骨になるまで愛して ~破滅的な師匠へ、獣骨の弟子は幾度となく愛を告げて~

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

骨になっても愛して

「あたしの弟子になるか、少年」


 降りしきる雨の中、容赦ようしゃなく奪われていく体温に変わって、彼女の言葉は、燦然さんぜんと俺へ降り注いだ。


 枯れた紫陽花あじさい色の髪をした彼女から、骨獣こつじゅうの頭を持つ俺へと、ニヤニヤとした笑いとともに贈られたのは、きっと生きるために必要な熱だった。


 その瞬間から、俺は心に決めたのだ。

 きっと。


 きっとこのひとに、ふさわしい男になろうと。


「もし、俺があなたを、愛してもいいのなら、弟子にしてください」

小賢こざかしいことを言う少年だ。いいぜ、何度でも愛をささやき告げてくるがいい。もっとも、あたしは少年をそでにし続けるがね」


 そうして、俺は彼女の弟子になった。

 骨のバケモノ、人外とさげすまれた俺が。

 当代最高にして、魔法薬の権威、偏屈モノの大魔女アムシャ・ニカイアの、最後の弟子に。



§§


「美味しいお茶が飲みたい。薄荷はっかが飛びきりに利いた、清涼感の塊のようなお茶だ」

「師匠、愛してます」

「秘蔵のブランデーを入れてくれ、たっぷり甘ったるいやつがいい」

「愛しています、師匠」

「……少年は、本当そればかりだな。あたしはそれほどでもないよ」


 彼女は俺の言葉を鼻で笑い飛ばすと、また次の命令を伝えてくる。

 それは身の回りの世話から魔法薬の調合に使った器具の洗浄、家事炊事に至るまで、どこまでも雑務でしかないことばかりだった。

 だから、ほとんどなんの進展もなく、一年目は過ぎていった。


「少年の作るご飯は美味しい。とくにやたらスープが美味い。端的たんてきに、秘訣ひけつは?」

「愛情を込めることです」

「なにか特別な調味料を使っているのだろう。いまのうちにゲロったほうがいいのではないかね? 魔法薬に応用したい」

「愛です」

「少年はめげないなぁ」


 二年目も、終始こんな感じだった。

 師匠は一日の多くを魔法薬の研究に費やし、ひとと会うこともまれだった。


「そもそもね、あたしは人間というやつがそれほど好きではない。人類総体には、まだ見切りをつけていないけれどね。そんな思想が感染するのは忍びない、あんまりあたしに近づくなよ?」


 平然とそうのたまい、事実訪ねてきた王侯貴族を、平気の平左へいさで追い返すような胆力の持ち主だった。


 だとしたらあの日、彼女が俺を拾ってくれたのは。

 ひとえに俺が、人間の姿をしていなかったからだろう。


 師匠は多分、人間が嫌いだった。好きではないと嫌いには、天と地ほどの開きがある。

 俺は、彼女に嫌われたくなかった。


「愛しています」

「そう思うのなら邪魔をしないでくれ。しなだれかかられると手元が狂いそうだ。あー、まったく、あんなに小さかった少年はどこへ行ったのか」

「愛だけが大きくなります」

「図体が大きくなっていると言ってるんだよ、あたしは!」


 五年が過ぎた頃。

 ようやく師匠は、俺が触れても怒るだけになった。

 この頃には、ようやく彼女が好む、破滅的な味わいのお茶をれられるようになっていた。

 ……正直、その良さというのは解らなかったが。


「心からお慕い申し上げています」

「いいかい少年。そう思うのなら手を動かしてくれ。今日中に調合を全て終わらせないと、明日から食べ物を買う金すらない……!」

「貧乏な師匠も愛しいです」

「あたしはまだ、贅沢な暮らしがしたい……!」


 悲鳴を上げながら、ふたりで魔法薬を山ほど作ったのは、十年目のことだっただろうか。

 あのとき人間は大きな戦争をしていて、傷をたちまち癒やしてしまう師匠の薬は、どんなものよりも高く取引されていたと思う。


 ……どうして、あんなに師匠はお金を持っていなかったのだろう?


「喜べ少年。あたしはすこし、世俗へ旅立ってくる。そのあいだ命の洗濯をしておくといい」

「師匠のそばに居る間だけ、俺は生きてます」

「……少年は、ひとり立ちできそうにないなぁ。あたしだって、いつか枯れて、朽ちて、死ぬんだぜ?」

「だとしても、俺は――」

「そんな少年のことは、嫌いだよ」


 そうして師匠は、丸一年帰ってこなかった。

 戻ってきたとき、彼女は大怪我を負っていて、そのまま寝込んでしまった。

 俺にはただ、その傷のために薬を作ることと、身の回りの世話を焼くことしか出来なかった。

 嫌われたことが、ただただ辛かった。


「あれからどれくらいたっただろうな、少年」

「十五年です、師匠」

「まだあたしを愛しているのかい?」

「十五年、ひとときも変わりません」

「……最近は愛しているとは言ってくれないじゃないか」

「愛しています、どんな言葉を尽くすより」

「少年。それでもあたしとおまえは違うものだ。魔女と骨人こつびとでは、どうにもならない」


 十五年連れ添って。

 それでも彼女の意見は変わらなかった。

 いつの間にか師匠は俺より小さくなっていたし、


「馬鹿か、少年が大きくなったのだ」


 ……変化はいくつもあったけれど、本質はなにも変わらなかった。

 師匠の怪我は治らず、俺は命じられるまま、いくつも薬を作り、彼女はそれを口にした。

 いつの間にか、ここを訪ねる人間はいなくなっていた。


「あたしは……罪を犯した。それは許されないものだ。嫌うものだからと、犠牲にしていいわけではない」

「なにがあっても、俺は師匠について行きます」

「人は死ぬ。誰かに死期を早められることもある。そして、あたしもいずれ死ぬ」

「師匠は死にません。けど、もし、そのときは」

「――まったく、度し難いにもほどがあるぞ、少年」


 彼女はどうしようもないものを見る目で笑っていた。

 その頃には、もう彼女はかつての姿が見る影もなく。

 美しかった枯れた紫陽花色の髪も抜け落ち。

 肌は皺に被われ、頬はこけて。


「師匠は、俺が嫌いですか」

「さてね。……少年は、いつまであたしのそばに居るつもりだ」

「いつまでも、おそばに」

「あたしが死んだらどうする」

「一緒に死にます」

「ダメだ。少年となんて、一緒に死んでやらない。そんなことは許さない」

「師匠……」

「だが、もし。もし少年が、本気で待ち続けるというのなら――」


 それが、生きた彼女が口にした、最後の言葉だった。

 師匠と出逢ってから、二十年の月日が経過していた。


 俺は。

 俺は……それでも、彼女を。


「愛しています、師匠」

「――まさか、本当に待っているとは思わなかったよ、この馬鹿弟子が」


 さらに一年の月日がたった。

 俺の前に、師匠が立っていた。

 生前の姿ではない。

 俺と同じ――骨だけの姿だった。


「まあ、あたしは成長しないがね」

「どうして」

「おいおい、大魔女アムシャ・ニカイアは魔法薬の第一人者だぜ?」


 死をくつがえすことなんて、てんで訳はないと彼女は笑った。

 肉のなくなったで、カタカタと笑った。


「正直に言えばね、ふさわしくなかったのはあたしの方だったのさ。少年の生きるスケールに合わせるには、これだけの時間と金が必要だった」

「それは」

「言ってみろ、少年。この二十一年間、一度も変わらなかった想いとやらを」

「愛して……愛しています、師匠」


「――ああ、あたしもだ」


 ゆっくりと近づく師匠の頭骨が、俺の骨へと触れた。

 カチカチと、歯がぶつかり合い、彼女は照れたように口元を押さえた。


「まったく下手すぎる。これじゃあなにもしらない乙女のようだ」

「そんな師匠も、愛しています」

「……ずっと少年、おまえのそういうところがあたしは苦手で」


 いまは、大好きだよ――と。


 彼女は柔らかく、どこまでも優しく微笑んでくれたのだった。

 それは、これまで見たどんな師匠より、魅力的な笑顔だった。


 俺たちは、これからやっと、生きていく。

 いつまでも、もはやうつろうこともなく、いつまでも――

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