第5話 天文単位の枷

〈サブユニット1、2、分離パージ


 シャトナーの音声が流れるや、立体映像ホログラムスクリーン上のヴァジュラユニットに変化が現れた。先端の3本の剣状体のうち、左右の湾曲した2本が本体から分離したのだ。

 〈サブユニット〉はゆっくりと本体から離れていく。剣状の機体の一面――本体たるヴァジュラユニットに面した部分の幾つかの箇所で盛んに蒼白い光輝が瞬く。姿勢制御スラスターの噴射だ。細かくリズミカルな瞬きが続くが、それに従い〈サブユニット〉は更に速く本体から遠ざかり、同時に形状も変化させていった。湾曲した全体が伸びでもするように真っすぐなものになっていったのだ。流動体が変形するようにも見えるが、実際は数ヵ所あるジョイントの稼働により連結部が移動して歪曲体から直線体(近似的に)に移ったものである。


〈各機、メインブースター、点火〉


 すると2機のサブユニットの後部の一部が眩く輝き出した。蒼白の光球が出現するや否や、2機の姿は急速に小さくなっていった。加速飛行に入ったのだ。


〈10G加速に入ります〉


 画面の中の光輝は見る見る小さくなっていく。加速の程度が視覚的にも伝わる。

 理事会の面々は黙ってその光景を見ていた。その目の前で光輝は更に小さくなっていき、遠くの星々と大して変わらないものになっていった。


〈約1時間半後、サブユニット2機は標的と接触〉


 最後まで10G加速を続ければ50分ほどで接触できるが、それでは通り過ぎるだけになる。当然の話だが途中で減速に入り、ランデブーポイントで相対速度をゼロにする必要がある。そのための減速過程を加味した所要時間だ。


『さて、暫く間が開くな。もちろん到着までに向こうが何も反応しない場合だが……』


 フェルミが呟いた。


『事務総長、その……こんなことをして本当にいいのでしょうか?』


 どことなく遠慮がちにリウ木星行政府司政長官が話しかけた。フェルミは何も言わず彼に目を向けた。静かに微笑んだ表情を浮かべていたが、対してリウは強張った顔をしている。


『長官、斥候スカウトに対する接触探査は理事会の全会一致で決定されたことだ。君も賛成していたのではないか?』


 リウは些か怯んだ挙動を見せた。


『確かに……ですが、正直申して迷いはありました。それは今も変わりありません』


 フム――と、頷くフェルミ。


『エンケラドゥスのこともあるからね。あれが攻撃性の高い性質のものと考えるのも無理からぬことだ。ただね――』


 フェルミはスクリーンに目をやる。


『あの時の反応は単なる条件反射なのかもしれない。意図した攻撃か否かは全く不明だ』


 その一言で片づけるには如何なものか――こう感じた者はリウ以外にも何人もいた、理事面々の様子に現れていた。

 エンケラドゥスでは人命が失われている。現在は行方不明の段階だが、状況から考えて生存は絶望的だ。これは人類に対する攻撃があったとし、それを踏まえた対応を第一に取るべきだと考えるのが当然ではある。

 そんな皆の思考はフェルミも理解している。


『――だからこそ安保理は開かれた。人類世界全体に関わる安全保障問題と捉え、その上での対応を連合加盟各行政府と協議している。その上での行動だ』


 あれは未知の存在だ。確実に地球外の何者かであり、それとの対応は何をしても空前のものとなるに違いない。


『まずはどんな性質なものか、それを知るべきなのだ。故に探査を行う。電磁輻射による遠隔探査は膨大に繰り返されてきたが、あの鏡面反射体に対しての情報入手には限界がある』


 だから接触する。直接触れて・・・、できれば試料採取しようと考えた。だが、その行為は斥候スカウトを刺激する可能性がある。


『再び“条件反射”を起こすことも考えられる。だからそっとしておきたいと考える気持ちも分かるが、だがこのまま何もせずにあれの飛行を看過していいものなのか?』


 斥候スカウト1号は真っすぐにギリシア群を目指していた。今後のことは不明だが、恐らく以後は大して軌道変更は行わず群に到達するだろう。確実に人類居住圏を目指しているのだ。それをただ指をくわえて見ているだけでいいのか?


『ただ通過するだけなのかもしれず、何も起きないのかもしれない。だがね、それを期待して行動しないのも危険だろう? 接触の刺激が攻性の反応を起こす可能性もあり、確かに危険なのだが、何も知らずに見過ごす方が危険だと思う。我々は一致して決議したのだろう』


 皆は何も応えなかったが、答は明白だった。


 確かに看過できるわけがない。最悪のケースを想定し、態勢を整えておくべきだ。同時に対象に関する情報を出来得る限り集めておくべきなのだ。斥候スカウトはギリシア群に接近する1号だけではない。1000にも及ぶ同種のものが太陽系じゅうに放たれている。他の居住圏のためにも一刻も早く有益な情報を手にするべきだ。人類は未だこの存在に関する情報を何も把握できていないのだから。

 当然だが、平行して太陽系各地は独自の防衛態勢に入っている。


『スーリア火星行政府司政長官、ジャイルズ小惑星帯メインベルト行政府司政長官、君たちの現状はどうかね?』


 フェルミは褐色の女と黒人の男に問いかけた。2人は火星圏と小惑星帯メインベルトを統括する独立行政圏の元首になる。各行政圏には更に細かな自治体が存在するが、行政府はそれらの調整役的立場にある。調整役とは言うが、権限は強く、自治体個々に対する指導力は結構ある。2人はそんな立場にあった。



 この時代、人類は広く太陽系に進出し、地球外に幾つもの居住圏を構築していた。主に月面都市、火星、小惑星帯メインベルト、そして木星軌道に幾つかの〈行政圏〉が築かれ、それぞれに独立して統治・管理されている。他に人工宇宙島スペースコロニーなどが地球圏から木星圏にかけて多数ある。独立国家のようなものだが、24世紀に於けるそれはかつての国民国家とは些か性質が異なる。地球圏では国民国家的性質を強く残している国が多くあるが、地球外のそれはかなり“流動的”だ。

 宇宙居住者スペースマンと呼ばれる者たちが多く生活する太陽系各居住圏は彼らの性質を色濃く反映したものとなっている。宇宙生活者スペースマンは自身を自治体・行政圏にあまり縛り付けることはない。日常的に居住圏の間の移動を繰り返し、それは経済活動のみならず生活拠点の移転も頻繁に繰り返していた。彼らは“国家”というものを絶対視せず、忠誠心もあまりなく、従属することも少ない。“移動”が日常であり、行政圏に対しては一時的な仮宿的なものと考える者も多かった。そして行政府も居住者をあまり縛り付けることはない。(この“移動”は各行政圏内でのものが多く、惑星間を跨る例となると多少減る。天文単位の距離が大きな問題となるからだ。ただ、決して少ないわけではない。この距離の問題に関しては軍事活動に対しても影響があるが、少し後に述べることとする)

 そんな彼らも、しかし“人類”や、“世界”に対する想いはある。

 太陽系世界は広大だ。天文単位に拡がる真空の世界は有機生命の人類にとっては極めて広大で過酷な領域になる。そんな世界で身勝手に振る舞うことは許されない。国家を絶対視しないといっても、それは他者をないがしろにするものではない。宇宙に生きる者同士としての連帯は欠かさず、その繋がりの意識は地球時代の人類などより遥かに強いものとなっていた。

 その結果として成立したものが、〈太陽系国際連合〉――太陽系世界を3つの行政圏に分け、互いに連携・協力する国際組織だ。地球時代の国連よりもずっと互助会的性質の強い組織となっている。組織を動かす者は自然と宇宙居住者スペースマンが多くなっていた。

 地球居住者から見れば身勝手にも映る宇宙居住者スペースマンは、より人類全般に意識を向けていたのであり、連合に対する期待は大きいのである。



『火星圏外殻接続宙域に向け防衛機構戦闘群を派遣、主に斥候スカウト接近想定軌道を中心に展開しています』


 スーリアが応えた。彼女の手元に小型の立体映像ホログラムスクリーンが出現、瞬く間に巨大化し、斥候1号を映したスクリーンの隣に移動した。その中に葉巻型の物体が何十も並んで移動している映像が映し出されている。付属情報として〈連結戦闘群〉との表示がある。宇宙空間での戦闘を想定して建造された無人機群になる。1つ1つは全長が100mほどだ。地球的に言えば駆逐艦のようなものだがこれは宇宙機、水上を航行する艦船とは全く性質が異なる。


『ガンマ線レーザー砲装備機が2機、それ以外も自由電子レーザー砲機、中性子ビーム砲機などです』


 他、電磁投射砲レイルガン、弾道ミサイル、追尾式機動爆雷などが搭載されている。配備状況を確認したフェルミは頷いた。続いて彼は黒人の男に目を向けた。男もまた頷き、口を開く。


『セレス、ペタスなどの圏内自治体と連携し、戦闘群を展開させてあります』


 男――ジャイルズと呼ばれた小惑星帯メインベルトの司政長官は淀みなく説明した。彼の目の前にも幾つかの小型スクリーンが現れていて、一部が巨大化、火星防衛機構戦闘群を映したスクリーンの横に移動した。


小惑星帯メインベルトは自治体が多いが、連携に問題はないか? 火星圏と違って作戦想定宙域が膨大なものになるはずだが……』


 ジャイルズは間髪入れず応えた。


『圏内の統括管理を担う量子AI・〈ケリー〉の制御により戦闘群の展開は無駄なく行われております。量子通信回線を通しリアルタイムで状況は確認されており、対応は迅速に成されるでしょう』


 小惑星帯メインベルトに接近する斥候スカウトの数は極めて多く、軌道全周に拡がっていて、エンケラドゥスから射出された全数の凡そ6割を超える617にも及んでいる。これら全てに一度に対処するのは困難を極めるが、圏内自治体の数も多く、それぞれが保有する戦闘群の数も決して少なくなかった。


『〈ケリー〉を軸とした接続制御体勢の構築も完了、全体で同時に状況に入ったとしても対処は可能です。そうだな、〈ケリー〉?』


 直ぐに別の声が流れてきた。〈シャトナー〉とは別のAIの声だった。


〈はい、群戦闘端末の全てに対する接続制御態勢の構築完了。いつでも同時接続戦闘に入れます〉


 理事の何人かが互いを見合った。


『同時とは言うが、何十天文単位に及ぶ領域に展開した、これまた何百もの戦闘端末を同時に操るのだろう? そんなことが可能なのか?』


 ジャイルズはその発言をした人物に目を向けた。向けられた者はどこか構えた姿勢を取った。ジャイルズが極めて真剣な顔をしていたからだ。


『直感的に理解し難いかもしれませんが、これは量子通信回線を通したもの。どれだけ離れていても即時情報伝達が可能です。そして量子AIは膨大な情報処理を瞬時に終えます。〈ケリー〉には1000を超える戦闘端末の同時制御の実績があります』


 その言葉に口を挟む者は誰もいなかった。噓偽りないものだと理解していたからだ。だが、それでも、誰も安心していなかった。


 ――その同時制御はシミュレーションでのことだろう。いわゆる“実戦”は今回が初めて、それも相手は未知の存在。どうなるのか誰にも分からない。


『大した戦力に思えますが、これは圏内に限ったものなのですね』


 ラウダの呟きに皆は注目した。視線に映る宇宙局長官の女の顔はどこかやつれたようにも見えた。


『そうなる。他の居住圏に派遣することは叶わない』


 フェルミの応え。彼は各スクリーンに映されている戦闘群を見つめる。そのまま言葉を続けた。


『天文単位の拡がりは絶大だ。核融合機関ドライヴを実現したこの時代の宇宙機と言えど、力づくの移動は叶わない。どうしても経済軌道の選択は避けられず、自由自在な航行はそうそうできるものではない。惑星間の位置関係によっては発進自体が不可能になることもある。よって緊急時に他の居住圏から応援を送るのは容易ではないのだ』


 戦力の有効な投入法として、余裕のある居住圏からそうでないところへの戦闘群の派遣などが考えられる。だが膨大な距離に隔たれる天文単位間の移動は気軽にできるものではない。惑星間の位置関係、最適軌道の選択、そして宇宙機のペイロードの計算。惑星間を移動するとなると大量の推進剤を必要とし、必然的にペイロードを増やしてしまう故に計算は欠かせない。質量・比推力などの計算を膨大に、精密精妙に重ね、ようやく飛行が可能になる。惑星間に向けた緊急発進はあまりできないのが実情だ。


『これが惑星間の軍事活動を抑止した側面もある。お陰で太陽系時代の今日、宇宙では戦争など起きていないという恩恵もあったがね』


 惑星間で軍事活動を行うとなると更に大量のペイロード搭載が必要になる。その上で惑星間飛行を成し遂げ、戦闘行為まで行うとなると、それはコストをうなぎ上りに上げることになる。結果、費用対効果比はとんでもないものとなり、まるで利益の上がらないものとなる。

 惑星間戦争は割に合わない。よって惑星間戦争は歴史上一度も勃発していない。各勢力間の対立はあったが、それが武力衝突に発展することはなかったのだ。距離がある種の平和を築いていたことになる。

 各行政圏内に限られた局地紛争やサイバー分野に於ける電子戦、特殊工作員などの敵地潜入・破壊工作といった低強度紛争はあったが、惑星間の行政圏同士の物理的全面衝突は皆無だった。

 その結果、太陽系時代のこの時代、惑星間を視野に入れた軍事兵器の開発はあまり行われなかった。各惑星系内での活動を想定した兵器・装備の研究開発は続けられていたが、惑星間は大して考慮されていなかった。惑星間弾道弾などの開発は一部ではあったが、重きは置かれていない。

 

『皮肉にも“平和”が力を奪っていたというのか。有効とは思われなかったために惑星間戦争用の装備は現在ほぼない、それが問題となるとはな。今回のように太陽系全体に展開されるとなると、とても一律に対応できなくなる。各居住圏の独自対応に頼るしかなくなる。通信では即時反応が可能だというのに、物理的には光速の壁が阻む。何とも歯がゆいものだ』


 そこまで呟いてフェルミは首を振った。


『いや、敵対ばかり考えるべきではないな。あれが敵だとまだ決めつけてはいけない、とは言え――』


 ――それでも最悪は想定する必要はあるのだ。


〈距離3000キロを割りました。一次スキャンを開始します〉


 シャトナーの声により皆は時間が経ったことに気づいた。彼らは全員思考に耽っていたようで、スクリーンの情報表示に注意を払わなくなっていたようだ。


『いかんな、これは……』


 フェルミは歯嚙みした。


 ――思考は大事だが、目の前の現実から離れすぎるのは良くない。それもこの場の全員が同時にこうなるとは……


 未曾有の事態は人々の反応もおかしくするのかもしれない。それはこの後の展開にも少なからず影響するように思われた。


〈スキャン開始、中性子線、陽子線、ニュートリノ線、重力波走査線、随時照射開始〉


 遂に人類側によるアクティブな接触が開始される。電磁輻射をほぼ反射する鏡面表層に対し、透過力があると思われる照射線を選択、実行する。これらがどこまで有効なのかは不明であり、それ以上に斥候スカウトがどんな反応をするのか分からない。


『これは避けては通れない。やらなければならないことだ』


 フェルミの顔には苦渋としか言えない表情が表れていた。

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