魔法使い

金子ふみよ

第1話

 ヒロは魔法を目撃しました。

 完成したばかりのデパートにお父さんとお母さんとで買い物に行った時のことです。

 開店時間の前に着いてしまい、しばらく外で待たなくてはなりませんでした。ヒロは大きなガラスのドアから店の中を覗き込みました。そこにとんがり帽子をかぶり、エプロンをした男の人がいました。ヒロはその人が何をしているものかと気になって、じっと見いりました。

 とんがり帽子の人は、ポケットから一つ風船を取り出すと、それを引き伸ばしてから、ポンプを使って、風船をふくらませていきました。細長く大きくなっていく風船。ポンプを抜き、風船の口を結んでから、風船をギュギュギュ、ギュギュギュと、ねじり始めました。

 ヒロは耳に手を当てました。風船が割れてしまうと思ったからです。たとえ破裂してしまっても、ガラスを境にしてありますから、そんなに耳が痛くなることはないはずなのにです。

 とんがり帽子の人は、さらにねじって、ねじって、風船を回転させて、それから折りたたんでいきました。けれども風船は割れません。その風船を床に置いて、それから別の風船をふくらませ、ねじって、ねじって、回転させ、折りたたんで。それを何度か繰り返し、いくつもの風船を床に置きました。大きな真ん丸な風船もふくらませました。赤、青、黄色、緑、ピンク。色も形も大きさも違う風船が、いくつも置かれました。

 ヒロには何が何だかわかりませんでした。風船がねじっても割れないし、ヒロが見たことのない形がたくさんでした。

 とんがり帽子の人は、背の高い箱の上に真ん丸な風船を乗せ、箱の面には小さな風船を並べてくっつけていきました。その雪だるまもどきのような格好のものに、さっき作った、いくつもの風船を組み合わせていきます。

 すると、徐々に徐々に姿が現れ、ヒロにもそれが何なのかがわかってきました。帽子をかぶり、リボンを首に巻き、ピースサインをした人の姿が登場しました。鼻も口も風船で作られていました。その周りにも変身した風船が彩り、それはクマや鳥やウサギやキリンやチョウチョウなどであったり、あるいは花やトマトやかぼちゃやキュウリなどであったりしました。まるで動物園と公園と八百屋さんが一緒になったようでした。

 デパートがオープンしました。ヒロはお父さんとお母さんに言って、ロビーを急ぎ足しました。走っては怒られるからです。

「これ全部風船で作ったの?」

 ヒロは、とんがり帽子の男の人のそばに近づき、そんなことをたずねていました。

「そうだよ。ここは違うけどね」

 その人は、優しい答え方で、指さしました。それは、ニッコリとした目の部分で、シールが貼ってありました。

 ヒロはもう一度眺めてみました。赤も白も黄色も青も、それこそいろいろな色の風船の、どうしてあの違ったふくらみが、こうもちゃんとしたキャラクターたちに見えるようになるのか、ヒロには興味をそそるものでした。

「割れないの?」

 ヒロにとって風船がそんな形によくも変わるというのは、ふいにパンと割れてしまわないかというドキドキと背中合わせでした。

「割れることもあるよ」

 男の人は、やはり優しげに答えてくれます。

「でもね、また作ればいいんだよ。失敗してもね」

そよいだ風が頬を撫でるのを、ヒロはわずかばかりに感じました。どこかのドアが開いたのかもしれません。その風に揺れているキャラクターたちは、本当の生き物が動いているように、見えました。

「まるで空気の魔法使いみたいだね」

 驚き楽しげでいる様子を混ぜたヒロの視線と言葉に、その人は

「空気の魔法使いか、それはけっこうな表現だね」

 ニッコリと笑いました。

「君のような子がもっと楽しんでくれるように、僕ももっといろいろな形を作っていくとしようかな」

 そんなことを言いながら、その人はポンプを動かして風船をふくらませて、あっという間に体の長い犬をこしらえてしまいました。

「では、魔法使いからのプレゼントです」

 男の人はヒロにそれを差し出しました。

「もらっていいの?」

「もちろんだよ」

 少年は犬をグルングルンと回して、いろいろな角度から見てみました。細長い風船が、その人の手にかかれば犬に変わる。やっぱり不思議でした。

「そんなに不思議かい?」

「うん。風船が犬に変身するなんて」

「そうだね。不思議なことはたくさんあるね。だから心がドキドキするんだろうね」

 とんがり帽子の人の言う通りでした。ヒロのドキドキは、風船が割れるかもしれないの怖さではなくなっていました。

 お父さんとお母さんがヒロを呼びました。もう行かなくてはなりません。

「僕も魔法使いになるよ」

 まるで世界に宣言したかのように言って、ヒロは、とんがり帽子の人に手を振ってから、お父さんとお母さんの元へ行きました。とんがり帽子の人はずっとニコニコと笑ってヒロを見つめていました。


 それから月日は流れて。ヒロはすっかり大人になりました。

 ある日、ヒロはあのロビーにいました。彼の前に一人の少女が立っていて、不思議そうにヒロを見ていました。ヒロはとんがり帽子をかぶり、エプロンを着けています。

「やあ、こんにちは。僕は空気の魔法使いだよ」

「魔法使い?」

 その子は何のことやらわからないといった具合で小首を傾げました。

「ほらこれだよ」

ヒロはあっという間に、ピンク色の風船で犬を作ってしまいました。

「プレゼントです」

「わーい、ありがとう」

 少女はそれを抱えて駆けて行きました。お母さんとお父さんにそのことを言ったようです。遠くでお母さんとお父さんと、その女の子は一つお礼をしてくれました。ヒロは帽子を取って、お辞儀をしました。

「さあ、魔法の始まりだ」

 風船は、ヒロの手の中で、みるみるうちにいきづいていくのでした。


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