第27回電撃小説大賞《メディアワークス文庫賞》受賞作/『君と、眠らないまま夢をみる』試し読み

メディアワークス文庫

プロローグ


「双子のパラドックスを知っているか」

 中井恭介がわけのわからないことを言いながら振り向く。くせっけに隠れた黒い目がこちらをじっと見つめていた。

「概要はこうだ。双子の片方、たとえば兄が光速で飛ぶロケットに乗って宇宙へと旅立ち、弟は地球からそれを見送ったとする。この仮定で重要なのは視点だ」

 そのとき俺たちはケンカをしていた。少なくとも俺はそう思っていたので、少なからず腹を立てていた。そのことに気づかない恭介は相変わらず落ち着いた口調で話し続ける。

「地球に残った弟からすれば兄が光速で離れていくように見える。だがロケットにいる兄からすれば、弟の残った地球が光速で離れていくということでもある」

 恭介の部屋にはたくさんの楽譜があった。ベッドのシーツも白、楽譜も白。あまりの白さに目が痛くなる。窓の外に視線を逃したが、外も雪が降っていて気が滅入った。

 この天気が悪い中、突然呼び出されたと思えばこの有り様だ。笑えない。

「わけのわからない話をするだけなら、もう帰るからな」

「智成」

 楽器ケースを掴んで立ち上がった俺を恭介は呼び止めた。

「真空の宇宙で、音は聞こえると思うか?」

「は? 聞こえるわけないだろ」

 音は振動だ。楽器も声も空気を震わせ、その振動が鼓膜を揺らすことで初めて聞こえる。空気がなければ音は聞こえない。

 俺の答えを聞いて、どこか安心したように恭介はうなずいた。

「そうだ、僕には聞こえない。だが智成には聞こえるはずだ」

 用は終わった、とばかりに恭介は再び背を向けてしまう。これには俺も我慢の限界だった。

「本当に帰るからな!」

 頭にかっと血がのぼって、俺は恭介の家を飛び出す。途中で恭介の妹と廊下ですれ違ったが足を止めようとは思わなかった。

 暖房のきいた部屋からいきなり外に出たため、寒暖差で心臓が痛くなったことを今でも思い出せる。帰り道、どんどん雪は強くなり、家につく頃には吹雪になっていたことも。

 その二時間後、恭介は事故で死んだ。

 少なくとも俺はそう思っている。

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