015 ダナエ王国


「ダナエ王国? ナール連邦? 聞いた事がないな」

「ああ、太平洋上にそんな国家があったか」

 いずれも知らない国家だ。現地特有の呼び方なのだろうか。

 先程の水晶のような物体といい、理解し難いモノの続出に困惑気味な帝国海軍の将校達。


「……その船、ナール連邦の新兵器では無いのですかな? 単艦で我々の海軍を全滅させる程の恐るべき戦闘力。敵ながら感服せざるを得なかった」

 大和を見上げながら話を続けるアンドレウ。甲板から数名の兵が軽機関銃を向けているにも関わらず、物怖じする様子は微塵も無い。


「我々は大日本帝国海軍だよ。太平洋の島国なら知らない訳が無いと思うが――」

 高柳が答えるが、目の前のニコラウス・アンドレウという男からは得体の知れない違和感を覚える。

 先程から互いの意思疎通は出来るようになったはずなのだが、ある種の話題になると途端に意図が伝わりそうになくなるのだ。


「……ダイニッポン帝国? タイヘイ洋? ふむ……もしや、か。何故なにゆえ此処に現れ、我々の艦隊を沈めたのか?」


 ――この西洋人、一体何を言っている。

 あまりにも常識はずれなそぶりを見せるアンドレウに困惑してしまう高柳。日本はおろか、太平洋の存在を失念している様子も不可解だ。互いの認識に何らかの相違があるのは間違いないようである。


 それに――。


「……とは?」

 山本がやや当惑の表情を浮かべながら口を開く。

 見たこともない地形、見慣れない建築様式。まるでどこか遠い国へ迷い込んだような感覚だったのは確かだ。


「……そう言えば、”セクメト”などと自称する女が現れてから周囲の様子が劇的に変わったのだったかな」

「……フム。セクメトは〈イジプの地〉に伝わる神と聞く。となれば神の思し召しなのか……。だとして、何故なにゆえに、我らの前へ立ちはだからせたのか」

 山本の発言を聞き、アンドレウは軽く目を閉じて頷くような仕草と共に語り続ける。


 突如として現れた巨艦によって海上戦力が失われてしまった今、海洋国家ダナエ王国が工業力豊かなナール連邦と渡り合う事は難しい。

 しかも、頼みの綱である帝国からの支援も打ち切りの方向で算段が付いたとの事だ。再びナール連邦に進攻された場合、王国の騎士団だけで迎え討つ事となろう。「少なからず、貴殿方が我々の艦隊を滅ぼしたのは事実である。そして……大勢が死んだ!」と、アンドレウはやや語気強めの口調となる。


 沈黙が場を包み込んだ。山本、高柳らはそれぞれ腕組みをしたまま、静かにアンドレウを見つめる。


「……失礼、取り乱した。我らの……いや、愛する部下達と国民をこれ以上傷つけたくは無いのだ」

 生まれ育った故郷、ダナエ王国。大切な家族や部下達が居る。


 騎士団をはじめ、王国の兵団員達はどんな厳しい訓練にも一切の弱音を吐かず、汗や血を流し、歯を食いしばりながら一生懸命に食らいついて来た。

 そして、勤勉な国民達がそれを支えている。彼らは皆、国の宝とも言えよう。


「……心中お察しする。だが、我々とて生き延びるのに必死だったのだ」

 高柳もアンドレウが言っている事は理解出来る。立場が逆なら同じような事を考えるだろう。

 とはいえ、こんな御伽噺のような事が実際に起こり得るのだろうか。まずは情報収集、そして大和乗組員の衣食住の確保を急がなければならない。


「……失礼だが、貴殿方の名前をお伺いしても良いかな?」

「私は高柳だ。高柳儀八のりはち

「俺は山本五十六」

 即答する高柳と山本。終始、アンドレウからは敵意らしきものが感じられない。

 余程この国を守りたいのだろう。部下を連れず1人で交渉に訪れている所を見ると、自分の命くらいは犠牲にする覚悟を抱いていたのかもしれない。


「ニコラウス・アンドレウと言ったか。我々に交渉の余地はあるかね?」

 敢えてわかりやすく質問する山本。アンドレウはどんな要望も受け入れてくれそうな様子ではあるが、こんな状況で腹の探り合いをしている場合でもあるまい。

 今後の事を踏まえ、互いの立場は対等にしておきたい所だ。

 話が通じる相手のようであるし、互いにメリットのある交渉をしておくのが良いだろう。


「……無論! 私もそのつもりで来たのだ。ヤマモト殿、貴殿方が我が国を荒らす気が無いのであれば、出来ればその戦闘力を我々にお貸し頂けないだろうか」

 素直に要望を述べるアンドレウ。自国の艦隊を容易く壊滅させた兵器が目の前にあるのだ。まずは互いの協力体制を築き、ナール連邦の進攻に耐え得る仕組みを整えておきたい所である。


「……フム。良いだろう。とはいえ、ご覧の通り大和は大規模な修繕が必要な状況だ。そちらの鉄鋼技術はいかほどかな? 可能ならば、この広大な湾の奥にドックを建造してもらえると助かるのだが」

 現在も火器は使用できるだろう。しかし、大和は現在進行形で浸水が悪化している。

 戦艦としての真価を発揮するためには機動力の確保も必須要素の1つだ。時間をかけてでも修繕をし、浸水を止める必要がある。


「承知した。しかし、我々の技術が及ぶかどうかは不明だ。帝国からの資源調達も出来ないため、かなり粗雑な造りとなりそうだがよろしいか?」

 目の前にある巨大な艦を収める程の船渠せんきょを設けるならば、相当の資材が必要となる。現状だと出来栄えはかなり簡素なモノになるだろう。

 とはいえ、国を守るためには絶対に必要な選択だ。何としてでも要望に応えたい所である。


 ――無謀だが、帝国が退いた今、ダナエは独立の好機でもある……。

 ナール連邦を退け、帝国の干渉を受ける事も無くなれば独立を実現できるかもしれない。

 王も帝国を毛嫌いしていたし、一度彼らを謁見させるべきであろう。


「良いさ。何事もやってみなければ判らん」

「……相分かった。ならば、貴殿方には王への謁見をお願いしたい。近くに馬車を手配しておいた故、しばしお待ち頂こう」

 そう言うと、アンドレウは身軽な動きで再び馬に乗り丘へ駆けて行く。


「長官、よろしいのですか」

「……高柳さん、他に選択肢があったかな?」

 高柳の懸念はもっともである。奇跡的に大和の修繕を完了出来たとしても、流石に弾薬までは補給できまい。同じような戦い方を繰り返せば消耗戦は必至。いずれ勝ち目が無くなるのは目に見えている。

 だが、それは山本も重々承知の上だ。


「詰め寄られる前に撃滅するんだ。三式弾が炸裂できる範囲で立ち回れば負ける事は無いだろう。圧倒的な戦力差を見せれば敵も怖じ気づくさ」

「確かに、そうですが。しかし大和を直せればの話ではありますし、そもそもそれ以前に今は乗組員を陸に上げねば……」


「そうだな――」

 今後の展望について議論しながら、アンドレウの到着を待つ山本達。

 乗組員の大半はまだ大和艦内に居り、ひとまずは全員が陸上で居住できるよう交渉を進めるのが先決だろう――。






「――お待たせした。今すぐに全員を王都まで運ぶのは無理がある故、ヤマモト殿とタカヤナギ殿だけでご足労願いたい」

 子綺麗な馬車を連れて戻って来たアンドレウ。馬車は側面に扉が付いており、内部は前後での対面座席になっている。貴族が使っていたような、4人乗りくらいの馬車だ。


「わかった。ところで我々は2,500名ほど居るのだが、全員が寝泊まりできる場所は無いか?」

「……フム。よろしいだろう、この辺りの家屋をご自由にお使いいただくと良い。戦況の悪化に伴い、この街の住人は全て王都へ避難させている」

 

 宿屋、商店、酒場……見える建物全てが無料の居抜き物件という訳だ。思わぬ高待遇に目を丸める山本達であった。


「それは有り難い……。お言葉に甘えさせて頂くよ」

 大和を湾の最奥へ停泊させるように部下の将校へ指示を出し、山本達は馬車へ乗り込んだ。


 翌日、乗組員達は大和を湾の奥まで移動・停泊させ、全員が下船。港には案内係として十数名の近衛兵がおり、彼らは王宮との連絡要員として待機を命じられているとの事だった。

 更に、数日がかりで王都および近隣の領地から派遣された大工や鍛治職人達が集結。彼らは簡単な交流会を行い、大和を収容するための巨大ドックの建設を開始した――。






「――国王陛下、かの者達を連れて参りました」

 港を出発してから7日後の夕刻、西日が差し込む広大な玉座の間。陽の光で顔が赤く染まったアンドレウは王へ向けて跪き、頭を下げている。


「うむ。よくぞ戻った、ニコラウスよ。早速連れて来させなさい」

「ははっ!」

 立ち上がり一礼するアンドレウ。その場で踵を返し「入られよ!」と、玉座の間の入り口へ向け声を張り上げる。

 間もなくして、山本と高柳が近衛兵に引率されながらアンドレウの元へやって来た。


「彼らが例の船の船長達です」

 再びアンドレウが王へ向けて跪く。


「……長官、ここは我々も跪いたほうがよいのでは」

「おう、そうだな」

 ヒソヒソと話し合う山本と高柳。アンドレウに習い、王へ向けて跪いてみる。


「……あなた方はお客人です。どうか姿勢を戻し、お顔を上げてください」

 透き通るような王の声。それほど声量がある訳では無いのだが、まるで耳元で囁いているかのように聞き取りやすい。

 山本と高柳は少し戸惑いながらも顔を上げ、立ち上がりながら玉座をまじまじと見つめる。


 ルビーのように透き通った赤い眼、赤みがかったクセ毛のブロンド髪に華奢な顔立ち。日頃から鍛えているのだろう、細身だが筋肉のある身体つき――。


 ――随分と若い王だな。

 目の前に座している王は若い。20代そこそこの青年のように見え、豪華な装飾と玉座が無ければ絶対に国王だと気づく事は無いだろう。


「やあ、よくぞおいで下さいました。ニコラウスより話は聞いております。……僕はペルセウス1世。この”ダナエ王国”の現国王です。以後、ペルセウスとお呼び下さい」

 玉座に座っている青年……いや、国王ペルセウス1世は健やかな笑顔で山本達へ自己紹介をする。国王の見慣れぬ気さくな雰囲気に、近衛兵達が少しザワつく。


「王の御前であるぞ」

 アンドレウがギロリとを睨みを利かせ、近衛兵達がピタリと口を閉ざす。玉座の間は再び静寂に包まれた。


「……大日本帝国海軍大将、連合艦隊司令長官の山本五十六と申します」

「大日本帝国海軍少将、高柳儀八と申します。戦艦”大和”の艦長を務めております」

 先に山本が名乗り、右手を胸に当てて軽くお辞儀をする。それに連れ、高柳も同じように国王へ向けて自己紹介をした。


「ヤマモトさん、タカヤナギさん、ありがとうございます。あなた方のお力をお貸し頂けるとのこと。お互いのこれからの協力関係について話し合いましょう」

 そう言うとペルセウスは立ち上がり、玉座前の階段をゆっくりと降りて行く。


「アンドレウ、顔をあげよ。彼らを僕の執務室へ案内して差し上げなさい」

「ははっ、仰せのままに」

 目の前で立ち止まったペルセウスへ、再び一礼して立ち上がるアンドレウ。山本達を案内する為、玉座の間の出口へ向かう。


「ヤマモト殿、タカヤナギ殿、こちらへ」

 アンドレウに引率され、山本達は玉座の間を後にした。




「……話が早いんじゃないか、アンドレウ」

 カツカツと足音が響く通路にて、山本が口を開く。

 先程謁見した若き王、ペルセウスは、大和がダナエ王国の為に戦う事を前提としているような話しぶりであった。


「申し訳ない、ヤマモト殿。しかし、他に選択肢は無かろう。そちらの船も現状では長期航行できまい。戦わねば我らと共に滅びるか、ひとり虚しく海に沈むかではないかな? さて、執務室に付きましたぞ」

「……フフッ、お前も中々にしたたかな男だな」

 時折、笑顔を交えながら言葉を交わす3人。そのまま執務室へ入り、対面に配置されているソファへ腰かける。




「……王陛下、よろしいのですか。彼らは我々の海軍を壊滅させた――」

「よいのだ。海軍はそもそも正式には我が国のモノではなく、帝国の海軍。今回の件で帝国もだいぶ大人しくなると思うぞ」

 アンドレウ達が立ち去った後の玉座の間。側近の1人が懸念を述べるが、それ以上にメリットがあるとペルセウスは考えている。

 今後、本当にダナエ王国がナール連邦を撃退し得る戦力を得たならば、帝国も迂闊に手を出して来る事は無くなるだろう。


「彼らのおかげでこの地から帝国が去り、ナールも一旦は退いた。何としてもこのまま独立を達成させたいものだ」

 今後を見据えるペルセウス。帝国からの独立へ向け、舵を切るべき時が来た。


 現在、ダナエ王国の自治はほぼ完全に帝国から独立しており、帝国領というのはもはや形式上だけでしかない。

 帝国からの援助が絶たれるのであれば、現在の形式を維持する道理も無いのだ。

 かえって身動きが取りやすくなったとも言える。


「しかしながら、我らの兵団から少なからずの犠牲者が出てしまったのは残念だった。いつかは命を賭した者達への弔いもしよう。帝国の兵も含めてな」

 勇敢に戦い、散っていった兵達は皆英雄である事には違いない。戦いが終われば慰霊祭を設けるのも良いだろう。


「フム……やはり、帝国からの独立を考えておられるのですね。フムフム、彼らを味方につけますか。よろしいでしょう。どこまでも付いて行きますぞ、国王陛下」

「ふふ……心強いな、ヤニスよ。辛い道のりが続くだろうが、頼りにしているぞ」

「畏れ多きお言葉です」


「さて、僕も執務室へ向かう。王都へ避難した領地民達への配給、および居住地の確保を全力でやってくれ。3日以内には魔力障壁を閉じておきたいのだ」

「はは、仰せのままに。……と、その前に、少し宜しいですかな――」






「――しかし、妙なモノだな」

「ええ、なんとも落ち着かない空間です」

 辺りをキョロキョロと見回す山本と高柳。建物はほぼ石造りでありながら高さがあり、内装は木材や石膏で綺麗に仕上げられている。

 よくある洋風建築のようではあるが、この執務室は妙だ。窓や蝋燭などの照明が無いにも関わらず、充分な明るさを保っているのである。


「まるで魔法じゃないか」

「……ふむ。異界の方なら仕方あるまいか。ヤマモト殿、これは魔法だよ。今一度天井を見上げてみなされ。魔石が埋め込まれているだろう。あれには光属性を付与した空間魔法が込められている。部屋中に適度な光子を染み出させ、王が執務にあたりやすい明るさを維持し続けているのだ」


「……魔法なのか」

 いよいよ理解に苦しむ展開だ。光子だと? 帆船ばかり乗り回している大昔のような国と思いきや、多少なり物理学の概念はあるという事なのか。

 高柳も隣で眉間をつまみながら悩む。ここは単なる外国ではなく、やはり別世界。


 ――帰国する術はあるのだろうか。


「長官、暫くこの事は我々の中にだけ留めておいたほうが良いのでは」

「そうだな……。帰国を心待ちにしている者も大勢いるし、何より士気に関わりかねん」

 乗組員への情報開示は限定的にした方が良さそうだ。ダナエ王国は友好的な外国であるとだけ周知し、とりあえずは港町での生活に慣れさせる事を優先しようと思う2人であった。






「――やあ、お待たせしました」

 執務室にペルセウスが入室。長テーブルを挟んで向かい合うソファに腰掛けていたアンドレウ、山本、高柳の3名が起立して出迎える。

「お気になさらず、どうぞお掛けください」

 ペルセウスはそのままアンドレウの横に付き、皆で一緒に腰を下ろす。


「……では、改めてご足労感謝いたします。給仕も連れてきましたので、何なりとご要望ください」

 ペルセウスの紹介を受け、手を胸に軽く当てて一礼する中老の男性給仕。


 ――この男は。

 この給仕には見覚えがある。玉座の間に居たペルセウスの側近の1人だ。


 ――国王付きの給仕か?

 じろりと見つめる山本と高柳を尻目に、給仕は淡々と自らの仕事をこなす。

 一連の動作は隅々まで気品に溢れており、流石は国王が連れてきた給仕なだけはある。時折、アンドレウもちらちらと怖い目つきで彼の顔を見つめているが動じる様子も無い。肝の座った眼をしているし、大変な努力をして上り詰めて来たのだろう。


「そうだ、タバコもありますが如何ですか?」

 にこやかな表情で話し始めるペルセウス。客人向けに用意してあるパイプたばこが棚に並んでいる。給仕がいくつか取り出し、上品な手つきでそっと山本達の前に並べてゆく。


「いや、せっかくだが結構。俺はタバコを辞めたんだ」

 右手を軽く縦に構えながらたばこを断る山本。元々愛煙家だったのだが、ある日より部下と共に禁煙を宣言して以来、一度も吸っていない。

 高柳もたばこを断り、給仕が淹れたハーブティーで口の中を潤している。


「そうですか、では早速ですがお話を進めさせて頂きましょう。まず、あなた方が辿り着いた港は、我がダナエ王国南部の”クレタ地方”にあります」

 ソファへ浅く座ったまま背筋を伸ばし、テーブルの上に置いた両手の指を絡めながらに語るペルセウス。真剣な眼差しで2人の目を交互に見つめて行く。


 大和が停泊している港は、ダナエ王国最南端の領地となる”クレタ地方”にある。

 クレタ地方は巨大な山脈によって王都から隔絶された地でありながら、軍事・経済・政治が絡み合う重要拠点でもあった。


「もともと、ダナエ王国では各地を貴族や豪族に分配して取りまとめをさせておりました」

 王国内でも極めて重要な領地の1つであったクレタ地方には、”辺境伯”として伯爵よりも位の高い貴族を任命していた。その地位は侯爵にも近く、王宮から強力な権限を認められた重要な役職の1つだ。


 しかし、先の海戦の戦況悪化によってクレタ地方の状況が一変。海軍が居なくなった事で防衛力を失ったクレタ地方は、完全に無防備な状態となった。

 陸上戦力が乏しく、事態を重く捉えた辺境伯は、住民全員を王都へ避難させる事を決断。貴族としての地位をも捨てる覚悟で国王へ直談判し、そして現在に至るという訳である。


「フム、それで誰も居なかったのか……。で、その辺境伯とやらは今何をしているのか?」

「……フフ」

 山本の質問に対し、クスりと少し含むように笑うペルセウス。


「うん……俺は何かおかしな事を言ったかな?」

 意味深な態度をとるペルセウスに対し、一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた山本。暖かいハーブティーを啜りつつ言葉を返す。


「そこの給仕です」

 ピタリと一瞬動きを止め、合点がいったようにすぐに給仕を見つめ直す山本と高柳。なるほど給仕にしては只者ならぬ感がしていたと思っていた所である。


「はて、私の顔に駄物の1つでも付いておりますかな?」

 ピシッとした手つきで片眼鏡に触れ、わざとすっとぼけたように語る給仕もとい辺境伯。視線の種類はどうであれ、全員がじっと見つめる中でも微動だにせず涼しげな顔で佇んでいる。


「ヤニス・ザンビディスと申します。そう、かつては辺境伯をやっておりましてね」

「今は違うのか?」


「はい、民の居らぬ地に貴族は必要ありませんから。今は王都の再編に注力し、王宮において陛下の執務を補佐する役目を賜っております」

 貴族というのは、何よりも名誉を大事にする生き物なはずだ。彼らは統治する土地の大きさ・武功・生産性など、事ある毎に他の貴族達と競い合う。

 それが自らの土地を手放して全ての民を別の地へ住まわせるという事は、己の名誉をも捨てるという事に等しい。


「ハハハ、ヤニスは本当に立派だよ。見栄と名誉が違うモノだというのを弁えている。結果的に民を守り抜くという事こそ、貴族にとって最大の名誉だと思うんだ。君は信頼すべき側近であり、尊敬する人物でもある」

「……身に余るお言葉」

 屈託の無い笑顔で語るペルセウス。ザンビディスはピンと指を伸ばした右手を胸に当て、軽く前傾するようにお辞儀する。


「っと……。話が逸れてしまいましたね」

 照れるように軽く頭をかくペルセウス。再び姿勢を戻し、じっと山本へ目線を合わせる。


「ヤマモトさん。これからヤニスが申し上げる願いを聞き入れていただきたい」

 やや低めのトーン。ペルセウスからは真剣な様子が見て取れる。


「言わずもがな。我々に出来る事なら受け入れたい。場所もお借りしている身であるし、無下に断る事は無いと断言しよう」

 右手でハーブティーを持ちながら、時折笑みを交えて受け応える山本。正直な所、彼らが大和を修繕する技術を持っているかどうかは謎のままだ。

 しかし、彼らは筋の通った心を持っており、信頼に足る相手であることは間違いなさそうである。互いの要望を聞き入れ合い、強固な協力関係を築いておくのは悪くないだろう。


「ふっはは、心強いお言葉ですな。では辺境伯をやってくだされ。頼みましたぞ」

 しれっと依頼を述べるザンビディス。山本はピタリと動きを止め目を閉じ、ほんのひと呼吸あけて口を開く。


「……ん、意味がわからん」

 細めた目でカップに入っているハーブティーを見つめながら声を出す山本。そのままザンビディスに目をやり、彼の表情を確認する。そして、ほんの少し深く息を吸い込み口をきゅっと紡いだ。


「ほっほほ、受け入れて下さったようにお見受けできますな」

 ザンビディスの言っている事は理解しにくい。しかし、今後の行動を考えれば協力せざるを得ないのが見えているからこそ、山本は断る訳にも行かないのであった。


「断ったところで、あの手この手で辺境伯へ仕立て上げられそうだな」

「ご名答。私はしつこい男でしてね」

 山本はハーブティーを置き、前屈みになり拳で頬杖をついた。そして目を閉じ、数秒間の沈黙を経て口を開く。


「良いだろう。なってやるよ、辺境伯とやらにな。但し、好き勝手やらせてもらうぞ」

「いやはや! 有難うございます。ヤマモト殿」

 わざとらしく、それでいて歓喜にあふれた声色と共にお辞儀をするザンビディス。その表情は真剣そのものであり、先ほどまでのとぼけたような振る舞いは一切無い。


「貴方にならお任せしても良い。いや、是が非でもお任せしたい。そう思い立った次第なのです」

 頭を下げながらも尚、語り続けるザンビディス。玉座の間で山本をひと目見た時、中々に優れた政治手腕を発揮するかもしれないと直感していたのである。


 本来、山本達が寄港しなければクレタ地方は王宮の直轄領とし、住民と入れ替わりで騎士団を常駐させる予定であった。

 しかし、彼らならば港を守り、再びクレタ地方を統治出来るだろう。


「よしっ、話がまとまった所で僕は仕事に戻ります。王都の各地を見て回らなければいけないんだ」

「私も随行しますので、ご一緒に失礼させて頂きます。ヤマモト殿、本当に有難うございます。クレタ港と王宮は伝令を使えば片道3日で連絡が取れます。何なりと御所望下さいませ」

 そう言うと、ペルセウスとザンビディスは執務室を後にした。

 この瞬間より山本は辺境伯となる。領主としての権力、そしてクレタ港の所有権を主張できるようになったのだ。


「長官……これは早めに慣れておく必要があるかもしれません。長官が辺境伯となれば、乗組員達は領地民です。役職を正しく認識できるよう、呼称も統一しておきましょう」

「……なるほど、そうだな――」


「では、ヤマモト辺境伯。クレタ港へ戻るとしよう」

「おい、やっぱりイキナリそう呼ばれるのは違和感があるな」

 バシッと両膝を叩いて立ち上がるアンドレウ。山本もゆっくりと立ち上がりながら、ため息混じりに言葉を返した――。






 ――






「辺境伯……そんな事が」

 両手をギュッと握り、声を発する梶原。重要な事実を隠されていた事に対し、少し悔しさにも似た感情が込み上げる。しかし、領民となった乗組員達の統率を考えれば致し方ないという事も理解できた。


 見知らぬ別世界へ放り込まれたとなれば、山本なりに様々な葛藤もあっただろう。その重圧は何事にも耐え難いモノであったかもしれない。

 しかし、この5年間で皆の生活は大きく変わり、豊かな衣食住も提供されるようになった。

 領民各々の役職も適材適所が徹底されている。自分達を信頼し、1人1人を大事にしてくれている証拠なのではないだろうか。


 地元へ帰れない絶望、山本への尊敬の念、この世界で生きて行くために果たすべき役割。様々な想いがごちゃまぜになり、梶原はほんの少し情緒不安定となった。そして――。


「うん〜うう……! 真実を知る事ができ、感激であります! この梶原菊介、今後ともお役に立たせて下さい」

 再び、ビシッと敬礼をする梶原。目が少し潤んでいるが、その眼差しは新たな覚悟を持ったようにも見える。


「はっは。お前は熱い男だな、梶原。よろしく頼むぜ」

「……! は、うっぐ、ふぁい! よろじぐ、おねがいしまずっ!」

 山本は梶原の方をポンと叩き、その瞬間に梶原は敬礼の姿勢を維持したまま、ついに涙をこぼしてしまった。


「っぅふぅ、なんと美しい涙でしょう」

 その光景を眺めていたヘルメスももらい泣きをし、ほろりと涙をこぼす。無感情に振る舞っていたと思いきや、割と感情豊かな神なのかもしれない。




「――なるほど、それで辺境伯という訳なのですね」

 顎に手を当て、やや考え込んでいるような姿勢で福島が声を出す。


「そうだよ。流石に5年も経てば違和感も無いがね」

「5年……やはり、大和の修繕は難しいのですね」


「ああ、見よう見まねのクレーンまで作る事は出来たが、大和の装甲を打ち直す設備を用意する事は無理なようだ」

 ドック内で静かに佇む大和を見上げる福島と山本。現時点では船台までは用意できており、ドックの水を抜けば船底も露にする事は出来る。

 しかし、王国屈指の鍛治師や船大工が知恵を絞りきっても、大きく変形した分厚い装甲を打ち直す技術は生み出す事が出来なかった。

 そうやって右往左往している内、いつの間にか5年が経過。残っている燃料も使えるかどうかは分からないという状況となってしまった。


「……水を抜いたままでは艦底に負荷がかかり続けるため、基本的に作業が無い期間は水を張る事にしています」

 冷静を取り戻した梶原。再び詳細に大和の現状を福島へ伝える。


「ありがとう、梶原少尉。大体の現状は把握できた。いただいた情報は全て司令本部へ伝達する。ナール連邦の動向も気になる所だしな」

「艦長、どうぞ」

 船務長の金子1等海尉が無線機を取り出して福島へ手渡す。福島は慣れた手つきで無線機を掴み、その腕をグイと上げながら口元へ密着する程に近づけて話し始めた。


「こちら福島。〈うすづき〉、聴こえるか」

{――こちら〈うすづき〉艦橋。感度良好。司令本部へ取り次ぎがあればどうぞ、オーバー}


「無線機か。随分と小型だな……」

「ええ、アンテナも無い。これなら各兵全員に無線機を持たせられますね……」

 何気なく取り出した無線機ではあるが、山本と梶原は目を丸くしながら感心している様子だ。


「現地のとの話がついた。全艦の寄港が可能。なお、航空機にて南方への警戒が必要と判断されたし。米軍空母へ要請求む。送れ」

{了解。こちらも、美味しいご飯で仲間が増えましたよ。オーバー}


「美味しいご飯? ……ハハハ、海弁かな」

「きっと梶原少尉と一緒に居たあの2人に振る舞ったのでしょうね。ウチの飯は美味いですから」

 談笑する福島と山下2等海佐。そういえば自分達も飯を食べていない。早く戻って自分たちも昼食を摂りたい所であった。


「米軍だと?」

「……アメリカと共に行動しているのですか?」

 山本と梶原の顔色が急変する。”米軍”、つまりアメリカ軍。敵として撃滅する事だけを考えて来た存在のはずであり、聞き捨てならない。


「ん、そうですね。2026年現在、日米は同盟関係にあります。また、アメリカ合衆国は日本にとって最大級の貿易相手国でもあるのですよ」

「「――なんとっ」」

 日本とアメリカが同盟を結んでいる――? にわかには信じ難い事実である。2人とも驚愕の表情を隠せない。


「そうだ、2016年には、総理大臣とアメリカ大統領が真珠湾と広島にて平和式典に参加しています」

「な……信じられん」

 自分たちの時代で例えるならば、東條英機総理とフランクリン・ルーズベルト大統領が手を取り合っているようなもの……。とても想像できるような光景では無い。


 真珠湾――。思えばそこから全てが始まった。しかし何故広島なのか。呉港に何かがあったのだろうか? ともあれ、互いの過ちを省みて、前向きに手を取り合う事にしたのは良い事だ。平和な未来が少しだけ羨ましい。


「フフ、変わった部隊だと思っていたが、まさか未来の艦だとは」

 梶原も笑みを浮かべ、落ち着いた表情で福島達を眺める。

 80年後にも日本という国は存在しているのだ。皆までは聞くまい、今はそれだけで充分だ。自らの役割を果たし、1人の将校としてしっかりと彼らに貢献しようと思うのだった。






{――うすづきから報告あり、現地の”辺境伯”なる人物より、全艦の停泊を承認。なお、航空機にて南方への警戒が必要と判断されたし}


 あたご型ミサイル護衛艦〈ようてい〉司令公室。


「ううむ、辺境伯……?」

「貴族の国なのでしょうか。聞き慣れない役職ですね」

 あさひ型汎用護衛艦〈うすづき〉からの報告を受け、三土海将補と宮里2等海佐が口を開く。


「海将補、もしや、この世界には中世ファンタジーの要素があるのでは?!」

 同席している〈ようてい〉幹部の1人が、やや興奮気味に首を突っ込んで来た。その目はキラキラと輝き、初老であるにも関わらず冒険心あふれる少年のような表情を醸し出している。


「まあ、神も居たし、異世界へ転移して来た訳だからな。もう何があってもおかしくはなかろう。というか、アイツ……ヘルメスは何処へ行ったのか……」

「っですよねぇっ。うっはぁ〜」

 胸元に両手を突き合わせ、相変わらずキラキラと目を輝かせながら祈りのポーズのような姿勢をとる幹部。よほどファンタジーが好きなのだろう。

 尻目に見ながら呆れる三土と宮里であった。






『――ミツチ海将補、聞こえるかね』

 〈うすづき〉より連絡を受けてから数時間後の黄昏時、演習艦隊の艦艇が入港の準備を進めている中、揚陸指揮艦〈グレート・スモーキー〉より三土宛の無線連絡が入る。


『ええ、聞こえております。マクドナルド中将。何か見つかりましたか?』

『ああ、南方海域をホークアイが調査中なのだが、アテナ達が言っていた”ナール連邦”なる国の艦隊らしき船団を見つけた。少しずつ北上しているようだ。移動速度は極めて遅く、大半が帆船の軍艦であると思われる。ダナエ王国へ接触するには10日ほどかかるだろう』

 ニミッツ級空母〈アーノルド・モーガン〉艦載機の早期警戒機〈E-2:通称ホークアイ〉が高度8,800メートルより偵察。レーダーにて多数の艦艇を発見したとのことだった。


『ふうむ、10日。ヘルメス達め。わざとこのタイミングに召喚しやがったのか……。我々が動かざるを得ない状況かもしれませんな』

『うむ。戦力差は恐るるに足らないだろうが、介入すべきかを早急に判断せねばならん』


『承知しました。至急、幹部会合の場所を確保するよう〈うすづき〉の艦長へ交渉させます』

『うむ、頼んだぞ』


 全艦艇の入港は予定通り敢行。当直を除いて全員が下船し、可能な者には3日間の休憩期間を儲ける事とした。






 日没後の夕刻、街灯のように点在する照明が港を明るく照らしている。


「空母は3隻……いや、うち2隻は揚陸艦か? それにしても、戦艦が居ないじゃないか」

 続々と入港する艦艇を眺める達。巡洋艦のような艦艇ばかりが目に付き、どれも口径の小さな主砲が1門あるいは2門しか無いのだ。沿岸警備艇だらけの寄せ集めにしか見えないような艦隊であり、自分達が所属している連合艦隊よりも大きく見劣りしているように思えるのだった。


「ようこそ、私は梶原菊介と申します。広場へご案内致します。わかりやすいよう案内係には腕章を身に付けさせていますので、何なりとお申し付け下さい」

 各艦艇の上陸地点にて、梶原を始めとする達将校が日本語や英語で案内を実施している。


「ふむ、彼らが80年前の日本人なのか。俺の親父より年上なのだな……」

「ええ、副長。明治生まれの人もいるでしょうね」

 まや型ミサイル護衛艦〈たるまえ〉より下船し、何気なく言葉を交わす坂元と渡辺。広場の集合場所へ向かいながら周囲を見回し、不思議な体験に目を見開くばかりであった。


{これから幹部と曹士に分かれ、指定された家屋へ入居する為の手続きを進める。辺境伯の好意により、諸君には入居可能な家屋が与えられるようだ}

{だが、現時点において居住場所は艦内を原則とする。まあ、別荘のようなモノだな。安定的に休暇を取れるようになれば運用の変更もあり得るので、気を引き締めて任務に臨むように}


 広場に設置された高台より、日米隊員それぞれに三土海将補とマクドナルド中将が拡声機を使って説明を行う。


『ん〜! 別荘だって! 素敵ね、テイラー! 私、ああいう建物に住むの楽しみよ』

『アッハハ、アビーはいつも好奇心旺盛よね。タクトと一緒の建物だったら良いわね』

 無邪気にはしゃぐアビーをからかうように、ちゃらけたようなリアクションをとるテイラー。アビーは片頬をぷくりとさせながら『そんなのじゃないわよ、イジワルね』と反論。いつも通りのじゃれあいを続ける2人であった。




「――食材はどんな物があるのだろう? いつも通りのメニューは作れるんかね? 橋谷」

「うーん、少なくとも、飢えるような事は無さそうですね。いろいろ試すのも楽しみです」

 各艦の給養員達は懸念を抱く。食材の確保だ。この世界にはどのような食材があるのか、今まで使っていた物の代替は可能なのか等、自らの業務に支障をきたし兼ねない為に気が気でない者が多い。

 一部の給養員は楽しみのほうが多いようではあるが……。




「ねえ、ここ、すっごい広いですね。演奏会したいなあ!」

「そうね、状況が落ち着いたら交流会も含めて何かやって欲しいよね。幹部会で言っておくよ」

「やったぁ! よろしくお願いします! 佐々木1尉!」

 対して、音楽隊の面々は前向きだ。中世ヨーロッパのような様式の美しい街並み。こんな環境で演奏会ができたならば楽しいに違いない。

 今後の展望に胸躍らせる皆川3等海曹。王宮にも音楽隊は居るのだろうか、だとすればどのような音楽を持っているのか等、次々と好奇心が湧いてくるのだった。




『上陸した車両が迎えに来るので、会合に参加する幹部はこの場で待機してほしい』

 広場にて集結している幹部達にマクドナルドが指示を出す。


 ワスプ級強襲揚陸艦〈ガダルカナル〉とおおすみ型輸送艦〈のと〉より、海兵隊および陸上自衛隊の車両が運び入れられている。

 やがて車列を成し、会合が行われる辺境伯の邸宅へ幹部達の移送を開始した――。




「――ここが、邸宅か」

 都会の小学校ほどある巨大な邸宅。電気が通っているとは思えないのだが、窓明かりを散る限り室内はかなり明るいようだ。


 庭はあまり広くなく、およそ30台程の車両がギリギリ駐車できる程度であった。

 建物は石造りのようではあるが、木材やモルタルなどを使用して美しい外観に仕上がっている。

 まじまじと見つめていたところ、キィ……と軽い音を立てて邸宅の扉が開き、中から1人の男が顔を見せる。


『――やあ、皆さん、ようこそ私の邸宅へ。私は山本と申します。アメリカの方も居るようなので、英語で挨拶をさせて頂きます』

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