蝶々と炊飯

厠谷化月

蝶々と炊飯

 真っ白な壁に囲まれた清潔な部屋で、二人の男が、白い机を挟んで相対していた。一人は若い官吏らしく、糊が効いた背広を着ていた。もう一人は中年で、鉱山労働者らしく、薄汚れた作業着を着ていた。


「都市連合倫理局のオサダです。今回はお話を聞くだけなので、あまり緊張なさらずに。」

 オサダと名乗る官吏の男は、相手を落ち着かせるために、穏やかな声で言った。しかし、作業着の男は落ち着きがなく、オドオドと周りを見渡していた。

「私はすぐ職場へ戻れるのでしょうか。郷に妻と四人の子供を残しておりましてね、今職を失うと困るんですよ。来年長女を大学へ進ませたいと思ってまして。」

「ムヒカさん、安心してください。連合が逮捕状を出しているのは、あなたがたの雇い主に対してです。あなたには何の咎はありません。なので知っていることを正直に話してください。」


 ムヒカと呼ばれた労働者風の男は、そういわれると落ち着きを取り戻した。ムヒカは机の上に置いてあった水を飲みほして、大きく息を吐いた。

「そりゃあ、最初は何か怪しいことがあるなと思いましたよ。給料が破格でしたからね。月の給料は地球より高いとはいえ、俺たちには相場の倍以上の給料を頂いておりましたからね。しかし、実際のところ特に変なことはありませんでしたよ。確かに日々死と隣り合わせでしたが、それは他も同じでしょう。」

「それでは仕事場の環境はどうでしたか?労働倫理法が遵守されていなかったり、十分な保障がなかったりしていませんでしたか?」

「いいえ。」

 ムヒカはかぶりを振った。

「現場監督さんもいい人でしたよ。給料が高い分働く時間が長いかと思っていましたが、そういうわけでもありませんでした。朝9時から夕方の5時まで働けば給料はしっかり支払われましたからね。劇場や映画は会社持ちだったので、仕事終わりは街へ出ていろいろ見ましたよ。

それにね、休みも週休二日きちんとあるし、三か月に一回、二週間の帰郷休暇がもらえましたから。こんな待遇がよくて、給料もいいんじゃ、なんか罰が当たるんじゃないかと、同僚と心配していたくらいですよ。」

 まっすぐな目をして、職場の環境の良さを滔滔と説明するムヒカを前にして、オサダは頭を抱えてしまった。明日までにルナ鉱山株式会社の労働倫理法違反の証言を取れなければ、ルナ社の幹部は拘束を解かれ、無罪放免となってしまう。


 ルナ社の労働倫理法違反が疑われるようになったのは、先日発生したヘリウム鉱床での減圧事故によって救出された鉱山労働者のほとんどに長時間の労働の痕跡が見つかった時だった。労働者らは事故で命を落としたか、極度の昏睡状態に陥ってしまっており、たまたま鉱山を出ていたムヒカだけからしか証言は期待できなかった。


「それでは、質問を変えましょう。仕事場では何か絶対に守らなければならない決まりはありましたか?」

「決まり…?」

 ムヒカはしばらく首を傾げていたが、急に両手を叩き合わせた。

「ありましたよ、決まり。仕事が終わったらすぐ、生体端子を電脳に接続しなきゃなりませんでした。なんでも、脳の状態を調べるとかで。前に同僚の奥さんが臨月だからって、仕事が終わってすぐに地球行の船に搭乗するってなったんですがね、その時端子に接続せずに出ようとしたら、監督さんが激怒したくらいですからね。あんな監督さんは初めて見ましたよ。」

 今回の事故で救出された人たちは皆一様に生体端子を埋め込んでいた。電脳に接続すれば作業の補助機能が使えるため、鉱山労働者が端子を埋め込むのは珍しくないが、全員が埋め込んでいることは滅多にない。


オサダは端末で地球の当局にある画像を請求した。十数秒で端末に頼んでいた画像が届いた。何気ない家族写真だった。バスケットボールの大会の際に撮ったのだろうか、ユニフォームを着てボールを抱えた青年を中心にその母親や祖父母、兄弟が並んでいた。

「お嬢さんが来年大学生と言っていましたが、何番目のお子さんですか?」

「何番目って、二番上の子ですよ。長女のエリカです。」

「この画像を見ていただけますか。数か月前に撮った写真です。」

 オサダは端末の画面をムヒカに向けた。画面を見るや否や、ムヒカは困惑に満ちた顔を浮かべた。

「冗談はよしてくださいよ。五、六年は経っているでしょう。ほらジョセフはバスケットボールをハイスクールでやめていますよ。エリカはまだ小さいし、末のマリアなんてよちよち歩きだ。」

 そういうムヒカだったが、顔に浮かべた笑みは引きつっていた。


「ムヒカさん、月では何年働いていたんですか。」

「八年と…半年働いていました。」

「いえ、二年一か月です。」

 ムヒカはいよいよ理解が追い付かないようで、とうとう頭を抱え込んでしまった。


「ありがとございます。これでルナ社を立件できそうです。」

 オサダが部屋を出ようとすると、ムヒカが立ち上がって引き留めた。

「ルナ社は何をしていたんですか?ヤクを売っていたんですか?労働倫理法と仰っていましたけど、あそこほど福利厚生がしっかりしたところなんて滅多にありませんよ。」

「労働倫理法の定める労働時間の大幅な超過です。」

「八時間労働は法律の範囲内でしょう?」

「いえ、あなた方には日平均二十二時間労働が課せられていたようです。それも休みなしで。」

「え、どういうことですか?」

「ここからは私の推測ですがね。恐らくあなた方は生体端子に接続したことによって、休んだ夢を見せられていたんですよ。電脳による仮想体験は現実の数百倍の速さで時が進むので、五分しか休んでいなくても本人一日休んだような気になるんです。あなた方はそうやって、しっかりと休んだと思い込まされて、酷使されてきたのでしょう。」

「しかし、帰郷もして、家族にも会っていましたよ。」

「それも仮想体験だったのでしょう。鉱山の電脳デバイスを調べればいずれ明らかになるでしょう。」

「じゃあ、妻と喧嘩したことも、親父が死んだことも、ジョセフが製薬会社に就職したことも夢だったんですか。」

 ムヒカが僕の腕をつかむ手を放してうなだれた。


「オサダさん、仮想体験をしたことはありますか?あれは本当に現実の体験と変わらないんです。何も言われなかったら、現実か夢か区別なんてつきませんよ。私にとってはこの八年半は本当のものでした。あれが幻だったなんて、今更言われてもどうすればいいんですか。」

 オサダにムヒカの落ち込みようはわからないわけではなかった。ずっと信じていた世界が急に崩れ去ってしまうことは、ムヒカの居場所を奪うことに変わりはない。


「私の故郷に浦島太郎の伝説がありまして。太郎が宮殿で数日過ごしている間に、村では何十年も建っていて、帰ってきたら両親が死んでしまっていた、と言う話なんです。ムヒカさん、逆でよかったじゃないですか。また家族との思い出を作ってくださいよ。」

 オサダはムヒカに少しでも元気を出してもらおうとしたが、ムヒカの様子は変わらなかった。


「最後に事務連絡なんですが、今日の証言を裁判で使用するので、いくつかの書類に署名をしていただきます。書類はそれから、ムヒカさんにも過労による重度の疾病があるようです。治療費は公費でまかなわれます。それに関して、のちほど担当の者が説明に参ります。書類もその時に持ってまいります。」

 まだ帰れないとわかると、ムヒカはトボトボと椅子に戻った。ムヒカは端末に表示された家族写真を眺めて、苦笑いしていた。

「夢を見ている間は、それが夢だとは気づかないものですよね。」

 ムヒカがつぶやいた。

「仮想体験では電脳デバイスが無駄な処理をしないように、人以外は全部白一色なんです。体験中はそんなこと気にも留めませんがね。」

 オサダは仕事が終わった安堵感に包まれて白いドアを開けた。一白い部屋を出ると、視界が白い光で包まれた。


 気が付くとオサダはベッドに仰向けになっていた。オサダの視界には真っ白い天井が広がっていた。

「実習試験は終わりだ。もう帰って結構。」

 背広を着た教官がやってきてオサダに告げた。

 オサダは起き上がって身支度をした。時計を見ると試験を開始してから八分が経過していた。オサダ以外の学生はまだ試験をやっているようで、オサダの他に起き上がっている学生はいなかった。


 試験が終わったオサダは帰宅するためにドアへ向かった。試験室も白で埋め尽くされていた。壁や床はおろか、学生が横になっているベッドや、受験者の端子に接続されている電脳デバイスも白だった。オサダは教官の背広の色を思い出せなかった。

 オサダは白いドアのノブに手を掛けた。

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