その文章は誰がために【KAC20216】

amanatz

その文章は誰がために


文章を書くものは、自分自身がまず第一の読者であるべきだ。どんなことがあっても、それだけは忘れてはならない。

生み出したその作品において、作者は絶対的、神とも言える存在である。しかしながら、独り善がりの内容であってはならない。常に、読む側、読ませる相手の視点を持っていなければ、それこそ、誰にも省みられないものになってしまうだろう。

自らが読んで面白いものを生み出す。それが、創作することの原点であり、また、絶対条件でもある。


そしてまた、隅々まで読み込み、その文章を愛してあげられるのもまた、第一の読者たる作者の特権であり、また、義務でもある。どんなに拙い作品であろうと、どんなに顧みられなかろうと、自らが面白いと信じるものを、面白いと信じ続ける読者たれ。そうした熱烈な読者を内側に獲得してこそ、作者は作者たりうるのである。



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……という文章論を読んだ。

何か、胸の奥の憑き物が落ちた気がした。

私もまた、素人に毛の生えた程度ながら、物書きの端くれとして作品を書き続けている。しかしながら、私程度の書き手は今の世の中には星の数ほど存在しているから、そもそもなかなか読まれない。そうそう反応がもらえるわけでもない。面白くないのか? もっと他人に受けるような書き方にするべきか? 悩んで試行錯誤しては、結局書いても書いても報われないような迷路に、いつの間にか囚われていた。


『作者が第一の読者たれ』という主張は、つまり、「自分が読んで面白いものを書けばいい」という、シンプルにして明快な目標に繋がる。

あれこれ考えすぎても仕方がないし、高望みしても手に入らない。まずはしっかり自分を見つめなおして、自分の納得行くものを紡ぐ、そんな矜持だけは抱きながら、ゆっくり焦らずにやっていこう。そう思った。



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……という小説を読んだ。

引用したのは、アマチュア物書きとして壁にぶつかり苦悩し続ける主人公が、物語の終盤になって、とある人物の文章論に出会う場面だ。この作中作が発している『作者が第一の読者たれ』というメッセージは、そのまま本小説のテーマになっていると言ってもいいだろう。

やや伝え方がストレートに過ぎる気もするが、「自分が読んで面白いものを書けばいい」という、単純で、だからこそ主人公に刺さったひとつの「答え」は、このくらいの直球勝負で書き出してこそだとも思えるし、また作品の爽やかなラストへの読後感にも繋がっていると言えよう。



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……という書評を読んだ。

自分としては、『伝え方がストレートに過ぎる』という部分にだけ同意だなあという印象。ちょっと展開としては、安易すぎやしない?

一応、冒頭で創作活動を始めるきっかけとなった作家の文章ってことで、伏線みたいにしているんだろうけど、ちょっと唐突だし、それで何やかや、ずっとぐだぐだと悩んでいたことが救われるの? ていう。

まあ、それってある意味リアルなのかもしれない。現実って、本当にちょっとのことで気分が変わったり、気づいたりすることがあったりするものだしね。あるある、今まで気持ちが曇っていたのは何だったんだろう? みたいなこと。

とはいえ、読んでいて、ちょっと拍子抜けしたってことは否めないな。

作中では全肯定されている『作者が第一の読者』ってのも、いまひとつピンとこない。それって、やっぱり、書いている人じゃないと実感が沸かないことなのかな?



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……という小説を読みました。

ここは作品の冒頭も冒頭で、いきなりだいぶ込み入った書き方になっているので、少し戸惑わされます。でも、この書き方には、きちんとした意図があるのだと思うのです。

主人公は、軽妙ながらやや斜に構えた語り口からわかるとおり、少しひねくれた所のある人物です。本を読むのは好きだし、勉強も運動も人間関係もそこそここなせるけど、今ひとつ、本気になれない。やや複雑な生い立ちもあって、どこか、冷めたところのある少年です。


そんな彼が、物語の冒頭、一つの書評に対して、全面的には賛成できないという率直な感想を述べます。その書評を書いているのは、彼が好んで読んでいる作家です。

これは、彼が『いまひとつピンとこない』と感想を抱いた書評された作品の構造と好対照を為しています。ちょっとややこしいですが、「『作者が第一の読者』というメッセージに即感動する主人公の話」があって、「そのメッセージと内容を褒める書評に対してピンとこない」主人公ということですね。

そんな彼が、その後さまざまな経験を通して、少しずつ少しずつ創作活動に興味を見出し、実際に作品を書いていきます。

おそらく、この小説の作者もまた、『作者が第一の読者』というメッセージを伝えたかったのでしょう。しかし、ストレートに伝えたいという思いもある一方、主人公には時間をかけて、その言葉の真意が理解できるような過程を、じっくりと物語が展開する中で書いていったわけです。この二重構造こそがこの作品の肝であると思えるのです。



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……というテキストデータが、すでに廃墟となって数百年が経過した街で発掘された。

はるか昔に、世界戦争によって滅ぼされ、科学兵器による大気汚染によって長いこと立ち入り禁止になっていた地域だ。

残留物の捜索と回収により、さまざまなコンピュータからデータファイルの抽出を試みたが、ほとんどすべてが破損していた中で、たまたま奇跡的に残っていたのがこのテキストデータだ。


調査の意義を考えれば、当時の歴史を知る資料となるようなデータが抽出できたほうが、望ましかったのだろう。それでも、人間の生み出すもの、創作に関するテキストだけが偶然にも残ったという結果に、少し、感じるものがある。

つまり、どんなに長い時間が経っても、どんなに営みが破壊されようとも、どんなに過去の文化が忘れ去られようとも、文章を紡ぐという行為はは残り続けるものなのだ……どうもやや感傷的、詩的に過ぎるかもしれないが。



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……という『文章』と名づけられたものを、ようやく、解読することができた。

この『文章』は、すでに大部分の文明が崩壊していた中、わずかな生き残りが自分の行動を書き記した『日記』と呼ばれるものであったようだ。


この星にかつて存在していた知的生命体は、このように『文章』を介して、互いにコミュニケーションをとっていたらしい。あまつさえ、架空の物語、時には世界すらその中に作り出していたというのだ。


別の方法で同種間の接触を行っている我々にとっては、まったく馴染みのない、理解しがたい概念ではある。

しかし、こうして彼らの間で『文章』というものが存在していたという事実を理解すると、「得体のしれない未確認生命体」ではなく、どこか身近な存在として浮かび上がってくるから、不思議なものだ。

おそらく彼らは、他者に自分自身を伝えようと、この『文章』を駆使して、意志や感情を表現していたということなのだろう。そう考えると、同じ知的生命体として、この広大な宇宙に確かに存在していた仲間として、愛おしい気持ちすら湧き上がってくるのだ。

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