想いを継いで

悠井すみれ

第1話

 結婚二十周年の記念に両親が入手したウェッジウッドのカップは、二十一回目の結婚記念日を一か月後に控えて無残に割れた。英国生まれの磁器は日本の風土が合わなかったのかもしれない。日本人なら騒ぎもしない震度四の地震で慌てたのだろうか、優美な薔薇が描かれたカップは食器棚から飛び出して床に叩きつけられたのだ。


「お母さんのしまい方が悪かったと思うのよね……」

「よく使うから手前に置いてたんでしょ? 仕方ないよ」

「食器棚、もしかしたらちゃんと閉めてなかったかも、って」

「もともとちょっとガタが来てるし。使ってて落としちゃうよりは諦めつくでしょ」

「でも、ねえ」


 母の嘆きはとどまるところを知らないようだった。まあ、事情は私も知っているんから分かるんだけど。


 各自の誕生日や父の日母の日、クリスマスやお正月やバレンタインに加えて、我が家では両親の記念日も行事として毎年しっかりと組み込まれていた。金婚式とか銀婚式とかいうやつは、結婚一周年目から色んな名前がついているそうで、それにちなんだイベントを毎年やっていたのだ。私が覚えている最初のやつだと、五年目の木婚式。その時庭に植えたハナミズキは、毎年花を咲かせて季節を教えてくれている。

 八年目のゴム婚式とかどうするんだよ、みたいなのもあるし、まあ、正直言って何かしらの業界がバックにいる気はするんだけど、子供のころの私としてはケーキが食べられるイベントだから楽しみだった。


 でも、周年記念に名前がつくのは十五年目の水晶婚式まで。十五年も一緒にいたらもう当分大丈夫だろ、みたいな計算でもあるんだろうか。だから、去年の二十周年──磁器婚式は、両親にとっては久しぶりのイベントだった。お揃いのカップとソーサーを贈り合って、二十五年目の銀婚式では銀のティースプーンでお茶にするんだ、なんて言っていた。ふたりしてお酒を飲まないから、良いお茶とケーキを、ってことになる。


 そういう、未来の楽しみまでも割れてしまったようで母は落ち込んでいるようなのだ。


「限定だからもう同じのはないのよねえ」

「割れちゃったのはどうしようもないじゃん」


 スマホに目を落としながら母をあしらう私は、別にそれほど冷たい娘ではないはずだ。大学生にもなって、両親の仲の良さを見せつけられるのも恥ずかしい。でも──中高生ほど潔癖でもないし、反抗期真っただ中って訳でもない。だから私は、にい、よ笑うとスマホの画面を母に見せてあげる。


「ね、お母さん。金継きんつぎって知ってる?」


 そこに表示させていたのは、近所の陶芸工房だった。初心者から中級者まで、色んな教室を開いているらしい。エプロンをつけた老若男女の写真が、ホームページに掲載されている。


「私からの結婚記念日のプレゼント──これにしよっかなって」




 金継ぎというのは、欠けたり割れたりした磁器や陶器を漆で修復し、金属粉で仕上げる日本古来の技法だとか。ヒビや欠けを金でいだ見た目はちょっとお洒落でアンティーク感も出て、画像で見たところでは良い感じに見えた。母のウェッジウッドは細かな破片になったのではなくて、大きく幾つかのパーツに割れてしまっていたから、直せるのではないかと思ったんだけど──その考えは、当たっていたらしい。


「これで元通りに使えるようになるのね……」


 陶芸工房に通い始めて三回目のレッスンの席で、母はしみじみと呟いた。漆を接着剤にして破片を繋ぎ合わせ、糊も混ぜたペースト状の刻苧こくそで欠けた部分を埋める。それぞれの工程で乾燥に数日かかるから、曜日を決めて少しずつ進めるスケジュールになっている。今日はさらに細かい凹凸をならす工程だった。


「ティーカップって、金色の模様のやつもあるでしょ? だから上手くできればそんなに違和感ないと思う」

「漆だから飲み物に使っても大丈夫、なのね。ふふ、お茶碗が欠けた時なんかもやってみたいわ」

「そういうキットもあるみたいだけど……」


 思いのほか、母が細かな作業にハマっているようで、プレゼントとして授業料を持った娘としては嬉しい。主婦と学生は時間に融通が利きやすい職業だから、今のところ父には気付かれずに作業を進められていると思う。ちなみに私は自前で欠けた食器がなかったので、工房から買い取ったお皿を使っている。母のウェッジウッドは、本来なら初心者には難しいということだったんだけど、事情を話したら工房の人が手伝いながらやってくれることになった。


「それにしても、佳奈かなちゃんよく金継ぎなんて知ってたね」

「サークルの友達がもの作り系好きで、話したことがあったの」

「ふうん、男の子?」

「……女の子だけど?」


 私の反応は、そこそこ早かったはずだった。言い当てられた驚きに手元がぶれたのも一瞬だけ──なのに、母は得心したように頷いている。いったいなぜだ。


「佳奈ちゃんもお父さんみたいな人が見つかると良いねえ」

「……ちょっと恥ずかしいかな、仲良さ過ぎて……」


 そもそも、私はとどうこう、なんて考えてもいないのに。ちょっとよく話すとか、喋ってると楽しいとかいうだけで。大体、結婚二十一周年にして記念日を欠かさず祝い合う夫婦ってどうなんだろう。子供がいたたまれない気分になることだって、結構あったよ?


「そう? 仲が良いのは良いことよ」

「まあ……お父さんとお母さんはご自由に。……素敵だとは、思ってるよ?」


 作業中で顔を合わせていないというのはとても素晴らしいことだ。だから、顔は真っ赤でごく小さな声ではあるけど、素直な想いを伝えることができた。たまには、こういうことを言っても良い、だろう。


「銀婚式も金婚式も……その次も。ずっと一緒にいられますように」


 繋ぎ合わせたカップを両掌で抱えて、母はそっと呟く。四年後やもっと先──私は何をしているのか、誰といるのか。分からないけれど。幸せそうな母の横顔は、確かにあやかりたいと思えるものだった。

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