013 海弁


「大日本帝国……?」

「連合艦隊だって?」

 下船した〈うすづき〉隊員達は一瞬自分の耳を疑う。だが、それは聞き間違いでは無かった。

 駆け寄って来た将校と思われる見張り兵が着ている白い背広。全くもって見覚えが無い訳ではない。

 旧日本海軍が使用していた軍服の一種〈第2種軍装〉と酷似しているのである。太平洋戦争関連の映画や書籍などでも度々登場しており、名前を知らなくとも姿形だけ思い出す者は多い。


「……。申し遅れました。私は梶原菊介、少尉です。”は現在、浸水の悪化により長期間停泊中。設備が無く改修困難であり、残っている燃料の劣化も懸念されます」

 ビシッと敬礼をする見張り兵。後ろに部下と思われる兵士用のセーラー服を着た2人の付き添いがおり、共に敬礼している。


 彼らは初め、入港を求めて来る見覚えのない艦艇に少し戸惑いを覚えていた。

 しかし、日本国旗を掲げて寄港してきた船ならば本国日本の部隊に関連している可能性が高い。梶原等は入港許可を出し、出迎えの為駆け寄ってきたという訳だ。

 下船した自衛官達に対し、敬礼に続いて”休め”の姿勢で報告を続ける。


「あ、いえ……大和? あの戦艦大和?」

「どういう事だ? 俺たちは海上自衛隊だぜ」

 見張り兵の突然の報告に戸惑う自衛官達。”戦艦大和”といえば、80年以上前に沈没した旧日本海軍の巨大戦艦ではないか……。

 御伽噺の世界にでも迷い込んでしまったのかと錯覚する。


 ――しかし、それは錯覚では無く事実なのだ。


「……フム。未だ信じがたいが、やはり異世界というのは本当かもしれんな」

 周囲を見渡しながら呟く〈うすづき〉艦長の福島1等海佐。先程のビデオ会議において散々出て来たワードだが、改めてここは異世界であると実感する。


 とはいえ、過去へタイムスリップしているような話題が挙がった覚えは無いのだが、目の前の兵は大日本帝国海軍の兵士そのもののようである。思っていたよりも状況の整理に時間がかかりそうだ。


「海上……自衛隊? 失礼ですがどこの所属でしょうか。知らない部隊名です。極秘の隊でしょうか?」


 海上自衛隊が発足したのは昭和29年、西暦でいえば1954年だ。対して、大日本帝国という呼称は昭和22年の日本国憲法発布により終焉を迎えた。

 ましてや、戦艦”大和”に至っては太平洋戦争真っ只中である昭和20年、”坊ノ岬沖海戦”にて海上特攻を行い沈没している。

 もし、本当に彼らが本当に戦艦大和が存在した時代の兵士ならば、海上自衛隊の事を知らないのは当然と言えよう。


「……失礼。私は福島洋一、1等海佐だ。この〈うすづき〉の艦長をやっている」

「1等海佐……だ、大佐殿でしょうかっ。失礼しました!」

 梶原は慌てた表情で敬礼をやり直す。知らない隊ではあるがきっと重要な任務を担っているのだろうと判断した。

 ならばこれ以上の余計な詮索は無用。自分の立場を弁えた行動を徹底する。


「大和があるのか?」

「はっ! 宜しければご覧いただけますか」

 梶原はビシッと休めの体勢となり、福島へ対してなんなりと質問へ答える姿勢を示す。


「うむ……。では見せて頂こう。写真の撮影も許可して貰えるのかね?」

「はい、本国から来られた方には全ての情報を開示するよう、辺境伯……いえ、長官より申し付けられております」


 ――長官? 辺境伯?

 ところどころ気になる単語が出てきているものの、この場で全て整理しようとするのは合理的ではない。まずは梶原の案内に従い、情報収集に努めるのが良いだろう。

 それに、流石に全員の同行は無理だ。幹部を数名……いや、ここは副長と船務長だけを連れて行こう。あとは船内および周辺での待機を命じる事にした。


「いってらっしゃい、艦長」

 自衛官達が敬礼、そして軽やかに手を振って福島を見送る。


 ――なんだ、この人達。本当に帝国海軍の人間なんだろうか? ……それに、女も居る。


 あまりにもアットホームな雰囲気に、梶原は少し面食らった様子となる。

 ましてや女性が軍艦に乗っているなど見たことがないし聞いたことも無い。


 本音としては色々と興味が湧いているのだが、自分の役割の範疇を超える話だ。すぐに気を取り直し、近くに停めてある馬車へ福島達を誘導。港の奥にある建物へ向う。






「ふうっ、何だかんだでもう3時か。そういや昼飯食ってねえや」

「私も……お腹空いた」

 急遽の視察任務であったため、ほとんどの自衛官達は昼食をとれていない。状況がひと段落し、緊張の糸がほぐれたところで空腹を感じ始める隊員達。


「おおいっ、海弁持って来たぜ」

「おっ! ありがてえ!」

 複数の隊員と給養員が食事を持って港へ降り立つ。


 海上自衛隊名物の1つ、〈海弁〉。


 遠隔地での厳しい訓練がある場合などに配られる、海上自衛隊特製の弁当の事だ。

 元々、飛行機ならば空弁、鉄道なら駅弁がある……ならば、船なら海弁だろうといった発想から考案されたモノである。


 味よし・栄養よし・ボリュームよし。隊員の士気を保つため、各艦の給養員が腕によりをかけて独自のレシピを考案し、多様な海弁が提供されている。


 給養員によっては、海弁を作る際に「隊員を太らせる事が自分の任務だ」と意気込む者も居る程だ。


「ほいっ、貰ってない人は受け取ってね」

 複数の隊員が手伝いながら〈うすづき〉より海弁を運び出し、陸地で配って回る。


「……」

 そんな光景を無言で眺める2人の若い兵士。先程梶原に随行していた者達だ。


 梶原が居ない間、彼らは港の連絡要員として待機するよう命じられている。


「……あ、食べます?」

 海弁を配っている女性自衛官が彼らの視線に気付き、純粋な好意から1つずつ差し出す。


「あ、いえ、我々は昼食を済ませておりますから――うっむ!?」

 目の前に突き出された弁当から漂う香りは、とても食欲をそそる。


 兵士達は既に昼食を済ませていたのだが、あまりにも美味そうな匂いに摂食中枢が刺激されてしまった。

 次第に小腹が空いてきた彼らはゴクリと喉を鳴らし、物欲しそうに海弁を見つめ始める。


「あっはは、数には余裕があるはずですから。どうぞご一緒に」

「……うぅ、し、しかし」


 2人は命令を受けてここに居る。謂わば任務中なのだ。そっちのけで弁当など食らっていては梶原から大目玉を喰らうかもしれない。


「……ううん。うちの艦長は沢山食べる人が好きなんですよ。”若者はとにかく食べる事が仕事だ”とも言ってましてね」

 傍で見ていた男性自衛官。ポンと兵士の肩へ手をやり、ほんの少し悪そうな笑みを浮かべて誘惑するように語りかける。

 どうせなら全員で食べるほうが楽しいし、何より美味い。


「――だ、大佐殿がですか」

 梶原は少尉。福島は1等海佐――つまり大佐である。大佐の命令と考えれば後腐れなく弁当を堪能できるもの。それに、差し出された食料を断るのは極めて無礼であると家庭でも教わって来た。


 ――命までは取られまい。

 ここは大人しく、お言葉に甘えて弁当を戴くべきである。そう思う事にした。


「……で、では、いただきます」

「あ、で、では自分も! ありがとうございます」

 おずおずと海弁を受け取る2人。箸とスプーンを受け取り、周囲の自衛官達と共に座り込んで蓋を開ける。


「お、うおお……!」


 今日の海弁は中華風弁当だ。本来であれば、本日の昼食の献立は鶏もも肉を使用したチキンステーキであった。

 しかし、弁当へ詰めるとなればソースや肉汁が垂れてしまいやすい。


 そのため、給養員はもも肉をひと口大より大きめにカットして2種類の唐揚げにした。


 1つは衣にブラックペッパーを効かせた竜田揚げ風にし、とろみのある甘酢あんかけを絡めてある。


「お、おぉ……」

 まずは1つ……箸で掴み、口へ運ぶ。


「これは……鶏肉? う、美味い」

 彼らにとって、鶏の竜田揚げを口にするのは数年ぶりであった。それにしても、この竜田揚げは過去に食べたモノより断然美味い。


 噛むと口のなかにジュワっと広がる肉汁。濃厚な旨味と鼻から抜けてゆく脂の香りが心地よい。


 きっと良い油を使っているのだろう。かつて口にしていた揚げ物は少なからず特有の臭味があったのだが、この弁当からは感じられない。

 時間差でピリリと来るブラックペッパーの余韻もクセになりそうだ。

 スライスレモンが1切れ添えてあり、ほんのりと柑橘の爽やかさも堪能できる。


 もう片方は褐色の唐揚げ。スパイス薫るカレーフレーバーだ。複雑でいて主張し過ぎない、バランスのとれたスパイスの風味が口いっぱいに広がり、ほんのりと辛味のある余韻も堪らない。


 唐揚げだけでも2種類の楽しみがある。飽きずに食べ進める事ができ、こんなに楽しい弁当は生まれて初めてかもしれない。


「んー、美味い……!」

 心地よい余韻に浸りながら、次は隣のエリアに箸をのばす。


 白身魚の素揚げ。柔らかくフワっとした身に仕上がっており、口に含むとタンパクな味わいの中に微かな甘味も感じられる。パリパリの皮と一緒に噛むとクセになる食感だ。


 さらに、ご飯のエリアはニンニクとベーコンが効いた黄金チャーハン。程よく油を吸った玉子が更に食欲をそそる。


「うおお……!」


 兵士は箸からスプーンに切り替え、チャーハンを掬って口に運ぶ。炒められた具材の芳ばしい香りがふわりと口の中に広がった。

 所々で感じられるシャキシャキとした食感はレタスだ。細かく切った新鮮なレタスを一緒に混ぜて調理されており、食感に心地よいメリハリを持たせている。


 ――こ、これは美味い。美味いぞっ。


 もはや無我夢中。


 チャーハンで口をいっぱいにしてもなお搔き込んだ。

 飲み込んで、口の中に少しチャーハンが残っている段階でまた唐揚げを頬張り、それらが完全に口から居なくなる前に付け合わせの野菜炒めも口に運ぶ。


 野菜炒めにはニンジン・もやし・赤ピーマンとチンゲン菜を使用し、やや塩コショウを感じる程度の淡い味付けが施されている。

 これは唐揚げとチャーハンの味が濃いため、交互に食べる事で味わいに緩急を持たせ、よりおいしく食べ続けられる為のひと工夫だ。


 極め付けは漬物の代わりに少量入っているザーサイ。梅風味に仕立てられており、こってりとした中華風弁当にさりげなく爽やかなアクセントを追加している。


 兵士2人は段々と口数が減ってゆく。ハフハフと口を動かしながら、夢中で海弁を食べ進めた。


 周囲で眺めていた自衛隊員達も一緒になって海弁に舌鼓を打つ。時折視線がぶつかるが、その度に笑顔を見せ合うようになっていた。


「……ふぅっ! う、美味かった!」

「ご馳走様でした。まさか、ここでこんなに美味しい弁当が食えるなんて……」


 昼食を済ませていたはずの兵士達だが、あっという間に海弁を平らげてしまった。ほんのりと汗ばんでおり、満足げな表情をしている。


「はっは、そりゃ良かった。ほい、麦茶だぜ」

 給養員がコップを2人に渡し、大きめのやかんから冷えた麦茶を注ぐ。食事によって程よく発汗しているため、麦茶も染み渡るようにグビグビと飲めてしまった。


 ――食事でこんなに満足したのはいつ振りだろう……。


 太平洋戦争が始まり、大和艦内で働いていた頃は1日6合の米が支給されていたものの、おかずは野菜の漬物や煮物が中心であった。

 一般国民より優遇されているとはいえ、兵である自分達がここまで彩り豊かな食事を食べる機会は滅多に無かったのだ。なんとも感慨深いものがこみ上げて来る。


「なんだか嬉しいねぇ、そんなに満足そうな顔してもらっちゃ、俺達もメシのつくり甲斐があるってもんだ」

「……へへっ。そんな」

 恥ずかしそうに頭を掻く兵士。無邪気な顔を見せ、最初に会った時の険しい表情は欠片も残っていない。


「素晴らしい部隊ですね。毎日こんなに美味い飯が食えるなら、どんなに辛い任務でも笑顔で耐え抜けますよ」

 屈託のない笑顔で語る兵士。


 彼らの”海上自衛隊”という部隊はかなり恵まれているようだ。よほど重要な任務を担っているのだろうか――。


「――お若いですけど、何歳ですか? 俺は29歳、平成8年生まれっす」

 先程から何度か目が合っていた自衛隊員が話しかける。


「へいせい……? わ、私は大正12年生まれ。ここに来て5年経ちましたので、現在は24歳です」


「あっ」

「え?」


 戸惑う両者。


 ――そうだ、さっき艦長が異世界って言っていたな。


 互いに自分の感覚メインで会話を進めていた為、話が噛み合わなかった。まずは情報のすり合わせが必要である。


「――俺たち、2026年から来てるんですけど、ひょっとして……」

「に、2026年……何を言ってらっしゃるんですか。我々はミッドウェー布陣中に、このダナエ王国へ迷い込みました。それが1942年でしたので、現在は1947年かと思っていましたが……? 詭弁ではありませんよね?」


 自衛隊員達は事前の周知により、異世界の概念を少なからず抱いてここに居る。


 しかし、この兵士達はダナエ王国が異世界であるという事までは認識が無かった様子だ。

 何らかの協定により、他国が迂闊に手出し出来ない特別な国家なのだろうと思っていたのである。


「なるほど、ミッドウェー布陣。となるとあのミッドウェー海戦――」

「――やめとけ。今はそれ以上言わんほうがいいかもしれんぞ」

 第二次世界大戦マニアの隊員が思わず太平洋戦争の行く末を語ろうとしたが、見ていた幹部自衛官がそれを制止する。


「――あ、すみません。失礼しました……」

 歴史に影響を及ぼす云々以前に、せっかく美味い弁当を食って良い気分で居る彼らを消沈させる訳には行かないだろう。


「でも、我々が2026年の人間だというのは本当だよ」

 再び幹部自衛官が口を開き、周囲の自衛官達も全員頷く。


「ほ、本当に……」

 兵士は呆気にとられる。確かに、彼らが乗ってきたのは見たことのない兵装だらけの船だ。

 メシも尋常じゃ無いくらいに美味かったし、彼らが嘘を吐くような人間とは思えない。


「に、2026年の日本はどうなっているのですか、天皇陛下はご息災ですか?」

「うーん……。どうしよ」


「まあ、そこは良いだろう」

 さきほど制止に入った幹部自衛官が許可を出す。太平洋戦争に直結する話題でなければセーフとした。


「……天皇陛下は、現在もご息災ですよ。昭和、平成、そして現在は令和の時代となっています」

「れ、令和……!」

 聞き慣れぬ元号。しかも2つ。


 昭和天皇は――とも言いかけたが、流石に80年後だ。元号が変わるのは何も不思議な事ではない。

 ……のだが、やはり昭和天皇がどうなったか、そして戦争の行く末がどうなったのかは気になる所である。


「これは不敬なのかもしれませんが、しょ、昭和は何年まで?」

「……昭和は64年まで続きました。年明けから1週間ほどで平成となります。そこから平成が30年続き、生前退位によって令和の時代になったのです」


 ――生前退位……!


 兵士らにとっては驚きの連続である。未来の日本はよほどの変貌を遂げているらしい。

 聞きたい事は山ほどある。しかし、自己判断でこれ以上首を突っ込むのも良くは無いだろう。


「いや、なるほど。未来の日本は豊かな国となっているのですね。……良かった」

 口では「良かった」などと言ってみたものの、帝国の面影が無さ過ぎる。

 彼らは気を遣ってくれているようだが、戦争がどうなったのかは見当がついてしまった。


 ――天皇陛下、ご息災で何よりです。


 兵士は感極まりギュッと拳を握る。戦争の結果がどうであれ、それが何よりも嬉しい事であった。

 涙ぐみかけたが、彼らに悟られてはせっかくの気遣いを台無しにしてしまう。


 ただただ美味い弁当に感謝し、彼らと一緒に梶原少尉の帰りを待つ事にしよう。






「――この向こうに大和があります」

「うむ……」


 L字に湾曲した港の最奥。梶原に連れられ、福島達は巨大な倉庫のような建物の内部を歩き進めていた。


 梶原がトタンのような簡易的なドアを開け、1人ずつその先へ進む。視界に巨大な造船ドックのような空間が広がった。


 そして……。


 直径1メートル程の菊紋、水面下の球状艦首……。喫水線から30メートル以上の高さに達するであろう檣楼しょうろう

 思わずぐるりと首を動かして眺めてしまう程の巨大な艦体だ。

 そして何より美しい。見た目は子供の頃に観ていたアニメや映画によく登場していたモノと同じである。


 史上最大の戦艦、”大和”の姿がそこにあった――。

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