ラストを飾る二十一点目の作品。その作品に、私のアンテナが遂に芸術を捉えた。瞠若どうじゃくした。


 逆さで宙吊りにされた日本地図。ひっくり返された日本列島に、ぽちゃんと水面に石を落としたような波紋が、同心円状に記されている。波紋の中心は、東日本大震災の震源地。


 この作品を目の当たりにしたとき、時間の流れが止まった。脳の奥底に眠る記憶が、呼び起こされた。


         ○


 当時、私は大学生だった。北関東の山の中にある、だだっ広い敷地にある大学に通っていた。

 震災当日は、今日みたいに春の訪れも感じることのできない程の、肌寒い日だった。

 就職浪人が危ぶまれる私は、惜しげもなく大学に通い履歴書の添削を受けていた。そして、同じ類の友人達と学食で飯を食い、互いの心の傷を舐め合っていた。


 突然の地揺れは長く、徐々に大きくなる。窓ガラスが割れ、異常事態だと気づく。私達は校庭に避難をした。薄らみぞれ混じりの雪がチラつき、異様な光景だった。


 その日は、帰宅困難な為、友人宅に泊めて貰い、親の顔を見て、一息つけたのは、次の日の午後だった。


 震災当日から三週間が経って、大学がボランティアを募った。最初は乗り気ではなかったが、就活の面接に打って付けだと友人に勧められ、姑息な理由で参加したのを覚えている。


 大学からマイクロバスに乗り、揺られること三時間。バスを降りて、事前に決められたグループに分かれ、近隣住民宅を訪れる。

 私と友人のグループは、庭付き平屋の古民家に誘導された。思いの外、損壊が少ないと初めは思った。


 私達に与えられた仕事は泥の掻き出し。とは言っても、家の中は片付いていて、泥があるのは庭の畑。スコップで掬い、一輪車の荷台に積んで、指定された場所に運ぶの繰り返し。

 グループは私を含めて七人。全員が男性で構成されていたので、仕事は二時間程で片付いた。


 私達は縁側近くに腰掛け、麦茶と握り飯を頬張った。美味かった。気持ちがよかった。


 私達は古民家に住む老夫婦の話に耳を傾け、震災の恐ろしさを、と肌で感じた。


 普段は潮風も届かない場所にすら津波は到達したのだそうだ。私達が運んだ泥が、全てを物語っている。震災当日は家の中もで、私が訪れる二日前に、やっとの事で片付けたのだそうだ。

 それでも、まだマシな方と老夫婦は語る。老夫婦近辺の家は、高速道路の陸橋が堤防として機能し、最悪を免れたのだそうだ。陸橋より海側は跡形も無く、全てを飲み込まれたと言う。


 老夫婦は帰宅する私を見送りに来た。きゅうり農家を再開できる喜んでいた。最後は何度も「ありがとうございます」と深々と頭を下げていた。バスが遠く離れても、見えなくなるまで手を振ってくれていた。感慨深い体験だった。


 マイクロバスが陸橋を走る。私は窓から海側を眺めた。何も無い新地さらちにガラクタや材木が散乱している。反対側、陸橋より山側、ボランティア活動をした民家の辺りを眺めた。


 パッと見では分からない。地震も津波も、無かったようにも思えてしまう。それでも、あの「ありがとうございました」を思い出すと、大変だったのだなと思った。


         ○


 気づけば、私は長い時間、その場に佇んでいた。いつしか、絶え間なく流れる時間は、私の経験を風化させ、津波に飲まれるように記憶を失っていた事を知った。


……私はこの時、忘却を恐れた。


 ピリリッと電話が鳴る。すぐさま出口へ向かい。通話ボタンを押す。後輩からの謝罪だった。

 それだけ、しっかりと謝れるなら、最初から得意先にやってろ、と言いたいが「ありがとうございます」と付け加えられてしまうと、返答に困る。


「お前も色々と大変だったんだろ。後は大丈夫だから、後で飯でも奢れ」


 そう言ってケータイを胸ポケットにしまう。私の唯一の余分な取り柄を、持て余して置くのも、勿体ない話だ。ーーさぁ、頭を下げにでも行くか。


 私は美術館で貰ったパンフレットに目を落とす。最初は無機質な出立ちに恐怖を感じた、宙吊り逆さの日本地図が、今は何処か、希望や明るい未来を示唆しているように思えた。


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