第12話 夜の揺らぎ

 加奈は「やっぱり」という言葉がしっくりくるほどがっかりした。


「佑香さんも同じ結果だったんですね」


 事前に加奈も通信端末の検索機能を用いて調べていたものの、ヒットしたのは同姓同名の人物が複数浮かび上がるだけで、いくら画面をスクロールしようがタップしようが無駄骨に終わった。


「あなたの言った通り、秋野麻依という名前は偽名の可能性があるわね。守護士協会にも問い合わせてみたけれど、誰もその子を知らないなんておかしいわ」


 守護士協会は今から十年前に電妖体への対抗措置として複数の民間企業が中心となって設立した組織だ。人権を蔑ろにされてきた守護士の保護や雇用のバックアップを中心に努めてきた彼らが若すぎるサイバーアーツの使い手を放っておくわけがない。


「もしかすると、私が見てきたのは幻なのかもしれません。幻覚機を隠し持っていて、だれかれ問わず人を惑わしてきたとか……」


「そういう妄想は控えなさい。あなたに幻覚機は効かないでしょ? 守護士と電妖体は呪粒子を持っているんだから、正確な視認ができているわ」


「はい。それはわかっています」


 現想界と電妖体の専門家である佑香が言い切るのであれば概ね信用していいのかもしれない。それでも、麻依の存在を信じている自分と疑う自分が半分ずつ思考の中に居座っていた。


 本当に秋野麻依は実在するのか? 現時点では結論を導き出せない。加奈の頭の中ではもやもやとした感覚が抜け出せないままでいた。


「他に考えられる可能性として、誰かがその子の情報を隠している節は否めないわね」


「はい。ですが、麻依という少女にそこまで大きな権限があるとは思えません。電神通貨も渡せましたし、特別な存在というわけでもなさそうです」


 そもそも現実世界の中で現想界の話ができるのは迷い込んで生還した人々と、そこを戦場として身を置く守護士くらいだ。


 ネット上において、現想界は日本政府が人体実験のために意図的に創りだした空間であり、他国に対して戦争をけしかけるための人型兵器を完成させるのが目的という説まで持ちあがっている。そう言われもない批判を受けているほど政府は腐敗が進行しており、加奈たちを守る唯一の後ろ盾は、民間企業が創り出した守護士協会だけだった。


「わたしは『秋野麻依』をこのまま放置するべきではないと思うわ。あまりにもイレギュラーが多すぎて守護士協会の管理下に置かなければ、彼女の行動次第でどのような変化が起こるか予測できない」


 佑香は長年の経験則から意見を述べると、腕を組んで考え込むような素振りを見せた。言い切った言葉とは裏腹に、謎多き少女を保護するというのは彼女なりの難題なのだろうと加奈は思った。


「加奈はどう?」


 意見を振られた加奈もまた、考え込むように俯いた。佑香の言う通り、麻依は年齢を考慮すれば保護対象になるだろう。しかし、規則に従うとしてそれが本当に最適解なのかどうかは現時点ではわからない。あまりにも不明な点が多すぎるからだ。


 少しの間を置いてから、加奈は佑香と目を合わせた。


「今は様子を見たいです。もっと本人と接触して、もう少し情報を集めてからでないと保護すべきかどうか見いだせません。私の雇い主は佑香さんです。佑香さんが保護を指示するというのであれば、それに従います」


 今の加奈にとってはこれが精いっぱいの意見だった。守護士である自分の意思が通るほどの権限は持ち合わせていない。忠犬のように主である雇い主や守護士協会の指示に従うだけだ。


 佑香は加奈の言葉に耳を傾け、言葉を否定することもなく何度か頷き、決して軽くはない口を開いた。


「——いいわ。今回は加奈の意見を尊重する。あの子についてはもう少し調べる必要があるわね」


「ありがとうございます」


 加奈は内心、ほっとしていた。またいつものように何気ない話ができる。今の麻依との関係は意外と気に入っており、それがいつまでも続いていけばいいと思った。


 佑香との話を終えた加奈は書斎から退出するとすぐに自室へ戻って柄型のユニットを手に取った。


 雇い主から得た猶予でどこまで麻依に近づけるだろうか。そもそも麻依は旅をしているのだろうか。様々な疑問を浮かべながら加奈は眠りに就いた。


 また明日、麻依と会って礼が言えたら今はそれで心が満たされると思いながら――。


   ▽


 深夜。


 繁華街から路地裏のビルの中へ足を運んだ二つの影が無数の街灯によって伸びている。その影を作っていたのは、守護士のユニットを裏の市場で売買する二人の男だった。


 彼らは昼間にみっともない姿を曝してしまったことを今も受け入れられないでいる。


 強引にユニットを奪おうとしたところで守護士と見られる女が分身し、牙を剥いてきた。現実世界ではユニットの展開や武力を用いた反撃は過剰防衛で十中八九違法と判断されるが、現実世界ではユニットを展開できないためそもそも不可能だ。これは裏市場で収入を得ていた男たちも周知していた。


 今日自分たちが目撃した女の分身はあまりにも精巧でまったく瓜二つの別人が変装して本物の刃を向けてきたとしか言いようがない。そんな守護士がいるなどまったくの予想外だった。今でも思い出すたびに背筋が凍り、ゴシックホラーの映画でも見ているかのようにぞわぞわとした恐怖が男たちの頭から未だに離れない。


 彼らは満開の夜桜が美しくなる気温とは真逆ともいえるほどの大粒の汗を流している。激しく息を切らしながらやっとの思いでたどり着いた場所は、最も多くの取引先となっているビルの一室だった。


 いつも鍵のかかっているその部屋は、偶然にもドアが開けっぱなしになっており、部屋の照明が駄々洩れになっている。我先にと二人が部屋に飛び込むと、室内の中心には絨毯が床に広がっており、その上に置かれたソファに年老いた男が足を組んで座っていた。


 壮年の男は銀色の短髪に長身痩躯で漆黒のスーツを身に纏い、四角いレンズの眼鏡を掛けており、どこか育ちの良さを感じさせる風貌を保っている。


 何かを察したようにニマニマとした卑しい笑顔と視線があった男たちは更に脂汗が滴り落ちていた。季節は真夏ではないはずなのに焦燥だけで全身の水分が抜け落ちるようで生きている心地がしない。


「ご苦労だった。たいそう苦労してユニットを持ってきたんだろうな?」


 壮年の男が皮肉交じりに口を開いた。


 男たちはその一言を聞いて悟った。高額なユニットを売買する対等な交渉とばかり思いこんでいたが、それは相手が仕組んだ罠だったのだ、と。


「冗談じゃねぇ! あんな本物の化け物からユニットを奪うなんてできるわけねぇだろ!?」


 坊主頭の男はその場の怒りで拳を震わせ、交渉相手に殴りかかりたい衝動を抑えていた。


「さては最初から仕組んでいたな! ガキと女一人ずつから奪う簡単な仕事だって唆しやがって! まったくの逆じゃねぇか!」


 金髪の男も揃って交渉を進めてきた取引先に対し激怒していた。


「まぁまぁ。上手くいかなかったからとはいえ八つ当たりはやめたまえ。失敗したお前たちが悪い」


「うるせぇ! こんな取引こっちから願い下げだ!」


「約束通り違約金は支払ってもらうからな!」


 男たちは矢継ぎ早に捨て台詞を吐いて部屋から出ようとしたが、既に彼らが入ってきたドアはどこにも見当たらず、最初からなかったかのように部屋は四つの面で作られた壁に囲まれていた。


「どうした? 帰るんじゃなかったのか?」


 二人の情動を煽る壮年の男はおもちゃで遊ぶ赤ん坊のように無邪気に笑い、この状況を面白おかしく楽しんでいる。一つ、指がパチンと鳴った。四方八方から銃口や刃が壁から飛び出し、拷問部屋のようにゆっくりと男たちに近づいてくる。


 同じような現象を二度も目の当たりにし、これが現実世界の出来事なのかと疑うが、音や匂い、刃物が突き刺さる感までもが忠実に再現されているだけあって、これは本当の事象なのだと脳が誤認識している。しかし、男たちはそれ気付くことは今の今までなかった。


「やめろ! やめてくれ! 金は要らねぇからここから出してくれ!」


「こんなところで死にたくねぇよ! あの女と同じことだけは……それだけは勘弁してくれ……!」


 しかし、取引先の男の言葉は冷酷極まりなかった。


「失せろ。守護士の片腕を奪い続けた罰だ」


「や、やめ――!」


 助けを懇願する男たちの前で壮年の男の姿が消え、視界が徐々に闇に奪われ始めていた。最後に放った悲鳴は結果的に断末魔となって部屋の中にこだました。


 急激な視力の低下、呼吸困難、胸が張り裂けんばかりの激痛、そして心拍の停止。現想界を知らない、守護士からユニットを奪い続けてきた男たちの最期だった。かろうじて生きていた脳に送られた最後の景色は何の色も存在しない無の地平線が広がるばかりだった。

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