遺本

赤部航大

遺本


 昨晩、ですか? 昨晩、なぜ梶井かじいの家で気絶していたのか、ということですか? 刑事さん。それは……どうしても話さないといけないことですか? え? 梶井が行方不明? だから僕の件と彼の行方不明の関連性を調べたいと。


 あまり思い出したくありませんし、聞いたところで信じて下さらないと思うのですが…………それでも何か手掛かりが掴めるかもしれない、と。分かりました。


 その代わり「与太話だ、夢でも見たんだろう」なんて言わないで下さいね。むしろ僕の方が、夢であれば良かったのに、と思っているのですから。


 始めからというと、昨日の昼休憩の時からですね。その時に彼からのLIMEに気付きました。内容は「直接話をしたい。仕事が終わったらすぐ家に来てくれ」という具合でした。ついこの前の、彼の作家仲間の事故のことだろうと思って、用件は訊かずに「了解、終わったら連絡する」と返事しました。


 えっと、実際のやり取りですか? そういえば僕のスマホは……あ、ここですか。ありがとうございます。ええと……はい、どうぞこれです。ちゃんと残っているものなんですね。え? どういう意味かって……僕はこれすら現実じゃなかったのでは、と思いたかったですから。


 話が脱線しました。まあそれを見ての通り、次に連絡したのは19時過ぎでした。結局残業してしまいまして。梶井は飯を食わないとのことで、僕は会社近くのすぎ屋で手早く済ませてから、彼の家に向かいました。


 それから駅まで歩いて電車に乗って、最寄りで降りてまた歩いてと、彼のマンションに着く頃には20時半を過ぎていたでしょうか。ああ、それを見ると20時36分に通話をかけていますね。順を追って話すと、まずはエントランスで呼び出し機に彼の部屋番号を入力して、それでプツッと繋がる音がしたので「小間こまだ。来たぞー」とマイクに喋りました。


 すると無言で入口の自動ドアが開きました。余程事故の件で追い詰められているのかと思って、そのまま彼の部屋へと向かいました。そしてインターホンを押したのですが……何も反応がなかったのですよ。2、3度押しましたが、全く。呼び出し音しか聞こえませんでした。


 それでどうしたのだろうと思って、通話をかけました。大声で呼びかけたりはしなかったですね。20時台とはいえ夜に、しかも静かな住宅街で、近所迷惑になるような真似はしたくなかったので。


 しかし耳元でコール音が鳴り続けるだけで、やはり、反応はありませんでした。これはいよいよおかしい。そう感じてひとまず引き返そうかと考えました。ただその直後にふと、ドアは開いたままだったりして、なんて思いついてしまったのです。


 鍵を閉め忘れるくらい追い詰められているのか、と思いましたね。何なら、部屋の中で縮こまっている梶井を想像していましたよ。だって間違いなくエントランスの自動ドアは開いたのです、僕しかいない時に。中にいると思い込みますよ…………実際いましたしね。


 それでドアノブに手をかけると、難なく開きました。ただ、開けたのと同時に臭いがしてきました。酷い悪臭という訳ではないですが……果物が腐ったような臭い、といったところでしょうか。


 これは予想が当たってしまったかと思い、急いで中に入りました。そして驚きましたよ。何せ真っ暗で、廊下の床には洗濯物やらゴミやらが散乱しているのですから。ゴミ屋敷程ではないにしろ、以前の様子を知る僕からしたら、十分、驚愕に値するものでした。


 電気を点けて慎重に奥へと進み、リビングに繋がるドアを開けました。もちろん、中に入ってから進む間は声をかけていましたが、返事はなかったです。リビングに入ってからも声はかけましたが、僕の声が虚しく響いただけでした。


 また電気を点けてふと左手の台所に目をやると、使ったままのミキサーがあり、近くの床にみかん箱がひとつ置かれていました。腐臭の原因はこれかと納得し、そういえば梶井の実家はみかん農家だったなと、場違いに思い出していました。


 それからまた彼を探そうとすると、今度は机の上に本が開いたまま置いてあったのを見つけました。


 見つけてしまうと、何故だか無性に手を取りたくなってしまったのを覚えています。別の部屋にいるであろう彼を探さなくてはならないのに、何故か、それを手に取ることが最優先だと思ってしまったのです。


 床に散乱した本や薬の袋を踏まないように近付いてみると、開かれているページは白紙でした。サイズは文庫本ぐらい、というかあれは、俗に言う文庫手帳なのだと思います。手に取って表紙を見たらそう書いてありましたし。まあ「文庫手帳」の部分に訂正線が入れられていて「我らの修行記」と書き換えられていましたが。


 そう、その文字を見た時、梶井の言っていたことを思い出したのです。「この正月から仲間と交換小説を始める」と。著者欄には3人の名前、卜部栄次うらべえいじ大房義次おおふさよしつぐ富竹次朗とみたけじろう、とありました。ちなみに富竹が梶井のペンネームです。


 それから表紙を捲ると彼らの気合いの入れ方が伝わりました。カバーそでの著者近影の所に梶井ら3人の、初詣の様子を収めた写真が貼ってあり、その下にはそれぞれの簡易経歴が載っていたのですから。


 更にページを捲ると目次を経て1月1日のページになり、そこには3人の決意表明が書かれていました。内容は大体


「3人とも本気で作家を目指す。それが叶った暁にはこの本はお宝となるだろう。そうなるためにお互い切磋琢磨し、執筆に励むことを、ここに誓う」


 といったところでしょうか。それからはまあ、短編小説が続きました。流し読みした感じ、ひとりが1週間受け持つといった具合で、7ページ毎に書き手が変わる調子でした。


 始めからしばらくは、ジャンル問わずに短編小説が続いていました。ただ、ページが5月に入った辺りでしょうか。エッセイ、というよりかは日記、が混ざり始めたのですよ。しかもそれを書き始めたのは梶井でした。内容は、まあ「仕事が辛い」とか、新入社員によくあるやつです。


 他2人はそういうことはなく、小説を書き続けていましたね。あくまで流し読みした感じですけど……そう、何故僕は軽くとはいえ、読み続けてしまったのか……今では他ならぬ僕自身が最も疑問に思います。


 しかしあの時は取り憑かれたかのように本から手を離せなかったのです。いや、実際に取り憑かれていたのかも……失礼、話を戻しますと、2人が小説を書き続けていた中、梶井だけが「眠れない、辛い」と日記で訴えることが多くなっていました。


 そして、あれは9月のページだったかな、卜部が何かで受賞したのを書いていたのですよ。遂に梶井以外に日記を書く者が現れましたが、内容が内容ですから、梶井とは真逆の明るいものでした。


 大房も梶井も自分の受け持ちページで祝福を綴っていました。ただ梶井だけ、綴った後の日記や小説がより暗くなりました。


 その翌月には大房も受賞の喜びを書いていました。他2人はもちろん祝福を綴っています。しかし……ええ、刑事さんのご想像通りです。


 それからも三者三様の執筆が続きますが、梶井だけが、鬱屈した日記やただ欲望を満たすだけの小説を書いており、悪目立ちするようになっていました。


 そして……ああ、遂にこの話をしなくてはならないのか……。





 



 すみません、大丈夫です。続けます。そう、僕は辿り着いてしまった。例の事故……卜部と大房が亡くなった、あの事故の起きた日に!


 その日は、梶井が受け持ち始めた日で、2人の死を悼んだ内容が2ページに渡り書いてありました。2人との思い出、2人への想い、これから自分が2人の分も頑張ると、そういった当たり障りのないものでした。


 ただ、次のページを捲ると、荒ぶった、それでいて、2人のだと分かる筆跡で


「ふざけるな! 嘘吐き! 本当のことを書け! 殺しただろ? 殺したよな!? 書け! 書け! 本当のことを! 書け! 人殺し!」


 と、見開きいっぱいに、大小様々に罵詈雑言が書き殴られていたのです。僕は唖然としながらも、それでもページを捲ってしまった。すると梶井の筆跡で


「ああそうだよ! お前らだけが報われて憎くて憎くて仕方なかった! だから混ぜてやった! お前らに渡した蜜柑ジュースに、俺のありったけの睡眠薬を! プロ作家様の慰安旅行先は地獄になったな! ざまぁみろ!」


 僕は、僕は頭が真っ白になりそうだった! 何だこれは。何の悪い冗談だ? 何が悪いって、あいつが仕組んで、2人が本当に死んでいることが最悪ですよ! あいつに言われて、ニュースになっていたことも確認してしまった! 事実だったことが! 最悪でしたよ!


 でも、そう、違いました。本当に最悪だったのは、この後、次のページ。ええ、僕にはもう捲る気はなかった。でも! 風はもちろん吹かなかった! 誰の指だって見えやしなかった! なのに……




 ページは捲れた。ええ、は他にもいたんです。




 ちなみに次のページは、昨日の日付でした。そして、白紙だった。だった! でも、端から


「お」


「前」


「も」


「死」


「ね」


 って勝手に書かれて、そして


 お前も死ねお前も死ねお前も死ねお前も死ねお前も死ねお前も死ねお前も死ねって、何度も何度も何度も何度も何度も! 3人の筆跡で! っあああああ——
















 目覚めるとまた病院の天井だった。俺はどうやら、また気を失ってしまったらしい。


 それにしても何かが背中に当たる。起き上がって振り返ると











「我らの修行記」

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遺本 赤部航大 @akabekodai

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